「『はだしのゲン』を読んでつぶやいてみる」山の杜伊吹

 伊勢の神様が、西のお社に御移りになると世の中が少し良くなると聞いた。逆に東のお社におわす時代は、世の中があまりよろしくないと。  
 伊勢で出会った古老の話は、本当かも知れない。ここ20年の間に日本は、バブルが崩壊し、2度の大震災に見舞われた。将来に希望の持てない閉塞感の中で、自殺者は増える一方だ。始まったばかりのこれからの20年に期待するほかない。  
 どこかの図書館にマンガ『はだしのゲン』を置くなとか、置けとか、なにやら言っていたので私も読んでみた。お金がないので図書館で借りて、いま六巻目を読み終わった所だ。
 戦時中、伊勢の神様は、いったいどちらにおわしたのだろう。ゲンの生きたあの時代、日本には神も仏もいらっしゃらなかったに違いない。人間の愚かさに愛想を尽かして、きっとどこかへ行ってしまわれていたのだろう。  
 戦争はしてはいけない、こわい、嫌なものと分かっている。でも、実際に経験していない者にとっては、その苦しみも悲惨さも、想像の域を出ない。マンガや映画で少し疑似体験してみたところで、あれが本当に自分の身の上に降り掛かって来ようなどとは思わない。
 ましてや原爆の恐ろしさなんて、巨大すぎて想像することすら難しい。喉元過ぎれば、放射能の危険がある原発も自国に作ってしまう。やはり日本人は、バカなのだと思う。日本はもう二度と戦争をしようなんて思ってはいないはずだし、その可能性なんて考えたくもないが・・・。   
 戦争の矛盾を口に出し、竹ヤリ訓練を真面目にやらなかったゲンのお父さんは、町中から非難された。兄たちも疎開先でいじめられる。雑草やイナゴを食べて生き延びたが、原爆が落ちて、広島は地獄絵図となる。倒れた家の下敷きになった父、姉、弟は、ゲンの目の前で炎に呑まれて焼け死ぬ。半狂乱となった身重の母と必死で逃げ、産気づいた母は混乱の中で妹を産む。  
 家もない、金も食べ物もない。知り合いを頼って行くが、そこでも酷いいじめを受け追い出される。かわいそうな妹は一度もミルクを飲む事なく、痩せ細り、原爆症でそのちいさな体で血を吐き、死んでしまう。
 人が人を殺す。人が人の弱みに付け込み、踏み台にして生きていく。これは、遠い昔の出来事に過ぎないと、言えるのだろうか。戦後68年経った現代も、私達人間の、醜い性質は変わっていないのではないだろうか。
 モノを盗み、子を、親を殺し、人を貶める。醜い鬼や悪魔が人間の中に棲んでいて、世の裏側を支配している構図は同じだ。  
 マンガには原爆症で天涯孤独になったおじさんがでてくる。孤児となった子どもらのお父さんとなって、一緒に生活するのだ。その人は物書きで、原爆のことを小説に書いて本にしようと印刷所に持ち込むが、どこへ行っても断られてしまう。アメリカの都合の悪い事を書いてはいけない情報統制であった。現代日本も、そんな方向に進まなければよいが。
 終戦から19年後、日本はオリンピックを開催出来るまでに復興した。物質面では、本当に豊かになった。戦争とは違うけれど、地震と津波と原発で壊滅状態になった日本が、7年後の東京五輪までに、どこまで回復しているか。生活は豊かになっているはずなのに、幸せを感じる度合いはずっと低いままだった―ではいけない。日本の本当の意味での復興は、心の豊かさを取り戻すことだと多くの人々が気づいている。  
 人間の最低の生活、極限状態を見せてくれた『はだしのゲン』。私が読んだのはまだ前半部分である。後半は掲載誌も替わり、偏向していくというから残念だが、終わりまで読んでみようと思う。  
 なんで?  と思う出来事は毎日のようにあるが、ゲンの生きた時代よりはましだと思える。日本人が豊かな心を取り戻した時、伊勢の神様もきっと微笑んでくれるに違いない。  (了)