「空の色を映したフレッシュな青」 碧木 ニイナ

 美しい自然の色に溢れたシドニーで、私は十五年ほど前に、八歳だった一人娘と母子二人で暮らしました。
 ポートジャクソン湾の深い紺をたたえた海の色、そこに浮かぶヨットの白い帆。地面を埋め尽くす緑の芝生。森や林や公園の天にも届きそうな樹木の濃い緑に薄緑。咲き乱れる花々。図鑑で見たことのあるカラフルな鳥が、辺りを悠然と飛び回っている姿。それらの全てが今も鮮やかに私の脳裏に蘇ります。
 娘の将来が世界のどの国にあってもいいように、また完璧なバイリンガルに育てるために、夫は日本で仕事、私と娘はシドニーへという手段をとったのです。
 シドニーも人種のルツボ。いろいろな国の人に接し、英語で学び英語を話す生活は、その後の娘の人生を豊かに彩ってくれました。
 娘はそれまでに何度も海外旅行をしていましたし、その前年の夏休みに家族で出かけたオーストラリア旅行が、彼女の心を虹色に染め上げていたのです。
 小学校を訪問する機会に恵まれ、現地の子供たちと楽しい時間を過ごしました。教室に違和感なく溶け込んだ娘を見て、子供の順応性の高さを改めて思い知らされました。
 フェリーに乗って潮風をいっぱい浴びながら行った動物園では、コアラを抱いたり、カンガルーやウォンバットなど、オーストラリア特有の動物との出会いがたくさんありました。
 飼育係の人が首に掛けた直径十五センチもありそうなパイソンに触らせてもらった時も、好奇心旺盛な彼女は満面の笑みだったのです。そのヘビは淡い黄色に黄土色を混ぜたような色をしていました。
 グレートバリアリーフのシュノーケリングでは、「水族館で見たきれいな色の魚と一緒に泳いだよ。魚たちといっぱい目が合って、私と魚がお話してるみたいですごく面白かった」そうです。
 そして、海の色はこう表現しました。
 「エメラルドグリーンや、空の色を映したようなフレッシュな青」
 その旅行を通して、娘をオーストラリアに連れてきても大丈夫という感触を得た私は、帰国後すぐ彼女に聞いてみました。
 「一年くらいママと一緒にオーストラリアに住んでみる? 面白いこといっぱいあると思うよ。英語もずっと上手になると思うよ」
 「ウン、行きたい!」
 娘は間髪を入れずに答えました。吸い込まれるように澄んだ瞳がキラキラ輝いています。私にまったく不安がなかったと言えば嘘になりますが、娘のその言葉に背中を押されるように、慌ただしく準備を始めたのです。
 夫と三人で出発したのは年が明けて間もない一月五日のこと。前夜に大雪が降り、その朝は陽の光が雪の上に拡散し飛び跳ね、とてもまばゆい朝でした。同じマンションの方が見送ってくださいました。
 到着したシドニーは夏の真っ只中。強烈な太陽に私たちは包まれました。小学校は市中心部の小高い丘の上にあり、目の前にハーバーブリッジとオペラハウスが見えます。学校に着くと校長先生が出迎えてくださいました。恰幅のよい、顎髭を蓄えた目の優しい笑顔の素敵な方でした。
 翌朝、私はお弁当を作って夫と共に娘を学校に連れて行ったのですが、リュックを背負った彼女は「バイ、バイ」と手を振り、すっかり慣れた場所のように校舎に消えました。その瞬間に私は大きな安堵を感じ、この選択は間違っていなかったと確信したのです。  
 午後、迎えに行くと、電車の駅までの道すがら、学校での出来事をあれこれ教えてくれました。
 「お弁当はお庭で大きなタイヤに座って食べたけど、みんな私の横に来たくてケンカするんだよ」
 最初のお話はこれでした。初日からみんなが話しかけ親切にしてくれて、とてもうれしかったそうです。
 この限られたページでは書ききれないシドニーの学校でのいろいろな思い出。人間愛に満ちた教育がなされていました。夫は三週間の滞在の後、日本に帰って行きました。別れの時は心細かったのでしょう、娘も私も涙をこぼしました。
 娘のお友達のご一家が、夏休みに訪れてくださったことも、大切な思い出です。 
 それから後の娘は、中学三年間の夏休み毎にアメリカのサマースクールに参加し、本人の意志により高校で渡米。その自然な流れの中で大学もアメリカでしたが、彼女はボーダーレスな女の子に成長し、肌の色も持ち合わせた文化もバックグラウンドも様々な、多くの友人に恵まれました。
 そして、卒業後は日本へ戻り、今年の一月から三ヵ月あまりを、ピースボートのボランティア通訳として南半球を一周しました。娘はこの旅でどんな新しい色と出会ったのでしょう。南極海はどんな色をしていたのでしょう。
 東京で社会人としての一歩を踏み出したばかりの娘に、子供の頃のシドニーでの生活を聞いてみました。
 「良いことしか覚えていない。お友達がたくさんできたし、すごく楽しかった」
 娘は明快にそう言い、「私の人生の転機になった。人々がとても温かく優しかった」と続けました。
 娘が人生の転機になったと位置づけるオーストラリア。彼女が私の手元から大きく離れてしまわないうちに、コントラストのはっきりした色鮮やかな大地を、もう一度踏みしめてみたいと思います。