「得難い平和」 平子純
まず好戦的な生き方をしてきた私に平和を語る資格などない事を言っておこう。人に内在する戦闘意識をいかに抑えるかが第一の鍵だ。
人は賭事やスポーツが好きだ。いずれも闘いの中に美しいものや勝利を喜びとするからだ。古より人は飢餓と戦って来た。生存競争で始まる。人は奪ってでも生きようとしてきた。今潤っているからといって明日飢えるかもしれない。
気候変動は続いているし、明日何が起きるか分からない。人はいつも不安定なのだ。今日本が平和だからといって安心はしていられないのだ。私のように障害者となっては成すすべもないが体がいうことをきくならばスーパーボランティアのように出来たらと夢想するばかりである。ましてや現在のように隣国の韓国とさえ危ない状況なのだから。いつ何が突発的に偶発するか分かったものじゃない。人の心はいつ壊れ諍いに走るかもしれないのだ。人は競い易い。その為に昔の人達は徳を説いたのだ。
私の父母達の世代はまさしく戦争の世代であり、よく『撃ちてし止まむ』を口にしていた。戦前日本の中には大東亜共栄圏という思想があった。ヨーロッパやアメリカに対し日本が中心となってアジアに巨大な貿易圏を創るというものであった。戦争に負けその思想は徹底的に否定され今では口にする者さえなくなった死語だが、けっしてその時代において間違ってはいなかった。
中国が今、一帯一路とか巨大な経済圏を創ろうとしているが、それも同じ発想でいつまでたってもアジアと米欧とのしのぎ合いは続くし、もしアフリカ県が力を持てばもう一つの新しい核が加わるだろう。文明、宗教同士の対立はいつも続くのだ。そして戦争が始まる。
先日こんな事があった。障害者の私は常にリハビリが必要で時には機械が使いたいのだが、某整形外科の運営する場に通おうとしていた矢先、私がそこのレベルに達しないということで差別されてしまった。むげに断られたのである。優しさに欠けた事案であった。
世間とは不合理なことが多い。ちっぽけな事でも当事者は傷つきそこで黙ってしまえばそれまでの事だが、私のように反抗心が強い者は矛盾に抗ってしまいたくなる。大人気なく抵抗したくなる。いわば小さな戦争が始まる。
とことん私は戦争主義者なのかもしれぬと思うことがある。現在、香港のデモも香港市民は生まれながらに民主主義に慣れていて社会主義とはまるでイデオロギーが違う世界なのだ。市民が自由を求めるのは分かるが、イデオロギーの違いは抵抗を常に生み、いつか弾圧か殺し合いが始まる。民はいつも危機なのだ。日本は民主主義に慣れきり当たり前のように享受している。しかしいつ他の力によって壊されるかもしれない。
たとえば半島から八十年前の恨みでミサイルを撃ってくるかもしれないし中国やロシアが野心でちょっかいを出してくるかもしれない。国防を考えると背中が寒くなる。軍事大国でない日本は今年航空母艦を持つそうだが、搭載するのはアメリカから買うF35に何兆円か費やすらしい。国防とはいかにも金がかかるものだ。平和の代償は大きい。軍事は経済と完全に癒着している。アメリカの圧力はいかにも大きく日本はトヨタや三菱等を売る為にそうなっているのだ。
日本人の中には侍魂が内在している。どうしようもなく遺伝子の中に組み込まれたものだ。いつ何時又頭を出し侍国家を目指すかもしれないと私は危惧する。アジア各国もそれを恐れているのだろう。私の祖先も武士だった。父は旧帝国海軍軍人で同年兵や教え子たちがいつも来ていた。話題は戦争のことばかりだったし、中には朝鮮戦争に駆り出された人もいた。私は戦争に囲まれて育ったので戦争は遠い存在ではなかった。
現在、世界はまだ争いが絶えない。ヨーロッパには難民が押し寄せ、中東では戦争が続いている。アフリカはまだ殺し合う国が多い。私は平和を望んでいるが、周りはいつかそれを許さなくなるかもしれない。 (完)