「まわしまわる一日」  真伏善人

 地球が回って朝を迎えると、なかなか起きれぬ布団の中で、ああ今日も生きているとまず思い、次には今日も生きなければならないのだと、呼吸を深くする。つい、あの山川を飛び回っていた頃の身体の熱さはどこへ消え去ったのだろうと、瞼の裏で考えていると、突然三途の川が現れる。何クソッと布団を突き上げ、寒さもついでに追いはらう。
 朝食をすませ、さあ日常の始まりとカフェへ向かう。そう遠くない所なので、ペダルでタイヤを回し、道行く人たちには仕事に向かうのだと見えるように口元を引き締める。
 店で席につき尻ポケットから文庫本を引っぱり出してコーヒーをすする。ここでも腰を据えているわけにはいかない。暇老人ではないのだと、腕時計を見ながらレジに向かう。お金を回すとはこういう事なのだと支払いを済ませる。
 家へ戻って家事を少々。さあ今日も絵を描くぞと力んで机に向かい、昨日の続きにかかるが何ともいえない微妙な描きかけに、これはなんだと修正にかかる。時計は回るが頭はさほど回らず、同じような絵に仕上がってしまう。まあ他人に見せて回るわけでもなし、こんなもんだろうと言い聞かせて一丁あがりとなる。
 正午を回った頃に一人昼食を済ませ、目が回るようなアクションとトークのお笑い番組をテレビで見ているうちに外出の時間となる。少し遠出をする気になってアクセルを踏み込み車輪を回す。ちょっとばかり遠回りになるが、片側一車線の道を選んでゆっくり走る。遮断機の下りた踏切で、ガタンゴトンと回る車輪の音を聞きながら貨物列車の通過を待つ。
 数十分ほど走り回り、もうそろそろこの辺でいいはずだと、停める場所を探し回る。民家の間の狭い道をウロウロするうちに堤防下で行き止まり。要塞を思わせる土堤の下は、適当な広さがあり迷わずそこに駐車する。
 目的は風景写真を撮ることなので、まずは見上げるばかりの堤防に上りつく。視界がいっぺんに開き、広がる風景を見回すばかり。向こう岸の河原にある冬景色に緑は見えず、裸木の群れが午後の陽ざしの下で雑然としている。
 少しでも近づこうと堤防を下り、わずかな踏み跡をたどり川岸に近づく。と、草深い川岸から突然ガサガサっと、大きな音がこちらへ向かってくるではないか。野犬かそれとも猪かと、身構えた前に現れたのは、何とネズミの化け物のようなでかいヌートリアかカピバラか。あまりの大きさに身体じゅう血の回りが早くなる。やつも気づいたのか立ち止まって、気配を探っている。驚かせた罰だと荒々しく踏み出すと、小走りながら逃げ回る。面白がって追いかけ回しているうちに足下が悪くなり、許してやる。今日は写真を撮りに来たのだと思い直し、改めて向こう岸に目を向ける。空は澄んでいて絶好の日和。思う存分シャッターを切って堤防に上がる。
 車に戻って小休止。急いでいるわけでもないので、あちこち回って帰ろうとハンドルを回す。
 家に帰って撮った写真を見ているうちに夕食となり、まずは一杯ぐいっと飲む。対面の話は聞き役に回り、己の話は問われてからにする。ほどよく酔いが回ると、これは酒が身体に回っている証拠なのだと、一人真面目に納得してしまう。と、頭に浮かんできたのはあれである。
 まだ青年になりたてのころ。身うちで不幸があり、葬儀が終わって食事になった。当然お酒が回ってきたのだが、どんな飲み方をしたのかは分からない。兎に角酔い潰れたのである。部屋に移され仰向けになって荒らい息をはいていると、なんと天井がぐるぐると回るのである。まさか自分が回っているわけではあるまいと、目を必死にこらしていても回る回る。そうだ、これは酒が身体中で回っているのだと、気が付いたあの時の回るは永遠なのです。
 さて、そろそろ布団にもぐりこんで世界を回る夢でも見るかと、いい気分で部屋に移る。回っている地球さまが、黙っていても夜へと運んでくれるのだから。
 二月の吉日でした。(完)

「いつまでもまわる」  黒宮 涼

 ずっと認知症だった祖母が施設で暮らすようになってからもう半年経った。つまり私が祖母と会わなくなってから半年。母から「おばあちゃんもう長くないかもしれない」と連絡が来たのが去年の暮れ。それまではそのうち会いに行けると気軽に思っていたのだが、「長くない」と聞いて不安になった。「会いに行かなければならない」。そう指名を与えられた気分になった。
 しかし、年越し早々風邪を引いた私はそれから一ヶ月間。祖母に会えない日々が続いていた。「おばあちゃん、会えるまで頑張ってね」と母や姉が祖母を励ましていたと聞いて、私はこのまま会わずにいたほうが祖母も長生きするのでは? と考えるようになってしまった。そんな折、祖母が誤嚥性肺炎で入院したとの知らせがきて、もう本当にいよいよかと覚悟した。「おばあちゃんのところへ行きたいんだけど」と私が言うと、旦那は「いいよ」と頷いてくれた。
「もしもの時は、お母さんを支えてあげてね」
「もちろん、そのつもりだよ」
 そんな会話をして、一応泊まれるように荷物を詰めた。けれどどうしても喪服を準備する気にはなれなかった。そんなことをしたら、本当に使うことになってしまうかもしれない。そう思った。その晩、私はなかなか寝付けなかった。色々な想いが頭の中をくるくると回る。ようやく眠れたのは深夜三時だった。そして朝、私は用意していた荷物を見て持っていくのをやめようと思った。理由は、「負けた気がするから」だった。何と戦っているのだ。自分は。と笑う。一晩たって冷静になったのかもしれない。「もしものこと」ばかり考えてしまって昨晩は取り乱していたのだろう。実家へ行くと、母と姉が出迎えてくれた。二人はそれほど焦っているようには見えず、少し拍子抜けしてしまった。お昼ご飯を食べてから病院へ行く。点滴を繋がれた祖母を見るのは、初めてだった。寝ているのかずっと目を瞑っていて、母が話しかけても反応がない。先に来ていた叔母が先程まで起きていたことを教えてくれた。
 「おばあちゃん」と私は名前を呼びかけた。「手を触ってあげて」と言われたので私は祖母の手を布団から出してそっと触ってみる。名を呼びながら、祖母の手を擦った。すると祖母が私の手をぎゅっと握り返してくれた。「目が開いた」と母が言った。私は必死に涙を堪えていた。握り返してくれたのが嬉しくて、目を開けてくれたのが嬉しくて。会えて良かったんだと思った。祖母の手の力に、私はまだ一緒に住んでいた頃のことを思い出す。四年前のことだ。お風呂やトイレに行くときに手を握り引こうとすると、眉間にしわを寄せながらその手を必死に振りほどこうとする祖母。何処にそんな力があるのか、もう片方の手で腕を強く掴まれる。時には強く叩かれたりしたこともあった。けれど今の祖母の手に同じ力はない。それが寂しくもあり、それでも今出せる力で握ってくれた祖母の手を、振りほどくのは惜しい気持ちになった。
 命には順番があるそうだ。長く生きた人から先に逝くのが正しいのだという。なら祖母はその順番がもう少しで回ってくるのかもしれない。それが寿命なのだろう。「生命力が強いよ」と看護師さんが言っていたのが印象に残っている。祖母が病気になって十年近く経つだろうか。凄いと思う。順番が回ってきたら私は祖母に「よく頑張ったね」と言ってあげたいと思っている。祖母は今もなお、病気と戦いながら生きている。(完)