「もってかれた」 伊吹

 とにかく暑い夏だった。
 令和5年の夏は暑い、ではなく熱いと表現すべきだろう。
 外出に身の危険を感じる程だったので、夏休みにどこへも行かなかった。せめてもの娘の希望を叶えるため、やっと秋の足音が聞こえた先週、金沢に一泊旅行に行った。
 娘は能が好きで、昨年の夏休みの自由研究は能についてまとめた。金沢は、前田家が能を庇護推奨した歴史から、今でも伝統芸能の能文化が受け継がれている。

 目的地の一つは、能舞台のある宿、『石屋』に泊まることだ。宿には約百年の歴史を持つ能舞台があり、見学することができる。
 夕刻に到着し、早速屋外にある能舞台を見に行った。私の眼は、能舞台と、その傍らに存在する石に奪われた。
 木々、灯籠、かがり火に混ざるように、真ん中に穴の開いた、円形の黒ずんだ石があった。
「あっ、ヤップ島の石貨?」
 まさか、石川県金沢市の山深い里の、純日本家屋の温泉宿の築百年の能舞台の傍らに、ミクロネシアのヤップの石が? なぜ?
 口には出さなかった。主は能面の小面を手に、能舞台の説明をしている。石は、さりげなく周囲の景色に溶け込むように、そこにあった。
 能舞台に上がると、石は存在を隠すかのように、どこにあるか分からなくなるのが不思議だった。
 能舞台で繰り広げられた古典の物語、幾人のシテが演じたのだろう。どんな人が貴賓席に座り、能の世界に酔いしれたのだろう。
 見学の帰りに、もう一度能舞台を振り返り、石の写真を撮ろうと試みるが、なぜか映らない。存在を消すかのように在る石。
 私は、25年近く前にヤップ島を訪れた。大好きだった人、小さな飛行機、かわいらしい空港、現地の気候、交流した素朴な人々、海や空気、無数に見た『本物の』石のお金を、ただただ思い出していた。
「いや、ここにヤップの石貨などあるはずがない。似たような石だろう」
 そう思い直し、館内の博物館を見学した。矢じり、土器、鎌倉時代の仏像、落雁の木型、様々なものが展示してある。その中に、紛れもなく『ヤップ島の石貨』と表示された石が2つあった。
 確信した。あれはヤップの石貨だ。だれかが日本に、この宿に持ち込んだのだ。石の価値は、大きさや形ではなく、その石がどのような歴史を経て今ここに在るのか、ということで決まると現地の人から聞いた。
「どうやってここまで来たの?」
 石に聞いてみたい。
 宿の人に、能舞台の傍らにあった石のことを聞いたが、誰も詳細は分かりませんという。

 次の日は、金沢能楽美術館に行った。
 娘が能面と能装束の着付け体験をした。感想を聞くと、「能面をつけたら、もってかれそうになった」という。
 やはり、あの無表情に見える能面の奥には、あっちの世界とつながるとてもなく深遠な世界が広がっているのだ。
 見る人によって、悲しく、楽しくも見える魔力を宿す能面。恐ろし気でいて、美しくどこかユーモラスでもある。能面から覗くと、あの小さな穴からは外があまりにも見えない。まるで青森の、目の見えないイタコのように、物語の主人公と、演じ手、能面師の思い、それらをすべて内包し、超越し、陶酔した状態で動く。執念、怨霊、悲しみ、すべてをあのゆっくりした動きの中で浄化させていく。

 ヤップの石貨は、北陸金沢の風雪に耐えて野ざらしのまま在った。辿ってきたであろう歴史を思うと、とてつもない価値があるように思う。反面私の手には、薄っぺらい日本銀行券がある。信用創造で刷られたこの紙っきれ。価値があると思わされ、踊らされ、奴隷になっている人もいる。
 時間が同時進行ですべて重なっているように感じる。過去なんて、千里浜の砂浜の波にかき消されるカモメの足跡のように、はかなくなくなる。振り返っても、消えちゃってる。あれは能登半島か。あるのは、今と、未来だけ。 (完)