「再会」 山の杜伊吹
名古屋のよく当たると有名な運命鑑定士のもとを家族で訪れ、旦那にも秘密にしていた事まで言い当てられて帰ってきた次の日、仕事が入った。
K市の歴史の本を作るので、古い写真を集めて複写してほしいという。枚数は五百枚、もちろん写真が撮られた年代、場所、歴史的背景までも明らかにしなければならない。もともと古いものが好きなのと、歴史に興味があったので引き受けた。
まずは、市内の写真館、写真愛好家をあたり、酒蔵、商店、病院、神社、寺、古くから地元に住む人を訪ねた。・・・しかしほぼ全滅。
古い写真なんて、そうそう見つからないのである。一番多かったのは、先代が亡くなって遺品を整理した際に、写真も処分したというもの。捨てることが美徳とさえなっている現代において、それは仕方のない事なのかも知れない。
家を建て替えるのをきっかけに、引っ越しで荷物になるから捨ててしまったとか。昔は火事が多かったらしく、燃えてしまったという話も多かった。あるにはあるが、蔵の中にしまい込んでどこにあるか分からない、探せないというケースも多々あった。持っているはずの人を見つけ出しても、耳が遠くなっていて、私が何度「古い写真」と言っても「シリンカン」としか聞こえない。
お金持ちの家には古い時代から写真機があって、貴重な写真もあるが、名家ほど保守的なもの、世に出したくない。
三百年以上続く老舗の酒蔵は、代々国会議員を輩出した家柄。電話対応も最悪だったが、手紙を送りなんとか取材の許可を取った。だが、取材日の朝に「やっぱり写真なかったわ」とドタキャン。こっちは生後九ヶ月の愛娘を預けるために、保育所の予約も入れてあるのだ。いま思い出しても気分が悪い。これで選挙前には清き一票を、か。
もちろんこんな事ばかりではなくて、温かい人にもたくさん出会えた。写真愛好家の人から、地元の名士九十を超えるおじいさんを紹介され、そこから元高校の先生、そして最後に地元の歴史研究家へと辿り着くことができた。
取材の後半に、母校の小学校を訪れることになった。校舎に入るとあの頃と同じ匂いがして懐かしい。校長室で古い写真を探していると、職員玄関の二宮金次郎像の前で、整列してクラスメイトと記念写真におさまる、幼き日の私の姿を見つけた。
三十年以上前の自分と、こんな形で再会するとは!
祖母に言われるまま入学式用の赤いワンピースを着て、母のなすがままに前髪を短くカットして、はじっこに立っている。
その後に襲いかかる数々の苦悩、苦い出来事、波瀾万丈の人生も知らずに。少ししかめたまゆとカメラを弱々しく見つめる目。暗い表情がいかにも幸薄そうで、運のなさを象徴するかのようである。なにも知らない、あの頃のわたし。夢さえ抱く前。
私の隣には、校長先生が立っている。たしかこの写真を撮ってそう遠くない時期にガンになり、任期途中で亡くなられた事を朧げながら思い出した。
大人になって、すべてが分かる。いや、いまだに分からぬ事がある。人は死ぬとどこへ行くのだろう。魂だけ生きたままなのか、すべてが無になってしまうのか。
最近よく思うのだ。死に向かって生きている事を。いたいけな幼子を保育所に預け、あくせくと働く現在の自分。別れの時は涙が出てしまう。お迎えに行くと、日当たりのよい窓のそばで、室内だというのにベビーカーに乗せられて、ぼんやり外を見ているのは紛れもなく私の赤ちゃんだ。
数十年後、私が車イスに乗せられて、デイサービス施設に預けられ、日がな一日窓の外を見て過ごし、娘の迎えをひたすらじっと待つ日が来るのかも知れないなと思う。
今年の冬は例年以上に寒く、パソコンを打つ手にしもやけができた。悩みばかりが深く、そこから抜け出そうとあがいていた。顔も見た事のない編集者にアゴで使われ、情けなくて、あわれで、みじめで、苦い味の悔し涙を毎日流した。
それももう終わり。古い写真を集めた歴史の本がもうすぐ発刊される。ママは頑張ったよ。私の人生において、けっして忘れる事が出来ない一冊になるだろう。
最後に取材した人から、不思議な縁で占い師を紹介された。この世の出来事はあの世からの便り。気づかない人には夢で知らせる。それでも分からないなら夢枕に立つ。そして、他人の口から言葉で伝えられる。
私は、なにかを受け取っただろうか。