エッセイ「イギリスとユーゴスラビアの花」

 新生「熱砂」の公開に美しいお花を添えましょう。
 イギリスとユーゴスラビア、二つの原産国のお花とその小さな花物語です。

 ピンクのバラはイングリッシュローズのヘリテージ。
 儚げな色合いにふさわしい甘い優しい香りがします。葉の緑もつやつやでとても綺麗です。
 ヘリテージとは「遺産」という意味です。イギリスの育種家によって作出されたバラですが、後世に残したいと、この名がつけられたのでしょうか。
 花が開くにつれパールを混ぜたように色合いが変化し、はらはらと散り急ぎます。その美しさにうっとり見とれてしまいます。
 きょうは猛暑の中、二番花が咲いてくれました。私の喜びです。

 うす紫色のお花はベルフラワー。キキョウ科カンパニュラ属で和名は「乙女ギキョウ」だそうです。約一センチのお花をびっしり咲かせます。この鉢とのコラボ、気に入っています。
 原産地は東ヨーロッパのユーゴスラビア。ユーゴスラビアといえば、もう二十年くらい前のことですが、わが娘がクラシックバレエを習っていた教室に、政変で命からがら逃げてきたという、奥様は日本人のバレエダンサー夫妻が教えに来られるようになりました。バレリーナの奥様は生活を支えるためにガソリンスタンドでも働き、やがて独立して教室を始められたと聞きました。
 娘は途中からオーストラリアの小学校へ行きましたので、お世話になったのは短い期間でしたが、ベルフラワーからそんなことをフッと思い出したりして。今は緑の葉を鉢いっぱいに茂らせて、静かにお花の季節を待っているようです。この優しい色合いと可憐な花姿、大好きです。
 旧ユーゴスラビアは、現在はボスニア・ヘルツェゴビナという国なのですね。

エッセイ「友人のお嬢さんの手記」

 きょうは、この春から社会人としての一歩を踏み出した、私の友人のお嬢さんの手記を紹介させていただきます。タイトルは「障がいのある人を兄に持って」。
 「障がいのある人」は、知的障害や自閉性障害を持つ若者の劇団《ドキドキ・ワクワク》の団員のY君です。Y君は、自宅から自転車で三十分くらいの距離にある職場で、仕事に励む青年です。
 この手記は、演劇の親の会が主催する学習会「きょうだいフォーラム」用に書かれました。
 (友人の手紙より抜粋)
 

 「障がいのある人を兄に持って」

 障がいがあるきょうだいを持ち、大変な思いをしている方は多くいらっしゃると思います。そのような中、私は兄から特に何かをされたわけでもありませんし、兄のことで苦労したりといったことも、取り立てて言うほどはありません。そんな私が知った顔で何かを語ったりして良いのかはわかりませんが、兄がいなければ味わえなかった思いや経験などを、素直になれる範囲で述べられたらと思います。
 
 私と兄は三歳差、私を挟んで五歳下の弟がいます。兄が「なんか変」と気付いた瞬間というのは記憶にありませんから、おそらく子ども心に、なんとなく感じ取っていたものと思います。
 幼稚園、小学校と、兄と同じところに通いましたが、聞きたくなくとも、兄の噂はあちらこちらから聞こえてきました。それらの多くは中傷ではなく、兄の言動や行動に面白おかしく尾ひれをつけたものがほとんどでした。そして、それはおそらく中傷よりも強く、小さかった私の心を傷つけるものでした。
 他人の目や言動、そういったものが気になって仕方がなかった当時の私は、兄の存在から目を逸らすことしか出来ず、兄の噂を聞いても自分には関係がないと自分に言い聞かせましたし、兄が先生に叱られているのをたまたま見かけても、両親に知らせることはしませんでした。
 両親は兄に対して責任を持て、というようなことは決して言いませんでしたし、自由に好きなように生きればいいと、今でも言ってくれています。その言葉に、私は甘え続けていたのだと思います。

 彼を兄に持ち、苦しかったのは、自分の中での葛藤でした。「お兄ちゃんなのにどうして好きになれないのか」、「どうして周囲に兄の存在を隠してしまうのか」、心の中で絶えず自問自答していました。また、「両親がつらい思いをしているのは兄のせいだ」、「兄の代わりに、自分はいい子でいよう」、「兄とは違ってなんでも自分でできることを周りにみてもらおう」、そう思っている自分に対しての自己嫌悪も繰り返しました。

 高校の時、クラスメートの一人が、「○○(私の名前)が一人っ子って嘘だったんだよ、本当はお兄ちゃんがいたんだよ」と、周りにも聞こえる大きな声で言ったことがあります。私は自分が一人っ子と周りに言った覚えはありませんが、その話題を無意識に避けていた私の「きょうだいの存在」は、噂好きの女子高生にしてみれば格好の「ネタ」に映ったようです。その後質問攻めにあった私は、無性に苛々として、何の非もない彼女に対し、つい心ない言葉を浴びせ、周りの友人たちを困らせたのを覚えています。人の隠したいことを面白おかしく公にする友人に腹が立ちました。そして腹を立てている自分、友人にも「秘密」と取られるほど兄のことを隠していた自分、兄を好きになれない自分に対して、やりきれない、泣きたい気持ちになりました。

 大学生になり、私は東京に出てきました。一人暮らしを始め、世界が広がり、家族に守られていた高校までと比べて、少しは社会というものに触れる機会が増えました。社会にはいろいろな人がいます。兄と似た人、また違う意味で社会的に弱いとされる人にも沢山出会いましたし、その人々に対して理解を示さない人が、決して少なくないということも思い知らされました。
 しかし、弱い人に対して理解を示すことが、弱い人と関わりのない人間にできるでしょうか。「変な人」、「気持ちが悪い人」、何も知らない人がそう思ってしまうのは無理もないことであり、決してその人のせいではありません。そう考えるとき、兄を家族に持てたことに対して自然と感謝できるようになりました。そして、そんな私の思いを知る由もない純粋な兄に、会いたいなと思うことが多くなりました。

 今回、この体験談を書くにあたって、「障がいのある子どもの父母のネットワーク愛知」さんのブックレットを読ませていただきました。正直に言いますと、私はこれまで、障がい児のきょうだいの方たちとお会いしたこともほとんどありませんし、関わる気すらありませんでした。障がいを持った人が家族にいるからといって、状況は家庭によって違いますし、分かち合ってどうなるものでもないだろうと思っていたからです。
 しかし、何気なく読んだこのブックレットは、思いがけず私の心を揺さぶるものでした。自分と似た環境で、自分と似た思いを持って子ども時代を過ごしていた人たちがいたことには素直な驚きを覚えましたし、その存在に、不思議と気持ちが楽にされたのです。
 障がい児の兄弟は、親の苦しむ姿をいちばん近くで見ています。それゆえに、自分だけは迷惑をかけてはいけないという思いから、他の人に比べ、自分の内面を外に出すことが不得意になってしまうような気がします。私の体験や思いが、同じような環境で過ごした、あるいは今も過ごすきょうだいの方たちにとって、少しでも安らぎになれば、私にとっては大変嬉しく、兄にも感謝です。
              (了)
 
 原文のままです。この文章をここに掲載することを快く了承してくださったお嬢さんと友人に、心からの感謝をお伝えします。
 いつお会いしてもにこやかで、穏やかなご家族が、ここに到達されるまでの長い道のり…、悲しみやつらさ、切なさ…、どれほどだったでしょうか。
 この手記によって、ご両親が「初めて知る娘の想い」がおありになるだろうと推察しますし、お嬢さんがこのような女性に成長されたのは大きな喜びでしょう。ご家族の絆を一層深められたことでしょう。
 ご家族の思いの深さに心を打たれます。

 「障がい者が生きる上でつらいのは、人と違っていることではなく、違うものへの風当たりの強さです」という言葉を目にしました。
 そんな社会が変わっていきますように…。

 
  ○○ちゃんに私が育てたバラを贈ります。いつか本物をね!
 (イングリッシュローズ・エブリン)

連載エッセイ「それぞれの春」

    四月一日
 今日から四月。
 新入学、新社会人…。
 人生の新しいスタートが始まる月。
 四月という響き、いいですね。桜も咲き始めました。
 皆さんには、どんな新しい春の始まりでしょう。
 わが家では特に変化もありませんが、甥が大学生になります。
 先日、「今から北海道へ日帰り出張」とメールを寄こした東京在住の娘は、もうすぐアメリカへ行き、十日程滞在するそうです。
 友人のお嬢さんは公務員として新しい一歩を踏み出します。
 昨年十一月に、大学生の息子さん二人を残してご主人が急逝されたわが友は、この春から小学校の先生として新たなスタートを切ります。先だって、私は迷いつつも彼女をヴァイオリンコンサートにお誘いしました。そのコンサートは、あるロータリークラブの五十周年記念事業で、私は会員の方からご案内をいただいたのでした。
 久しぶりに会いましたが、キリッとけなげに生きる彼女の姿に心を打たれました。もし私がそのような立場になったなら、どうなっていたでしょう。
 人は現実を受け止め、受け入れて生きて行かなくてはなりませんが、神様はときにとても非情だと思ったりするのです。 彼女の新たな旅立ちを、ご主人も息子さんたちも喜び、そして尊敬しておられることでしょう。私はそっと、そっと応援するのみです。
 アンコールで演奏されたバッハの「G線上のアリア」を聴いて、こらえていたものが溢れだしたように涙を流した彼女。私も心がふるえました。

 画像は冬の貴婦人「クリスマスローズ」
 そばかす美人ですね。うつむいて咲きますので、無理にお顔をあげています。
 寒さに強く、花の少ない冬から春にかけて咲きだします。ヨーロッパ原産でクリスマスの時期に咲き、バラ(ローズ)に似ているところから、そう命名されたとか。
 花言葉は「なぐさめ」

 

   四月二日
 今日は「熱砂」関連の方から二通のメールをいただきました。
 一通は同人の大正琴「琴伝流」大師範の牧さん。イギリスに嫁いでおられる娘さんご一家がお里帰りをされたそうです。お婿さんと五歳の男の子と、一歳の女の子の四人家族なのですね。
「イギリス発のちびっ子台風が吹き荒れてます。英語に四苦八苦してます」などとおっしゃりながらも、とても嬉しそう。賑やかに楽しい時間を過ごされることでしょう。
 牧さん宅のお庭では、桜の開花ももうすぐなのですね。心が華やぐメール、うれしかったです。
 もう一通は奈良県在住の同人、加藤さんのお姉様。私の昨日のエッセイを早速読んでくださって、ご丁寧なメールをいただいたのです。
 二年ほど前にご主人を亡くされた彼女は、私のエッセイにご自分を重ね合わせておられたのかもしれません。
 この春、心機一転、ご実家の近くにお引っ越しをされるのだそうです。ご両親の介護もなさるのですね。
「主人の想い出は胸にしまって、また再会するまで、もう一がんばり、二がんばり…」
 切ないですね。私にもいつそういう日が訪れるかもしれません。心して生きなければ、と思います。

 春の日差しがお似合いのピンクのクリスマスローズ。自然の醸し出す色合いの、なんと美しいことでしょう。うつむいていましたので、お日さまの方に向けてあげました。
 今日も庭改造の続きをしましたよ。ゆっくりなペースですけれど。

 

   四月三日
 昨日の穏やかな陽気とは一転、今日は春の嵐の直撃を受けました。
 日本列島に台風並みの強風や大しけ、大雨をもたらしたのは、短時間で急速に発達する「爆弾低気圧」だそうです。
 わが山里では雨が激しく窓をたたき、木々が音を立てて揺れました。恐くて部屋の中で身を縮めていましたよ。
 低気圧は通常、日本の東の海上で発達します。こうした低気圧が日本海側で発生するのは極めて異例で、昭和二十九年五月以来だそうです。気象台の担当者は「遅れてきた春一番ではないか」と話しておられるとか。明日も荒れ模様のよう。今年は春が遠いですね。
 そんななか妹から「息子の大学の入学式に出席した」との報告がありました。ようやく授かった、たった一人の大切な子ですが、葛藤の多い日々を送っていました。でも、電話からは、晴れやかな親としての喜びや感慨、安堵が伝わってきました。
 H君、おめでとう。夢に向かってガンバレ!
 私も新しいことを始めるかもしれません。「一緒に勉強をいたしましょう」と、上品なレディにお誘いを受け、今日はその資料が届きました。とりあえず参加させていただこうと思います。

 今日のお花はビオラ。パンジーのミニ版です。
 楽器のビオラはヴァイオリンより一回り大きいのですが、お花は小さい方がビオラ。面白いですね。
花言葉は「誠実な愛」

 

   四月四日
 今日は寒い一日でしたね。私は午後、整体に出かけましたが、気温は八度を示していました。
 でも、毎年楽しませていただいている、ご近所の見事な枝垂れ桜がつぼみを膨らませていましたよ。
 今年は天候が不順で庭仕事が思うようにはかどりません。お天気がよくなると喜び勇んで庭に出て、バラのための大きな穴を掘ったり、石や土の処分に肉体を酷使。腰を痛めました。
 今回は痛みが強烈で日常生活に著しく支障をきたすため、迷わず整体院にお世話になることにしたのです。
 施術後の注意事項が書かれたプリントには「骨を動かすのは筋肉。筋肉を動かすのは神経。神経を動かすのは脳。このすべてにアプローチしております」との文言がありました。
 若い先生ですが、とても分かりやすい説得力のある文章に私は感じ入ってしまいましたよ。三回目の今日は骨盤矯正もしていただきました。快方に向かっているのがよく感じられます。
 防草シートをかけたままの庭にレンガを早く敷き詰めなければと気持ちが焦ります。けれどドクターストップもかかりましたし、体の発する声に耳を澄まさなければと神妙になっている私がいます。

 この大人っぽいクリスマスローズも大のお気に入りです。
 クリスマスローズの花弁はお花ではなくてガクなのですね。きれいだからと咲かせ続けていると、体力を消耗させ翌年の花付きが悪くなります。摘んだお花をガラスの器に浮かべて楽しみました。

 

   四月五日
 今日は富山県に来ました。富山といっても雄大な立山連峰のふもと、寒かった! です。
 出発前に調べたところ、郡上市でかなりの積雪があることがわかり、岐阜県の山間部を縦断する東海北陸道を避け、日本海側の北陸自動車を走ることにしました。
 運転手はもちろん夫ですけれど、十時半頃に家を出て十五時前にホテルに到着。スタッフの方が「四月に入ってのこんな雪は珍しい」と言っておられました。
 わが夫はアメリカ人ですが温泉が大好き。もうすぐ多忙な日々が始まりますので、手元にあったクーポンを無駄にしないよう、期限ギリギリでの活用と相成ったのです。
 北アルプス・黒部アルペンルートの玄関口に位置する立山山麓は、今はオフシーズンで宿泊客も少なく、のんびりリラックスできました。
 大浴場は天然「立山山麓温泉」。美肌効果の高いナトリウム炭酸水素塩泉だそうです。夫は二回お湯につかってご満悦。就寝前に私が行ったときは、八十代の母親とその娘という感じの人が入浴中でした。
 仲良くお話をし、背中を流し合い、滑らないよう、お母様を娘さんが支えて移動していらっしゃいました。その姿を羨ましく目の端がとらえました。わが母にももっと長生きして欲しかったです。
 腰痛を治療中の身には、ジェット噴流を備えたお風呂もあって最高でした。
 ディナーもとてもおいしかったです。お刺身の舟盛り付きでしたが、天然の鯛やブリは、養殖ものに馴染んだ口には別のお魚のようでした。大きなバイ貝はこりこりでしたし、氷見牛もおいしかったです。
 ワインもいただき、豊かな森のホテルでスーッと眠りにつきました。

 ホテルの前庭です。
 暖かくなったら色とりどりのお花が咲き乱れるのでしょうね。

 

   四月六日
 昨夜はよく眠れましたが、起きて外を見たらすごい春の雪。無事帰れるかしらと心配になりました。
 私たちの隣の三部屋は七十代くらいの女性のグループでしたが、早朝のお目覚めなのですね。五時半くらいから賑やかになりましたよ。お風呂の時間に合わせて、ということのようでした。ちょっと耳障りでしたが、私はまた寝入ってしまい、その間に夫は再び温泉を楽しんできたようです。
 バイキングスタイルの朝食も和・洋ともに充実していておいしかったです。つい食べ過ぎてしまいました。チェックアウトも十一時とのんびり。その間に雪もやんで薄日がさしてきました。
 フロントの笑顔がとてもかわいい女性に見送られ、帰途に就きました。女は愛嬌ですね、やはり。
 帰りは富山ICから高速に入りましたが、途中「小矢部JCT~白川郷 タイヤチェーン装着」との表示がありましたので、帰路も北陸自動車道へ。世界遺産の白川郷を臨むこともできませんでした。
 石川県では「投雪禁止」という雪国独特の注意書きを発見。高速道路の路肩に車を止めて、雪を投げる人がいるのでしょうか。
 ともあれ、途中、福井県で雪に降られたりしましたが、無事に帰宅。早速お庭を一回りしました。岐阜も寒いですね。
 夫にも間もなく新学期が始まります。ゆったりお湯につかって心も体もくつろいで、準備は万端のよう。私はこれまで夫のことをあまり書いてきませんでしたが、彼は大学で英語を教えています。(ちょっとご報告です)

 こんなおみやげを買ってきました。
 これが今夜の夕食。手抜きをしています。

 

   四月七日
 肌寒い日でしたが、お庭は春の息吹がいっぱいです。ホスタの新芽が顔を見せ始めました。ゆるやかに波打った美しい葉を広げてくれる日も近いでしょう。植物の生命力がお庭全体にみなぎっているのを感じます。
 昨夜の便で娘がアメリカへ発ちました。帰国は十五日の夜だそうです。翌月曜日から普通に出勤。時差ボケの強い私には絶対できないことです。
 出発前の空港から電話がありました。東京は桜が満開だそうです。帰ったときにはもう見られないだろうから、「お花見してきたよ」とのことでした。
 あちらにいらっしゃる日本人の方に佃煮をおみやげにしたのだそうですよ。娘が住んでいる銀座に程近い中央区佃は、「佃煮」発祥の地なのだそうですね。きっと喜んでくださるでしょう。
 私は二月中旬に娘の所を訪れました。天皇陛下が心臓の手術をされた直後で、皇居で記帳をさせていただき、東京ドームで開催された「世界らん展日本大賞2012」にも出かけ、楽しい時間を過ごしました。
 娘は海外で仕事をしたいという夢を持っています。たった一人の子ですから、少し寂しい思いもしますが、彼女の人生ですもの、どこにいようと親子です。娘が幸せならいいですよね。
「子どもは神から預かった大切な命。何らかの形で社会のお役に立てるように育て、また神にお返しをする」
 どこかで学んだ子育ての奥義です。急に思い出したのはなぜでしょう。

 蘭のスカイツリー、見事でした。
 今年のメインテーマは「自然と歩む~希望ある未来へ~」
 岐阜県の三つのグループが入賞していましたよ。感動です。
 ボルネオ島には地球上の野生蘭の約一割が自生しているそうです。

 

   四月八日
 「それぞれの春」にふさわしいこんなメールをいただきました。
『ようやく桜が咲き、春の到来を実感しています。僕は正月よりこの時期に一年の始まりを想います。
因みに昨日は僕の誕生日でした。例年なら桜が満開なのですが、今年は随分と開花が遅れましたね。でもその分、長く花見ができそうです。
間もなく○医師会の総会ですが、今年は役員改選。今まで○○部会長を六年間務めていた関係で皆様にはご迷惑をおかけしました。これで重職を退き、診療と学術研鑽に専念できます。
少しの寂しさはありますが、これから待ち受ける新たな可能性に胸が踊ります。いよいよ良い季節になります。メール会員様と一度BBQしたいですね』
 ある開業医の先生からです。先生からの「G通信」を楽しみにしている方が多くいらっしゃいます。
 硬いお話、柔らかいお話を取り混ぜて、軽妙洒脱だったり、専門分野のお話をかみくだいてお伝えくださったり…。
 こういうスタンス。昨今は医療もサービス業のようですね。格差があるでしょうけれど。
 先生の新たな春に乾杯!

 風にそよぐご近所の枝垂れ桜。毎年楽しませていただいてます。
 早咲きのこの桜が散り染める頃、わが山里のソメイヨシノは満開を迎えるのですよ。
 桜の花言葉は種類によっていくつかあって、枝垂れ桜は「優美」だそうです。

 

   四月九日
 今日は春うららの絶好のガーデニング日和でした。この時期の紫外線はかなり強いようですから、日焼け止めクリームを塗ってUVカットの帽子をかぶったのですが、すでに日に焼けてしまったようです。
 私はバラを無農薬で育てています。今日はニームオイルや天然素材で作られた活性剤を散布しました。米ぬかもバラ栽培に大切な役割を果たしてくれます。
 私たちの生命環境は多くの微生物によって支えられています。微生物たちのかかわりあうダイナミックな活動によって、地球上のすべての動物や植物は生かされているのです。とてもスケールの大きな環境問題が、実はこんなに身近でもあるのですね。
 お庭ではクレマチスのつるも伸びて、もうすぐバラとの共演が始まります。心弾む季節の到来です。
 ガーデニングの合間に桜餅をいただきましたよ。とってもおいしかったです。甘みと塩味と葉の香りとのハーモニーが絶妙ですね。桜餅に使う桜の葉は香りのよい大島桜。伊豆は有名な産地だそうです。樽の中で塩漬けして保存されます。
 先日、整体の先生が「あんなに硬かった筋肉に弾力がでてきましたよ」と、おっしゃいました。安静にしていたら治りも早いのでしょうけれど、ガーデニングでは無意識のうちに、つい無理をしてしまうようです。
 重症のガーデニングエンザにかかっている人が多くいらっしゃるようですが、私はまだ軽症の部類でしょう。

 珍しいお花ではありませんが綺麗ですね。

 

   四月十日
 気温が一気に上がって初夏のようでしたね。陽気に誘われるように墨俣の一夜城へコーラスのお仲間とお花見に出かけましたよ。
 長良川に寄り添うように流れる犀川の堤に、約千本の桜並木が二キロにわたって続いています。多くの花見客で賑わっていましたが、平日の昼間ですから、年配の方や女性の姿が目立ちました。
 そんななか学校帰りでしょうか、ピカピカの自転車に制服姿の女子高生が数人、仲良くおいしそうにお団子を食べていてほほえましかったですよ。桜には人々を幸せにする力がありますよね。
 また、六十代くらいの夫婦連れの男性が車イスを押しておられました。介護の日々であろうご夫婦が、お母様に桜を見せてあげようと出てこられたのですね。そういう光景に出会うと親不幸な私の胸が熱くなります。ソメイヨシノは満開でした。
 一夜城がなぜそう呼ばれるようになったのか詳しい史実は不明ですが、豊臣秀吉が長良川の上流から材木を流して一夜にして砦を築きあげたから、ということのようです。
 現在は博物館になっています。竹下内閣の「ふるさと創生一億円」を基に、大垣城を模して建てられたのですよ。
 その後、私は整体に。お仲間は「お姑さんの代理で出向かなければならない所がある」と慌ただしく桜並木を後にしました。
 無料の特設駐車場が設けられ、誘導係もいてくださってスムーズに移動ができ、ありがたいことでした。

 夜はライトアップされるそうです。幻想的でしょうね。

 

   四月十一日
 今日は大雨の一日でした。リビングからお庭を眺めただけですが、植物がいっそう輝いて見えます。しっとり雨に濡れるお庭は心が落ち着きますね。
 この雨のなか、前々からの約束でお友だちとイタリアンレストランでランチでした。行列のできるお店なのですよ。でも、お値段もお手ごろでおいしい、ゆえに人気店なのでしょうね。私たちは予約をしていました。
 その後、私は朗読の講習会に出かけました。先生は元名古屋テレビのアナウンサーだった方です。プロの訓練された声は本当に魅力的、うっとり聞き惚れました。「アクセント辞典」というのがあるのですね。はじめて目にしましたよ。
 会員はベテランの方ばかりで、いろいろな所で読み聞かせのボランティアをしておられるようです。けれども、染みついたアクセントがあったり、つい岐阜弁がでてしまったり。それをスッと正すのは容易ではないようです。
 一人ずつの朗読が始まりました。元劇団員の方もいらっしゃるのですよ。どなたもそれぞれに個性的で味わい深く、引き込まれました。朗読劇なのですね。言葉を紡いだその先に、ストーリーの情景が広がっているのです。
 先生から次の様な注意事項がありました。
「喉に力を入れない。口を大きく開ける。お腹で支える。自分が楽に出している声は、聴衆も楽に聞ける」
 歌のそれとまったく同じでした。リズム感が大切なのも、また然りです。
 次回は私も一人で民話を朗読することになっています。自分なりの世界を表現できたらと思います。
 先生が担当しておられるFMラジオの番組で、メンバーが童話を朗読されることになり、その練習もあって時間が少し長引きました。帰宅後、急いで夕食の用意。そして今夜は四通の手紙を書きました。
 私の新たな春です。

 見上げるようなご近所の椿です。泉には小さな魚が泳いでいました。
 画像がよくないのですが右下が泉、民話に出てきそうな風景でしょ。

 

   四月十二日
 ここのところの雨で植物たちはまた一段と大きく成長してくれたようです。レモンのような色のチューリップが咲き始めました。白の球根を買ったつもりなのに…。でも、綺麗だからいいでしょう。
 この頃よく話題に上ることの一つに、多くの大学が春入学から秋入学への検討を始めていることがあります。桜の季節に入学式という日本の風景が遠くない将来、変わるかもしれません。
 世界的にみて春入学の国は、韓国やインドなど少数で、アメリカやフランスなど多くの国では秋に入学する制度になっています。
 わが娘は日本の中学を三月に卒業し、九月にアメリカの高校に入学。大学もアメリカでしたので、九月入学で卒業は五月。そして、日本の会社に就職したのは翌年の四月でした。長いブランクがあります。
 その間に娘はピースボートのボランティア通訳として、南半球を一周するという素晴らしい体験をさせていただきました。ですが、就職には制約が伴いますし、親の経済負担も大変でした…と、ボヤキが入ります。
 聞くところによると、留学生の中には日本の就職事情に合わせて、卒業式に出席しないまま帰国する学生も多いようです。世界中から優秀な学生を集めるために秋入学の検討が始まったようですが、日本人のなかにも歓迎される方が多くいらっしゃるのではないでしょうか。
 近年、日本人留学生の数が減少し続けています。理由は様々でしょうけれど、就職を考えるとためらってしまう、という気持ちはよく理解できます。
 大学が変われば企業の新規採用の時期も変わらざるをえません。世界はこんなにグローバル化しています。人的交流が活発になるのはとても良いことだと思います。
「それぞれの春」、今日はこんな話題になってしまいました。

 宿根イベリスは冬の間もずっと咲き続けてくれました。
 このお花の名前はスペインの古名「イベリア」に由来し、イベリア半島では多く自生しているそうです。

 

   四月十三日
 昨日の雨風の置きみやげ、お庭は落ち葉だらけです。せっせと拾い集めましたよ。
 大きなモチの木から風の動きに合わせるように葉が舞い散ります。枝を切り詰めてもらうといいのでしょうね。
 わが山里の桜は雨にもめげず満開です。そういえば今年は、日本からアメリカへ桜が寄贈されて百周年という、記念すべき年なのですね。明治四十五年に贈られました。
 首都ワシントンDCのポトマック河畔に植えられた、三千本の桜並木は世界の名所の一つになっていて、多くの観光客が訪れます。
 今日の英字新聞の記事によると、アメリカ郵政公社はそれを記念して切手を発行しました。一億枚限定で三月二十四日に発売を開始したところ、すぐに売り切れてしまい追加発行を決めたそうです。
 切手には桜の下をアメリカ人のカップルや、着物を着た日本人の女児が歩く様子が描かれ、日米友好を象徴するデザインになっているのですよ。
 毎年恒例の「桜祭り」は、日本からは歌手のMISIAさんや雅楽奏者の東儀秀樹さんらが参加し、期間を延長して盛大に行われました。ミシェル・オバマ大統領夫人のスピーチもありました。
 私もワシントンDCを訪れたことがありますが、残念ながら桜の季節ではありませんでした。アメリカの大地で大切に育てられた桜に出合える日を夢みましょうか。
 桜の返礼にアメリカから日本へ贈られたのがハナミズキ。わが家にも白とピンクの二本があります。もうすぐ美しい花を咲かせてくれることでしょう。
 桜もハナミズキも幾多の困難を乗り越えてきたのですね。

 北のお庭に静かに咲く花。こんな趣もいいですね。

 

   四月十四日
 昨夜から降り始めた雨は朝にはあがっていました。リビングから見る庭は一段と生命力に満ちて輝いています。本当に綺麗ですね。植物の蓄えたエネルギーを勝手に頂戴しています。
 土曜日の今日は夫が朝食を作ってくれました。ハムとチーズ入りのオムレツ、それにリンゴとバナナとイチゴ。あり合わせの簡単なものですが、おいしかったですよ。
 コーヒーにはこだわりがあって、プロ仕様のコーヒーメーカーで好みの豆を挽いて淹れてくれます。これは夫の毎朝の仕事で、私はその器具にさわったことがほとんどありません。落第主婦ですね。
 ちょうど食べ終えた頃、お友だちから電話がありました。その方は七十三歳におなりです。誇らしげに年齢を教えてくださるのですよ。受話器からの弾んだ声。その声のなんと活力に満ちて若々しいこと。かつて岐阜の高島屋にお勤めでした。
 昨日はかつての職場のお仲間に誘われて、各務原市の境川でお花見を楽しんでこられたそうです。電車の窓から見える桜の風景もこよなく美しかったようですよ。
「毎日忙しく、手帳が真っ黒に埋まってるの」
 楽しげなお話のあれこれに、私まで元気になりましたよ。彼女はもうすぐカラオケの発表会でご自慢の喉を披露されるそうです。「岸壁の母を歌うの。セリフ入りだから大変なのよ。一番の気がかりは歩く姿勢、今その特訓中なの」ですって。
 そのホールではよくクラシックのコンサートが催されるのです。先月はヴァイオリン、チェロ、ピアノの女性トリオによるコンサートがありました。「春想い」とタイトルのある演奏会当日は、みぞれ混じりの雨が降る寒い日でした。
 春を想う曲目のなかに「日本の四季」がありました。ヴィヴァルディの四季はあまりに有名ですが、日本にも優れた四季があるのですね。「春よ来い」、「春の小川」などが演奏されたのですよ。素敵なアレンジでまるで違う曲を聴いているよう、感動でした。
 東日本大震災が勃発して約一年のこの日。被災者の皆様への祈りの言葉がステージ上で語られ、アンコールでは「「見上げてごらん夜の星を」や「いつでも夢を」が演奏されました。

 チェリストさんはご近所の友人です。

 

   四月十五日
 気温は低めですが爽やかな日でした。昨日の春の雨をもらって、バラの新芽もどんどん伸びて葉を茂らせています。間もなく美しいお花と引き換えに虫との苦闘が始まるのですね。
 お庭にはすでに小さな訪問者が。カエル、トカゲ、ダンゴ虫…、かつて大の苦手だった生き物たち。でも、植物のために大切な役割を果たしてくれるのです。共存? できるようになりましたよ。
 昨日のお友だちが「ぜひバラを見せてね」とおっしゃったので、一番綺麗に咲き誇るころに来ていただくお約束をしました。私たちはかつて同じマンションの住人でした。もう二十年も前のことです。その数年後、共に一戸建てに引っ越したのですが、今から七年ほど前に彼女から封書が届きました。
 少し厚みのある封筒を開けてみると、朝顔の種が入っていたのですよ。なんとそれは、わが娘が小学校一年生の時に学校で育てたものの子孫でした。
「Mちゃんが種のまき方を教えてくれたの。今日はいくつ咲いたかな? 早く起きて数えるのが楽しみよ。毎日、日記につけてるの。こうして夏を過ごすのよ」
 私はすごい感動を覚えました。娘が種を差し上げたことも、それをずっと育てていてくださることも知らなかったのです。それ以来、わが家でも毎年きれいな花を咲かせ、緑のカーテンを作ってくれます。
 もうすぐ種まきのシーズンがやってきます。

 十五ほどあるクリスマスローズのうち、唯一和の庭に植えたものです。
 白いお花が可憐でしょ。来年はここをクリスマスローズコーナーにしようと思っています。

 

   四月十六日
 花冷えを繰り返しながら、ゆっくりと季節が増していきますね。
 風が桜の花びらを、お庭の苔の上に運んでくれました。緑と淡いピンクの色合わせが美しく、なんだか気持まで優しくなれそうです。
 今日はうれしいお便りが届きました。「それぞれの春」の最初のページに書いた昨年十一月にご主人を亡くされた友人からです。前を向いてのしっかりとした日々に強い人だと感心することしきりです。
「…息子が就活真っ最中です。今日は東京、明日は名古屋と飛び回っています。はるか昔に教員採用試験しか経験したことのない私には、なにやら別世界のような話です。…息子の成長を頼もしく思うと同時に、親からの巣立ちが近いことを感じてしまいました。私だけが置いてきぼりをくわないように、前を向いて進まなきゃと改めて思いました。…」
 ご主人がいつも見守っていてくださいます。就職活動、きっと上手くいきますよね。私も心から応援しています。
 亡きご主人は野菜作りがお得意でした。私も何回かいただいたのですよ。ほうれん草、大根、キュウリ…、新鮮なお野菜はとてもおいしかったです。そんなことが鮮明に蘇ります。
 午後、整体に出かけました。その道すがら桜と入れ替わるように、ピンクの濃淡の「枝垂れ花桃」が咲いているのを見ました。美しい色に花姿、パッと人目を引きますね。
 わが家の花桃は、盆栽のような鉢植えを随分前に買ったものです。それをお庭に植えて十年くらいになるのですが、なかなか大きくなりません。ちょっと調べてみました。どうやら鉢植え向きの「アメントウ」という品種のようです。どうしましょ?

 桃は縄文時代から栽培されているそうですね。
 中国では「災いを除き、福を呼ぶ」とされて来たそうです。

 

   四月十七日
 ようやく訪れた春爛漫の陽気にモミジの柔らかな葉が展開し始め、ハナミズキのつぼみが急に膨らんできましたよ。植物たちの持つ不思議なエネルギーを一人占め。私の至福の時間です。
 今日も思いがけず嬉しいお便りが届きました。以前お世話になったコーラスのお仲間からです。いつもレディの年齢を公表して申し訳ないのですが、その方は八十四歳のとてもエレガントな女性です。
 私は先日、コンサートへのお誘いをしました。チケットを同封したのですが、それはもちろん差し上げたつもりで、その旨お伝えしたはずでした。ところが封を開けてびっくり。お手作りのかわいらしい封筒に代金が入れてありました。
 私は彼女からお手製のプレゼントを、いくつかいただいています。その一部をご紹介しますね。

 刺繍の手提げはA4サイズ。素晴らしく手の込んだクロスステッチです。小さなポーチはバッグに忍ばせて小物の整理用に。そして、この日本人形の封筒に代金が入れてあったのですよ。
 彼女のプライベートを詳しく知りませんが、亡くなられたご主人は開業医で娘さんのお一人が音大の出身でいらっしゃること。国際的なボランティア団体の会員で、海外からのホームステイを受け入れておられることなどを、お聞きしています。シャツ型のポーチは「アメリカの学生のおみやげを真似て作ってみたのよ」とのことでした。
「ワタクシはね、こうして差し上げるのが楽しみですの」と、にこやかにおっしゃったのが印象的でした。色々な人にプレゼントされるようです。
 その合唱団ではイタリア語やラテン語の歌をよく歌っていました。練習時間が夜のため私は一旦、退団したのです。お手紙はこう結んでありました。「貴女の御姿がないのは寂しいです。又いつかご一緒しましょうネ」
 春の日の午後、彼女とのランデブーを楽しんで来ます。

 

   四月十八日
 今日は春うららの良いお天気でしたね。お庭をグルッと一回りして朝日に輝く植物たちにパワーをもらって外出しましたよ。
 午前中は家の用事でしたが、お昼はお友だちとランチ。その人とは約一ヵ月ぶりのご対面です。互いに近況を報告し合い、同じような年齢の共に東京暮らしの子供のことをあれこれ話したり、いま思うこと、例えば消費税のことなどを話しあい、共感しあってゆったりと時間が過ぎて行きました。
 その後、私は調べ物があって図書館へ。平日午後の図書館は年配の方が多いですね。特に男性の姿が目立っていましたよ。
 スーパーで食材を買って帰宅すると、たまたま早く帰っていた夫がTさんから電話があったと教えてくれました。昨夜メールをいただきながら返信もできず、失礼をしてしまいました。
 わが夫は当然ながら私よりパソコンに詳しく、ウエブ文学同人誌「熱砂」を立ち上げるときや、その後のあれこれに力を貸してくれ、ありがたく思っています。
 夫が英字新聞を読みながら、図らずも消費税に言及。アメリカの著名なすべての経済学者が日本の消費税増税に反対の意見を述べているそうです。その前に政府は足元を見つめなおして、削減すべきことを先にする、それが筋だろう、と。
 経団連の会長は消費税増税に賛成を表明されましたね。それは避けて通れない道だと理解していますが、私はアメリカの経済学者の意見に賛成です。
 この春から年金は介護保険料が差し引かれて支払われるようになったのですね。一番確実な徴収の仕方でしょうけれど、それに異議を唱える受給者も多いようです。
 日本が誰にとっても住みやすい国でありますように…。

ヒューケラもこんなに元気になりました。
 ティアレラも線香花火のような繊細でかわいらしい花を咲かせ始めました。
 北アメリカ原産のシェードガーデンがお似合いのリーフ・プランツです。

 

   四月十九日
 日中は汗ばむくらいの日でしたが夜は雨になりました。それぞれの目覚めの春。和の庭ではエビネ蘭が急に花茎を伸ばし、スズランも待ちかねたように小さな芽を出し始めました。
 花梨の淡いピンクのツボミもほころび始めましたよ。なよやかな黄緑色の葉から顔をのぞかせるように、控えめにお花が咲くのです。その雨に濡れた風情を眺めるのが私は大好きです。花梨の花は散り急ぎます。短い命を愛でましょう。
 午前中に病院に行ってきました。健康診断の結果を聞くためです。血液検査の結果が出るのに三週間を要するとのことで今日になったのですが、結果はすべて正常。ホッとしました。
 診察室にいたのはほんの一分くらい。女医さんがリーフレットをくださり、「すべてOKでしたよ。これをよく読んでこれからも健康管理に努めてください」と、おっしゃいました。夫も三月に健診を済ませましたが、すべて大丈夫でした。とりあえず、内科的にはなんの問題もないことに感謝です。
 話題はガラリと変わりますが、先だって私は「障がい者の文化交流の集い」に出かけました。友人の息子さんのY君が知的障害や自閉性障害を持つ若者の劇団《ドキドキわくわく》の団員で、ご案内をいただいたのです。
 劇やダンス、落語、朗読劇、歌などを心から楽しませていただきました。劇は前回より格段に進歩していましたし、Y君はまるで役者さんのようでした。純粋でひたむきな皆さんの姿に接し、エネルギーをいっぱい分けてもらいましたよ。
 そこでこの本のご紹介がありました。発達心理学、障害児心理学がご専門の岐阜大学の先生が、劇団の練習に一年間、張り付いて仕上げられたものだそうです。心が和むような素敵なお写真もたくさん入っています。
 思春期そして青年期真っただ中にいる若者たちの、誰もが通り過ぎてきた道のりに必ずあった、揺れる心や体の変化、将来への不安…。それが大きなテーマになっています。
「自身の過去と若者たちとの現在を重ね合わせ、若者たちの姿の中に自分を見、そして若者たちの明日を一緒に考えてもらえばうれしく思う」
 著者のお言葉です。

 発行所=全国障害者問題研究会出版部

   四月二十日
 肌寒い朝でした。今日は旧暦の三月三十日、穀雨。百穀をうるおす春雨の季節。穀雨は穀物の発芽をうながし、苗を成長させる雨で、種まきの目安とされるためにこの名前がついたそうです。
 昨夜からの雨でお庭全体に一層、生命力がみなぎっています。バラの新芽がグングン伸びて、ツボミもたくさん付きました。若葉の季節、咲き誇るバラに心癒される季節がすぐそこまで来ています。
 今日はお友だちと家ランチでした。シュリンプとブロッコリーのパスタ、それにアボカドとトマトのサラダという、いとも簡単なメニュー。家族にも好評で時々作ります。

 ランチのお相手は、ご主人がこの春から愛知県の某大学の学長になられた方です。いつもとっても無防備に家庭内の話をされるので、どぎまぎすることがあるのですよ。
 彼女の口から出たその瞬間に、それらの言葉は霧散するのですが、何かの折にフッと思い出したりして…。いろいろな夫婦の形があるのだと、教えられたり再認識したりの日々です。
 娘が家にいたころはお菓子作りもよくしましたが、最近はさっぱり。デザートは近くのローソンで買ったものでした。彼女もお花が大好きでバラ談議で盛り上がり、情報交換もしましたよ。
 今年は四月に入っても寒い日が続きましが、やっと暖かくなって季節は初夏に移りゆきます。私の「それぞれの春」も、切りよく今日で終わりにさせていただきます。編集長とは名ばかりの怠惰な私の文章を読んでくださって、ありがとうございました。
 遠くない将来、またここでお目かかれたら幸いです。

特集『4000字小説』「Sternenzelt~星空」

 七十分を超えるスケールの大きなベートーベン作曲「交響曲第九番」の演奏会が終わった。その瞬間、会場の圧縮された空気が水の表面張力のように膨らんで静止した。万里子はそう感じた。
 日本では十二月に演奏されるのが慣例の「第九」の八月の演奏会。情熱的なタクトを止めた指揮者は、したたり落ちる汗とともに涙をぬぐっているように見えた。彼の指揮は終盤が近づくにつれ、祈りへと変化した。万里子はその祈りに応えるように全神経を指揮棒に凝らした。
 Sternenzelt(シュテールネンツェルt)ドイツ語で「星空」という歌詞を歌ったとき、万里子の目にドームの天井のライトが夜空にきらめく星のように映り、彼女は東日本の星空を思い描きながら精一杯の歓喜を歌いあげた。
 約3000人の合唱団員と2000人の聴衆、120人余のオーケストラのメンバーとソリストたち。大きな拍手の嵐がうねりとなって万里子の耳に届き、瞬時、彼女は放心した。が、すぐに無事に歌い終えた喜びと幸福感に包まれた。この感激をどう表現したらいいのだろう。第九には人と人との絆を確かめるようなハーモニーがあふれている、と万里子はいつも思う。その音楽に呼応し、会場はあたたかい感動に満ちている。
 演奏会は、東日本大震災で被害に遭われた方々への鎮魂と、被災地の一刻も早い復興を願って企画された。第九の歌詞にある「どんな困難も人々が一つになることにより乗り越えられる」との想いを、一人ひとりが胸に抱き締めながら臨んだのだった。
 難易度の高いこの楽曲は印象的なリズムとハーモニーで、終盤に向けだんだん盛り上がる構成になっている。苦難を乗り越えたときに湧き上がる喜び、そんな心のヒダを震わす感動をたくさんの人と分かち合うことができ、熱い涙が万里子の頬をぬらした。ふと周りを見渡すと、指で涙を拭いている人の姿が多くあった。私たちの祈りはきっと東日本の人々の心に届いている、そう万里子は確信した。
 彼女にとって十八回目の第九演奏会。そのたびに何かしら違う感動が万里子の心を釘づけにするのである。特に今年のような大規模な合唱は迫力に満ち、あまたのエネルギーの集結を全身に感じ、「全人類はみな兄弟、姉妹」という歌詞を熱く実感するのである。
 躊躇の末であったが参加してよかった。参加を決めたのは自分の意志だけれど、それ以外の何か大きな力に導かれて私は今ここに立っている、そういう想念がじわっとこみ上げてきて、「ありがたい、なんまんだぶつ、感謝、感謝」と、いつもの万里子の一句? を思わず唱えていた。
 八十八歳の今も杖は使わず、誰に迷惑をかけることもなく、足取り軽く七段目の自分の席まで階段を上り下りできる。一階には車いす用の席が用意され、それぞれのパートに車イスでの参加者があった。
 前日のリハーサルのときに配られたプリントには、「演奏中は体や頭や手を動かさない。口を縦に開け深い声を出す。大人数の場合、時間差が生じるから、必ず指揮者を見て指揮棒に合わせる。(オーケストラの音に合わせない!)「r」は巻き舌を使う。~t、~d、~m、~rなどの語尾をハッキリと歌いきる……」などなど、重要なことが書かれていて、万里子は諳んじるまで繰り返し読んだのだった。
 日本語には子音で終わる言葉はない。だから外国語で歌う場合、不慣れな語尾の子音の処理には困難が伴う。しかし、語尾がきちんと発音されているか否かによって、演奏会の善し悪しが決まってしまうという側面があるので、万里子は語尾の子音とrの発音には特に注意を払った。
 彼女は、かつてドイツ人の牧師から直接、第九のドイツ語を学ぶ機会に恵まれた。語尾の発音もrの巻き舌も、意識的に訓練を繰り返すうちにできるようになっていた。語尾もrもうまくできる人は他の人の分もまとめて発声するようにとのことなので、万里子はその部分は二倍の声量を頑張って出した。
 ゲネプロといわれる本番直前の総練習での指揮者の、「演奏(音楽)はやり直しのきかない、たった一度の芸術です。けれども、小さなほころびは気にしないで……」との言葉を反芻しつつ、プリントの注意事項にあった「気分が悪くなったら、その場で座る。我慢は禁物」もしっかり心にとめた。
 小学生から九十歳超のさまざまな年代、環境にある人たちとの、この日、この場所で、この時間での一期一会に感謝し、万里子は合唱することの幸せを改めて心の奥深く刻み込んだのである。
 第九の魅力にとりつかれ、毎年あちこちの演奏会を渡り歩く人がいる。今回も遠くは鹿児島から、また関東や関西からも、東海地方の他県からも多くの参加者があった。万里子にはそういう人の気持ちが十分、理解できる。彼女も東京や大阪、滋賀県の琵琶湖ホール、広島や福岡にも出かけたことがある。いつも夫と一緒だった。万里子に第九の魅力を余すことなく教え、彼女の先生というべき存在だった夫が旅立って五年になる。 
「あなたは私を置いて一足先に彼岸に行ってしまったけど…、本当は私が先のはずだったのに…。でも、こんなに素敵な宝物を残してくれて、ありがとう。いろいろあったけど、もう、みんな許してあげる」
 感動の渦の中で、万里子はSternenzeltにいる夫に向け、そっとつぶやいた。この演奏会は今年、米寿を迎えた万里子への最高の贈り物となった。練習には欠かさず参加した。多少の疲れを覚えることはあったけれど、その比ではない深い感動、生きる喜び、勇気……、たくさんの力をもらった。

 万里子の趣味の一つに「おしゃれをすること」がある。当日の服装は、白いブラウスに黒のスカートかパンツということだったので、ふわっとしたパフスリーブの袖口と裾にカットワークをほどこした、白いブラウスに黒のスパッツを合わせた。昔は太ももの頑健なのがコンプレックスだったけれど、すっかり細くなった太ももにスパッツはぴったり馴染み、なにより履き心地の良さにほれ込んでいる。ブラウスは普通サイズの人には腰くらいの丈と思われるが、若いときに比べると身長が低くなった万里子には、ちょうどお尻が隠れるくらいのオーバーブラウスになり、これも重宝している。
 おしゃれなリラックスした装いでたくさんの視線を感じながら歌う緊張感、高揚感は、これまた病みつきになる。合唱で知り合った娘と同年代の若い友人に、「すごくお似合い」とほめられて気を良くする。
「口紅は迷ったけど、今日はローズピンクにしたの。頬紅はりんごちゃんにならないようにと娘に注意されているので控えめにしたわ」と、にっこりほほ笑む。すると、必ず相手からも笑みが返ってくる。万里子は笑みの連鎖が大好きなのだ。

 自分の子どもや孫のような世代の人たちと一緒の練習は、この上なく楽しい時間だった。万里子の練習会場の指導者は三十代半ばくらいの素敵な先生で、「喜びに満ちて楽しんで歌うこと」を心がけておられ、リラックスして歌えた。
 休憩時間に「私は米寿を迎えたの。ひ孫が六年生よ」と、隣に座った人に話しかけると、だれもが必ず驚きの表情を浮かべる。それを見るのが万里子のひそかな楽しみの一つになっていた。「車を十五分ほど運転してここに来るの」と言うと、周りからまた驚きの声があがる。帰りには「お気をつけてね」という優しい言葉をかけてくれる人が必ずいる。いつも身だしなみを整え、黒く染めたボブカットの髪を休憩の間にちょっと梳いたりもした。
 みんな好意的で視線があたたかい。冷たい視線もたまにはあるのだろうけれど、万里子の脳が自動的に選りわけているのか、視野に入ってこない。この頃「断捨離」なんて言葉がブームらしいけれど、「不快な態度、言葉、表情といった不要なモノは受け入れない」というのも立派な断捨離、万里子は流行の先端を走っていると自負もする。
「断斜離」とはヨガの「断行」、「捨行」、「離行」という考え方を応用した、人生の大掃除を意味するそうだ。不要なモノを絶ち、捨てることでモノへの執着から離れ、身軽で快適な生活を手に入れようとするものだと娘に教えてもらった。アラ還の娘も断斜離に励んでいるらしい。あふれるモノも心の混乱も、どこかで一度断ち、捨て、離れて、生き方を整理する必要がある、と思い至ったのだという。
「アラカンって、私は映画俳優の嵐勘十郎かと思ったよ」と言って娘に大笑いされたが、万里子は、そういう娘にこの言葉を贈った。
「要らないモノを削除することによって、本当に大切なモノが見えてくるよ」

 コンサート終了後に近くのホテルで開かれたレセプションにも参加した。出席者はおよそ300名。さすがにこのときはイスのお世話になった。乾杯でビールを一口いただいく。おいしい! 
 第九を初めて歌う人も、合唱経験がないのに挑戦した人も、歌いなれたベテランも、すべての人が合唱をとおして一つのものを創り上げた充足感に酔い、会場の空気は華やかで濃密である。
 大阪在住の指揮者のご家族も参加しておられたのだが、おばあちゃんは九十歳とのこと。あたたかい家族の肖像を見せていただけたのも嬉しいことだった。
 指揮者の奥様ともお話する機会があった。
「皆さんと一緒に歌えてとても楽しかったです」
 そうおっしゃったので、万里子はなんだか嬉しくなって、「ご主人はオーケストラを指揮し、同時に合唱まで指揮をされる。とても人間業とは思えません」と、思ったままを言ってみた。
「私もそう思います」
 奥様は人を包み込むような笑顔でお答えになった。
「演奏会終了後、しばらくは抜け殻のようになってしまわれませんか」
 と、万里子は厚かましくも言葉を続ける。
「そうなんですよ」
 まろやかな笑みがそこにあった。
 雲上人だった音楽界の人が少し身近に感じられた。これからも何か新しい発見があるかもしれない。恥ずかしいばかりの人生だけど、人生は面白い。米寿の感慨である。
      (了)

エッセイ「不変の心で」

「震度五の地震! 余震が続いてるから明治神宮に避難しています」
 三月十一日の午後三時過ぎに東京にいる娘からメールが入りました。驚いて電話をすると、経験したことのない激しい揺れにとても怖い思いをしたようです。
「会社の人たちと一緒だから大丈夫。カラスが二羽、乱れて空から落ちてきて、地面に激突するかと思ったら寸前に舞い上がったよ……明治神宮では結婚式が始まりました。ここは静寂です」
 息を整えるようにして、娘はそんな実況を伝えてくれました。寒い日でしたので「コートを着ている」との言葉にホッとしたのですが、そのときの私はなんの異変も感じないで、せっせと庭の改造にいそしんでいる最中でした。
 芝生の庭をレンガと化粧砂利に替え、庭の形状に合わせた細長い花壇を造ろうと、二週間ほど前に作業を始めたところでした。芝生の手入れの大変さに辟易した結果です。
 トレーニングウエアにガーデンブーツのいでたちで、趣味のコーラスで録音した練習中のラテン語とイタリア語の歌を聴きながら、のんきにレンガを並べたりしていたのです。
 イヤホンを外して急いで部屋に戻りテレビのスイッチを入れると、押し寄せる波が船も堤防も、車も家も街をも、全部を飲み込んでいく恐怖の映像が、まるでコンピューターグラフィックを駆使したSF映画のように目に飛び込んできました。息が止まりそうでした。
 やがて画面には、小さな黒い煙が大きくなって、あちこちに赤い炎が上がる様子が映し出され…、大変なことが起きてしまったと呆然と見入っていたのです。国内観測史上最大のマグニチュード9の「東北地方太平洋沖地震」を、こうして私は知りました。
 時間が経過する毎に悲惨さを増すばかりの被害状況に言葉がありません。何も変わらない生活をしている自分が、これでいいのかしらという感覚に襲われて、節電を心がけ、今あるものを大切に使おう、一緒に耐えようというような意識が強くなりました。自己満足に過ぎないかもしれませんが、今の私にできることです。ささやかですが募金もさせていただきました。
 国家の危機にみんなで力を、手を合わせて、一刻も早く平穏な生活をと願うばかりです。国の内外から多くの救いの手が差しのべられ、世界中の人たちが日本を心配し、応援してくれています。外国の人たちから称賛されたように、日本人はこんな非常事態にも我慢強く、穏やかで逞しい優れた民族なのです。近い将来、必ず立派に復興を遂げることでしょう。
 日本の立て直しのために何ができるのか、一人ひとりが考え心して生きることは、私たちに与えられた大切な課題です。今度の震災に関して、ツイッター(短文投稿サイト)に寄せられる多くの応援メッセージに胸が一杯になり涙がこぼれます。人はかくも優しく、強く、温かく、美しいのです。
 実は、庭の改造記を書くつもりでパソコンに向かったのですが、どうしても「震災」を避けて通ることができませんでした。
 ここから私の庭物語が始まります。
 玄関が北向きのわが家は、家の北と東、南をぐるっと庭が囲んでいて、その三方にツゲの生け垣があります。とはいっても広大な庭ではないのですが、まず改造を終えたのは東の道路沿いの和風の庭と家の間に挟まれた通路ガーデンといった場所です。そこから南の庭にずっと芝生が張ってありますが、東側は日照時間が短いせいか芝の中に苔がはびこって健康に育ってくれませんので、長年悩んだ末に芝を剥いでしまおうと決めました。  
 わが夫は、家の掃除は苦にならないようですが、「庭は愛でるもの」と完璧に割り切っているらしく、手を貸してくれる気配はまったくありません。「二人でガーデニングを楽しめたらいいのに」という言葉を胸に押し込んで、業者に見積もりをしてもらったら、かなりの出費になることがわかりました。
 ガーデニングは私の趣味の一つですし、この頃はDIYファンによる庭改造奮闘記などがブログにたくさん公開されるようになりました。それに刺激を受けたこともあって、私が一人で庭のリフォームに挑戦してみようと思った次第です。
 まず、芝生を取り除き、石ころを除去し、土を平らにならします。ここ迄で庭改造の八十パーセントは終了、くらいの疲労感。花壇の穴掘りでは石がゴロゴロ出てきました。固い地面と格闘するうちに腰を痛めましたが、以前バラ用の直径、深さともに五十センチ程の穴を掘った体験から想定内のハプニング、塗り薬と貼り薬、それに日にち薬を加えて解決です。
 ホームセンターの親切な店員さんから水平器を使うようにとのアドヴァイスを受け、レンガや化粧砂利や防草シートと一緒に購入。このときは夫が四輪駆動車でホームセンターに付き合い、重いレンガを運んでくれました。
 それからはまた私の独擅場。防草シートを敷いてレンガの向きを決めながら並べていきます。最初は律儀に水平器を乗せていたのですが、レンガを敷くたびの確認作業が面倒になり、途中からは私の目と感覚に任せてのアバウトさ加減。防草シートの上からも高さ調整は可能、そんな感じで気楽に進めていき、およそ三百個のレンガを使いました。レンガは洋風のそれではなくて、和風の庭にもマッチするタイプです。
 
 途中で楽天市場のショップに注文してあった花苗二十四株が届き、いそいそと出来たばかりの花壇に植えました。色とりどりの元気で優しげなお花たち。一気に庭が華やぎました。起床したらまずリビングの窓から花壇を眺めます。私はこうして一日のスタートを切るのです、被災者のみなさんに申し訳ないような気持ちを抱きながら…。
 この小道の家側にはバラが七本植えてあり、つるバラを誘引しているフェンスやオベリスクが設置してあります。バラの芽は日に日に膨らんで美しい姿、ステキな香りを届けるための準備に余念がないようです。何気ない日々の営みへの感謝…、忘れがちな私の心を戒めてくれています。
 レンガと和風の庭の間には化粧砂利を敷き詰めました。想像以上の出来映えと自画自賛し、友人の「まるで職人技」との言葉に励まされ、次は南に取りかかります。
 南側の芝生はツゲの生け垣に日光を遮られ、苔が繁殖する部分があるのが問題点。ですから、東側と同じように一部にレンガを敷いて、ツゲの近くには和風の庭に茂る〈リュウノヒゲ〉を失敬して移植してみましょう。
 リュウノヒゲの花言葉は「不変の心」。日陰にも強く、芝生のように手間がかからず、年中、緑で踏みつけにも耐える手間いらずのグランドカバーです。リュウノヒゲが急にいとおしくなりました。
 庭仕事が好きだった亡き母に、実家の庭から抜いてもらったものですが、年月を経てかなりの量になりました。春の日差しを寄せ集めて緑が光っています。冬の庭でも色鮮やかに、けれど奥ゆかしく、雪や霜柱を引き立てていました。
 日当たり良好な芝生にも、もっと丁寧に向き合ってみるつもりです。南には二十ほどのバラの鉢と、他の花や植物がお出ましのときを待っています。咲き誇るバラと緑の芝生を想うだけで心が浮き立ちます。
 バラ愛好家の中には百を超える種類を育成中の方たちがおられます。バラに魅せられ、とうとう日本庭園をイングリッシュガーデンに造り替えてしまった、という例をインターネットで目にしましたので夫に話してみました。
「僕は日本の庭が大好きね。あそこを改造してはいけません」
 アメリカ人の夫からのお達しです。