「滅びの美学」 平子純

 公孫樹から激しく黄色い葉が舞い、乱舞を見せている。もうすぐ冬枯れの骸骨に木々はなるだろう。そのエネルギーはすさまじく、生命が燃え消えるせつなの炎をどう表現するのだろうか。家元しか許されない秘曲に乱舞というのがあるそうだが日本人の感性は燃え尽きる時の燃焼を鬼女の舞や音曲の激しく叩く様や三味のじょんがらに託したのだ。
 私は今まで接した文章の中で謡曲の「紅葉狩り」が好きだ。六百年以上前に書かれたものだが、あの言葉のつながりほど日本人の深層を抉る文章は余りない。男女の情愛の奥深さを歌った文章は世阿弥から近松門左衛門と続いてゆく。
 あらゆる物に精霊が宿る日本、卑弥呼や多くの巫女に神が降りたように、神は至る処に舞い降りるのだ。秋は枯れ葉に姿を変じ、鬼人や鬼女となって踊り狂うのだ。冬は雪に変じ吹雪となってよされよされと舞うのだ。

 今日は二千十八年十二月八日である。太平洋戦争開戦の日でありトラ・トラ・トラで有名な真珠湾攻撃の日で余り知られてないが父は海軍で香港攻略作戦に当日参戦している。日本軍はアメリカを攻めたと同時に香港でイギリスやオーストラリアを攻めたのだ。父は帝国海軍軍人としての栄誉を死ぬまで引き摺って生きた。「海ゆかば水漬く屍 山ゆかば草生す屍」の人麻呂の名歌が鎮魂歌として海軍には有った。
 どうしても滅びの美学を感じてしまう。日本人に組み込まれた遺伝子の中にはどうしようもなく滅んでいくものへの愛惜に涙してしまうものがあるのだ。春は散る桜に秋は楓に冬は椿に滅びを感じ歌にしてしまう。初夏の若葉や秋の見事な紅葉よりもより多く想ってしまう。今朝毎日行く学習センターの回りに咲く紅い椿が散っていた。まるで鮮血が飛び散ったようにかしこに血溜まりのように落ちていた。私は積もった銀杏の黄色い葉の埋積や椿の花弁に冬枯れを多く感じ別れを惜しんでしまう。それは生を惜しむ気持ちと直結する。

 話を元にもどそう。紅葉狩りである、能の舞の部分を書いてみると、「されば仏も戒の。道は様々多けれど。ことに飲酒を破りなば。邪淫妄語も諸ともに。乱心の花かずら。かかる姿はまた世にも。たぐい嵐の山桜。よその見る目もいかならん。よしや思えばこれとても。前世のちぎり浅からぬ。深き情の色見えて。かかる折しも道の辺の。草葉の露のかごとをも。かけてぞ頼む行く末を。契るもはかなうちつけに。人の心は白雲の。立ちわずらえる。景色かな。」この名文の解説や説明はしない方が印象が強いだろう。
 この季節は一日ごとに変化が大きい。寒波が来て常緑樹以外の植物はすべて葉を落とし裸木となってゆく。骸骨のように。だから人は愁を感じ泪するのだ。生命の不思議さを枯れ葉や裸となった木に思い出と自分の命の儚さを想ってしまい、詩が生まれるのである。
 今年の夏は暑かった。夏に咲く花も見事だった。だから余計に一枚一枚剥ぎ落ちる葉に失ってゆく時間の尊さを思ってしまうのだ。
 埋積した黄や紅の落ち葉の横に椿の赤い花弁が幾つも落ち、まるで鮮血が血溜まりのような形で転がっている。
 その椿の残骸の上に冷たい雨が降り私はふっと何かが燃え上るように感じた。多分花の霊が自分の命を惜しむように燐が炎となるように火の玉となって蒸発するのだろうと思った。古人も多分そんな錯覚というか幻想に囚われて鬼人とか鬼女を連想させたのだと思う。その鬼人や鬼女が狂い舞い始める。

 火の付いた落木が始めはちょろちょろと燃えていたのが急に勢いを増すように、強い風が吹き、その度に枯れ葉が乱れ舞うように鬼人や鬼女は舞い狂い続ける。そこには男女の幾世代も続く情念の燃焼と重なってしかも男女の褥にある重なり合う幻想となって赤や黄が混じり合い織りなして今の世の恨みを表現し続けるのだ。幾世代にも渡って。=平成三十年師走 (完)