【虹猫・コロナ猫 シロは何でも知っている(続編)】

1.おかあさん
「おかあさん。シロちゃんが、外に出たがっているけど、出してやっていいかな。きょうは、風こそ少しあるけれど。とても良い日だ。だからシロ、すなわち彼女の美容と健康維持のためにも戸外に出してやるべきだと思うのだが」
「そうね。出してあげなさい。あげなさいよ。これまでは真冬でもあり、少し寒すぎたから出さないで正解だったけれど。せっかくの好天なのだから。出してあげて。でも、出てもいいけれど。その代わり、コロナ感染と交通事故にだけは気をつけるのよ、って。そう、言っといて」
「うん。分かった。ただ、シロを家の裏口から出そうとすると決まって、俺たちが飼っていた先代の愛猫こすも・ここそっくりの〝ここ二世〟が裏木戸の出口部分にきて立ちはだかって邪魔してくる。なので、結構、シロを外に出すには〝ここ二世〟が居ないときを見計らって、というか。テクニック、いや技術がいるのだよ。それにしても、〝ここ二世〟は俺たちが埋めた庭の墓からいつのまにやら、沸き立つようにして生まれて出てきたのかな。近ごろ、そんな気がしてしかたないのだよ。シロはやっぱり、〝ここ二世〟がいない時を狙って外に出してやらないと。これが結構、難しい」

 朝早く。決まってわが家の濡れ縁に顔を見せる〝ここ二世〟
 

        ※        ※

 ♪三角耳よ大地の春の音聴いたかい

 これは、アタイの宝物であるおかあさん、オカンが詠んだ俳句です。きょう(2021年1月27日)の午前、アタイは久しぶりにオトンの許しを得て、お外に出てちょっと離れた広場で日向ぼっこをしてきました。そしたら、春の陽光ともいっていい太陽がさんさんとアタイに光りを投げかけてくれ、アタイはもうなんだか、ホンワカホンワカリとした気持ちになってしまったのです。冒頭はお外に出る前にオトンが病院で入院しているオカンに電話し、アタイを外に出していいものかどうかを思案して聞いているところの会話です。
 大寒(1月20日)前のとても寒かったあのころに比べたら、このところは朝の光りも、すっかり春の陽光そのもので、ここ四日間というもの、アタイは連日、吟行を兼ねて外出。春の息吹を全身に浴び、いつもきまって一人で訪れる近くにある広い野原のど真ん中に寝ころんで、お空を見ながら、あんなこと、こんなことを考えているのです。
 幸いといってよいのかどうだか。オカンと同じく大の猫好きなオトンが毎朝、わが家に現れる猫ちゃんたちに分け隔てなく食事を与えてくれることもあってか、野良の友だち全員がアタイのことを大切にしてくれているのです。友だちは毎朝決まって、一番早くおはようのあいさつをしに濡れ縁まで来てくれる〝ここ二世〟はじめ、オレンジ色の体毛も鮮やかな親子連れ、ほかにうぐいす君、黄色い寅模様が鮮やかな虎豹……と、どの猫も魅力がいっぱいのかわいい紳士淑女ばかりです。アタイはアタイで、みんなが皆、あんなに寒い戸外で夜は一体どうしているのだろう、と少し心配です。
 でも、よくよく考えてみると、野良さんたちは逆にアタイのことを「あやつ、人間ちで【捕らわれの身】になっているから優しくしてあげなきゃな。それと、あそこの一家、なかでもオトンなる人物がいつも俺たちにおいしい食事をくれるから。牢屋の中同然にニンゲンたちに監禁されているシロちゃんの安全を見守る面からも毎日、シロが捕らわれの身となっている和田さんちにだけは顔を出してやらなきゃあ、そうしないと自由の身の俺たち、バチが当たるかもしれないよね、と。
 そう思っているかもしれません。

 結構、気品がある、うぐいすちゃんも時折、顔を見せる
 

 時にはオレンジちゃんに虎豹くん…も顔を見せる

 さてさて。話はとんでもない方向に飛んでしまいましたが、例によってアタイの自己紹介から始めましょう。そう、そうなの。アタイは天の子、神の子、翼の子。この世でただ一匹の俳句猫、「白」の俳号を持つ白狐のシロ、シロちゃんです。世界中はむろんのこと、その気になりさえすれば宇宙の果て、そのまたはるかな向こうにだって行けるのです。早いもので前回の【シロは何でも知っている第5章<エーデルワイスの調べ>】から、1カ月以上がたってしまいました。

 わたしが白狐のシロ(本名はオーロラレインボー)で~す
 

 この間、アタイの家、すなわち和田さんちでは、またしても悲しい、かなしい出来事が起きてしまったのです。というのは、昨年6月に思いがけず、自転車転倒による左足の大腿骨骨折という不幸に襲われ、手術につぐリハビリ入院を終え、その後やっとのことで、元の状態に戻ったアタイのおかあさん、オカンに、これはなんということなのでしょう。こんどは東日本大震災と福島原発事故が起きたちょうど10年前にオカンが覚悟を決めて挑んだ8時間に及ぶ脳腫瘍の大手術いらいの危機となって、次なる思いもかけなかった大病が襲いきたのです。オカンは知らぬ間にがん、それも子宮がんという恐ろしい病に侵されていたのです。
 一体全体、なんたることなのでしょう。骨折に続く手術に耐えながらも退院後はリハビリに挑み、笑顔を絶やさず、努めてあれほどまでに見事に立ち直り、自ら営むボランティア同然のリサイクルショップ「ミヌエット」も再開させ、元気に通い始めていた。のに、です。オカンのお店「ミヌエット」は、この世を逞しく生き続ける女性たち、すなわちおばちゃんたち一人ひとりにとっての【駆け込み寺】同然といってよく、いつ顔を出しても、たいてい店内に客の2人や3人はいます。そして。アアダこうだ、と家のことや世間のことどもについて談笑し、皆満足そのものの顔をして帰っていくのです。ママであるオカンがやさしく誰でも分け隔てなく客人として歓迎するからこそ、大勢の方々が来てくれるのです。
 デ、これまであんなにも1日1日を大切に生き、歩いてきたオカンだったのに。よりにもよって、今度はがんという病が身の上に火の粉となってふりかかってきただなんて。それも未曽有のコロナ禍で人々が苦しんでいる、そのさなかにです。アタイには、とうてい分かりません。この世は、なんと冷たく、情け容赦もないところなのでしょうか。アタイにはただ、そのことだけしか分かりません。わからないどころか、見えない悪魔たちは、なぜオカンばかりを狙い撃ちしてくるのか。これではあんまりです。オカンが、かわいそうだよ。

 というわけで、オカンはことしに入る早々、1月7日に木曽川河畔のこの街の病院に入院。いまは放射線照射と点滴による抗がん剤投与をしてもらい、がんとの闘いに挑んでいるのです。こんなおかあさん、オカンのことを思うとアタイは悔しくて、悲しくて、せつなくて。やりきれなさでいっぱいです。でも、オカンのことです。きっと、きっと良い医師、看護師さんらにも恵まれ、病に勝ち、再びわが家に笑顔いっぱいで帰ってきてくれるものだ、とアタイはそう信じているのです。あんなにもやさしいオカンが天に召されてしまう、だなんて。ぜったいに許されません。
 あってはならないことなのです。

 いつもオカンとはこうして俳句について話し合ってきた
 

 そうこうしている間に、季節は大寒を過ぎ、節分(2月2日)、立春(2月3日)もすぎ、それこそ気が付くと、「もうすぐ春ですね」というところにまできたのです。この間、オトンは毎晩、オカンの携帯に電話をかけ、こう話しかけます。
「体温は。おなかは痛くないか。気持ちは悪くないか。出血はないよね。おまえ、ひとりでそこ(病室)におれるか。大丈夫か。ヨシッ、それならいい。ところでシロちゃんが心配顔して俺の方を見ているので、いま変わるよ」と、ここまでをいつものように繰り返し言うと、今度は決まって携帯電話をアタイの耳元にもってくるのです。そしてオカンは決まって、こう言います。
「シロちゃん。どんどん吟行して。デ、ネ。おかあさんに、お外の様子をいろいろ教えてちょうだいな。ただ寒い時や雨の日は決して無理してお外には出ないことよ。吟行中は、決して交通事故に遭うことのないように。昔ね。オカンたちが能登半島の七尾に居たとき、わが家には【てまり】=※小説「てまり」は、オトンの小説集「一宮銀ながし」(風涛社刊)所蔵。日本ペンクラブの電子文藝館でも読むことが出来ます=という、とっても可愛い猫ちゃんがいたの。でもね。オカンたちと一緒に次の任地である岐阜県大垣市に転居してまもなく、慣れない初めての土地もあってか。朝、家から出て散歩に行く途中に車に轢かれて死んでしまったの。それは、かなしくってね。だから、オカンたち、おまえに【てまり】の二の舞だけはさせたくないのよ」
 というわけで、アタイとオカン、おかあさんは今はオカンの入院で離れ離れではあっても、実に多くのことを話し合っているのです。

 朝。起きると決まって、一体全体どこからやってくるのか。〝ここ二世〟が濡れ縁に顔を出し、窓に映る黒い影にアタイが駆け寄ると、オトンが窓を開け、アタイたちふたりは、ほんの10秒ほど体を寄せ合い、う~ぅん、ニャン、ニャアオ~、アオといってからだを寄せ合って朝のあいさつをするのです。するとオトンはアタイと〝こすも二世〟に決まって極上の食事、猫コンボをくれます。この猫コンボはオカンが以前に近くのドラッグストアて見つけてくれ、アタイも大好物なのです。

 アタイも大好きな猫コンボ
 

 デ、しばらくして〝ここ二世〟が姿を消すと、オレンジ、うぐいす、虎豹くんなどが思い思いに順番に濡れ縁に顔を出してくれ、アタイはいちいちあいさつするのです(これら猫の名前は、全てオトンが命名しました)。たまに、かわいい子猫ちゃんが母猫と一緒にくることもよくありますが、こんな時にはホンワカ、ホンワカリとアタイの目元がなごむのです。ただ、残念なのは一時、毎朝、顔を見せてくれ、もしかしたらアタイのお父さんかもしれない激しい猫パンチが得意だったあの猫パン親分の姿が、最近、なぜかピタリと見えなくなってしまったことです。およそ1年ほど前でしたか。アタイの体調か悪くて近くの動物病院に連れて行ってもらったときに、たまたまそこで出会って以降は、ずっと会ってはいません。
 あのときの猫パンさんは年老いた男性に抱きかかえられていましたが、なんだか猫パンさんが猫パンさんではなくなってしまったような、そんな衝撃を受け、アタイは少し寂しい気がしたのです。あのとき、猫パンさんはあたいの存在に気付きながらも、ずっとほかの方を見てアタイを避けようとしていることは明白でした。なんだか飼い主さんに拾われ、のらを卒業してからは、急に背骨でも抜かれたように、へなへなになってしまったようです。むろん、以前のような威厳も何もあったものじゃありません。アタイはホントにホントに、信じられない光景を目の前になんだか悲しくなってしまい、世の中そのものが嫌になってしまったことも事実なのです。

 かつての猫パン親分。今やその威光は消え失せた

 ともあれ、オトンやオカンたちニンゲンと同じようにアタイや、野良ちゃんたちも。この地上に生きる全てのものが、今は見えない敵、新型コロナウイルスを相手に生きていくのに懸命なのです。そういえば、和田さんちの前の通りを毎日午前10時半になると決まって、手押し車に二匹の愛犬を乗せ、通り過ぎてゆくおじさんがいます。オトンによれば、このおじさんとワンちゃんは、このところ会話が欠けがちな社会にあって、それこそこの地域の守護神そのものなんだってよ。
 きょうもオトンは帰宅時にばったり、そのおじさんと手押し車に乗せられた二匹のかわいいワンちゃんと自宅前でひょっこり出くあし、おじさんから「奥さま、その後どうですか」といった優しい声をかけられ、「いや。まあまあです」って。そう答えたそうです。

 地域社会をポッと明るく照らし続ける手押し車のおじさんと2匹のワンちゃん
 

(続く)