「卒業生へ送るピアノ」 黒宮涼

 小学生のころ、私は習い事を幾つかやっていた。習字。ピアノ。高学年からは英語に、塾だ。二人の姉も一緒のものをやっていた。
 私の実家にはピアノがある。おそらく最後に弾いたのは「チューリップ」だろう。姪が最初に覚えて歌っていたものだから、それに合わせて弾いた覚えがある。私自身がピアノに初めて触れたのはいつのことか。記憶では、小学二年生で「バイエル」を始めた。母の知人の娘さんに習っていた。期間は短かったように思う。その後、姉たちと同じ先生に習い始めた。そのうちにピアノの発表会にも出るようになり、初めての発表会では緊張で足が震えていた。
 五年生には、学校行事で二回ピアノを弾いた。学芸会と、六年生の卒業式。何人か選ばれたうちの一人だ。ピアノと歌を合わせなければならなくて、発表会とは違った緊張があった。
 学芸会では周りが真っ暗の中、手元の明かりだけを頼りに無我夢中で弾いた。そして六年生の卒業式。学芸会の頑張りが影響したのか、またピアノを弾くことになった。選ばれた生徒の中には、私の友だちが二人。それにクラスメイトの男子がいた。彼が一番時間の長い曲を担当した。彼がこの中で一番上手いから、その曲を任されたのだと私は勝手に納得した。今考えると、曲の長さで上手い下手が分けられていたわけでもない気がする。

 私が弾いたのは「流れゆく雲を見つめて」という曲だった。聴いたことがなかった。他の子の弾く曲は聴いたことのある曲ばかりだったので、変えてほしいなと最初は思っていた。ピアノの先生のところへ練習のために楽譜を持っていくと、学芸会の時もそうだったが、弾きやすいように楽譜に手を入れてくれた。ピアノ教室で練習。家でも練習。また練習の日々が続いた。練習が好きだったわけでもないが、やっているうちに曲が好きになっていった。何度も練習したせいか、歌はすべて覚えてしまった。今でも時折、思い出した時に口ずさむことがある。

 卒業式の当日は、保護者が大勢来ていた。自分の卒業式ではないので親がいないことは、気が楽だった。式は順調に進み、ピアノも何度か間違えたが無事に弾き終わることができた。自分の卒業式でもないのに、少し泣きそうになった。式が終わると、音楽の先生が小さな花束を持ってきた。
「おつかれさま。よかったよ」
 そう声をかけられたので、私は感動してまた泣きそうになった。まさか花束をもらえるとは思っていなかったのだ。そしてもう一つ、先生は私たちにメッセージを書いた小さな色紙を渡してくれた。
「自分のペースを崩さないで弾けていた」という文字が印象に残っている。もしかしたら独りよがりのピアノだったのかもしれない。と思った。確かに練習中もテンポが速いと言われたことがあり、ゆっくり弾くように心がけていた。緊張してそれが頭から出て行ってしまっていたのかもしれない。と、反省した。
 その次の年は、自分たちの卒業式だった。練習中、五年生の女の子が何度もピアノを間違えていた。曲が止まるたびに、私は心の中で応援していた。去年は自分が同じことをしていたんだよなと思い、それから去年の六年生も今の私と同じ気持ちだったのかもしれないと思った。一緒に戦った仲間たちもきっと同じだろう。
「ご卒業おめでとうございます」
 門出の日。在校生たちが、私たちに向かってそう言ってくれた。震える手で胸に紙の花をつけてくれる姿を見て、私はまた心の中で応援した。(完)