「相談室の過ごし方」 黒宮涼

 中学時代を思い出そうとすると、記憶にもやがかかっていて、思い出せることが少ない。あのころは感情の起伏が激しく、様々な出来事に対して悪いほうにしか考えられなかった。
 母は毎朝のように私を学校へ行かせようとしたし、部屋にこもっていると誰かしらが私を学校に行くよう説得に来た。そのどれもが当時の私にとっては、余計なお世話と言いたくなるような内容だった。学校へ行きたくないというのに、おせっかいな大人たちが毎日のように、かわるがわるやってきて私を責めてくる。そんなふうに感じていた。誰も来ない日だけが唯一安心できる一日で、けれど常にさみしさが私の中にあった。

 具体的な時期は思い出せないが少しの間、相談室登校をしていたことがある。
 相談室の先生は、還暦を迎えたおじいさんで、もともと教諭をしていたと聞いた。週に何度か相談室に来てくれることになったらしい。私が通うようになったころは、もうすでに何人かの生徒が来ていた。
 最初に会った時、私は先生の事を怖いと思っていた。その当時は誰に会ってもそう感じてしまっていたと思うが、のちに優しい先生だとわかって安心した。
 授業開始のチャイムが鳴ってから、終了のチャイムが鳴るまでの間。先生と私だけの時間のときもあれば、他の生徒が一緒のときもあった。授業の合間の休み時間に会いに来る生徒がいて、みんなに愛されている先生だった。
 私は最初こそ気まずいと感じていたが、徐々に慣れていった。ぼうっとしていることが多かった私は、特に何かをしようと思ったことはなかった。どうすれば良いのかわからなかったからだ。
 先生は、いつも何かを話しかけてきてくれていた。もう内容はあまり覚えていないが、いくつか記憶にある中で、印象に残っていたのは音楽隊の話や、干支の話。そして先生の友人の未婚女性の話だ。
「その人はね、結婚しておけばよかったと後悔しているようだったよ。だから、結婚はしたほうがいいよ。おばあさんになったときに、傍に誰もいないのはとてもさみしいから」
 その時は、どうしてそんな話をするのだろうと私は思っていた。以前も誰かが私の未来の話をしていたことがあったが、その時は琴線に触れなかった。そんな未来の話なんて、想像もつかなかったけれど、その先生の話だけは不思議と心の中に残った。

 先生は、私と面識のない生徒が来るときは必要以上に交流を持たせようとはせず、各々の過ごし方を尊重してくれたように思う。例えば本を読んでいる生徒がいたり、CDラジカセで音楽を聴きに来る生徒がいたりした。
 とある生徒は、部屋にあるパソコンでゲームをしていた。
「俺はゲームしに来たから、先生に会いに来たんじゃないよ」と彼は言った。
 先生は笑っていた。私は、ゲームは口実だろうなと思った。
 その後しばらくして、私は相談室で小説を書いて過ごすようになった。ぼうっとしているよりも、何かをしたかった。他の生徒たちに影響を受けたのかもしれないと思う。何かをするのにもその時の私には勇気のいることだったからだ。
「完成したら読ませてね」と言われた。誰かに自分の書いたものを読んでもらうのは、とてもどきどきした。小説を褒めてくれたことが、とても嬉しかったことを覚えている。
 先生と過ごす時間は静かであり、賑やかであり、学ぶことが多かった。最初は苦痛だった時間が、だんだんと心地良い時間になっていった。

 先生が亡くなったことを知ったのは、私が結婚した後の事だ。
 あのころ現実味のなかった結婚をしたことが、直接報告できなかったことを残念に思う。 (完)