「青春とは何者」 牧すすむ

 〝青春〟。なんてステキで魅力的な言葉なのだろう。誰にも青春があり又、青春があった。テレビを観ていると若い人達が今にも画面から飛び出して来るかのように歌い踊り、跳ね回っている。然も息切れの一つもなくー。
 当然、口パクの場合もあるだろうが、それにしても大したものだと感心することしきりである。テレビだけでなく一歩外へ出れば青春真っ只中の若者達がそれぞれに溢れ出るエネルギーを全身にまとい自由を謳歌している。なんと羨ましいことか。我々の世代には、遥かな過去となってしまった光景でしかない。悔しい限りなのだが…。
 いや、ちょっと待てよ。〝青春〟とは一体何者なのだ。単に年齢が若いだけのことか。元気が良いだけのことなのか。それなら自分にもまだあるゾウン、まだまだあるゾ などとこんな負け惜しみじみたことを考え考え、もう一度自分を見直してみる。
 自分にはやりたいことややり残したことが山程だ。愚痴など言っている場合ではない。そう思うとなぜか心の底から力が湧いて来て、知らず知らずに顔がほころぶのを感じるのである。
 又、〝青春〟という言葉は昔から巷に溢れていた。例えばスポーツの世界しかり、歌の世界しかり。私事でも若い頃から学校関係の歌作りをよく依頼され、求めに応じてきた。
 その歌詞の中にも〝青春〟の二文字がいつも踊っていたように記憶している。学園は正に青春そのものであり、子供達が明るく力強く歌ってくれているのを見ると、逆に自分の方がエネルギーを貰ったように思えて胸が高鳴る。今も自分は青春なのだと心の中でそう叫び続けている。
 歌謡曲に目を向ければこれまた〝青春〟を歌った曲は数知れず。懐かしいところでは「青春サイクリング」。今は亡き小坂一也の代表曲だ。
 藤山一郎の「丘を越えて」の歌詞の中にも、~讃えよわが青春(はる)を~の一節がある。又、少し近いところでは「森田公一とトップギャラン」の「青春時代」。これは今も私達がよく演奏し好評を頂いている一曲。どれもリズミカルで思わず一緒に口ずさんでしまう、ノリの良い名曲ぞろいである。
 話しは変わるけど、今日身近な場所で〝青春〟を二つ程見付けた。私は「大正琴の会」を主宰していることから年中様々な舞台に追われている。又、その間にも時間が有れば老人ホーム等の慰問に出掛け、大正琴の美しい音色を多くの人達に楽しんで頂いている。
 今日もあるホームに数人の生徒を連れて行ったのだが、私達の演奏に合わせて手拍子を打ち明るい声で歌って下さる姿に、今この人達は時を超越して〝青春〟しているんだなァ、と気付き心の中がほのぼのと温かくなってくるのを感じた。
 もう一つは帰り道でのこと。買い物がてらに寄ったスーパーで思いがけず弟にばったり。近くに住んではいるものの中々顔を合わせる機会がなく、お互いにびっくり。五分程の立ち話で彼が一月中旬に兵庫県で行われるマラソン大会に参加することを知った。
 四歳違いの弟は昔から体育系で走るのは大の得意。それでも念のため、その大会はシニア部門なのか? との問いに、「いや、一般だよ」と軽く言う。更に〝まさか〟とは思いながらも「フルかハーフか?」と尋ねると、これ又何事もないように「フルだよ」、との返事。
 フルであれば四二.一九五km。色々な大会に参加しているとはいえ、年齢を考えるとやはり驚きのひと言。彼は今もバリバリの〝青春〟なのだと思い知らされた。
 我が弟ながらそのパワーの凄さには脱帽しかない。と同時に〝自分もまだまだ若いゾ〟と己に言いきかせ、心なしか軽くなった足取りで帰路に着いた私であった。 (完)