「忘れもの恐怖症」 黒宮涼

 昔から、私は忘れものをすることが苦手だった。
 子どもの頃はランドセルの裏の時間割表と毎日睨めっこして、重い教科書を何冊も入れる。忘れものをした日には、一日ブルーな気持ちになっていたように思う。人によっては大したことないじゃんと思うことでも、私にとっては大したことだったのだ。
 忘れものエピソードについて母に尋ねてみた。私が小学校一年生の頃、担任の先生に「忘れものをしました」の反省文を書かされたことがあると興奮気味に教えてくれた。母の話しを聞くうちに、私もなんとなく思い出すことが出来た。
 前日の夜、母が「算数のカード」をランドセルに入れてくれた。しかし算数の時間に、私はそのカードをランドセルから見つけることが出来なかった。母は確かに入れておいてくれたはずなのに、どこにもない。ひっくり返してもない。焦った私は冷や汗をかいていたと思う。「忘れものをしたの?」と聞く先生に、私は首を横に振った。「忘れてない」私は必死に否定した。けれど、母が入れてくれたはずだとは言えなかった。先生の顔が怖くて見られなかった覚えがある。先生は、私に「忘れもの」の反省文を書くようにと連絡帳に書いた。母はそれを見て腹を立てたらしい。字も覚えたての小学校一年生の子どもに反省文を書かせるとはどういうことなのだ、と。結局、母がカードを入れたのにそれを見つけられなかっただけで、忘れものはしていません。という内容の反省文を書いて提出したそうだ。
 以来、母はその先生のことが大嫌いになっていたし、私も先生のことはずっと苦手だった。なので忘れものをすることがしばらく怖くて、忘れものをしたことを隠すようになった。勿論、すぐにばれるのだが。
 苦い思い出がある。
 例えば私が一番覚えているのが、給食のナフキン(食器の下に敷く白い布)を忘れたこと。忘れた時は先生に言って代わり紙を貰うことになっていたのだが、私は先生にナフキンを忘れたと言うのが怖くて、なかなか言いに行けなかった。
「先生、ナフキンのない子がいる」
 隣の席の子が、右手を上げてそう言った。何で言ってしまうのだろうと私は震えた。怖くてずっと俯いていた私は、先生の顔を見ることができなかった。その日の給食はあまり美味しく感じなかったけれど、全部胃の中へしまい込んだ。
 学年が上がって先生が変わっても、私は相変わらず忘れものに対して強い恐怖心があった。でも、教科書などを学校に置きっぱなしにすることは絶対にしなかった。結局、怒られることが嫌だったのだと思う。

 大人になった今も、出掛ける前には忘れものがないかすごく心配になる。旦那に向かって「あれ持った?」「これ持った?」と思わず言葉をかけてしまう。「うん。持ったよ」その返事を聞いて少しほっとする。でもまたすぐに、他には何か忘れていないか心配になってしまう。でも忘れものをした時は、「仕方ないね」と以前よりは平気になったように思う。それは一緒にいる旦那の影響か。
 当時の私にもし会うことが出来たら、「うん、忘れたもんは仕方ないよね!」と言ってあげたいと思う。                     (完)