「偶然そこで巡り会った人たちのこと」 黒宮涼
中学校から不登校、引きこもり。なんとか進学した先の高校を、たった一週間で行けなくなった。不登校や引きこもりなどを更生させる施設の見学に行こうと、最初に言い出したのは父親だった。
「見に行くだけだから」
それは嘘ではなかったし、私もなにか変ろうという意欲があったので行くことを決めた。ただ父と母と、もちろん私にとっても予想外のことが起きた。
客間に通されてすぐ、私は両親と離された。どういう話しだったかはもう覚えていないが、施設の職員さんたちとドライブに行くことになったのだ。何箇所か回って、変だな。と気付いたのは日が暮れてきた頃、一人の職員さんが誰かと電話をしていた時だった。
まさか。と思った。凄く不安を覚えた。嫌な予感がした。施設に戻ると、父も母もそこにはいなかった。やられたと思った。騙されたと思った。
私は泣いた。暴れることはせず、ただ悔しくて泣いた。どうして両親が私をここへ置き去りにしたのか、考えずとも分かっていた。
それから約九ヵ月間を、私はその施設で過ごすことになった。施設の生活に慣れないうちは、本当に大変だった。部屋に一人。私はしばらくの間、毎晩悪夢を見ていたように思う。
「今日から○○くんが担当だ」
施設に来て数日。理事長に呼び出されて、私はそう言われた。一緒にいたのは、あの日電話をしていた職員さん。ぱっと見、怖そうなお姉さんだった。彼女にとって私は、「初めての担当」だったらしく。どこかぎこちない指導から始まった。でも逆にそれが、私にとってはよかったのかもしれない。
彼女はいつも一生懸命で、その明るさに私は救われていた部分がある。
施設で一番最初に出来た友達は、卒業することなく出ていった。それがどうしてなのかはよく分からない。ただ突然いなくなったように思う。理由も分からずに急にいなくなられるのは嫌だったし、寂しかった。私はどうせならちゃんとここを卒業して、出ていこうと思った。ここで頑張ればいつかは出られる。私はそればかり考えていた。
生徒と職員さんあわせて約三十人。いろんな人間がいた。中学生から社会人まで、出身地もばらばらでまとまりがない。誰かが出ていったと思ったらすぐに新しい人が入ってきたりして、人の出入りも激しかった。社会からあぶれた大人たち。彼らはやはり、何かが欠けていた。それが何かはよく分からないが、子どもが理想とする大人としての何かが、欠けていたのだと思う。
私は卒業するまでの間、いろんなことを体験させてもらったし、いろんなことを学ばせてもらった。それは今でも感謝している。卒業式の日が決まる頃には日々が楽しくて、ずっとここにいてもいいぐらいに思うまでになった。あの場所で巡り会った人たちが私に与えた影響は大きく、私の心の中に根付いている。やはり大事なのは人と人との繋がりなのだということが、あそこにいて分かったことの一つだ。
今はないあの場所に、思いをはせて。
「からくり巡り」 加藤行
僕がはじめてからくり仕掛けに驚いたのは、少年時代、近所の神社での夏祭りの夜店だった。行列で賑わう不思議なマッチ箱との衝撃的な出会いだった。露店のおじさんの手の上で、まるで生き物のようにマッチ箱が勝手にコロコロと動き回る。僕はその謎が知りたくて母にねだって買ってもらった。ワクワクする気持ちを押さえつつ、買った箱を調べたら、黒い糸が、一本つながって服にピンで留めるようになっている。それだけのことだったので僕は正直がっかりしたが、手品師のおじさんの演技の上手さには魅了された。
それが悪癖の始まりだった。
それからが手品の虜だった。両親と一緒に大阪の阪急百貨店で本格的な手品道具をいくつか買ってもらい、飽きもせずに何度も、何度も練習しては、皆に披露していた。
大学生時代には百貨店の手品コーナーで、東京の㈱テンヨーから来阪していた中村正則さんと出会い、しばらく手品のアルバイトをした。「人生はアバウトでいいんだよ」と言うのが中村さんの口癖だった。一回、バイトの出勤時間に遅れて、中村さんに追い帰されて、社会の厳しさを知らされたのを今も記憶している。コインマジックの名手で、そのビデオも何本か販売されている。しかし四十歳の若さで他界された。悔やまれる限りである。
その後、関西の大学で推理小説クラブの連合ができて、そのゲストとして、東京から有名な推理作家の泡坂妻夫さんを招待したことがある。僕が電話で直接連絡を取り、大阪で案内役を務めた。講演会の空き時間に喫茶店の二階を借り切って、泡坂さんの奇術が披露されたのが、メンタルマジックやカップアンドボール等の鮮やかな演技に我を忘れて見入った。さすがにプロだと感心させられた。そして酒席で連発される泡坂さんのべらんめえの語り口調には関東人の粋な心意気を感じた。今でも僕の心の中で泡坂さんは元気に生きておられるのだ。
兵庫県の西宮市に住んでいた頃は、地元の奇術愛好会に入会していた。メンバー全員で市民会館や老人会などで舞台に立った。老人会では、ただロープに結び目を作っただけで拍手されたり、肝心の不思議な現象で知らん顔されたりと思わず苦笑いだった。
そして今、奈良県に在住、最近では近くの地域生活支援センターのフェスティバルで舞台奇術を演じた。レコード盤の穴を抜けるとカラフルなシルクのスカーフと同色にパ―ッと変化したり、ロープの長さがぐんぐん伸びたり、ビリビリに破った新聞紙がパラッと元に戻ったり、ちいさな紙の袋から四メートルの木の棒が出て来たりと不思議の連続である。少々の興奮状態で所々、失態を演じた記憶がある。
ただ、それ以前に、僕の親戚で松竹芸能に所属する芸能人の「びっくりツカサ」なる男性に、持っていた手品のコレクションをまとめて寄贈したことがある。それ以後は、手品と一切縁を切り、「だましの世界」から離れることにしたのだが、どうやらそうもいかない。今でも、こそこそとスーパーマーケットのおもちゃ売り場で手品のグッズを品定めしたり、手品のDVDを買って来てはトリックを見破ろうと息を荒げたりときりがない。
つい数日前も大阪の梅田に出かけて、子供時代によく練習した「シルクの色変わり」を買い込んで試してみたが実にヘタクソである。手の指がうまく動かない。やはり年を取ったなあと実感するのだ。また最近はテーブルパズルにハマッているのだが、パズルの世界も、基本的には、からくり仕掛けである。
僕とからくり仕掛けは一生縁があるのかなと想ったりもする。しかしとにもかくにもこれが僕の人生での「からくり巡り」である。
「猫巡り」 真伏善人
猫が好きなのだけれど飼える環境に程遠い。したがって外のどこかに出ているのを眺めて楽しむより他はない。決して探し歩いてやろうというわけではなく、ただ自然に巡り合えるのを基本として出歩いている。飼い猫、半のら、のら猫とテリトリーがそれぞれにあるらしく、今日はどの辺を歩いてみようかということになる。こんな行動を取り始めて一年くらいになろうか。
旧家の地域辺りを散歩していると、一軒の門扉の前で二匹の茶トラが戯れていた。体長はほとんど変わらないが、様子を見るとどうも飼い猫の親子らしい。足を止めて目を細めていると、なんと子猫らしい方が足元にきてからだを擦り寄せてくる。無邪気にじゃれてくるのをこれ幸いと応じていると、ごろりと転がり腹を見せてくる。手のひらで撫でたり揉んだりしていると、軽く歯を立てて蹴り足を見せる。親はと見れば素知らぬ顔で横腹ばい。こんな贅沢なありさまに一人満悦して頬のたるみは極限状態になる。しかし猫は気ままだ。何かを思い出したかのようにさっと立ちあがると、今度は親猫にからみはじめる。さあここは引き時と後ずさりで離れ、振り向くことなく路地を去る。飼い猫であるからこそ触れ合えた、至福のひと時であった。
ああ思わぬ幸運を手に入れたと、次の日も胸をときめかせて足早になる。だがそんなにことは甘く運ばない。時間帯に外れたわけではないのに、姿かたちはどこにやら。次の日も、そして次の日も。やっと姿を見せたのは五日経ったその時間帯。あれはと見れば子猫のほうか。なんと姿を見てすぐに逃げ出した。知らぬ仲でもないのにつれない奴目と、小言をつぶやき門前を離れる。そうか、そうであればこちらも気ままに歩いてやろうと俄然、前向きになってしまう。
日にちをおいて北の方へと舵を取る。住宅地を横目に、らしき雰囲気のある生活道路に気持ちを集め、ゆっくり歩く。目が止まったのは年数の経った平長屋。幼子たちが道幅いっぱいになって遊んでいる。と、見ればなんと猫たちと戯れていた。これは素通りするわけにいくまいと、遠慮がちに近づいて話しかける。よく聞いてみるとこの辺で住んでいるのだけれど、飼われている猫ではないと言い、みんなで餌をやったり遊んだりしているのだとつぶらな瞳を輝かせた。毛色の異なる五六匹が皿の餌を食べたり、物陰から顔だけ見せて、今にも飛び出しそうな構えをみせたりしている。一緒になって遊んでいる幼子たちを見ていると、何ともほほえましく、また羨ましい。この輪の中に入りたいのはやまやまだけれど、異様な風景になるのは間違いと、ここは潔くあきらめる。
夏もようやく陰りを見せる頃だったろうか。自転車を走らせて少しばかりの遠出をした。ある川にかかる橋を渡り終えると、右の土手の草むらで何かが動いたように見えた。咄嗟にペダルを止めて目をこらす。真昼の太陽の下で、草葉の陰からきらりと覗いた眼光に思わずどきりとする。不敵な面構えの黒猫だ。出ようか出まいかと躊躇の気配がありありだ。どうするだろうと何気なさを装っていると、獲物を狙うような足運びで、そろりそろりと姿を現す。全身を現すと目を見張った。まるでミニの黒豹だ。そのたくましさを、息をのんで見つめていると、艶艶の毛並みを誇示するように、長い四肢を堂々と大地に下ろしながら目の前を横切って行く。その姿には風格さえあった。獲物でも捕りに行くのだろうか、深い草むらを分けて、するすると川辺へ下りて行く。姿が吸い込まれてしまうと、いかめしさに気後れしていた自分が、なんだか情けなく思えた。
今もってあのような野生のたくましさと、美しさを併せ持った猫には巡り合えていない。