「サンドダラー」 碧木ニイナ
声について思いを巡らせていたら、なぜだかフランスの詩人ジャン・コクトーの「私の耳は貝の殻 海の響きを懐かしむ」という詩が浮かんできて、体全体にひたひたと満ち溢れるような、そんな感じがしました。
声も音も耳を通して伝わるものだからでしょうか。堀口大学訳のこの詩は多くの方がご存じでしょう。幼いころ砂浜で拾った貝をそっと耳に当て、音を聞いた記憶。貝には波の音が入っているのだと、集めた貝を持ち帰ったりしました。海のない県に生まれ育った身ですから、そんな体験は何度あったことでしょう。
回想に遊ぶ私の心に二十一年も前のオレゴン州の、夏の海の情景がよみがえります。五歳だった娘との家族旅行のひとこまです。夫が育ったオレゴン最大の都市ポートランドは緑豊かな美しい都市で、札幌と緯度が同じです。私たちが海に出かけた日は曇り空の肌寒い日でしたが、現地の人にとっては普通の気候、家族連れが水泳を楽しんでいました。
久しぶりにアルバムを開いて、私の記憶に焼き付いている写真を探しました。銀色を帯びて霞んだような海で、手をつないで浅瀬を歩く夫と娘の後ろ姿。白い波が打ち寄せる浜辺で遠くを見つめる夫と娘。何を話しているのでしょう。二人の楽しげな声まで聞こえてきそうです。娘は、義妹が編んでくれた赤い毛糸のカーディガンを着ています。
私の呼ぶ声に後ろ姿のまま顔だけをカメラに向けた娘。その娘に夫は慈愛深いまなざしを注いでいます。夫は若く…、もちろん私も…、娘は小さかった…。あれもこれもとてもノスタルジック。郷愁を誘います。後ろ姿の写真はドラマティックで雄弁です。じっと見つめていると、それぞれのシーンが鮮明に思い出されて涙ぐみそうな私がいます。
娘がその海で丸くて平たい貝殻を見つけました。
「それはね、サンドダラーというんだよ。壊れないでこんな形のまま残っているのはとても珍しい。これに出会った人は幸運の持ち主なんだ。みんな大切に何十年も部屋に飾っておくんだよ」
という夫の説明を、どれくらい理解できたのか定かではありませんが、娘は貝殻を耳に当て、とても嬉しそうにしていました。貝はどんな声でどんな話をしてくれたのでしょう。
サンドダラーとは「砂の金貨」といった意味です。直径八cmくらいの貝の表には、縁取りのある五弁の花びらのような花紋があります。自然の模様なのですが、まるで芸術家の彫刻のよう。裏には真ん中あたりに小さなおへそのような穴があります。サンドダラーはここから呼吸をし、声を発しているのですね。それは長い間、娘の部屋に飾ってありましたが、今はリビングのピアノの上で娘の写真に寄り添っています。
あの旅行では六週間をアメリカで過ごしました。夫が生まれたカリフォルニア州のロスアンジェルス→父が住むサンフランシスコ→姉とその家族や友人たちが住むオレゴン州→フロリダ州→イリノイ州のシカゴへ。そして、母と親族が住むミネソタ州へ行き、再びロスに戻って叔父夫妻を訪問し、日本への帰途となりました。長距離移動の長旅でしたが、娘はいつも機嫌よく元気でいてくれて、本当にありがたいことでした。
フロリダのディズニーワールドでは、ミッキーマウスにミニーマウス、白雪姫や小人たち…、ディズニーのスターに次々に会い、いろいろな乗り物に乗り、パレードやショーを楽しみました。エレクトリカルパレードは、ディズニーの夜をまばゆい光とディズニーミュージックで彩る、百万個以上のライトが光り輝く夢の世界でした。どの写真からも幼くかわいかった娘の声が、鮮やかに弾むように私の耳に届きます。
娘が自分の意志でアメリカの寄宿制私立高校への留学を決めたのは十一年前のこと。そして娘の妹の、お転婆だけど愛らしかった柴犬のスミレは、昨年のクリスマスの大雪の日にいってしまいました。十六年一緒に暮らしました。娘たちの声のない静かな山里のわが家では、新緑の色をしたカエルや小鳥の鳴き声が、かまびすしいばかりです。