「カナリア」 光村 伸一郎
独自の色を持った人間は本当に少ない。俺にとってほとんどの人間は透明である。人間に対して吐き気を催すことは多々あるが興味をひかれることはまずない。おぞましいことと色があることとはまた別の話なのである。
俺は色のない人間が好きではない。時間を共にするならなんであれ色を持った人間がいい。ヒトラーを髣髴とさせる灼熱の赤と、見るもの全てをげんなりさせるコールタールのような黒が好きだが、それ以外でもいい。例えそれがボンヤリとしたものであっても色があるのなら。
俺は心底疲れるとある女の子に会うことにしている。その子には薄い黄色を連想させる雰囲気がある。美しい秋の夕日を浴びて輝く稲穂のような優しい黄色を。彼女は俺より少し年が下でお世辞にも色気があるとは言えないが、とても美しい目をしていて膿んだ俺の心を癒やしてくれる。以前、知人が「俺は猫より美しい目をした女を見たことがない」といっていたが、彼女の目は生まれたての子猫に限りなく近い。まるで神に仕えし十二支徒のそれのようにいつもキラキラと慈悲深い輝きをたたえているのである。高価な粉物をキメているわけでもないのに。
しかしながら俺が気に入っているのはこれだけではない。むろん目も好きなのだが、どちらかというと壊れた部分にひかれるのである。彼女はこの世にゴマンといる女どもよりはるかに頭もよく、優しいのだが、少し異常なのである。裕福でもないのに、自費で東南アジアに出かけて ー しかもこの不景気のおり仕事を辞めてだ! ー 学校を作る手伝いをしたりと。彼女は稀に見る他人の痛みを自分の痛みと感じてしまう処女マリア的な人間なのである。
だいたい俺は三ヶ月に一度の頻度で彼女に会うのだが、会うとなんやかんやで奇妙な話が聞ける。近況報告やら最近聴いているレコードの話 ー 彼女はクラッシックが好きだが、俺の率いる白塗り楽団のようなやかましいものも好きなのである。多分俺の次に俺の楽団のことを好きなのは彼女だろう ー を経てこんな話が。
「この間ね」彼女はおっとりとした口調で言う。「インド人とセックスしたの」
「それはまた貴重な体験だね」俺は言う。「変な病気をもらわなかったか?」
「それはだいじょうぶだと思う。使うものは使ったから」
「よかったかい?」
「普通だったよ」
「場所は?」
「トイレ」
「トイレ?」
「やらせてくれって言われたの」
「ほー、で、君は、はいと?」
「むろん断ったよ」
「でも、断りきれなかったんだな?」
「うん。インドから来て友達もなく、お金もなくて、食べるものにも困ってるって泣きつかれたらかわいそうになっちゃって。おまけに日本人は冷たいなんていうし。どいつもこいつもバカにしやがってなんて言うし」
「ターバンはしてたか?」
「いや、ジーパンをはいて黒いパーカーを着てた。ナイキのスニーカーをはいて」
「新感覚インド人だな」
「ねぇ、ひょっとして夢二君はインド人が嫌い?」
「いや、日本人の方が百倍嫌いさ。俺に直接的な災いをふりかけるのは日本人だから。原発が爆発するか占拠されて爆破されないかってよく思うよ」
「なんで夢二君はいつも悲観的なの?」
「現実的なだけさ。ひどいことの後にはさらにひどいことがまってる」
「ものは考えようだよ。いいことだってたくさんあるよ」
「心に留めておくよ。ところでおわった後、そいつはなんて言ってた?」
「ありがとうって。それともう一回いいかって。次いつできるかわからないから」
「がめついクソ野郎だな」
「また人を悪く言うんだから。言葉は人を罵るためにあるんじゃないよ」
「わかってるよ。ただ、優しい言葉をかけたくなる人間より、罵りたくなる人間の方がずっと多いってだけさ」
彼女に対して軽蔑などない。むしろ俺は彼女の話を聞きながら先ほど述べた優しい黄色と処女マリア像を連想する。彼女がしたことはイエローキャブ ー もう死語か? ー と呼ばれる連中がするそれとは本質的に異なるのである。彼女にしてみれば砂漠で偶然であった飢え死にしかけた旅人に大切なパンと水を与えたようなものなのである。
そのうち殺されやしないかが心配だが彼女の話を聞くと心が休まる。彼女の愚かすぎる優しさは、薄い黄色にこの世を染め、少しだけマシなものに思わせる。いずれにしても彼女はとても貴重な存在で独自の色を持っている。
彼女のこの手の話は他にもたくさんある。見ず知らずの男にお金を貸したり、どこの馬の骨ともわからない家出少女に食事をご馳走したり、泊めてあげたりとあげだしたらきりがない。しかし、今夜はここまでにしておこう。もうすぐとるに足らない明日が始まる時間だし、そろそろ寝なければいけない時間だ。
明後日の夜、俺は彼女と時間を過ごすことになっているが、今回はどんな話が聞けるだろうか?
「色VS私」
黒宮 涼
私は高校三年間を、色と共に歩んだ。
時に喜び、時に悲しみ、私は色と共に歩んできた。
学校がデザイン関係ということもあり、本当にたくさんの絵を描いたのだ。
よく使う色は白。
原色と混ぜることが多いので、すぐに絵具は空っぽになった。
一度作って無くなった色は、もう作ることはできない。
色を塗るのにも、ムラなく塗らなければならない。
私にとってそれは、まさしく戦いだった。
「色はたくさん作っとかないとだめだよ」
高校二年の夏休み。
すぐ色を切らして微妙に違う色を塗り始めた私に、母が言った。
「え」
絵具がもったいないなと思っていた私は、その母の言葉に納得がいかなかった。
どうしてたくさん作らなきゃいけないんだろう。
その疑問が解かれるのは、すぐのことだった。
しかし、私はその時もう一年以上色と向き合ってきていた。
「ムラが少なくなった」
私はそのことが少しだけ嬉しかった。
と同時に、何故今まで気づかなかったんだと少し自分を恥じた。
私と色に関する戦いは、これだけではない。
「この色合いはちょっと……」
苦い顔をする友人。
「や……やっぱり?」
同じく苦い顔をする自分。
そんな気がしていたが、一応人の意見を求める。
私は色彩感覚がない。
配色センスがないのだ。
しかし、このまま配色を苦手のままにしておくのは嫌だと、高校二年の冬、私は色彩検定を受けることにした。
まずは3級だ。
難しいと聞いてはいたが、本当に難しかった。
授業後に補習を受けて、勉強をして。
もし受からなくてもやっぱり私には無理だったのだと思えばいい。
そうして逃げ道を作っておけば、気楽に勉強ができた。
試験当日、私は緊張していた。
やれるだけのことはやった……つもりでいた。
ただ、自分にどうしても自信が持てず、どうせ受からないだろうな、と思っていた。
試験方法は、マークシート。
そのことだけが、私にとって唯一の救いであった。
結果は……合格だった。
私はその事実が、最初信じられなかった。
だけど学校で合格認定のカードを受け取ったとき、ああ本当に私は三級合格したんだ。
と、実感した。
しかし、それは私の中で少しの自信を残しただけで、あとは何も変わらなかった。
「ねぇ……この色の組み合わせ、どう思う?」
「うん……いい……んじゃない……?」
このやり取りが何回も繰り返された。
結局、私は色というものに振り回されるのだ。
そしてこの戦いは、高校三年の夏、再び訪れた。
きっかけは担任の先生の一言だった。
「二級受けたら? もし合格しなくても、もう一回冬の試験があるし」
私は正直迷っていた。
確かに三級より二級の方が難しいし、得をするだろうけれど……。
またあの時のような苦しい色との戦いが始まるのかと思うと、どうしても一歩引いてしまうのだ。
けれど……。
「やって……みようかな……」
どうしてそんな気になったのか、今はもう忘れてしまったけれど、きっと三級を合格したという事実が、私の背中を押したのだと思う。
しかし、いざ補習を受けてみると、三級の時よりも桁違いに難しかった。
理解のできない言葉が三級の時よりも多く、私はすっかりやる気を失っていた。
テキストを読んで理解しようとしても、どうしても理解ができないのだ。
もう……だめだ……。
私は今度こそ本当に落胆した。
そんな状態だったものだから、当然受かるわけもなく。
仕方がないかぁ。
と思うことにした。
結局、私と色の戦いは、高校を卒業するまで延々と続いた。
しかし、よく考えてみるとこれから先もずっと私と色の戦いは続いていくのだ。
例えば、部屋の模様替えだったり、服のコーディネートだったり。
この世の中には。色が満ち溢れているのだ。
色との戦いは、免れないということだ。
色VS私。
きっと一生、この戦いは終わらないのだろう。