「精神の時代」 山の杜伊吹

 あの時代、私は確かにそこにいた。

 バブルに浮かれた日本の中枢に。現金を手にした人々は、モノでは埋まらない荒んでいく心に気付いていた。もうじき地球の転換期、精神の時代と呼ばれ、アクエリアスの時代が来ると叫ばれ、精神世界や自己啓発にハマっていった。いろいろな宗教があったけれど、キモカワのゆるキャラの走り、オウムは若者の心を掴んだ最たるものであった。
 私は、そんな人々の傍観者であった。物心ついた時から孤独であった。大学では友達も出来て、どんなふうに友達を作ったのか思い出せないが、地方出の同じ思いで上京した孤独な者らは、すぐに仲間になった。同じ高校から一人だけ同じ大学に進学した子がいたが、学部も違っていたし、その子とつるむ必要がなくなるくらい、すぐに多くの友達ができた。
 しかし、家に帰ると孤独であった。駅前のスーパーで好きなものを買って夕飯を作って食べたり、テレビを観たり、電話をしたりするのだが、一人だと考える時間が多くなり、哲学的なことを考えてしまう。狭いワンルームのマンションの一室は1階にあり、キノコが生えそうなくらいじめじめして日当たりが悪く、寂しい部屋であった。遊びを知らず、臆病で不器用な私はどんどん落ち込んでいった。

 M子のことは、誰にも話したことがない。今も生きているのか、死んでいるのか、生死を知らない。だが、青春時代の一番多感な時に、濃密な時を過ごした一人だ。死んでいる可能性が高いが、どこかで逞しく生きている気もする。彼女は色白で目がぱっちりとして可愛くて、背が低く、甘ったるい声を出し、話も面白かった。しかし精神を病んでいた。
 泣きながら、夜道を裸足で歩き血だらけになっていた。その身の上話を聞き、相談相手になっていた私はそのころ、人を疑うことを知らなかった。優し過ぎてお人よしだった。彼女は精神的に私に覆いかぶさり、私はその重みでつぶされそうになっていた。よくお互いのマンションを行き来しては泊まり、夜通し彼女の入信している宗教の話を聞かされた。
 私は、太ったり痩せたりした。勉強にも身が入らない。男子生徒の告白も、耳に入らない。自由で青春真っただ中のはずなのに、真っ暗な大学生活を過ごした。彼女が私の好きな男子生徒と付き合っていると知ったのは、しばらく経ってから。同性の精神の病はうつるということを知ったのは、随分後のことだった。そして、感情の浮き沈みは脳の癖であることも後から知った。何かあると「落ち込み癖」が出て、思考が落ち込んでいく。いや、落ち込んでいきたいと思考が誘導される、というべきか。考え方次第とか気の持ちようとはよく言ったものだが、私は割と早くに自分で自分の脳の悪い癖(紛れもなくM子の影響)に気が付き、コントロールできるようになった。

 東京のマンションは、多摩川を神奈川県側に越えると安くなる。学校のすぐ近くはたまり場になりそうで嫌だったので、少し離れた登戸という駅の近くに私は住んでいた。辛かった精神、思い出したくない彼女との日々。テレビの映像は30年近く消し去っていた空白の日々を一気に戻した。映し出される映像は、南武線と小田急線の交わる駅。毎日乗り降りした思い出の駅だ。受験で上京した時からあの喧噪感が気に入っていた。しかし、画面で見る駅はすっかり様変わりしていて以前の面影はない。カリタス小学校の児童の青い制服と白い帽子も見覚えがあった。とてもたくさんの子どもが朝から歩いていた。
 犯人が包丁を出したコンビニはあの頃はなかった。でも現場近くの公園は見覚えがあるし、負傷者と犯人が運ばれた聖マリアンナ医科大学も知っている。お気に入りのレストランもクリーニング店ももうなくなっているが、犯人はあの頃も近くに住んで同じ空気を吸っていたのだ。どんな顔でどんな様子で何をしていたのか。同じバブルの傍観者だったのだろうか。

 私のマンションはどうなっているのだろうと名前を思い出し、ネットで検索したら、なんとまだある。画像で私の住んでいた部屋まで見ることができた。外壁をおしゃれな色に塗り替えて、立派にまだそこにあった。まるでM子のようにしたたかに、逞しく。 (完)