「虹猫 シロは何でも知っている」 伊神権太

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 最初に、アタイ=シロちゃん(2代目シロ、本名は虹猫オーロラレインボー、「白」の俳号を持つ珍しい俳句猫でもある)の1人称=がオトンの家、すなわち〝ごんファミリー〟の飼い猫に晴れがましくもなぜ、なってしまったのか。いや、なれたのか。そこから話を進めます。

 オカンを前に「これから話を始めます」と2代目シロちゃん(オーロラレインボー)
 
 

 もちろん、アタイが野良猫の赤ちゃんとして、まだ生まれてまもない子猫のころから何度も何度も、これでもか、これでもか、とファミリーの家の窓をたたくようにして入ろうとした、いや入ってしまったことも一因ではあります。ベランダや縁側のガラス窓、裏口ドア、裏の窓などが少しでも空いていようものなら、すぐに室内に突入する試みを何度も何度も繰り返し、そのうちに主(あるじ)のオトンやオカンに「あら、まあ~。いつのまにやら。また入ってきている。ちゃっかりやさんね」と随分の関心を与えたことも事実なのです。それにアタイ、全身が真っ白だから目立ったのかもしれない。そしてあのころは、まだまだ歩き始めてまもなかったので人間の道理として邪険にするわけにはいかなかったのかも。どちらにしてもアタイは運がよかったんだよ、ネ。
 けれど、それはそれとして〝ごんファミリー〟は、かつて歴代の飼い猫たちに大変お世話になってきたそうです。いわば、飼い猫たちの精神的な支えのおかげでファミリーはあるのだ、と。そう言っても言い過ぎでない人間の弱みといおうか、アタイたち猫に対する特別の敬意と愛着があったことも事実なのです。だから、名誉ある家族の一員としてこうして受け入れられたお礼の気持ちも込めアタイは、何よりもリレーのバトンでも引き継ぐ如くわが家を守ってくれた歴代の先輩猫について多少の説明をしておく必要があるのです。ですから、その話から始めたく思います。

【〝ごんファミリー〟がことのほか、お世話になった歴代の猫ちゃんたちについて】
 これからアタイがオカンやオトンから聴いた、知る範囲内で説明させていただきます。まずファミリーが最初に飼った猫、てまり姉さんの話から。
 てまり。てまり、だって。とっても響きが良いでしょ。〈てまり〉のように、まん丸な、まるでゴムまりみたいに弾むような猫。オトンが随分の昔、駆け出し記者のころに住んだことのある信州信濃は松本の特産品でもある、幸せを呼ぶ幸福てまり、松本てまりから連想したみたいです。デ、その話をオトンから聴いていたオカンがそう名付けたみたい。
 ところは当時、日本海は七尾湾に面した能登半島の七尾市魚町通りに面してあった新聞社支局に隣接した支局長住宅で、でした。なんでも支局近く路地のゴミ置き場で餌を漁っていたかわいい子猫の野良がいたのでオカンが保護。たまたま、そのころはそれまで家族みんなで大切に育てていた一般民家では珍しい飼いウサギの〝どらえもんさん〟が、七尾の城山にみんなと一緒に連れて行かれて数日たったある日、それこそ突然のように、姿を消してしまい家族のみんなが、傷心の日々を過ごしていた、そんなころだったそうです。
 この、てまり姉さん。最初のうちはオトンには分からないようオカンたちが内緒にして夜など屋根裏に隠していたのだそうです。でも、そんなある日のことでした。それまで屋根裏を飛び回っていたネズミがなぜか日に日に一匹、二匹…と減り、知らない間に居なくなってしまったのでオトンが「不思議だな。ネズミが急に居なくなってしまったみたいだが。誰かが魔法でもかけたんと違うか」と嬉しそうに、そう言った、その時でした。
 オカンたち家族がこのチャンスを逃すはずがありません。「実は屋根裏にかわいい猫ちゃんがいるの。だから、野ネズミが居なくなったんよ」と初めて、子猫の存在を明かすとオトンったら。何食わぬ顔をして「あっ、そうだったのか。なら、飼えばいいじゃないか」と、家族の仲間入りを正式に許可してくれたのだってサ。おかげで、てまり姉さんは、その後オトンの転勤で次の任地である岐阜県の水都・大垣に家族の一員として来たのです。が、運命の皮肉とでも言いましょうか。まもなくして、このてまり姉さん。運悪く交通量の多い支局前の路上で車にはねられ、死んでしまいました。ひいた人間はそのまま走り去ってしまい、ひき逃げに遭ったオトンたち家族はどれほど泣き、苦しんだことか。それこそ、涙ぽとぽとでした。
 こんないきさつのなか、こんどは末っ子タカシが近所からもらってきた同じ雌猫〝こすも・ここ〟(名付け親はやはりオトンで、宇宙の片隅にこうしてひとつの生の証しがあることから、こう名付けたそうです)と初代シロちゃん(正しくは神猫。トンヌラちゃん、こちらも名付け親はオトン)が相前後して家族の一員として飼われ始めたというわけです。ちょうど次の転勤に伴い大垣の支局長住宅を引き払った家族を大垣市内に急きょ確保した借家に残し、オトンが琵琶湖のほとり大津支局で初の単身赴任生活を始めてまもないころでした。
 こんなわけで、こすも・ここと初代シロちゃんは、その後も大垣市から尾張一宮市、さらには江南市へ、とオトンの転任と定年異動に伴う家族の大移動(引っ越し)に合わせて一緒に連れてこられたというわけです。このうち七尾と大垣での愛猫てまりの生涯はオトンの短編小説「てまり」=短編小説集・一宮銀ながし(風濤社刊)所蔵=に描かれており、日本ペンクラブの電子文藝館にも収録されているので、そちらも読んで頂けたら、アタイ自身、とても嬉しく思います。
 幸い、こすも・ここ姉さんと初代のシロ姉さんは23歳まで生き抜き、2016年と2017年に、ふたりとも老衰で、わが街江南の自宅で相次いで亡くなりましたが、こちらの話は一匹文士のオトンが昨春、出版した文庫本「ピース・イズ・ラブ 君がいるから」(人間社文庫)のなかの〈シロ、約束だよ 別れのシンフォニー〉に詳しく収録されました。だから、その文庫本を読んで頂けたら、アタイも嬉しく思います。

 〝ごんファミリー〟を長年にわたって精神的にも守り続けてくれた、こすも・ここと初代シロちゃん(いずれも実年齢20歳を超えたころ、晩年のふたり)
 
 

 さて。前置きはこのぐらいにして、これからはアタイ自身、シロちゃんことオーロラレインボー(俳句猫「白」)の話に移ります。

 序章

(野良猫時代、わが家に入ろうと何度も窓ガラスに突進してきた頃のシロちゃん。首輪はない)
 

 人間に限らず、この世に生きるもの全てが皆それぞれに毎日を、いや、一瞬一瞬をそれなりに懸命に生きている。死ねば終わりなのだからか。私はよく「一度生を失ってしまったら、一体いつまで死んでいなきゃならないのだろう」と今も、そんなことをしばしば真剣に思う。親には言わなかったが、ちっちゃいころから夜、寝るときなどに天井を見つめ、よくそう思ってこの年まできた。思うことは、いつだって同じで、今もだ。「一度死んだら、いつまで意識がないままなのだろう」と、である。
 死んだら死んだで。それで一巻の終わりだということを。十分に承知し、よく分かっていながら、だ。未練たらっしい、たら。ありゃしない。のに、である。だからこの世にいったん命を与えられた生きとし生けるものは皆、けなげなほどに「生」に執着し懸命なのだ。私も。妻も。子どもたちも。生あるもの、すべてが、だ。
 むろん命が大切なことは、わが家の愛猫である2代目シロちゃん(実は初代シロは2017年7月12日に満23歳3カ月の生を全うして老衰で亡くなっている。妻に言わせれば、こんどの2代目は、どうして分かるのかは知らないが、吟行の好きな俳句猫なので俳号を「白」にしたという)、すなわち虹猫のオーロラレインボーちゃんだって。同じことだ。
 そこで私はこれから、この広い宇宙の片隅、地球のひとところで人間たちと呼吸をあわせ、懸命に共に生き抜いている一匹の猫について彼女のことを少しずつ、それも世界の人たちに向かって、これまでの行状など事実を突きつけながら書き、愛する猫とは何かを発信していきたく思う。
 人生ならぬ猫の命を書く気持ちになったのは、これから書こうとする2代目シロちゃんに起因する。シロちゃん(これ以降、2代目を省かせていただく)は、わが家に野良のころ、それも生まれてまもない子猫ちゃんだったのに。何度も何度も、私たち人間に迷惑がられて外に追いやられてもそのつど強い精神力で半ば突進でもするかのように空いていた窓の隙間などから室内に入ってきた。これでもか。これでもか、とだ。そんな強靭で粘り強い猫を愛おしく感じたからである。
 私たちは、新しいシロちゃんのこの強烈な突破力には降参せざるをえず、そんなひたむきな姿をとうとうわが家の家族の一員として受け入れた。あれから二年近い。シロ、私が名付けた虹猫、オーロラレインボーは、今では吟行にもしばしば出て私の相棒である妻、舞の俳句の句作にかけがえのないヒントを与える、れっきとしたわがファミリー、いや〝ごんファミリー〟の一員となった。こんなシロの歩みをこの先少しでも後世に残し多くの人々に、この一匹の猫ちゃんの存在を知って頂けたら、と世にも奇妙な事実に基づく猫物語を書き進めることとした。
 というわけで、これから書き進めていく猫と人間の物語が互いにとって計り知れない絆の強化に役立てば、幸いである。題は〈シロはなんでも知っている〉とした。(続く)