「ウォーキング」 牧すすむ

 このところ私はテレビのチャンネルを変えるのに忙しい。オリンピックを観るためなのだが様々な競技を色んな番組が放送しているので、あれも観たいこれも観たいという欲深さから駒の早送りの如くチャンネルを変える羽目になってしまう。
 仕事から帰ると食事をするのもそこそこにテレビの前にどっかりと陣取る毎日。更に休日ともなれば早朝から始まる競技に熱中し、コーヒーを片手にチャンネルをいじる始末。いやはやオリンピックの魔力は本当に凄いと改めて思う。それの裏付けなのか、開会の前まではあれ程反対した人達やマスコミの声もすっかりトーンを下げてしまっている。今は私達と同じ気持ちでテレビの画面に心を奪われ、日本選手の活躍に一喜一憂しているのかもしれない。それも又スポーツの不思議な魅力。何はともあれ全ての選手に最大のエールを送りたいものである。
 只、コロナ禍の中で開催を決行したオリンピックは連日世界中のマスコミを騒がせていて、選手同士の戦いの前にウィルスという最強の相手と戦うことになってしまったのも紛れの無い事実である。
 一方でそんなオリンピックのあおりを受け我々の生活も様々な苦難を強いられている。大正琴の会を主宰する私は殆どの演奏会や発表会が中止となり、更に大切な教室の場までも厳しい制限が掛けられてしまった。
 そんなわけで休みが増え、家にいる時間も長くなり戸惑いの中で私の生き方も一変した。いつもなら琴の練習をしたり書き物をしたりで忙しいはずなのに、と思いつつもいつの間にかリモコンを握っている手。好きな番組も幾つか出来芸能人の顔も覚えたけれど、心に忍び寄る不安と罪悪感を押し殺しつつ観ているというのもなかなか辛いものがある。
 宿題を気にしながら遊びに更けった子供の頃をふと思い出し、つい苦笑いをしてしまう。でもこれが当たり前の生活になってしまったら、と考えると怖くもなる。とはいえそうそう悪い話ばかりでもなさそうだ。
 暇潰しにと最近妻に誘われてウォーキングを始めてみた。以前からのお医者さんの勧めもあり決意したのだが初心者なので無理は出来ない。それでもこの頃は道々に咲く草花に目を向けながら、歩けることの幸せを少しずつ感じる様になってきた。
 先日は近くにある公園に足を運んだ。一回りするのに三十分以上はかかる大きな公園だが良く整備されていて色々な遊び場も有り、子供達や親子連れの姿も多い。ウォーキングを楽しむ人、ペットを連れた人などとも気軽に挨拶を交わしたり出来、心が和む。
 然しある日のコースが私を大いに驚かせた。それは自宅から僅か数百メートルの所にあり全く知らない間にきれいな道が出来、お洒落な住宅が建ち並び、見知らぬ住人達の顔があった。まるで別世界だが、考えてみれば子供の頃によく遊んだ場所。只、そこには田畑だった昔の風景は何も無く方向さえも分からない。正に「浦島太郎」の心境に陥っていた。
 思えば大人の仲間入りをしたと同時に仕事に追われ、結婚後も家事や育児は全て妻任せ。身近にある世界は殆ど見てこなかった私。今になってその大きな時のズレを痛感しているが、これからの人生は目線を変え、自分の周りに起きていた様々な変化を一つずつ、一つずつ取り戻さなければならない。

 ウォーキング、これはひょっとしてコロナウィルスが私にくれたたった一つのプレゼントなのかもしれない。もしそうであればためらうことなく、明日もこれからも妻と二人で色々なコースをウォーキングしよう。四季折々の道で行き交う人達ととびっきりの笑顔で挨拶を交わしながらー。(完)