「まわれまわれ 平和の地球よ」 伊神権太

「平和」って。何だろう。
 私は二〇一二年五月八日に横浜港を出港して百二日間に及ぶピースボート地球一周の船旅をした。新聞記者の一線を退いたのを機会に人々が願う平和とはどんなことかを寄港する先々で聞いて回るのが狙いでもあった。そして。船旅を終えた私は「平和」とは、家族一緒に普通の生活を平々凡々に続けることだとの確信に至った。
 とはいえ、現実は違う。世界に目を転じると、国家のエゴや民族間の対立、紛争などを原因とした醜い戦争をはじめ、人災といっていい悲惨な福島第一原発事故、さらには地震・津波・風水害といった自然災害、最近では環境悪化による地球温暖化という深刻な問題まで浮上。穏やかな暮らしがいかにありがたいことか、とつくづく思う。

 乗船時、私は中国の厦門(あもい)をはじめ、タイのプーケット、エジプトのポートサイド、スペインのゲルニカ、フランスのル・アーブル、英国のロンドン、アイスランドのレイキャビク、ベネズエラのラグアイラ、メキシコのエンセナーダなど行く先々で「平和って何」と人々に問うてみた=自著「ピース・イズ・ラブ 君がいるから」(人間社刊)に詳しい=。多くの女性が「おかあさんと一緒に食事をし、話ができること」を第一にあげ、ル・アーブルで出会った少年は瞳を輝かせて「ラブ・イズ・ピース」と言い切った。私は少年の目を見ながら「なるほど。愛があれば戦争が起きることもなく、平和なのだ」と合点したのである。
 また一九三六年四月二六日に世界で初めて、人類最初の無差別空爆を受け、無差別爆撃を怒ってピカソが描いた壁画で知られるゲルニカ市では平和博物館を訪れ、平和活動団体代表と空爆生存者による証言を聴く機会にも恵まれた。女性スタッフらはその日何が起こったのか、をわかりやすく証言してくれ、平和には「協定」「内心」「環境」「日常」の四つがあり、結論として「平和への道はない。平和そのものが道である」とマハトマ・ガンジーの言葉まで紹介してくれた。
 たまたま私たちが訪れたその年の四月には長崎市とゲルニカ市が「市民を犠牲にするいかなる爆撃、紛争を許さない」「核兵器廃絶を求める」「平和の大切さを広める」「新しい世代にも平和の大切さを継承していく」の四原則に基づく平和協定を結んだばかりだ、との説明も受け、祈ると願いごとがかなうとされる〝ゲルニカの木〟に向かい、私たち〈平和の使者〉は手を合わせ世界の平和を祈りもした。

 このほか、アイスランドで地熱発電を見学中、ビデオ機器が忽然と消えてしまい真っ青になった際、バスの運転手さんがわざわざ心当たりのレストランまで探しに行き「ありました」と手渡してくださった時のことば「この国に悪い人などひとりもいません。国中が平和なのですよ。泥棒など信じられません」も忘れられない。さすがは、かつてこのレイキャビクでレーガンとゴルバチョフの両氏、米ソ首脳が冷戦終結宣言をしただけのことはある、と感心したものである。
 船旅の途次にはほかに「人の心の中に平和のトリデを築かなければならない」といったパリ・ユネスコ憲章をはじめ、「旅が平和をつくり平和が旅を可能にする」(ジャパングレイス社是)といった言葉が身にしみたことも確かだ。そして。八月十七日の朝。オーシャン・ドリーム号は横浜港に無事着いたが、このとき波止場に前夜から泊まり込みで出迎えにきてくれていた家族を目の前に、平和の尊さを実感したのも事実だ。何よりも穏やかな日々を抱きしめて歩いていきたい。これは全ての人に共通すると思う。

 最後に乗船中のピースデー(八月九日)に平和の使者たちが船上で朗読した「原爆の詩」の一部を記しておきたい。
 若者たちよ
 君たちは 平和がどんなに尊いか
 あなたたちは平和がどんなに幸せかを
 もっともっと知ってほしい
 ……
 地球に丸い輪がまわる
 まわれまわれまわれ 緑の地球よ
 まわれまわれまわれ まわれ
 平和の地球よ いつまでも
            (完)