「夫がかわいそう!?」 山の杜伊吹

 毎日、晩酌を欠かさない、という人は非常に多い。
 アルコールなしの夕飯など、絶対にありえない。夕飯のおかずは、あくまでも酒の肴で、食卓の主役にはなりえず、主役は酒である。ご飯はちょっとだけ、もしくはいらないという。あとで白飯も食うといいながら、ビールでお腹がいっぱいになって、やっぱりいらない、となる。
 私の父は、夕方仕事から帰宅すると、まずビールかお酒、の人であった。母は夕飯の支度に忙しい中、夏場は冷えたコップを、冬は熱燗を準備した。そのうち父は「スルメでも焼いてくれ」という。母は片方のコンロでおかずを作り、もう片方のコンロで焦がさないよう気をつかいながら、いそいそとスルメを焼く。ときには落花生であったり、柿の種といった菓子であったり。酒とつまみでお腹がいっぱいになった頃、本当の夕食が始まる。母が精一杯心を込めて作ったおかずの味は、父にわかっただろうか。父は一度も、おいしいともありがとうとも言わなかった。 
 父方の祖父は奈良県の出で、その実家はわりと裕福な家であったという。
 その昔、酒やつまみを出して客にふるまうといった、いまでいう居酒屋のようなこともしていたらしい。
 屋号は“しょっちゅ屋”といったそうで、焼酎を出すところから、焼酎屋、しょっちゅ屋となった。
 いわずもがな、子孫の我々も酒豪揃いで、親戚一同が集まったりすると、大宴会となった。小学生でも特別な日は晩酌を許された。でも私は、酔った父が嫌いであった。顔を真っ赤にし、ぐでんぐでんになった父は、すわった目で私に、からむのである。もちろんここまでなるには、相当な量の酒を飲まなければならない。声が大きくなり、そのようすは動物霊にでも取り憑かれたよう。一緒に飲んでいたふだんクールな人も、人相が変わって、別人のようになってしまう。酒の酔い方は、年をとってからどんどんひどくなった。そして夜中、地を這うようないびきで、何度も起こされることになる。  
 学生の頃は、よく酒を飲む機会があった。酒が飲める、飲めないで威張りたがるのは、女生徒でもまったくなくはないが、やはり男子生徒の方が多かったと思う。二十歳そこそことはいえ、まだ学生、子ども気分が抜けきれない。飲めない人に無理に飲ませて楽しんでしまうのだ。人が真っ赤になったり、いつもとは違う姿を見せるのを、楽しむ。
 先輩が無理矢理すすめ「俺の酒が飲めないのか」とか。断れない弱い人に注いで、周りも飲め飲めと囃し立てて追いつめて、いじめるとか。飲ませる方もアルコールで気が大きくなっているから、どんなことだってできる。だって日本は酒席の無礼講が許される国。ゲロしても「吐くまで飲んだ」と後日、自慢さえできるのだ。
 急性アルコール中毒で尊いいのちが失われた。しかし酒の席では毎夜同じことが繰り広げられ、自分が死んでしまうとはだれも夢にも思わない。毎晩救急車を呼ぶハメになっているのに、だ。  
 ふだんまじめな人が、アルコールを口にすると人が変わる。いい歳した偉いおじさんが、酒の勢いで女性部下のおっぱいを揉んで「ゴメン、ゴメン」ですます。ニコニコしていた同僚が、酒の力で場が凍りつくような悪態をつき、喧嘩がはじまる。言った方は覚えていなくても、言われた方は忘れない。大人は自分の限界を知らなきゃいけない。酒の上での失態だからと、甘やかしていいのか。これって飲酒運転がなくならないのと、関係あるんじゃないか。
 夫は、毎晩飲まなくてもいい人だ。だから基本的に、食卓に酒は並ばない。たまの夏の暑い日に「ビールが飲みたい」というときがあるのだが、一缶がやっと。みるみる顔が紅色になり、子どもの相手もできなくなり、そのうち歯を磨くのもお風呂に入るのも面倒になり、もう眠るといいだす。  
 子どもをお風呂に入れてよー、こっちは後片付けがあるんだからぁ。飲むと決まってひと悶着。翌日の朝は、何度起こしても起きられない。そして夜は、またビールを欲しがる。アルコール中毒への入り口だ・・・危険。  
 冷蔵庫の中に冷えたわずかな缶ビール、私はその存在を消している。