詩小説「FLQX」(5)
夕暮れが来る
誰も来ないのに夕暮れは来る
いつものように冷蔵庫
中は缶ビールとウオターだけ
人差し指でプルタブを
プシュッ
こいつだけは応えてくれる
ごくごくごくん
喉を鳴らして応えてやる
カップラーメンを箸ですくう
テレビの画面はお笑い番組
予想だにしない大ボケが
ラーメンを口から吹き出させる
はっはっはぁぁぁ
あまりの可笑しさに
今日はおまけにもう一本
いいだろ
プシュッ
ごくごくごくん
ごくごくごくん
いつの間にかいい時間
横になって文庫本
部屋の隅の万年床
黙りこくる壁に天井
汚した覚えもないのに
なんでこんなに汚い部屋
埃の積もったサークライン
時折チカチカチカっと何かのサイン
おうおうおう
本から目を離して声かける
あれれ
読んでいたのはどこだっけ
えーっと
ええっ
昨日からページが進んでいない
そうだ
今日という日
本も読めずにカフェから出
駐車場に戻り
泥棒猫のようにそろりそろり
人目を気にしてそろりそろり
あと一歩で白いものが足元に
というのに
いきなり後ろで何かの気配
振り向くわけにもいかず
アパートへ
あの手のひらサイズのリングノート
カフェで読書もそこそこにして
引かれるように
戻ってきたのに意気地なし
しかし
まだあそこで待ってるかも
手のひらサイズのリングノート
それとも
誰かに拾われてしまっただろうか
あるいは
落とし主が破顔一笑
手にしたのだろうか
冗談じゃない
あれは あれは
本当はあの時
この手にあって
そして
アルファベットと数字の意味を
知るべき権利があったのだ
それが
それが
この意気地なしが
ああ
あまりにもくやしくてもう一本
くそお
プシュッ
ごくごくごくん
ごくごくごくん
ややっ
なにかが胸の底から熱いもの
熱い熱い
なんだこれは
何かが我を呼んでいる
おお
あれだ あれあれ
手のひらサイズのリングノート
間違いない
呼んでいるのは我以外に誰がいる
飲みかけビールはあとあとあと
脱ぎっぱなしのジーンズにシャツ
足を入れて腕を通す
スニーカーを履いてドアを
と
押した瞬間
空気が違う
なんだこの粘っこさは
明らかに身体に巻き付いてくる
これは
この空気はもしかして
(続く)
詩小説「FLQX」(4)
見るな
見てはならん近づく車
普通に普通に歩くのだ
ほらもうすぐ曲がり角
角の家は高い白塀
内側は更に伸びた広葉樹
目のない角家を左に曲がる
人は車は自転車は
真っすぐ向こうの
幹線道路まで見当たらない
さあ
あるかないか
まだこの距離では分からない
慌てるな
いつものようにのろのろと
失業者のように歩くのだ
だが
決して不審者には見えないように
なんだか胸が苦しくなる
目を凝らしてあの辺り
あるぞ
あるある白いもの
近づく
さらに近づく白いもの
あと一歩
あ
不意に背後で人の気配
誰か知らぬが
ムカっとくる
やむなく
目をしばたかせて通り過ぎる
幹線道路がもう目の前に
そこを
右に折れ歩道をほんの数歩
人待ち顔して立ちどまる
通り過ぎる車の音音音
いったい
何者だろう背後の気配は
どこへ行こうとしてるんだ
こっちへくれば
覚えのある顔
あっちへいけば
どこの誰か知りもしない
来ない
まだ来ない
引き返したのか現れない
ひょっとして
あれは
あの気配は
猫が走り出た妙な気配か
振り返る
どこの誰の影もない
さあどうする
このままアパートへ帰るべきか
それとも
引き返す
大きな勇気を持つべきか
いや
今 通ったばかり
白いもののために
引き返す理由がどこにある
誰にどう言い訳をする
自分にか
それとも
どこかで見ている誰かにか
帰ろう
すぐそこのおんぼろアパート
住み慣れてしまった
階段上ってすぐの部屋
二度の無職をしのぐアパート
エアコンなし
テレビと小型の冷蔵庫
それに
車検が近い小型の四駆
ぜいたくはいえない
だが
失業保険もあと二か月
車だけは手放したくない
今は
いつでも行きたい所へ気ままに行ける
でも
やはり
以前のように彼女を隣に乗せてみたい
もう
ずいぶんになる
その時も同じように会社を辞めさせられた
そして
そのひと月後には彼女に去られた
悪いことは続けて起きるものだ
と
不運を寝転がって嘆き続けた
また悪いことが起きやしないか
いくら考えたって
起きるものは起きる
考えなくたって
起きるものは起きる
つまらん
(続く)
詩小説「FLQX」(3)
どちらにしても
昨日はなかったリングノート
気になる
どうにも気になる
文庫本を置いて頬杖をつく
ページをめくれないまま時が過ぎる
高木の気持ちがずるっと動いた
席を立つ
文庫本を尻ポケットに
レジを済ませて駐車場
どこへも寄らず帰るのみ
エンジンをかけてアクセルを踏む
相も変わらず多いトラック
事故らぬように左車線
駐車場へ戻るには
ここから信号四つ目だ
三つを過ぎると車線変更
対向車線の向こう側
リングノートのある狭い道
車が途切れず少しも見えず
四つ目の信号で右折待ち
頭の中はリングノート
あるのかないのか
今はそれだけ
四辻二つ目の細い道
右へ切るハンドルに力が入る
走る距離は約百メートル
駐車場は空のまま
エンジンを切ってそっと降りる
普通に歩いてきた道を
普通の顔して戻るのだ
道路に出てまず左右を確認
人の姿も車もなし
このまま
このまま祈って前へ前へ
次の角まで数十歩
息ひそめて一歩一歩
瞬きもせずに一歩一歩
ああっ
前方から乗用車
(続く)
詩小説「FLQX」(2)
振り返るな
いつもの通り急がずに
右肩下がり前かがみ
次の角はすぐそこだ
曲がってひたひた数十歩
民家の空地の貸駐車場
出払った後の一台が
ダークグレイの1200cc
車検は残り二か月だ
前後左右に異変なし
ドアを開けてエンジン起動
ハンドルを右に切って細い道
もう一度右に切ると幹線道路
混み合う道をひたすら前へ
数分ほどで横切る国道
右折また右折で古いカフェ
失業してから見つけたビストロ風
レジの後ろのカウンター
誰もいないカウンター
コーヒーをすすり文庫本
これが唯一満ち足りる時
しかし
今日は目が文字を追おうとしない
あの
アルファベットに数字だけ
手のひらサイズのリングノート
落としたにしては不自然だ
捨てたにしてもあれはおかしい
まさか
見てもらいたくて置いたのか
だとしたら
高木は顎を上げて目を瞑る
ううむ
コーヒーカップに手を伸ばす
何かの意図があるのなら
誰がなぜあの場所なのか
道路は車が一台通れるだけの一方通行
その人物は
歩いてなのか自転車なのか
それとも
いつも車で通る慣れた者か
そして
男なのか女なのか…
(続く)
詩小説「FLQX」
夏の朝
といっても
すでに荷を積んだトラックが
どんどん物流倉庫に入ってくる
その少し離れた西側に
二階建てのおんぼろアパート
午前九時
住人
高木達夫は寝ぼけ眼でドアを開ける
中肉中背地味顔で
どこにいても目立たない
夏の盛りだというのに
今日も青い格子縞の長そでシャツ
勤めていた会社を首同然
失業保険でしのいでいる
二度目だ
倉庫の横の生垣づたいに
高木は歩く
のろのろと
いつものように側溝蓋の横
角を左に折れると
前方の地べたに白いもの
何気なく近づき目を落とす
なんだ?
手のひらサイズのリングノート
開かれたままで蓋の上
捨てたものか
置いたものか
それとも知らずに落としたものか
足を止めてあたりをちらり
腰を折ってどれどれと
目を凝らしてじっと見る
ボールペンでしっかりと
力を込めて書いたのか
大きな文字がぎっしりと
アルファベットに数字がいくつか
これは
高木は背筋を伸ばして倉庫を見る
ここにいてはまずいかも
そっと離れて知らぬ顔
仕事で使うコードナンバーか
プライベートの情報か
あるいは
闇社会の暗号か
そんなバカな…
(続く)