「紅葉の心」牧すすむ

 わが家の庭の片隅に鉢植えの小さな紅葉の木がある。50センチ程の背丈にそれなりの枝を張り。可愛くも力強く生きている。もとはと言えば、何処からか種が飛んで来て庭に根付いたひとり生え。最初は気付かなかったが、他の木や草に紛れ10センチ位に成長した時、鉢に移してやった。
 あれからどれだけの日々が立ったのかは定かではないが、秋には一人前に葉を紅く染め、私達の目を楽しませてくれている。いとおしいものだ。もう少し大きくなったら鉢を外して植え直してやろうと考えている。やがて青空を覆い隠すほどに成長し、輝く真紅の葉のそよぎを見せてくれる。そんな日を夢見てー。

 ところで、紅葉といえば私にはすぐに頭に浮かぶ大好きな場所がある。長年にわたり仕事で月に何度か利用している山あいの道だ。そこは紅葉だけではなく四季折々に見る風景も又、実に素晴らしい。冬には枯れ草を隠して横たわる白い雪。春には淡いピンクの山桜。夏には照りつける太陽に躍動の枝を広げる緑の木々。そして訪れる艶(あで)やかな秋。何処までも続く山並みに紅(べに)の化粧を施していく。
 谷川の美しい流れと燃えるような紅葉が織り成す風景は、誰にも描けない一幅の名画にほかならない。仕事で急ぐ車を道の端に寄せ暫しの間この名画に見入ってしまう私。又、この〝秋の美女〟たちに心を惹かれ、三脚を立ててカメラを覗く人の姿も多く見かける。
 そんな私も愛用のスマホの中に折々の〝彼女たち〟を捕え、癒やしの空間に優しく包まれているのである。

 さて話は一転、現実に目を向けると同じ紅葉でも少し違って車用の紅葉マークだ。最近はよく見掛けるようになった。間もなく後期高齢者の枠に突入する自分にとっては気になり始めた存在である。10代で免許を取りハンドルを握って早や60年近く。仕事柄、今でも毎日のように高速道路を使い100キロ・200キロの道程を走っている。そのため何回かの事故も経験したけれど幸い大きなトラブルにはならなかった。
 事故といえばこのところ世間を大きく賑わせているのが逆走問題、それにブレーキとアクセルの踏み間違いによるコンビニ等への突っ込み事故。然もその大半が高齢ドライバーによるものだという。我々にとって耳の痛い話ではあるが、まあ頷ける光景を目にすることも少なくはない。渋滞の先には紅葉マークの車。道を譲ることもなく後ろに多くの車を従えての超低速運転。マナーを理解せず自分本意の安全運転は他車のイライラを招き、事故のもととなる。かと言って、年齢を理由に免許証を取り上げるわけにもいかない。返納はあくまでも自己申告が原則になっているとのことなので。
 走行中に紅葉マークを見れば他車は当然気を付けたり思いやりの心で対応する。しかし、なかなか事故は減りそうにない。車がなければ生活できない現状社会の歪(ひず)みが生み出している悲劇でもあると言えるのだ。そんなことを思いながら今日もハンドルを握っている私なのだが、前述のように後期高齢者への門はもう目の前に迫っている。若者ぶって見栄を張っていても現実は変えられない。あの紅葉マークが頭をよぎる。取り付ける義務はないとのことなのでまだしばらくは手にしないつもりだが、いつかはそんな日がー。

 何はともあれ、残るハンドル人生。秋空に紅く美しく映え人々の心に安らぎと微笑みを与えられる、そんな紅葉でありたいと心底願ってやまない今日この頃の私なのである。 (完)

「引き摺る」山の杜伊吹

 目を閉じると紅葉ではなく、落ち葉である。

 実は、高校の自慢話を聞くのが苦手だ。
 たまに、「自分は○○校でさ…」と、会話の中でさりげなく高校の名前を出す人がいる。卒業して何十年も経つが、今でも通用するブランドを保持し、良いイメージを持ってもらえる高校だから、その神通力を利用したいのだろう。
 いい歳になっても高校の話を持ち出したくなるくらい、さぞかし楽しい高校生活を送ったんだね、と羨む気持ちになる。あの頃が一番良かった、そんな意味が隠されていることもある。(じゃあ今は?)
 赤の他人に、聞かれてもいないのに、高校の名前を堂々と言える。幸せで立派なことだ。これは危険な行為でもある。人は差別をしながら生きる。○○校は、自分の出た高校より偏差値が高いか、低いかをみんな瞬時に判断する。自分より低いと、「バカだな」と蔑み、高いと劣等感を抱く。自分の出身校をさらけ出す、そのリスクを考えない人が多い。
 オープンにする人は高偏差値校か、そこそこ名前の通った名門校出身者と決まっている。
「あの人○○校だって」と、教えてくる人がいた。「三重県の高校のことよく知らないし私も自慢できるような高校出てないから」と返すと、「でも○○校だよ。どこにも行く所がない人が行くとんでもない高校なんですよ」と、驚きながらご親切にも教えてくれた。
 他県の高校事情など興味も関心もないけれど、確実に人を判断する材料にする人は存在するのだ。初対面で高校はどこ? と聞かれると不快である。なんで大学ではなく高校名を聞いてくるのか。それを聞いてどうするんだろう。聞いてくる人は恥ずかしくない高校なんでしょうが、こっちは人に言いたくない高校なんですよ。

 私が答えに窮するようになったのは、過去に3つの経験があったことによる。元々は、高校がなんなのさ、今が大切なのさ、バカ学校で悪かったね、いいのよ本当にバカなんだからと開き直って、△△高校ですと正直に答えていた。東京の大学では、高校の名前を聞いてくる者などいなかった。そんなことを聞いても地方のどんな高校なのか、誰もピンとくる者などいなかった。
 大学の夏休みを利用して帰省し、地元の百貨店のお中元コーナーでバイトをしていたら、当時可愛かった私は、あるお客のお嫁さん候補として挙がったのである。当事者ではなく、息子の嫁を探している母の目に留まったと、売り場の上司が言った。
 そこで勝手に私の身辺調査が始まった。例の高校はどこ? である。△△高校です、と答えた次の日、「お客さん、息子の嫁に私立の高校はちょっと…と断ってきたわ」「はあ?」別にこちらから頼んでいる話ではない。不快な気分だけが残った。その息子、今でも独身に決まってる。
 会社勤めの頃、名前の上に、△△高校の・・さん(私の名前)、と付けて呼ぶ人がいたこと。高校の名前を聞いた人が、困惑の表情を一瞬浮かべるのを見逃さなかった経験から、高校名を言わなくなった。

 落ち葉。枯れ果て、音もなく落ちて、カサカサと同じような者たちと隅の方に追いやられ、吹き溜まる。私にとって、過ごした高校3年間はまさにそうであった。諦められ諦めた者たち。クラスメートが一人、また一人といなくなる。退学を止めない諦めた先生たちのやる気のない授業。中学の問題をやり直さなければならない子もいたけれど、一流大学を目指す子もいた。でも確実に、15歳で挫折した者たちの集まりであった。ここに来たかった者など一人もいないと思われた。息子の受験で、滑り止めでもその高校は受けさせなかった。
 日本の高校受験は韓国だったら法律違反だそうだ。裕福な家は塾に入れ、そうでない家の子はとり残される状況を生む。日本では大体どのくらいの点数を取れていたか、入った高校で分かる。線引きはテストの点数であり、たとえ性格が悪くても点数が良ければいい。

 それを過去の自分に戻って教えてあげたい。死ぬことばかり考えて勉強をしなかった、中学生の私に。 (完)

「イチョウは手品師」 伊神権太

 〈もみじ【紅葉】〉を金田一京助さんらによる新明解国語辞典第五版で調べてみると①木の葉が晩秋に黄色や赤い色に変わること②赤くなった(カエデの)木の葉③カエデの異称。「赤ちゃんのもみじのような手」とある。また【紅葉狩り】は「山野に紅葉をたずねて、見て楽しむこと」とも。
 ちなみに日本の童謡の顔と言っていい、♪秋の夕日に照る山もみじ 濃いも薄いも数ある中に 松をいろどる楓や蔦は 山のふもとの裾模様…なる私たちが幼きころから歌いなれた歌〈もみじ〉は、1911(明治44)年に当時の尋常小学校唱歌として発表された。だから既に1世紀以上、人々に親しまれてきたことになる。
 というわけで、私たち日本人にとっての【紅葉】は、単に見て楽しむだけでなく、歌って愛(め)でるものでもある。さらに♪おくやまに紅葉踏分なく鹿の声きくときぞあきは悲しき(猿丸太夫)―など。百人一首にも詠まれているのである。

 さて。わが人生にとっての【紅葉】って。一体何だろう。
 思い起こすにつれ、その時々の社会と風景が懐かしく浮かび上がる。まずまぶたに浮かぶのが、昭和50年代のはじめ。社会部記者のころで、私は〈旅〉の取材で三重県名張市の赤目四十八滝をカメラマンを伴って訪れた。四十八滝の登山道口からくねくねと蛇行したゴロタ道を歩いていくとまもなく滝の池だまりのような場所に着き、背後の、どす黒い樹木と巨岩をカンバスに白い流れが夥しい糸となって音を立て、水底にどんどんと吸い込まれていくさまを目の当たりにした。
 空を仰ぐと、そこには薄墨色の漆黒が広がり、その下で、これから少しずつ赤く染まってゆくであろう、木々の梢や葉が周りを照らし、じっと静観し冬の到来を待つ姿はなんとも神秘的だった。風が無言の妖精となって消えていく。そんな錯覚すら覚えたのである。

 そして。次に思い出すのは単身赴任で琵琶湖畔の大津にいたころか。あの当時は湖畔の道を歩き、ひとり寂しく夕食をとったあと、気が向くと浜大津の馴染みの居酒屋に寄り、ふなずしを酒の肴に決まって歌ったのが今は亡きフランク永井さんの〈公園の手品師〉だった。この歌が大好きだった妻との離れ離れの生活が郷愁をかきたてたのか。この曲は、何度も聴いたり歌ったりした。
 晩秋ともなれば、湖畔の木々がそれこそ色鮮やかに紅葉しており、湖面に浮かぶカイツブリくんたちを目の前に夜風に吹かれ、パサパサと音を立てる落ち葉を踏みしだいて湖畔の道を歩き続けた、あの感触は今も忘れられない。
 だが何と言っても1番強烈だったのは、妻が10時間前後にも及んだ大手術に耐え、無事生還してきたあとにふたりで足を運び、銀杏の名所・稲沢市祖父江で見たあの、この世とは思えぬ【黄葉】である。まさに目の前が黄一色に染まった姿は、とても地上のものとは思われない迫力で私たちに迫った。黄金色の視界を前に私たちは「この世に、こんなに美しい世界があるだなんて」と、おったまげたのである。

――秋なぞ、イチョウの葉が、空からゆらゆら、ゆらゆらと陽炎の如く落ちてくる。そんな光景には、我ながら驚くほどに無言の音の風景と余韻を感じる。イチョウの葉を公園の手品師とは、よく言ったもので私はそんな手品師たちが一枚、また一枚と地上にヒラヒラと落下してくる姿に女たちの美しくも逞しく、怪しくて狂おしい表情を重ね合わせ、生きる快感を何度となく味わった。その姿を見るにつけても、全ての面で人間よりイチョウの木の方が上だなっ、と思った。
 いつだったか。ヒラヒラ舞うイチョウの葉に私にとっては長年の相棒でもある妻が「自然に無理をさせちゃあ、いけないよっ」とボソリとつぶやき、私を咎めるようにジッと見つめた。あの時、私はまさにこの言葉は至言だと思ったのだった。自然に無理させてはいけないことに、人間たちはやっと気付き始めた。私はその落ち葉さえも長生きさせようと本の栞として生かしている。(完)

「紅葉より団子」 黒宮涼

 もみじ狩り。と最初に聞いたとき、いちご狩りのようにもみじをとって持って帰るのかと思った。駅の柱に貼られている広告は、葉が赤く染まりとても魅力的に見えた。一面が真っ赤に見えるほど、綺麗な紅葉であった。
 私と夫が付き合い始めて、数か月のころだった。「もみじ狩り行く?」という夫の問いに、「行ったことないかも」と私は答えた。もみじ狩りという単語を聞いた覚えがあまりなかった。もみじ狩りってなんだ? という疑問が最初に出てきたくらいだ。私は夫に説明を求めた。何か特別な単語のように思えた。

「ただ紅葉を見るだけだよ」
 夫のその言葉を聞いた瞬間に拍子抜けした。ああ。なんだ。じゃあ行ったことある。と思ったのだ。紅葉を見るのに、もみじ狩りという言葉を私の家では使ったことがなかった。ただ、「紅葉を見に行こう」という一言だけだった。
 私の中で紅葉を見に行った記憶は数回ある。一番記憶に残っているのが、父と母と私の三人でどこかの紅葉を見に行ったこと。もう場所も思い出せないし、そのとき自分が何歳だったのかも覚えていないが、とにかく寒かったことだけは覚えている。
 
 私と夫がもみじ狩りに行ったのは、広告を見たその次の年のことだった。
 見ごろの時期に行くと道がすごく混むという理由で、少し早めに見に行った。やはりまだすべての葉は染まっていなかったが、それでも十分に綺麗に見えた。私は純粋に景色を楽しんでいたのだが、夫は着くやいなや、道に出ていた屋台のイカ焼きを購入していた。そして食べながらたれをこぼし、服にシミをつくっていた。元々食べることが好きな人なので仕方ないかと思い、私は笑った。服のシミはなんとか水で落としたが綺麗にとはいかなかった。
 それからしばらく紅葉を眺めながら散策した。広場のようなところに出ると、またも屋台があった。
 夫は言った。
「これを食べに来たんだ」
 私はそれを聞くととうとう呆れてしまった。
「いや、紅葉を見に来たんだよね」
「最初からこれが目的だったよ」
 私は口をぽかんと開ける羽目になった。
 そのお店は有名らしく、この名所の名物だった。聞くと、他のところでも店を出しているらしく、わざわざここで食べる必要があるのかと問いたくなった。

 ケンカになるのも嫌なので、私は夫がそれを食べるのを黙って見ることにした。それはうどんなのかワンタンなのかよくわからない食べ物だった。麺が短くてスープは辛かったので、辛いものが苦手な私は、一口だけ食べさせてもらったがそれ以上は食べなかった。
 何をしに来たのかわからなくなった私は、夫に訊いた。
「紅葉より団子なの」
 夫は迷わず頷いた。
「当たり前じゃん」
 私はそれ以上何も言えなかった。
 こんな調子でこの先この人とやっていけるのだろうかとその時は思ったが、夫は今も変わらず花より団子な人だった。そのたび私は思うのである。本当に食べるのが好きだなぁと。 (完)

「出会いを求めて」 真伏善人

 木の葉は散る前になぜ色づくのかといえば、アントシアンなるものが増して葉緑素が分解するからだと言われている。だが、ほとんどの人々は紅葉を見ながら、ああアントシアンがなどとは思いもしないだろうし、考えもしないだろう。それはいいとして、あの燃えるような紅葉は秋の深まりを精一杯に知らしめている。時期になると、それぞれに観光名所を選び、近くにあれば慣れた足取りで見物に、遠くを選ぶ人は、その道のりをも楽しみながら目的地の風景に思いをはせているだろう。自身はどちらかといえば後者になるだろうか。見知らぬ地への興味と、そこに現れる風景の中での色づきが、どのように広がって心に沁みるのだろうという、胸の中はある。だが、ひとりでそれだけを目的に出かけることはない。家族や知人たちに声をかけられれば、その楽しみをみんなと共有はできる。

  名所は雑誌やインターネットで数多く紹介されている。だが選ぶとなると迷いに迷うことになる。渓谷か公園か、神社か街道か、それとも思い切って山頂か。そしてそのあたりに、もうひとつ名所か土産物店などがあれば決定になるのかも。自らは同行者についていくだけなので、どのあたりに連れて行ってもらえるのか、ワクワク感が大きい。できれば行ったことのない地方がいい。遠くても近くても紅葉で満喫でき、欲を言えばその木々の下で弁当を広げて一杯を酌み交わせれば、紅葉に対して失礼だが、それはもう天国なのだ。うつろに眺める紅葉並木は恍惚の世界だろう。これは春の桜見物といくらか趣は異なるだろうが、幸せ感は同じような感じがする。
 幸せ感といえば以前、山間を流れる清い川を求めて釣り歩いていた。始めたころは二三人で行くこともあったが、やがてひとりで行動するようになっていた。雪解けから始まるそれは芽吹き前後からで若葉が開くころになると、それは何とも言えない優しい匂いを漂わせていた。それまでは同行者と、自分の竿先ばかりが気になっていたのか、まるで気になることはなかった。それからである。ひとりで自然の中にいるということは、包まれているということに気が付いた。
 そのふんわりとした若葉の匂いは、春の香りそのものだった。
 そしてしっかりとした緑色が枝にあふれるようになると夏が近くなる。渓流をどんどん釣りあがると川幅は狭くなる。やがて針葉樹は遠くなり、丈の低い広葉樹が明るさを運んでくれる。道のない道に雑草が、思いもよらぬ早さで辺りを覆っている。せせらぎと、流れる白いちぎれ雲のハーモニーに、釣りを忘れて座り込んだこともあった。季節が進むと名も知らぬ木々に実りがある。これもまた名も知らぬ鳥たちのくちばしにかかるのだろう。深まる季節に鳥たちは、羽音を強くして飛び回る。木々たちも時節の匂いを嗅ぎ取り、徐々に色めをつけていく。紅葉の始まりである。

 やがて釣りの期間は終わり、山歩きになる。触れると皮膚がかぶれるという漆や、モミジのようなカエデの見事な紅色にささやかれると、思わず声が出てしまう。独り占めの贅沢な世界だ。しかし、この贅沢も長くはない。冬支度を始める紅色は次第に色を失っていく。悲しさを覚える色だ。また来年だと自分に言い聞かせて山道を下りる。
 こう振り返ってみると、紅葉の楽しめるところは名所ばかりでなく、自然の豊富な地のくねった山道を辿れば、どこかにあるはずだ。情報に頼るのもよいが、自ら出会いを求めて足を延ばしてみるのも悪くはないだろう。こういう出会いには、喜びが倍ほどもあるはずだ。また紅葉は紅色とは限らず、黄葉もあるのだから広く考えて楽しむのも、この季節のだいご味であろう。 (完)