「雨の中のふたり〈私雨〉」 伊神権太

 今回のテーマエッセイ。23回目をかぞえて〈梅雨〉である。以前に〈雨〉をテーマにしたエッセイを3回目に実施したので紛らわしくなってもいけない。この時には「雨記者」のタイトルで確か、かつて豪雨取材などの思い出を書いた。で、〈梅雨〉に絞って書くとなると、あんがい難しい。そんなわけで、今回は少し視点を替えて忘れられない雨の思い出につき書いてみる。
 さて新村出さん編の広辞苑第五版(岩波書店)で梅雨を開くと、『つゆ【梅雨・黴雨】六月(陰暦では五月)頃降りつづく長雨。また、その雨期。さみだれ。ばいう。』で、夏の季語とある。さらに、梅雨に関する言葉としては、ほかに『つゆざむ【梅雨寒】(ツユサムとも)梅雨期に数日続く季節はずれの寒さ』『つゆしぐれ【露時雨】①露と時雨。新古今集「―もる山かげの下紅葉②露がいっぱいおりて時雨が降ったようになること』の記述がある。そこで、これら文言を頭に〈雨〉の世界を彷徨ってみることにした。

 雨で思い出すのは、何年か前、オーシャン・ドリーム号による地球一周の船旅〈ピースボート〉でイギリスを訪れた時の話だ。私は、せっかくの機会なので、と当時ロンドン特派員として在任中だったかつての部下を訪ね、バッキンガム宮殿を案内され、共に歩いたことがある。
「ここロンドンは街並みの空間など、どちらかと言うと名古屋に似ており、ボクは大好きです」「王女は土、日曜日には、ほかの宮殿に移られます。日本でいえば、皇室の御用邸(別邸)といったところでしょうか」「あっ、近衛兵が見えます。支局長はいつだって運がいい。公式なセレモニー以外には、なかなか見られませんよ」など。
 彼の言葉に耳を傾け、頷きながら歩いていると突然、雨が降り出してきた。すると彼はこう言ってのけた。「イギリスの男性は、誇り高き人間でこの程度では傘はさしません。さすこと自体があまりかっこよいものではないからです」と。
 デ、私も彼に習い傘をささないまま小雨のなかを歩き続けたが、あのときナンダカ雨の中に立つ自分自身をどこか誇らしげに感じたのも事実だ。日本とは気候も違うかもしれないが六月二十二日、日本なら梅雨のころだった。私は、その日のことを思い出すたびに、A記者の、あの誇らしげな表情を思い出してしまう。そして。同時になぜか前日に見たテムズ川の河畔に広がった、この世のものとは思われないほどの錦絵に染まった夕景も忘れることが出来ない。
 今ひとつ。それはノルウエーでの出来事でオスロで市内観光をしているさなかに起きた。雨粒が急に落ちてきたので軒下に避難していたところに若い女性が飛び込んできたので傘を差し出し、そのままでいた。ふたりで降る雨を見ていたが、ちいさな花びらのようなものがキラキラと輝きながらひとひらひとひら、雨の花となって落ちてきたのである。彼女とはいつか再会する約束をして別れたが、今はどこでどおしておいでだろう。
 このほか雨といえば「道がつづら折りになっていよいよ天城峠に近づいたと思ふころ、雨脚が杉の密林を白く染めながらすさまじい早さで麓から私を追ってきた」という川端康成の『伊豆の踊子』の有名な一節も忘れられない。雨にそれぞれの思いを重ねる私雨(わたくしあめ)だなんて。なんて気品ある響きのいい表現なのだろう。
 そういえば、わが家の舞が多少の雨でも意に介せずそのまま歩くので帰国後、この話をすると「だから私は少しばかりの雨では傘をささないの」ときた。

 ♪雨が小粒の真珠なら 恋はピンクのバラの花…
 私は昔から雨が好きで青春時代なぞ橋幸夫の〈雨の中の二人〉を何度となく口ずさんだものだ。誇り高きもの、とまではいかないものの、雨には、どこかロマンチックな匂いがする。「別れたくない二人なら 濡れてゆこうよ 何処までも」。人生、苦も楽も、どこまでも一緒に「雨」とともにこの先も歩んでいきたい。と思うのは私だけか。(了)