「喜びの涙」 眞鍋京子
梅雨の晴れ間に紫陽花の花が水分を一杯含み太陽の恵みをこのうえなくうけている。
今年もこの花の美しさを見られるのはこの上もない事であると美智子は感じた。
美智子は五、六年前より「のぞみ」の施設に通い、手足の不自由な人の介護や話し相手になっている。
もともと美智子はこのような介護の仕事をしたいと希望していたが、子育てで三人の子供が小学校へ上るまではその望みも我慢していたがやっと皆小学校へ行くようになったので望みがかなえられた嬉しさは毎日の表情にも現れた。
美智子は、朝露を踏んで、訪問先の三崎啓子の自宅へ向かった。「のぞみ」の施設は利用者の要望に応じて訪問介護にも応じて貰えるので利用者は増加していく。
「啓子さん、お早うございます。お待たせしました」
美智子のはずむ声に啓子もにこにこ顔になった。
「啓子さんの顔を見ると私まで元気になり仕事に励みが出ます」
「そんな優しいことを言ってくださると嬉しいですよ」
「今日は何時もより元気そうですね。先刻計った体温も正常ですし、血圧も脈拍もこの間計った時より正常に戻っていますし、安心ですよ」
「まあ、よかった。美智子さん有難う。貴女のお蔭ですよ」
「何をおっしゃるのです。啓子さんがちゃんと医療の約束を守ってくださるお蔭ですよ。お礼を言いたいのはこちらですよ」
楽しい会話は続いた。
美智子は、ふとんを暖かい日に干そうと裏の部屋へ出かけようとする。そこへ啓子の後ろ姿が映る。啓子はひざまずいてかがむ。手にはティッシュペーパーの束を持っている。
「啓子さん、どうしたの」
側へ寄りそおうとすると啓子の体はぐったりかがみ、倒れてしまう。美智子はすぐポケットから携帯電話を取り出し救急車を呼ぶ。馴れた手つきである。救急車が来た時には、「のぞみ」の施設長や他の看護婦もやってきた。救急車に乗せられた啓子は意識は不明、救急隊員の応答にも答えられない。救急隊員はしきりに計ったデーターを報告している。意識はないが脈拍は正確に打っているのが救いである。赤十字病院までの時間が長くかかったこと、その間の美智子は何する術もなく只啓子が助かるようにと祈るばかりであった。葡萄糖の注射を大量にしていくと、啓子の意識はだんだん戻ってきた。
「私、どこにいるの?」
初めて生気になって言った啓子の言葉であった。
「気がついてよかった」
側にいる者はよろこびの言葉をあげた。
只一人美智子だけは涙がとめどもなく頬を伝った。生死をさまよったあの時間、どうしても啓子を助けたい一心の心が美智子の涙になって一きょに溢れ出たのであろう。その涙は悲しい涙ではない。人間は悲しい時には涙を流すと言われるが嬉しい時にも、喜びの涙を流すことを体験したのであった。 (完)
「涙のままに」 真伏善人
ギターの音色にひかれてしまったのは、社会に出て、数年たってからのことと覚えている。きっかけは、置かれる立場に神経質になっていた頃だ。社内での常識に納得できず、劣等感の塊が暴発した。代償は大きかった。周囲から一目置かれていると感じ、孤独に陥ってしまう。そこに沁みこんできたのがギターの音色だった。独身寮の先輩から快く貸してもらい、おそるおそる人差し指で弦をはじいていた。覚束ないまでも、いつか曲らしいものになっていくのが日々の救いになって、何としても自分のギターが欲しくなり、小づかいを切り詰め、購入してしまう。くる日もくる日も哀愁を帯びたメロディをなぞっては満足していた。いつの日か流れるその曲をよく聞いていると、メロディを引き立てる和音というものがあることを知る。あの中に美しい秘密があるに違いないと手探りを始めると、もう仕事のことなど、どうでもよくなっていた。しかし所詮我流であり、壁にぶち当たるのは早かった。自然と好きなフレーズだけを弾いては、悦に入る方向に進んでしまっていた。
やがて曲がりなりにも一端の成人になり、家庭を持つことになると、止むないギターの空白、二十数年ー
ある日の午後、家で広報誌をめくっていると、ギターとフルートの演奏会が当地であると載っていた。ギター奏者は知らぬものがないほどの名手であった。開演は何日かあとだったが、とにかく季節は立春のころで、小雪が舞う午後の三時ころだった。会場は町の文化センターで、入場すると予想以上に席が埋まっていた。仕方なく階段を一歩一歩上がりながら、ようやく見つけた席に腰を下ろしてほっとする。ほどなく観客席の照明が落ち、ステージが一段と明るくなる。まばゆいばかりの舞台の左から純白のドレスのフルート奏者、右からはまぎれもないあのギター奏者が黒い燕尾服で向かい合うように現れた。司会者の紹介があって二人はいったん退場する。再度拍手の中に現れたのは燕尾服の奏者だった。あの彫りの深い面長の彼が、ギターを片手に中央へ進み一礼をし、燕尾服の裾を気にしながらゆっくりと椅子に腰を下ろす。愛しむようにギターを抱え目を閉じる。それを食い入るように見つめ、最初の一音に耳を澄ます。
いくつかの呼吸を置いて瞼を開き、奏者がネックを握り弦に指をかけると、しんとした会場にゆるやかなアルペジオが力強く舞いあがった。その瞬間、何ということだろうか、鼻の奥がつんとして、いきなり涙が湧き上がった。こらえようのない涙は、あとからあとから噴き上げて瞼を閉じさせなかった。溢れる熱い涙は太い筋となって頬を伝い流れ、たまらず顔を仰向けるがどうにもならない。隣人に悟られてはと嗚咽を懸命にこらえるが、ぼろぼろの涙は曲が終わるまで止まず、瞬きも、拭うこともかなわぬまま頬を濡らし続けた。プログラムが進行する間中、身動きひとつできなかった。ただ残り涙の雫にひっそりまばたくだけで、舞台はぼんやりと眺めているにすぎなかった。終演になっても立ち上がる気持ちになれず、照明を避けるようにうつむいていた。いつか席を立つ人々がまばらになり、周りも数えるほどになったところで腰をあげた。
目を伏せて会場から出ると雨になっていた。はや薄暗さの漂う道を考え歩いた。あの理性の利かない一方的な熱い涙は、孤独の中でもがいていた青春時代の物悲しさが、堰を切って流れ出たものか、あるいは胸の底に沈めたはずのギターへの思いが、大きな気泡となって浮き上がったものなのか…知る由もなかった。
とぼとぼと家に帰り、箪笥の上で閉じられたままの古びたギターケースを見上げて、腕組みをしたあの早春からもう随分になる。 (完)
「未来の私に」 黒宮涼
思えば、私は泣いてばかりの人生だった。
人前で涙を流すことは幾度もあった。哀しくて泣いたり、悔しくて泣いたり、感動して泣いたり。ほっとして泣いたり。怒りながら泣いたこともあった。
私は感情を表に出すのが苦手な子どもである。嫌なことがあっても口には出さず、独りで悶々と悩んでしまう。そんな性格故に苦しんで、泣くことが大半だったように思う。
今まで書いたエッセイの中でも、たびたび泣くという言葉が出てくるのだが、いざそれをテーマにしようと思うと、なかなか出てこないものである。
三年程前に、ある一通の手紙が届いた。
差出人は、中学三年生頃の担任の先生。それが何の手紙かは見当がつかなかった。突然何だろうと思った。
茶封筒を恐るおそる開いてみると、中から二枚の紙が出てきた。
『卒業生の皆さん、ご成人おめでとうございます』
一枚にはそんな硬い文章が綴ってあった。
成人式には出席しなかったし、そんなものとうの昔に終わっていたと思う。手紙が届いたのは式から数カ月も後だった。それは成人式に欠席した生徒たちに送っているものだったらしい。出席していたら、式で渡される予定だったのだろうか。
もう一枚に目を映した私は、驚いた。
『五年後・十年後の私へ』
そこにはそう書かれていたのだ。それは二枚折になっていて、左側には未来の私へ宛てられた手紙。右側には女の子の絵が小さく描かれていた。女の子は目を閉じていて、何かを空想しているようだったが、思い浮かべているものは何も描かれていなかった。消しゴムで消した後だけが残っている。
うっすらと記憶が蘇ってきた。確かにこれは中学の頃、私が書いたものだ。先生にこれを書いてと言われて、訳も分からず書いたものだ。
そこには、当時の私の思い描いていた未来があった。確かにあったのだ。本当にその未来が見えていたわけではないのだと思う。むしろ私の記憶では、先の見えない不安で押しつぶされそうな毎日だったはずだ。けれど子どもながらに一所懸命考えて、これを書いたのだと思った。
私は泣いた。涙が溢れてとまらなくなった。当時の私が何を考えて、何を感じていたのかはもう覚えていない。苦しくて仕方がなかったその想いだけが蘇ってきて、私は泣いた。
私が思い描いた自分。それは普通の人が手に入れるであろう、当たり前みたいな幸せだ。生きていて、仕事をして、結婚して、子どもを産んで。そんな当たり前が当時の私には夢物語だったんじゃないだろうか。そういう未来を望む傍ら、一生無理なのではないかと思っていたんじゃないだろうか。
「大丈夫だよ。あなたはこれからいろんなものを見て、いろんな経験をして。運のいい出会いをして。ちゃんと幸せになるんだよ」
もし昔の自分に出会うことが出来たなら、私は彼女にそう言ってあげたいと思う。
『諦めたらダメです。余計なことは考えないで、前向きに。泣いてもいいですよ。叫んだっていいんです。怖い顔して怒ったって……。 感情のない人間には、絶対になっていてほしくない。「幸せですか?」って聞いたら、「幸せです」って言ってほしい。』
それが私の望む、未来の姿です。 (完)