「太陽礼拝」 山の杜伊吹

 受験生を抱えている家は、本人に気を遣うあまり家中がピリピリしているというが、うちに関してそれはなかった。家の中はいたって平和であった。しかしあまりの辛さに閉口していたのが塾通いである。
 金銭的な負担はかなりで、主人などは「諭吉をドブに捨てるようなものだから、辞めさせよ」と言うのだが、そうもいかないのは自分たちのDNAのせい。中3になると、親の足元を見たかのような激しい値上げ。トップの成績の子は塾になど行かなくても大丈夫である。それ以下の子とその親は間違いなく塾の奴隷だ。子どもは難問に悪戦苦闘し、親は経済的難問に立ち向かう。加えて時間的な負担のことも書かずにいられない。毎日空き時間があれば送って迎えに行くの繰り返しだ。
 学校から帰宅したら早めに夕飯を食べさせて、塾に送る。その後自分たちが夕食を済ませ、風呂に入り、髪を乾かす間もなく頭にバスタオルを巻いて、すっぴんのパジャマ姿でクルマに飛び乗り、暑い夏も極寒の冬も塾の前の駐車場で待つ。眠い目をしょぼつかせながらハンドルを握り、帰宅するといった具合である。

 この春、無事に第一志望の公立高校に合格し、喜んだのは「やっと様々な負担から解放される!」という親の思いもあった。塾代が浮くから、クルマが欲しいと言い出したのは主人であった。しかし、制服代、教科書代、定期代、自転車代などの出費は想像を超えており、そんな高い買い物は無理であった。

 私の願いは、ホットヨガに通いたい、というものであった。

 美意識の高い友人などは、クルマで片道40分もかけて、ホットヨガに通っていた。そんな時間も気力もないが、羨ましかった。一年程前に近所にスタジオができ、通いたい気持ちがずっと心の中にあった。
 昔からヨガは好きだった。運動不足で、背中の張り、肩こり、姿勢の悪さも気になる。いつまでももじもじしていてはダメだと、思い切って体験に行くことにした。
 室温が38度に設定されており、湿度が高く、汗をかきやすい環境になっているという。ヨガマット、ウエアはレンタルできる。いざ、スタジオに入って驚いた。小学校の教室2つ分くらいのスペースに、オバちゃん(失礼)が、40人近くひしめいているのである。こんなにたくさんの女性たちが一堂に! 想像もしていなかった。ヨガの前には化粧をしない方が肌に良いと言われているからか、ノーメイクの人が多く、正直顔も怖い。あっ、私もその中の一人ですが。
 年齢層高め、露出も高め、ぶるんぶるんの腕、お腹、足を出せるのは同性ばかりだからだろう。皆さん真剣そのもので、肉をなんとかしたい女たちの熱意、迫力は相当なものだ。各自のヨガマットが所狭しと敷き詰められ、隣の人との間は、わずか10センチくらい。こんな狭い所で体を動かせるのか、不安になるぎりぎりの間隔だ。周囲が近すぎて落ち着かない。
 正面に大きな鏡があるが、前の人たちとの重なりで、自分の姿を確認できない。座るポーズ、立つポーズ、斜めに足を伸ばすポーズでは、手足が隣の人の体に触れてしまった。大きく円を描く動きでも、遠慮してちぢこまってしまう。実は脳が男性に近い私は、女ばかりの空間を苦手としているのだ。ハアハアいいながら汗をかいて、この密室空間の雰囲気とか、浮かぶ雑念とか、あらゆる自分の限界に挑戦する時間が過ぎた。
 終わってからシャワーを浴びるのも順番待ちで、新米で前へ行けないトロい私は結局最後になってしまった。
 次の回も、その次の回もほぼ満員、キャンセル待ちの状態だ。なんと多くの女性たちが、綺麗になりたいと願い、美を追究していることだろう。見ず知らずの人と同じ場所に集まり汗をかく。ヨガのリラックスとは程遠いものだけれど、少しでも美に近づけるならば我慢するしかあるまい。来ている皆さんもきっと我慢している。いつだって美への道は険しい。

 外気も38度のこの夏、ホットヨガで汗をかいていることを高校生になった子どもに告げると、「なんでわざわざ暑い夏に、熱い場所に行って汗をかくの?」と不思議そうな顔をされた。
「ヨガって気持ち良いの?」
「ううーん。どちらかといえば、つらいかな。じっと同じポーズをしていなきゃならないし」
「なんで熱くてつらいのに、わざわざ行くの?」
 平和だから。あのオバちゃんたちもきっと。ヨガに行ける平和に感謝、とヨガポーズ。 (完)