「門出港(かどでみなと)は出発点」 伊神権太

 金田一京助の新明解国語辞典(第五版)によれば、【門出】とは。その人にとって節目となる第二の人生に向かって一歩を歩み始めることとあり、「門出を祝う/人生の門出[=今までの環境を巣立って独立すること]/新婚生活の門出に当たって」の例示もあり、表記に「首途」とも書く―とある。
 となると、どんな人でもこの世に生まれ出てから亡くなるまで。その人生は出生、入学、卒業、就職、結婚、転勤、昇進、退職…といったところか。そう。人生の節目こそが門出、そしてまた門出の連続で極論を言えば、新しい陽が夜明けに降り注ぐ毎日が、いや、それこそが門出ではないのか―と。私たちは毎日、出発点に立ち【門出港】を生きている。
 いやいや、実際に生きている間は知らないだけで私たちが命を落としてからも。それこそが面白くかつ楽しい新しい出発点として待っているのかも知れない。第一、私たちが日々を生きている。心臓がトクトクトクと音を立てていること自体が不思議な世界、ナゾであり〈無〉なのだ。人と人とのそれこそ奇跡ともいえる出会いの連続など、それはそれとして誰もが摩訶不思議な現代を生きているのである。
 最近罪の意識どころか人間としての気品さえ失ってしまった、あの安倍首相と昭恵夫人、そして加計学園理事長らの醜態を、どう見たらよいものか。これとて全て見えざる神の手と言ってよく「人間たちよ、こうした面の皮の厚い〈うそ八百〉がどんなものかを、今いちど噛みしめてみなさい」と今をまじめに生きる大半の人々に矜持として与え、見せつけてくれている。
 人間本来のあるべき尊厳とは何か、を心底願う見えざる神の意地悪な配慮かも知れないのだ。

 さて。私の門出港といえば。
――終戦の夏。私は母のお腹のなかに居た。日本が降伏をしたのに襲ってきたロスケ(旧ロシア兵)から頭を坊主にして逃げまわった母=そのころ私は母の腹の中にいた=は、泥の川を渡ったりしたあと運良く父と再会して翌春、私を奉天(現瀋陽)の大和税捐局の官舎で生んだ。その後も兄の手を引き、私を胸に抱き、ぎゅう詰めの露天列車に乗せられ、葫蘆島へ。ここで引揚船に乗せられ舞鶴に引き揚げてきた。
 船上ではこどもたちが次々に死んでゆき父は連日、海葬での読経に暮れる日々だったという。そして涙、涙で帰り着いたのが和田(江南市和田町)の母の実家だった。父は税務署に復職して通う傍ら、地域の子らにそろばんを教え、母は和裁で着物を縫う毎日が続いた。小学1年のころ父の転勤で静岡県の掛川、磐田の順で家を代わり再び転勤で和田に戻ったのが確か小学4年だった。
 それから滝中、滝高=この間、中3で講道館柔道初段を取得=と歩み、高1の5月13日に柔道の稽古さなかに先輩に掛けられた捨身小内にポッキーンという大音響とともに右足を折り、そのまま翌春まで自宅療養。それでも親の反対を押し切って、2年になると練習を再開しその年のうちに2段を取得。進学校にもかかわらず3年の卒業まで稽古を続け、南山大へと入学した。
 大学入学後は2年で3段を取得。オールミッション大会では優秀選手賞に輝き、インタハイの軽量級候補選手にも選ばれた。そしてその後は当時70~80倍だった難関の新聞社の受験にパス、社会人として新たな門出に立った。以降は各地を転々と歩き、途中巡り合った妻とは駆け落ち結婚、定年退職後はドラゴンズファンクラブの会報編集担当として数年を過ごし、その後一匹文士としての道を歩み始めた。
 ここまで書いて私は立ち止まる。門出って何なのか、と。毎日が新たな出発そのものじゃないか。話は飛躍するが、いま醜態を天下に曝け出している森友、加計学園問題。この際、全てをご破算としてしまい、過去の誤ちをかみしめてゼロから出発してみたらどうか、と。そう。この世の中、生きるもの全てにとって毎日が新たな旅立ちなのである。
 捨てたもんじゃないよ。(完)