「消えない足跡」 伊神権太

 にて。にて。にて、か。昔から国語だけは得意だったボクに言わせてもらえば、“は、が、の、を、に”と同じで便利な格助詞であることだけは確かだ。新明解国語辞典によれば、「で」の雅語形ともある。でも、一般にボクたちが使う「にて」は、煮ても焼いても食えないほどに優柔不断な言葉なのだ。それにしても、なんと厄介なテーマを与えてくれたものだ。頭を冷やして考えてみよう。正直言って、「にて」には、いっぱい人間の味、人間らしさがある。
 「どこどこにて」と言うように場所をさす場合が多いことは事実だが人の心のど真ん中(「小生このところ心中誠に不安にて」といった具合)や体調(二日酔いで頭が痛いときなど、「頭が痛くフラフラにて候」などと言う)、時代表現(わが青春時代にて、といった具合)、さらには「とある場所にて」などと恋や、秘密の現場を何とはなしに教えてくれたりもする。臨機応変、どのようにも使えるので言語学的解釈から言っても便利な分だけ、怖~くて、ただのひと言が時には人々を地獄にまで落としこんでしまう、そんな危険な表現なのである。
 例えばボクの場合はどうか。かつて新聞記者として各地を飛び回っていたころ、「にて」表現は、取材で特派された事件現場をさした。豪雨災害に眼鏡橋が泣いていた長崎大水害の長崎、大韓機がソ連機により撃墜されたオホーツクの海と稚内レーダーサイト、土石流に埋まった嬉野、長野・富山連続誘拐殺人事件の起きた現場、自衛官の小銃乱射現場、エリカが世界一周から帰ってきた港町…など。まず思い出されるのが、カッコふたつの【 】、すなわち、「にて」で○○発の新聞報道には欠かせない電話パーレンというヤツである。
 【本社機はやたか二世・オホーツク海、伊神記者】【岐阜県栃尾温泉の土砂崩れ現場、伊神記者】で始まる、電話パーレンこそが、ボクにとって忘れられない「にて」なのだ。「にて」には、随分多くの事件現場が、ボクの脳裏に映し出されてくるのである。
 次に日常生活や仕事での「にて」表現は、といえば。
 この場合の「にて」は自分の居場所というか、在処(ありか)を言うことが多い。誰かにメール連絡するときなど、用件の末尾に「小雨ふる バス停にて」とか「プラットホームにて」「電車の中にて」「ドラゴンズのキャンプ地・沖縄にて」というように書く。そうすれば、メールを受け取る相手もこちらの立ち位置が分かるため、何かと推理もできて助かるのでは、と少なくともボクはそういうことを思って末尾の「にて」を欠かさないようにしている。
 仕事が遅くなって、これから帰る時など妻に向けて「これから帰る、社にて」とやる。つい最近、妻が病院に入院していた際には息子のKの携帯に「先に病院に行っていてくれ、電車内にて・帰宅途中」などと、よくメールをしたものだ。要は「にて」は人それぞれの生きている証明だといってもよい。ボクたちのウエブ文学同人誌「熱砂」の仲間たちを見渡しても、「大正琴を万博会場で演奏中、上海にて」とか「これからコンサートに出演します サマランカホールにて」と、たった二言がそれぞれの現在を浮き彫りにしてもいる。
 最後に、ボクの青春時代について(でも、メールはできなかった)。
 思い出されるのは、「いま柔道のけいこを終えたところ。こんど付き合ってくれませんか。あなたが好きなのです 柔道場にて」「遭難待ちの事件記者として北アルプスに常駐しています。何もすることがない。だから、他社の記者も加わって雪原で女性登山者たちと相撲をしたり、雪合戦をして、はしゃいでます 北ア上高地・木村小屋にて」「取材のさなかに海女さんたちに囲まれ、海に放り込まれちゃった 熊野灘の和具大島沖にて」
 これって? 「にて」は、つまるところ人生の途上ということかも。ニンゲンみな「○○にて」で生き「にて」には確実に、その時々の感動と消えない足跡がある。   

「バラの香りに包まれて」 碧木ニイナ

 
 
 可児市の「花フェスタ記念公園」へ妹と出かけた。『花フェスタ 2010 バラまつり』が開催されているその場所で、友人のHさんの「トールペイント作品展」が始まり、その初日に合わせて出向いたのだった。
 ずっと気温が低めに推移していたので、バラ園を散策するのに好都合と喜んでいたけれど、当日は急に暑くなって、夏の訪れを感じさせた。
 駐車場に車を止め、日傘をさし、手にはUVカットの手袋、足下はウオーキングシューズの完全防備でゲートに向かう。その間の百メートルくらいの通路に、高く立体的に整えられたツルバラが見事に咲き誇り、甘く優しい香りが漂っている。
 濃淡のピンクや赤、白のツルバラにエスコートされてゲートに着く。世界最大規模の日本一のバラ園で、英国王立バラ協会友好提携公園では、世界各地から集められた七千品種、三万株のバラが賑やかに華やかに、香り豊かに競演していた。
 バラ色に染まった園内の、自然の織りなすカラーやグラデーションの美しさ、周囲の緑とのコントラストに心が躍る。あまたのバラの醸し出す香りと、時折吹き抜ける初夏のさわやかな風が全身を包む。私は瞬時、幸せな想いに満たされる。
 「プリンセス・マサコ」は、気品あふれる白の大輪だった。雅子妃殿下の名前を冠したバラは、イングリッシュローズの代表的な品種であり、人気が高いという。
 その横の「プリンセス・アイコ」は、愛らしいピンクの高貴なバラだった。花弁が開いてゆく様子が優雅で、花付きがすばらしく、長く咲き続けるとのこと。
 バラは環境や季節や育て方で花色が変わるという。両プリンセスは、他の場所では違う色合い、異なる香りで人々を魅了しているのだろうか。
 木陰のベンチに腰を降ろし、心のままにあれこれおしゃべりをしたり、ヒューマン・ウオッチングをしたりの私たちの前を、高齢者施設の入所者であろう、お年寄りが通って行く。車イスを押す職員の中には、若い男性の姿もあった。
 給料が安いから結婚できないという、介護職に携わる若い男性の声を聞いたことがある。高齢化が進んだ世界一の長寿国の、先進国の貧しい現実。どうしたらいいのか、自分に何ができるのか、みんなで考え知恵を出し合いたいし、もちろん政治を信じたいとも思う。
 立ち込める濃密な花の気に引かれるように、赤と白の複色の艶(あで)やかなバラの前に佇むと、ネームプレートに「モナコグレース」とある。ハリウッド女優からモナコ王妃になり、自動車事故で亡くなったグレース・ケリーに捧げられたバラだろうと推測する。
 その美しい姿を友人のYさんに写メールすると、なんと、「白い芯を囲む真紅の花びらとのコントラストが、そのままあなたを表現しているよう。清純さと燃える情熱と…」という返信が届いたではないか。
 遠の昔にどこかに置き去りにしたままの、清純が蘇る錯覚を起こしそうな、五十代も半ばのYさんのお洒落なリアクション。そういう感覚を持ち続ける友を、大切にしなければと改めて思ったりする。
 バラを堪能し、バラミュージアム内のトールペイント展会場を、Hさんの案内で一周する。トールペイントは十八世紀中頃に、ヨーロッパの王室の室内装飾画として始まり、移民とともに海を越えアメリカに渡った。その後、アメリカでのアクリル絵の具の普及に伴い、家具や木製品、陶器やガラス、布などいろいろな素材に描かれ、生活を彩るアートとして世界中で親しまれるようになった。
 展示されたアートは会場に溶け込むように、バラをモチーフにしたものが多かったが、敬虔なクリスチャンであるHさんの作品は、キリストや聖母マリアを描いた独特のものだった。こよなく澄んだ空色の背景が主人公を際立たせ、そこには柔らかな明るい光が降り注いでいた。
 バラに包まれるぜいたくと、トールペイントの優美な世界。ローズティもいただき、日常の中の非日常を満喫した。ささやかでいい、こんな瞬間をたくさん持ちたい。

「車内にて」 牧すすむ

 誰かの話し声でふと眠りから覚めた。だが、すぐには自分の居場所が判断できず、空ろな頭とまだ焦点が合わない目で辺りを見渡す私─。程無くして状況を理解。何のことはない、疲れから睡魔に襲われ、車の運転席でいつの間にか眠り込んでしまったのだ。
 大正琴の講師を生業(なりわい)にしている私にはよくあることで、毎日が長距離のドライブ。百キロ、二百キロ、時には三百キロを遙かに超す移動であり、もちろん連日のように高速道路を利用している。まるでトラックの運転手並みなのだが、大きく違うところは目的地に着いてからが本番の仕事、つまりそれから教室が始まるのだ。
 こんな調子で一日に何箇所もの教室を巡るため、先のような長距離になってしまうのである。しかも夜の教室が終わる時間も十時を過ぎることが多く、つい、コンビニやドライブインの駐車場、高速道路のサービスエリア等のご厄介になってしまうというのが私の日常という次第─。
 相棒の愛車はワンボックスカー。後部シートは全部フラットにし、更にその上に板を置き、まるで小さな部屋のようになっている。つまり、そこが私の生活場所の全て(笑)なのだ。小さな折りたたみの机と蛍光灯スタンドは、食事や書き物をする家具として。又、テープレコーダーの類はアレンジや練習の道具、その他は仕事に必要な楽器や大量の楽譜等々、しっかりと積み込まれている。もちろん、上下二枚の毛布と枕は当然の必需品である。正に三畳ひと間のオンボロアパートといったところだ。
 前述のように遅い時間の運転になるため疲れもピークに達し、馴染み(笑)の駐車場に着いた途端、後部の「部屋」の毛布に包まる間も無く、眠り込んでしまう。しかも、運転席のすぐ後ろまで物が置いてあるのでリクライニングが十分にできず、まるでソファーに腰掛けたまま寝ているようなもの。結局、起きた時に首が痛いのもしばしば。
 まあ、それはともかくとして、冒頭に話を戻すと私が眠っていたのは東名高速道路のいつものサービスエリア。二十四時間営業ということで夜光(行)虫の自分にとっては実に有り難い場所なのである。そして、賑やかな話し声の主はなんと、大勢のお年寄りだった。
 少し離れたスペースに停めてある数台のバスから降りてのトイレ休憩。連れだって用を済ませた後、三々五々集まって楽しそうなおしゃべりが始まっている。どこかの老人クラブの旅行なのだろう。時計を見るとすでに深夜の二時過ぎ。彼等の余りのお元気さに圧倒される思いがした。
 高齢化社会が深刻な問題となっている昨今、こうした若々しいお年寄りたちに幅広い社会貢献の場を作ってあげられる国でありたいと、そう願わずにはいられなかった。
 私も足腰を伸ばそうと車を降り“手洗い”へ─。鏡に写る自分の顔に先程のお年寄りの顔をダブらせ、いつまでも若く元気でいたいものだと、白髪が少し気になりだした髪を両手で撫で付けながら思わず苦笑してしまった。
 店内はこんな時間にも関わらず昼間のように賑わっていた。私は片隅のテーブルに落ち着き、セルフサービスのお茶を口に運びながら、見るともなく辺りを見渡していた。実はこうしてぼんやりと人の蠢(うごめ)きを眺めているのも好きな時間のひとつなのである。
 ドライバーらしき人、ツーリング途中の若者達、家族連れ、こんな場所に不似合いな正装の人、又、時には外国人の団体さん等々。皆それぞれに“今日”という日を生きている。それが一所懸命であったり、気楽であったり。そんな彼等の人生模様を勝手にあれこれ思い描くのも、けっこう愉快なひと時なのだ。
 明日の仕事の予定も気になって車に戻りエンジンをかける。眠気も程よく覚めた私の目に一組の中年のカップルが映る。肩を寄せ合い店内へと向かう後ろ姿─。夫婦なのかわけありなのかは知らないけれど(笑)、この先の“道中”をどうかご無事でと、いらぬ心配に思いを残しながらアクセルを踏む私であった。

「『魔女の宅急便 』にて」 真伏善人

 こもり部屋のすみっこに置いてある、まがいものの文机にはパソコン、押し込む余地のないブックスタンド、直径三十センチメートルの地球儀、自作の竹製筆立て、小箱にぎっしりのビー玉、その他、我楽多が所せましと載っています。それらを前にしていても、なにか淋しくせつないなあと思うことがしばしばあって、机上に音楽仲間を集めることにしました。
 まずは山高帽のギター弾きにきてもらいました。スタンドマイクに向かってギターを抱える鉄色そのままのカエルくんは、ガマ口を遠慮がちに開いて『少年時代』をあいさつがわりに歌ってくれました。お、これはよきかなと聴いているうちに、ギター弾きにも仲間がいたほうがいいわなあとすぐに思いました。
 次にきてもらったのは南方系のカエルくんです。色黒くんは鉄色くんよりも表情は控えめでガニ股にかまえ、民族楽器をバイオリンのように抱えて、『菩提樹』の間奏を長いこと弾いてくれました。それでも鉄色君くんは文句を言うこともなくギターを抱えたまま、ずうっと前を向いたまま終わるのを待っていました。
 ううむ、これではいつか鉄色くんが怒り出すにちがいないと感じました。それで、ことがあった時に間に入ってくれる演奏家を探し、きてもらったのはチェロ弾きの猫くんです。日本茶の出し殻のような不思議な色をした猫くんは、二匹のカエルくんの倍以上もある体つきで、目立たぬながらバランスのよい演奏をしてくれました。よ、これは大成功とまずはひと安心でした。しかし、まてよ一人で楽しむのはもったいないでしょうが、と今度は聴衆仲間を集めることにしました。
 集まったのは、タダで演奏を聴けるならと真っ先にかけつけたのは四匹のメス猫たちです。怖いものでも見るかのようにかまえているのは、小太りで青い目をした国籍不明の猫。ひょろりとしたシャムは前に花柄の洋服を着せた娘を椅子に腰かけさせて、まだかいなとテンパッてギター弾きを凝視しています。チェロ弾きよりも大柄のペルシャは、ロッキングチェアにふんぞり返って膨らんだ白い腹を見せて目を閉じています。
 さあこれでよしとほくそ笑みました。が、すぐに心配事が持ち上がりました。はたして彼女たちに楽しんでもらえるものが奏でられるでしょうか。何よこんな音楽愉しくも何ともないじゃん、わたしたちの歌のほうがよっぽどましよ、足をはこばせてこの時間のむだをどうしてくれるのよと騒ぎ出し、乱闘になりはしないでしょうか、ということなのです。
 机上には色とりどりのビー玉がぎっしりの小箱があり、これをつかんでは投げというふうになれば、かたやギターやチェロや民族楽器を振りかざして応戦するでしょうし、筆立てにはハサミやカッターナイフがあります。さあ弱りました。しばし打開策一人会議です。
 肝心なことを忘れていました。仕切る者がいなくてどうするのですか。ずいぶん探しました。首に赤いリボンを結んだ、それはそれは頼もしい指揮者が見つかりました。ひと声「ニャオーン」と叫べばだれもが身をすくめるであろう、純黒猫で桁の違うLサイズでした。リボンにぶらさがっているタグネームには、『魔女の宅急便』というホントに本名かしらん赤い印字がしてありました。
 極太尻尾の先っちょをうしろ頭までおっ起てている、とぼけたギロリン目玉の彼女には、机の横の回転するCDラックの上でかまえてもらうことにしました。この位置からはどんな動きでもすぐに目に入ります。
 ようやく黒猫、『魔女の宅急便』にて机上音楽会が開演されました。やれ、めでたしめでたし。てなわけで集成材の文机には重さに耐えてもらって、こちらは、幻想音楽浄土の特別会員としてこもっているところです。

「 元旦の夕刻、近所の神社にて 」 香村夢二

 古びた木造家屋の立ち並ぶどぶ臭い通りには、元旦の夕方特有のさびしげな雰囲気が漂っていた。俺はもう何年も着ているブルゾンのポケットに両手を突っ込みながら部屋のそばの住宅地の中を歩いていた。近くの小さな神社で初詣をした後、そのそばのスーパーで夕飯の買い物をしようと考えていた。
 十分ほど歩いて目的地の神社に着いた。俺は古びた鳥居をくぐると社へと歩いていった。その神社は住宅地の外れの小さな雑木林の中にひっそりとあるせいか、元旦だというのに人が来た形跡はあまりなく、境内はひどく静かだった。ご利益がありそうには思えなかったが、人の多い場所が苦手な俺には都合がよかった。
 社の手前にさしかかると一人のガキが目に入った。そのガキは何をするでもなくボーっと社の数メートルほど手前につっ立っていたが、俺の足音に気づいたのか後ろを振り返った。俺はそのガキを見て皮膚病を病んだ痩せ細った野良犬を連想した。そのガキはまだ小学校一年生くらいだったが、妙に捻じ曲げられたような顔つきをしていたうえに、ひどく痩せていた。
 俺は社の前に行くとポケットの中から十円玉を取り出してそれを賽銭箱に投げ入れた。そして、そう祈っていい一年になったことなどないにも関わらず今年くらいは、いい年になりますようにと祈った。木々が冷たい風に揺れて不気味な音を立てた。
 目を開けてきびすを返すとガキがじっと俺を見ていた。俺とそのガキはしばらくの間、互いを見つめあった。そのガキは、このクソ寒いのに半ズボンをはいて、今の時期にはそぐわない、薄手の黄色いジャンパーを着ていたが俺がそれ以上に気になったのは、その凍結したような目つきだった。
 「初詣かい?」
 俺がそう言うとガキは無表情にうなずいた。俺は薄気味の悪いガキだなと思った。
 「何をお祈りしたんだい?」
 今度は返事がなかった。俺は返事を待ったが、ガキはただ黙って凍結した目で俺を見つめるだけだった。俺が、こいつは失語症か脳たりんの類なんじゃないのか? と思い始めた頃になってようやくガキが口を開いた。
 「クソおやじが早く死にますように・・・・」