「猫巡り」     真伏善人

 猫が好きなのだけれど飼える環境に程遠い。したがって外のどこかに出ているのを眺めて楽しむより他はない。決して探し歩いてやろうというわけではなく、ただ自然に巡り合えるのを基本として出歩いている。飼い猫、半のら、のら猫とテリトリーがそれぞれにあるらしく、今日はどの辺を歩いてみようかということになる。こんな行動を取り始めて一年くらいになろうか。
  旧家の地域辺りを散歩していると、一軒の門扉の前で二匹の茶トラが戯れていた。体長はほとんど変わらないが、様子を見るとどうも飼い猫の親子らしい。足を止めて目を細めていると、なんと子猫らしい方が足元にきてからだを擦り寄せてくる。無邪気にじゃれてくるのをこれ幸いと応じていると、ごろりと転がり腹を見せてくる。手のひらで撫でたり揉んだりしていると、軽く歯を立てて蹴り足を見せる。親はと見れば素知らぬ顔で横腹ばい。こんな贅沢なありさまに一人満悦して頬のたるみは極限状態になる。しかし猫は気ままだ。何かを思い出したかのようにさっと立ちあがると、今度は親猫にからみはじめる。さあここは引き時と後ずさりで離れ、振り向くことなく路地を去る。飼い猫であるからこそ触れ合えた、至福のひと時であった。
  ああ思わぬ幸運を手に入れたと、次の日も胸をときめかせて足早になる。だがそんなにことは甘く運ばない。時間帯に外れたわけではないのに、姿かたちはどこにやら。次の日も、そして次の日も。やっと姿を見せたのは五日経ったその時間帯。あれはと見れば子猫のほうか。なんと姿を見てすぐに逃げ出した。知らぬ仲でもないのにつれない奴目と、小言をつぶやき門前を離れる。そうか、そうであればこちらも気ままに歩いてやろうと俄然、前向きになってしまう。
  日にちをおいて北の方へと舵を取る。住宅地を横目に、らしき雰囲気のある生活道路に気持ちを集め、ゆっくり歩く。目が止まったのは年数の経った平長屋。幼子たちが道幅いっぱいになって遊んでいる。と、見ればなんと猫たちと戯れていた。これは素通りするわけにいくまいと、遠慮がちに近づいて話しかける。よく聞いてみるとこの辺で住んでいるのだけれど、飼われている猫ではないと言い、みんなで餌をやったり遊んだりしているのだとつぶらな瞳を輝かせた。毛色の異なる五六匹が皿の餌を食べたり、物陰から顔だけ見せて、今にも飛び出しそうな構えをみせたりしている。一緒になって遊んでいる幼子たちを見ていると、何ともほほえましく、また羨ましい。この輪の中に入りたいのはやまやまだけれど、異様な風景になるのは間違いと、ここは潔くあきらめる。 
  夏もようやく陰りを見せる頃だったろうか。自転車を走らせて少しばかりの遠出をした。ある川にかかる橋を渡り終えると、右の土手の草むらで何かが動いたように見えた。咄嗟にペダルを止めて目をこらす。真昼の太陽の下で、草葉の陰からきらりと覗いた眼光に思わずどきりとする。不敵な面構えの黒猫だ。出ようか出まいかと躊躇の気配がありありだ。どうするだろうと何気なさを装っていると、獲物を狙うような足運びで、そろりそろりと姿を現す。全身を現すと目を見張った。まるでミニの黒豹だ。そのたくましさを、息をのんで見つめていると、艶艶の毛並みを誇示するように、長い四肢を堂々と大地に下ろしながら目の前を横切って行く。その姿には風格さえあった。獲物でも捕りに行くのだろうか、深い草むらを分けて、するすると川辺へ下りて行く。姿が吸い込まれてしまうと、いかめしさに気後れしていた自分が、なんだか情けなく思えた。   
  今もってあのような野生のたくましさと、美しさを併せ持った猫には巡り合えていない。