「ダブルレインボー」 碧木 ニイナ

 コンドミニアムの四十一階の窓に雨が降り注いでいる。晴れていた空が突然、土砂降りになった。風も強く高層ビルがフワッと揺れた。ハワイへは夏休みに何回か来たことがあるけれど、雨期は初めてだった。
 ハワイの雨期は十一月下旬から三月上旬頃という。ペンシルベニア州の寄宿制私立高校に留学していた娘とホノルルで待ち合わせ、三月初旬から三週間あまりの春休みを私は娘と二人、オアフ島に遊んだ。
 こんな大雨に見舞われるのは初めてのこと。眼下を流れるアラワイ運河では、カヌーを漕ぐ人の姿が雨の勢いに押されるように現れ、アッという間に消えた。初日がこんな荒れ模様で、この先どうなるのかしらと少し不安になった。気温も低く肌寒さを感じる。
 現地在住の知人が、ハワイの水道代はすごく高いと言っていたのを思い出した。「現地の人には恵みの雨かもしれないけれど、観光客の私にとっては迷惑だわ」などと思いつつ、ベッドに潜り込んだ私はいつの間にか眠っていた。
 私は名古屋発の便で午前七時十分に到着。空港へはコンドミニアムのオーナーが車で出迎えてくれた。娘はアメリカ東部のワシントンDCから、西のロスアンジェルスで飛行機を乗り継ぎホノルルへ。午後六時四十分着の娘を、今度は私が迎えに行くことになっている。
 目覚めて外を見ると、あんなに激しく降っていた雨はすっかり止んで、雲を浮かべた青い空が美しい。そこにアーチを描いた虹が遠く高くかかっている。なんて綺麗なのだろう。さっき抱いたかすかな不安は、虹を見た瞬間に霧散した。
 娘を迎えにタクシーで空港へ向かう。彼女に会うのはお正月以来だ。無事に来られるかしらと、少々の心配と約三ヵ月ぶりに再会できる喜びを胸に到着ゲートに向かう。娘は旅慣れた様子で、長旅の疲れも見せず元気に私の前に現れた。
 インターネットやガイドブックでいろいろ調べてくれているという娘にすべてを任せ、私は何の計画も立てないままやって来た。オアフ島については大体分かっているし、宿泊先も前回と同じである。若い娘の感覚、感性でハワイを気楽に楽しむことにした。
 娘の最初の提案は、一ヵ月間のバスの定期券を買ってオアフ島をくまなく回ろう、というものだった。早速セブン-イレブンで購入した。大人は四十ドルで子供は半額。アメリカでは二十一歳から大人料金になるけれど、その定期券はなかなかの優れものである。どれだけの距離を乗ろうと、行き先がどこであろうと、どこで乗り換えようが高速道路を走ろうが料金は一切、加算されない。
 私たちはパールハーバーやサーファーの憧れの地であるノースショアー、ドールプランテーションを含めいろいろな所に出かけ、彼女の望み通りオアフ島をほぼ一周した。
 パールハーバーのアリゾナ記念館を訪れた日も、シャワーと呼ばれる通り雨が降った。その程度の雨は雨期には付きものらしく傘をさす人はいない。そこは、日本軍の攻撃で太平洋戦争が勃発した歴史的な場所である。アメリカ海軍の運行する船で記念館に着く。今も海底に沈んだままの「戦艦アリゾナ」をまたぐようにして記念館は建っている。
 私と娘の記憶に鮮明に残っているのは、アリゾナと運命を共にした一一七七名の名前を刻んだ大理石の慰霊碑と、戦後六十年あまりを経てなお、船体から油が漏れ続けている事実。そして、細く油が浮遊する海に、雨後の虹を映したような美しい熱帯魚が泳いでいること。世界中から多くの来訪者があること。日本への憎悪が少しも感じられるような場所ではなかったということ…。
 娘は中学三年間の夏休み毎に、アメリカのサマースクールに参加した。そこで第二次世界大戦や広島に原爆を投下した爆撃機エノラ・ゲイなどについて学び、レポートを書いた。その後、娘から「広島に連れて行って欲しい」と何度もせがまれたが、約束を果たせないまま、パールハーバーが先になってしまった。
 バスに乗ってワイキキに戻る途中、またシャワーがあった。
 「ハワイでは雨の後、自然に虹が出るそうよ。よくシャワーがあるようだから、虹もよく見られるよね。ハワイはレインボーステイトと呼ばれているんだって」と娘に話しかける。
 「ダブルレインボー、見たいな。幸運のしるしって言われてるでしょ!」と、娘はシャワーを浴びながら走るバスの窓を見ながら言う。
 コンドミニアム近くのバス停で降りる頃には雨は止み、パームツリーと高いビルの向こうに、ダブルのアーチを描く虹が出現しているではないか。娘は大喜びでデジタルカメラに収め、私も彼女の興奮ぶりに合わせるように、ダブルレインボーとの遭遇を喜んだ。
 娘は部屋に戻らずネットカフェに行きたいという。大学受験の結果を気にしていたのだ。カラカウア通りのネットカフェで、彼女は第一志望の大学に合格したのを知った。そして、その喜びを胸に娘はペンシルベニアへ、私は岐阜に戻った。
 とても印象深い、数年前の娘と私のハワイ旅行記である。