「花束」 黒宮涼

 結婚式の打ち合わせ。体調の悪い私に気を使って急くように話しを進めるお花屋さんに向かって、私は両親に送る花束に「アルストロメリア」と「カーネーション」を希望した。
 結婚式の翌日、私は新婚旅行のため飛行機に乗ってしまう。その日が母の日だということを忘れたまま予定を決めてしまっていた私は、半ば慌てて演出を考えた。カーネーションと、ちょっとした手紙をテーブルに添えた。

 小さな頃から家の庭には、いつも花が咲いていた。花好きの母が毎日欠かさず水をやっているからだ。私がまだ小学生だった頃、学校へ行くときに母が切り花を持たせてくれることがたまにあった。家の庭で咲いている花たちだ。私は新聞紙や広告でまとめられたそれを先生に渡すのが使命みたいに思っていた。通学路を歩いている間、花を綺麗なまま持っていくことで頭がいっぱいだった。小さな花弁が落ちてしまわないように気を使った。先生に「綺麗な花だね」と言われることが嬉しかったのだ。ピアノを習っていたため、花束を貰うことも多かった。大きな花束を持ち帰り、母が嬉しそうに花瓶に生ける姿を何度みたことだろう。私が夫になる前の彼に贈られた花束を見たときも、私以上に喜んでいたように思う。
 以前、母に一番好きな花は何かと尋ねたことがある。母は「アルストロメリア」という花が好きだと言った。母の好きな歌手がその花の名前を歌詞に書いて歌っているらしい。私は子どもながらにその難しい花の名前を一所懸命覚えた。いつか、お母さんに花束を贈るときはアルストロメリアを入れよう。そう思って、何度も何度も心の中でその花の名を呼ぶ。

 両親への手紙を読み終わった私は、目に涙を溜めながら式場の人から大きな花束を受け取った。希望した花が含まれているか確かめる余裕もなく、両親の前に誘導される。緊張と共に色々な感情が私の中を駆け巡っていた。今までたくさん迷惑をかけた両親。手紙で想いは伝わっただろうか。書ききることができなくて溢れた想いがまだたくさんある。きっとこの花束ぐらい大きい。私は小学生のときのように大事にそれを抱えてゆっくりと歩いた。転んで花が潰れてしまわないかと不安になったあの頃。私が歩いた道に点線のように花弁が連なって落ちていってしまうのではないかと想像して、後ろを振り向いたあの頃。今はもう後ろを振り返っている余裕はなかった。前へ進むしかない。目の前で父と母が泣いている。私はごめんなさいとありがとうを込めて花束を二人に手渡した。涙がスポットライトに反射して、私の視界はきらきらと光るものでいっぱいになった。
 式が終わって家に帰ると、花瓶にさしてあるアルストロメリアとカーネーションを見つけた。すごく綺麗で、いつまでも見ていたいと思った。  (了)
 

「母と僕のさくら」  真伏善人

 さくら さくら 弥生の空は 見わたすかぎり 霞か雲か~ 
 僕が少年期を過ごした田舎には、大きな川の土堤にそれは見事なさくら並木があった。
 十歳くらいの頃だろうか、母と兄妹三人だけで花見に出かけ、筵を敷いてささやかな弁当を開き、のんびり一日を過ごしていた。母は時折、箸を休めてはさくらの花を見上げ、小首を右に左に傾け、ひとり満足そうに微笑んでいた。
 そんな仕草を目にするようになったのは、家業の合間に一畳ほどの地べたに土を盛って、どこぞから手に入れた苗を育て、綺麗に花を咲かせてからだと思う。無関心の父をしり目に、肩まで一緒に傾げているその姿の自然さは、僕の心にもすくなからず喜びを分け与えてくれた。
 考えてみると、花見は母にとって解放されたひと時の自由と空間であり、そこで優しく覆ってくれるさくらの心と、やりとりを楽しむためにあったように思える。
 僕は僕で箸を置くと、はや退屈になり川上に向かって歩き始める。これが行けども行けども、またその先をいくら遠目に見ても、かすんだうす桃色は、土堤上から消える兆しも気配もなかった。この並木はいったいどこまであるのだろうかと空恐ろしくなり、そこからふいっと踵を返してしまう。いったいこの果てもないさくら並木の始まりと終わりは、どこにあるのかと母に尋ねるでもなく、今度は川下に歩き始めてみる。上流へ向かった時の気負いはないものの、やはり際限なく続く並木にすごすごと引き返す。小さな冒険を知るわけもない母は、長い時間を行ったりきたりしている僕を見ても、なぜか穏やかなままだった。たぶん、桜の下で遊ばせてもらっている無邪気な息子を、ぼやっと見守る眼差しだったのだろう。
 全長が三里か四里もあるといわれた桜木は、今はもう台風や水害で弱った堤防を守るために伐採されてしまい、見ることは叶わない。
 あやふやな記憶をたどっているうちに、ふと何かがひらめいて押入れの上の小引き戸を開けた。もしやとアルバムと記してある重い段ボール箱を抱えおろし、同窓会の名簿などを取り出していると、A5サイズの封筒が出てきた。その中の白黒写真に混じって、絵葉書も数枚入っている。見れば修学旅行先と、まさにその堤桜の鮮やかな絵葉書だった。なぜこれがここにと、思うほどの覚えもないのにひらめいたのである。その絵葉書にはなんと、延堤六里桜樹八万余本とあった。
 花見に出かけていた場所はおよそ真ん中辺りである。歩くとすればどれほどの時間がかかるのか見当もつかず、もし歩けたとしても無事に帰ってはこられまい。されば自転車か。絵葉書を見る限り、人がすれ違えるほど凸凹道の幅はある。だが鉄橋があり、橋だっていくつか架かっているだろう。それでも大人用の自転車の三角フレームに片足を突っ込むという格好で行きついたとしても、最も恐い事が待ち受けているかもしれない。それは見知らぬ土地には見知らぬ人間がいるということである。疑心と好奇の目で見られ、一家の財産である自転車を奪われたらどうするのか。到底できる冒険ではなかったのだ。
 あれから都会へ出て半世紀を過ぎた今、さくらの季節になると河川敷公園へ、のほほんとでかける。花見客の喧騒だけは避けたい。グランドを隔てた高い堤防を上がる。かすみか雲かとはいかないが、さくらの辺りには、ぼんやりとした幸せが広がっている。そこで母が時折見せた小首を傾げる仕草を装うと、本当に笑みが湧いてくるのであるからー。
 ~匂いぞ出づる いざやいざや 見に行かん  (了)