ショートミステリー「暗殺者の影」
その映画館では「暗黒の大統領カポネ」が上映中だった。
一九三〇年代の禁酒法が制定されていた時代、ギャングが采配を振るっていた頃の暗黒街シカゴに君臨した、アル・カポネの半生を実録風に描いた犯罪ドラマだった。
スクリーンいっぱいに広げられるアクションシーンは迫力に溢れ、ギャングの抗争は見せ場のひとつでもある。
モノクロでギャング映画のせいか観客のほとんどが男性で空席も目立っていた。
「ギャング映画には古い歴史がありますからね」と、隣の席にいる映画通の詩人、砂川幸一が暗がりで声を落として言った。
招待されていた吉山刑事が頷きながら、「俺の乏しい知識で思い出せるのは『汚れた顔の天使』のギャングマフィアの映画スターだったジェイムズ・ギャグニ―くらいですな」と言うと、一瞬の静寂のあと場面が変わった。
「ここらがギャング映画の醍醐味ともいえる銃撃戦ですね」
砂川は囁いた。
吉山刑事が右手に持っていたカップのポップコーンを分けて貰い、砂川はそれを口一杯にほうばりモゴモゴとしていた。
その時、隣の席から罵るような声がした。
「ええい、くそったれめ」
吉山刑事が何事かと隣の席を向いた。すると髭面で巨漢の男が胸ポケットからミニボトルのウイスキーを取り出してグイと飲んでいる。
彼の上着は乱れたまま膝に落ちていた。
「おや、あれは確か野島医師ですよ」
砂川が不意に視線を通路側に向けて言った。
釣られる様に吉山刑事もスクリーンから目を外した。すると薄暗い通路に背中を屈めながら診察鞄を抱え歩いている野島健三の後ろ姿が見えていた。そして最前席まで行くと片隅の席に身を沈めた。
映画は中盤、カポネはエゴイスティックな殺戮を繰り返し、暗黒街シカゴでの勢力がしだいに強大になっていった。
気づくと隣に座っている巨漢男の罵声もいつしか静まっていた。
映画もいよいよ終盤戦、カポネは警察官により殺人罪ではなくて脱税容疑で検挙され、罰金と懲役十一年の処罰で刑務所送りとなる。七年後、サンフランシスコのアラカトラス監獄の獄中で反乱が起こり、カポネは惨殺されてしまい、映画はここで終わった。
「アル・カポネは実在の犯罪者ですか…野望に獲りつかれた血生臭い猛獣ですな」と吉山刑事は感想をもらした。
その時、場内の照明が明るくなり吉山刑事が勢いよく立ち上がろうとしたがよろめいて、巨漢男の肩に手が触れてしまった。すると巨漢はグラリと身を傾けて、そのまま床に倒れ込んだ。
慌てた吉山刑事は声を掛け状態を診たが、すでに息途絶えていた。遺体の手からウイスキーのボトルが滑り落ちた。
「多分この酒に毒が…。しかし誰かが被害者に近づいたら俺が気づいたはずだが……」
「被害者は、初めから毒入りのウイスキーを持っていた?……」
吉山刑事と砂川は互いに顔を見合わせ、首を傾げた。
しだいに観客も異変に気づき始め、ざわめきが起こっていた。
そこへ駆けつけた野島医師に後を任せて吉山刑事はホールに出た。本部に連絡を済ませた吉山刑事は劇場を出た。
すると正面エントランスのすぐ脇でチンピラの三波平三がニヤニヤしながら立っているのに気づいた。
小柄な三波は黒の革ジャンのポケットを膨らませていた。
「大原とケリをつけたくてね」
すると吉山刑事は合点したように言った。
「あの巨漢の男か…もう用無しだな。すでに片は付いているさ」
あなたはこの事件の真相を見破れますか?
後日、吉山刑事はこう語った。
◇ ◇ ◇
真犯人は三波平三だ。他の容疑者は全て俺の視界の中にいた。
だから手は出せない。では三波はどうやってボトルに毒を入れたか。もう一度再現すると、俺の右手に持ったポップコーンを食べていた右席に座った砂川がいた。そして左席に巨漢の被害者がいた訳さ。
その被害者の胸ポケットにボトルが入っていた。もうお分かりだろう。犯行は死角になる背後から行われたと考えるのが妥当だ。
三波は被害者の真後ろの席に座った。映画に集中する観客、暗闇の中、そして被害者が酔っ払っている様子を見計らいながら、左腕を伸ばし胸ポケットからボトルを抜き取るとあらかじめ毒薬を仕込んだ同じボトルとすり替え、それをまたポケットに戻した。
ものの数秒とかからない早業で用を済ませ劇場を出た。
うっかり奴のジャンパーのポケットが膨らんでいたのは何か凶器だと勘違いしたよ。本当はすり替えたミニボトルのせいだとはね。
三波の上手いセリフに俺もまんまと騙されるところだったぜ。
ギャング映画が招いた殺人の連鎖がまだ続いていたとはな。
◇ ◇ ◇
了