「阿闍梨のような先生」 山の杜伊吹

 息子は小中学校で、5つくらい塾を替わった。勉強はしているのに、テストの点が上がらない。真面目な性格でちゃんと努力しているだけに、可哀そうであった。
 あれは中3の前期の中間テストの後だから7月だったか。人づてに聞いてワラをもすがる思いで駆け込んだのが、自宅で教えている78歳のおばあちゃん先生の塾だった。
 もう時間がない。最後の賭けであった。阿闍梨のような眼をした先生は、50年以上塾で教えていたが病気をし、今は自宅で教えている。指を使って計算しなければならないような子から、進学校を目指す子までどんな子どもでも対応できるという。
 時給500円で1回3時間、金儲けの塾ではないことが分かる。その良心的な時給もさることながら、3時間という長さも魅力であった。通常の塾は90分で詰め込む。理解の遅い子にはまたたく間に過ぎ去ってしまう。3時間で繰り返し問題を解き、マンツーマンでじっくりと見て、どこでどうつまずくのか、ミスしやすい癖まで、きめ細かくアドバイスしてくれるという。
 週に3~4日通い、テスト前や長期休暇ではほぼ毎日教わりに行った。
 その先生の献身たるや親心そのもので、息子のことを、まるで実の孫のように可愛がってくれたのである。
 そして夏休み明けの前期の期末テストで150点もアップ。苦手な数学が平均を大きく越え、教わっていないもっと苦手な理科までも40点上がり、親も同席する進路説明会で全校生徒の前で褒められるくらいであった。まさか、こんなに上がるなんてあり得ない。絶対に魔法を使ったと思った。何か、すごい術を。
 親だからよく分かるが、ミスしがちで理解も遅く、何度言っても忘れてしまう手の掛かる子だ。赤ちゃんの頃住んでいた古い借家には大きなゴキブリがよく出て、殺虫スプレーをかけて殺していたが、その煙を吸い過ぎて、脳に悪影響が出たのか、とか山の近くで春から秋は蚊取りを一日中つけていたので、それが子どもの頭に悪かったのだろうかと、真剣に考えたくらいである。どの塾へ替わっても点数は上がるどころか下がる一方で、絶望していた。そこへ現れた救世主だった。
 その後もテストの点は上がり続け、第一志望の高校に合格した。無理を言って、入学してからも教えてもらった。先生も高校生は過去6人しか教えていないということで、高校の教科書や参考書を買って努力され、解けない問題は知り合いの数学者やらご近所の大学教授に聞きに行き、難易度の高い問題も解るように、かみ砕いて教えようとしてくれた。
 そのお姿は、教える道の求道者のようで、決して諦めることなく、努力され続けていた。まるで命を削るように教えてくれていた。息子は高校のテストでも点数が上がり続け、特別進学クラスに入った。
 脳をオーバーホールしてもらったと思っている。まるで新しく生まれ変わったかのようだ。分解点検修理し、記憶の刻み方を教わった。驚くのは、塾は数学がメインだったが、教えてもらっていない理科、英語、国語まで上がったことだ。勉強ができるようになると、運命が、人生が変わってくる。友達が勉強を教えてと言ってくる。学校の先生があなたは分かるわね、と優しく接してくれる。周りが一目置くようになった結果、ますますやる気になる。

 先生が入院したのは昨年の夏頃だった。テスト前で心配だから、病院まで来てくれれば教えられるし、すでに家族の了解は取ってあるという。息子は病院にテキストを持ち込んで教わった。
 今年の1月、いつものように家に行くと先生が倒れていて、救急車を呼んだ。その後、ご家族から「息子さんに勉強を教えるのが生きがいになっているから今まで言えずにいたが、末期がんで余命わずか。ドクターによると昨年死んでいるはずだが、まだ奇跡的に生きている」と、知らされた。
 そして、5月に先生は亡くなられた。
 家族でお通夜に行くと、ご主人であるおじいちゃん、息子さん2人、お孫さんたちなど、ここ1年半よく顔を見たご親戚の方々が、息子の顔を見るなり、波のように嗚咽した。こちらもすっかり身内のような感覚になっており、溢れる涙を止めることができなかった。
 先生の人生の中で、息子は最後の教え子となった。
「もう先生にLINEしても返事は返ってこないの」
 頭の良い子に教えるのは簡単だ。そうでない子に分かるように教えるのは難しい。プロ中のプロの先生であった。息子だけでなく私たち、家族を救ってくれた。棺の中には、先生との血のにじむような勉強の証、お家に残されていた息子のプリントを一緒に入れてくれたという。 (完)