「灼熱収容所」山の杜伊吹
想像以上だった。教室に入るなりものすごい邪気を感じる。どうも朝の出欠をとっているようなのだが、先生の声が子どもたちの声にかき消されて聞き取ることができない。「ほーい」とか、人を馬鹿にしたような返事を返したり、ぐったりと机にもたれ、返事すらしない子もいる。
走り回る児童たち、A男がB夫を追いかけ、C太もそれに続く。D助は「やめろ!!」と叫びながらB夫を羽交い締めにし、E子が泣きながら「よくもやったな!!」と金切り声を上げながら、B夫を押し倒して馬乗りになり、グーの拳で思いっきり頭をなぐる。他児もここぞとばかりに容赦ない蹴りを入れる。この光景を三十秒見て、狂乱の主はA男だと見抜いた私は、A男の腕を取り押さえ廊下へと引きずり出した。これが夏期学童保育室での最初の仕事であった。
子どもたちに与えられる『夏休み』。あの暑苦しい教室から、つまらなくて長い先生のお説教から、いじわるな級友から、炎天下の運動場でいつまでも並ぶ練習をすることから、解放されるのだ。家で朝から好きなテレビを見て、飽きたらクーラーの効いた涼しい部屋で寝ころびながらマンガを読んで、アイスを食べる自由な生活、これが夏休みだ。
しかし、ここに来る子どもたちの父母は働いている。父親の給料が不安定となり多くの家庭では、母親のパート収入が生活を支える。母親も頑張れば昇進する。子どもが夏休みだからと言って簡単に休めない。核家族で、頼みの祖父母はいないか、いても元気な祖父母は現役で働いている。それでは夏休み、いったい子どもたちはどこへ行けばいいのか。
学童保育室は店員オーバーであった。しかし行政は『子育て支援』という大義名分そのままに、どんな子どもでも受け入れる。どんな子どもでも。すぐ手足が出る男子。頭が痛い、お腹が痛いと訴える女子。勉強の時間、集中力が五分ともたず消しゴムを盗んだり、周りにちょっかいをかけて口ゲンカが始まり、やがて大ゲンカへと発展。狭い教室で走り、関係のない子が参戦して大騒ぎ、巻き添えをくって机で頭を打ったり、投げつけられたモノに当たって不幸な犠牲者が出る。
ふだん教室でも持て余している子どもなど、学童の年配の先生の言うことなんか聞くはずがない。ああ言えばこう言うの応酬の果て、先生が泣く。子どもたちから叩かれ蹴られ、学童の先生たちは疲労困ぱいしていた。体罰は厳禁であるが、いっそひっぱたいてクビになってやろうかと思うほどの無法地帯を立て直すことは不可能に思われた。
学習はほんの少しで、あとは遊び。一見自由であるが、ストレスを抱えた子どもたちにとって遊び自体がストレスとなり、発散の場となってしまう。多くの子がケンカをしたくて、ケンカの相手を探しに来ている。常識を言って聞かせても、まったく通用する相手ではない。
それに真夏は外に出すと熱中症の危険がある。なのにオモチャが極端に不足していた。お絵かき用の白い紙、折り紙も足りていない。オモチャの取り合い、ゲームの不正が横行し、平和に仲良くなんて遊べない。アニメを観せて時間をつぶすが、自分の観たいビデオが観られるとは限らず、それも争いの種となり、我慢を強いられる。
先生たちにとっても、子どもたちにとっても、一日が長い。夏休みが長い。担任の先生も校長先生もその他の先生も、学校には来ているのに、夏休みは見て見ぬふり。管轄が違うからって連携もとれない。『子育て支援』するんですよね? 子どもは国の宝ではないですか?
子どもは嵐に巻き込まれながら、一日頑張っている。親は子どもが熱出してるのに、迎えに来ない。お金より大事なものがあるのではないかと思うが、お金も大事であると思い直す。かくいう私も、子どもを夏期保育に預けてここに来ているのだ。でも来年は預けない。たくさんの子どもたちが、新学期が始まるまでの『夏休み』、こんな場所でこんな風に過ごしている。どんな大人になるのだろう。そしてどんな社会になっているのだろう。(完)
「嵐の日」黒宮涼
風が吹き荒れ雨が強く降ってくると、あの嵐の日を思い出す。あれはまだ岐阜の施設にいた頃。その日は朝からずっと雨が降っていた。いつもなら午前中は農園で農作業。午後は体力づくりにランニングや声出し、当番のときには犬の散歩をすることになっていた。けれど、ほとんどができずに私たちは時間を持て余していた。団欒室で過ごさなければいけないという点を除けば、その日は自由時間が多かったように思う。平日なのに日曜日のような時間割になってしまった。
同じ境遇に置かれた女性が私を含めて四人。漫画を読んだり音楽を聞いたり、思い思いに過ごす。振り返るととても不思議な空間だった。そんな私たちを見かねてか、女性職員さんが団欒室にあった複数人で遊ぶおもちゃを取り出してきた。懐かしいおもちゃや、見たことのないおもちゃが並べられた。ここを卒業していった生徒たちもこれで遊んでいたのだろうか。などと思いながらおそるおそる私たちは言われるままに遊び始めた。私は施設に来て半年も経っていない。私が来る以前からいた年上と年下の二人。最近きた二十歳すぎの人。同じ建物に住んでいる私たち四人はまだ互いに、仲良しとはいい難い存在だった。職員さんも一緒に遊んでくれたのは私たち四人を繋ごうとしていたのだと思う。ぎこちない手つきでブロックを積み上げたり、ワニの歯を押したりする。こういうゲームは家になかったため、とても新鮮な気持ちだった。
同じゲームを何周かしたころ、突然部屋が真っ暗になった。停電だ。職員さんが慌てて懐中電灯を取りに行き、ゲームは中断してしまった。渡された懐中電灯は二つ。午後七時前のことだったと思う。職員さんたちが事務所で何やら話している。しばらくしてから職員さんが二人、深刻な顔をして私たちのところへ来て言った。
「この雨で山が土砂崩れになるかもしれないので、避難しましょう」
私たちの住んでいるログハウスの後ろには小さな山があった。これ以上の雨が降ると危険と判断したのだろう。話し合いの結果。施設内でも山から離れた低い場所の建物に避難することになったらしい。雨がこのまま夜遅くまでふり続けるのならその建物で就寝することになる。
「男の子たちのところは大丈夫なの」
疑問に思ったのか、生徒の一人が聞いた。
「あっちは少し離れているから大丈夫」
その返答に私たちは納得して、下に降りた。それからの時間は異様に長く感じた。まだ七時過ぎで、見覚えのあるアニメがテレビに映し出されていた。私たちが移動している間に電気は復旧したらしい。食事や布団を男性職員さんたちが運んできてくれるのを見て、何だか申し訳なく思う。大変なことになったなと思う反面、皆で雑魚寝することにドキドキしていた。緊張もしていたと思うが、私は嬉しかったのだ。普段はそれぞれに部屋が与えられていてそこで眠るので、皆で寝るのは初めてだった。今考えると寂しかったのかもしれない。
「こういうの言ったらダメなんだろうけど、少しワクワクしない?」
「するする」
隣でそんな会話が聞こえてきて、私も賛同したくなり無言で頷いた。どうやら私だけではないらしい。嵐の夜はちょっとだけワクワクする。それは小学生の頃から変わらない。有難くもまだ悲惨なことを体験していないからなのかもしれない。
結局その日は、寝る直前になって雨が弱まったのでログハウスに戻ることになった。残念だと思ったのも私だけではないと思う。不安とドキドキが交じり合う、そんな嵐の一日だった。(完)