「貯水槽とおたまじゃくし」 黒宮涼

 私の実家から小学校までは、歩いて三十分という距離にある。小学生の私にとってその三十分は途方もない時間だった。毎日同じ道を同じ時間をかけて歩く。寄り道や遊んだりしないでまっすぐ帰るなんてことは、好奇心旺盛な小学生の私にとっては無理なことだった。
 登下校中の遊びと言えば通学路の途中に、貯水槽が置いてある場所があった。何を作っていたのかは知らないが、ビニールハウスが幾つも並んでいて、隣にその貯水場があったのだ。いつからかはもう覚えていないが、当時の私と同じ通学班の友だちには、とっておきの遊び場所だった。何故かといえば梅雨の時期になるとその小さな貯水槽にはおたまじゃくしが大量発生していたからだ。理由などわかるはずもなく、ただそのおたまじゃくしを手ですくって捕まえることが、楽しくてしかたがなかった。もちろんアメンボもコケもたくさんいた。最初に発見したときは覗くだけだった。そのうちに「ヌルヌルする。気持ち悪い」と言いながらも素手でおたまじゃくしを捕まえることに夢中になった。私たちはその捕まえたおたまじゃくしをなんとか家に持って帰れないかと画策し、ペットボトルを半分に切ったものを水槽代わりにしてその中におたまじゃくしを十匹ぐらい入れた。家に持って帰ると母は驚いた顔をしたが、すぐにポリバケツを用意してくれた。
「たくさん取ってきたねー」
「うん。通学路の途中の水貯めてあるところにたくさんいたんだよ。ほら、ビニールハウスのいっぱいあるところの」
 一所懸命にそう説明したことを覚えている。母は「ああ。あそこね」と言ってくれたので伝わったのだと思う。私はそれから家を出るときは毎回と言っていいほど大きいバケツに移されたおたまじゃくしたちを見るようになった。
 雨が続いてくると私と友だちは貯水槽の水があふれ出そうなことに心配したりもした。そんな中、おたまじゃくしたちが足を生やしていることに気づいた。
「足が生えてる!」
「気持ち悪い!」
 小さな衝撃を受ける私と友だち。そしておたまじゃくしがカエルになることを思い出した。
「これがカエルになるなんて、すごいね」
 私は目を輝かせながら言ったと思う。友だちも頷いた。
 私たちはその後、おたまじゃくしたちが完全なカエルになるまで毎日のように貯水槽を見に行った。
「この子、前足ある。あ、この子も」
「見て。もうカエルみたいなのがいる」
 家のおたまじゃくしたちもいつの間にか足が生え、手が生え、カエルになっていった。もちろん全部が無事にカエルになれたわけではないが、生き物の不思議を間近で見られたのは、今になって思うとよい経験だったのかもしれない。理科の教科書を見たときに、私はおたまじゃくしがカエルになる過程の写真を見て気持ち悪いと感じた。けれど貯水槽で死んでいるおたまじゃくしや干からびたカエルを見てからはただ気持ち悪いだけじゃないんだと思った。進化していくおたまじゃくしたちが愛らしかった。カエルになったおたまじゃくしたちは旅立ち、いなくなっていく。どこへ行ったのかはわからないが、きっとどこかで元気に飛び回っていたらいいなと思っていた。
 冬になると貯水槽の水が凍って薄い氷を張った。私たちはその氷をはがして遊び始める。そしてまた次の年の梅雨になるとおたまじゃくしがいないか見に行く。小学校高学年になってくるともう貯水槽にはあまり興味がなくなったのか、遊んだ記憶がない。同じ通学班だった低学年の子たちは遊んでいたかもしれない。私たちが卒業してからのこともわからない。今度実家に帰ることがあれば、久しぶりにあの場所に行ってみようと思う。もしかしたら何かがいるかもしれない。  (了)