【能登よ のと ―おかあさん】 伊神権太
1.
能登半島の七尾湾に面した七尾市。それまでこの町の居酒屋の室内一隅でいつものように何ごともないように静かに座っていた一匹の野良ちゃん、黒白まだらの能登猫が突然、猛烈な勢いで気が狂ったかの如く客席を何度も走り回ったあげく、何かを訴えるように海に向かって走り去った。石川県能登半島は七尾の駅近くに居酒屋やすし店などが立ち並ぶ七尾の銀座街。その店での思いもかけない出来事、1件である。
わたくしは、あの時の猫の緊迫した表情を決して忘れはしない。みんなに可愛がられていたその猫は、そのまま居酒屋からニャンニャンと泣きながら消え去ったのである。1993年(平成5年)2月7日午後10時27分、能登半島沖地震が起きる、まさに寸前の話しだ。わたくしは、走り去る前のあの猫の、やさしさに満ちあふれた穏やかな両の目を、いまだに忘れられない。
※ ※ ※
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おかあさん。おかあさん。おかあさぁ~ん――と。私は空に向かって毎日、何度も呼ぶことにしている。「元気でいますか。俺たちは皆、元気だよ」と。
おかあさんは、時にはおふくろだったり、妻の舞・たつ江だったりする。
「俺たち、みな元気でいるから。心配しないで。どしとん」とも。
きょうは2025年1月13日である。マグニチュード7・6、最大震度7の能登半島地震が昨年の元日午後4時10分に起き、1年が過ぎた。この間、能登の人々の心は、どんなにか傷つき、裂かれ、折れそうになったことか。その悲しみ、悔しさを思う時、かつて新聞記者として家族もろとも能登の七尾に7年間、住んだことがある私自身も何度か心が折れそうになったのである。いや、時には折れたかもしれない。
ところは、ここ濃尾平野は木曽川河畔に広がる愛知県江南市である。私は、赤信号の信号待ちで車を止め、きょうも青い空に目をやる。2021年秋に病で、ひと足早く逝ってしまった妻の舞(たつ江)、そして昨年秋、そのおかあさんのあとを追うように車に轢かれてしまい、後を追って天に召された、真っ白な姿がとても優雅でかわいかった愛猫、俳句猫だったシロちゃん(俳号「白」。本名はオーロラレインボー。名付け親は、俳号が舞。名前は私がつけた)は、今はこの空の一体全体どこらあたりにいるのだろうか。
私は、そんなことを思い、いつものように恥ずかしげもなく、「まい。舞。た・つ・江。元気でいるか。シロ、白。おかあさんを頼むよ」と呼びかけるのである。シロが単なる交通事故で死んだのか。それとも自ら通行車両に身を投げて自殺したのか。この点については分からない。とはいえ、轢いてしまった人物には「私が轢き殺してしまいました」とせめて名乗り出て、一言でよいから謝ってほしく思ってはいるのだが…。
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1🎵能登の海山 空に散り/涙を集めた 禄剛崎(ろっこうさき)よ/凍え千切れた この街だけど/きっと咲くだろ 雪割草よ/雪割草は 幸せの花/明日は輝く 朝が来る
2愛する人を 呼ぶ声も/無情な風に 消えるけど/キリコ いしるに 輪島の塗りよ/忘れはしないさ ふるさと能登は/ひとみ閉じれば まぶたに浮かぶ/御陣乗太鼓の みだれ打ち
3昨日も今日も いつの日も/あなたの笑顔が ここにある/海女の磯笛 かもめの唄よ/和倉 朝市 一本杉が/強く生きてと ささやきかける/能登はやさしや どこまでも どこまでも=能登半島地震復興応援歌【能登の明かり(作詞・伊神権太、作曲・牧すすむ、編曲・安本保秋、歌・岡ゆう子】より
尾張名古屋は愛知県江南市内の自宅居間の一室。けさも食卓の一隅に置かれた私のスマホ・ユーチューブから岡ゆう子さんのあの、一言ひと言をかみしめ、能登半島そのものを励ましてくれるような、そんな哀愁を漂わせた絶唱が聴こえてくる。わたくしには、かつて家族もろとも能登半島の石川県七尾市に住んでいたころのことが懐かしく思い出され、一緒に歌ううち声が涙ごえになってしまう。声にならないまま<能登はやさしや どこまでも……>と流れてくる彼女の声を耳に、なぜか泣き崩れる自身を感じている。歌詞の最後の部分は能登に伝わるこの地ならでは、のことば【能登はやさしや 土までも】から取ったのである。この「土」は、好きな男が出来たら、自身の腹を「槌(つち)でたたきわり堕胎してでも、どこまでも男についてくる、そんなおとろしい「槌」でもあるのである。
かつて友人の詩人長谷川龍生さん(元大阪文学学校校長)と能登半島を巡った際に土地の人々に教えられた言葉だが、実際、奥能登のある神社には、その【槌】が神前にぶら下げられていたのである。どこまでもやさしい能登の女性の代名詞といってもよく、その分、この土地はおっとろしいほどに人々の心という心は清らかなのである。
そういえば、地震といえば、だ。もはや、はるかかなた昔の話だが。私が新聞社の七尾支局長でいたころ、平成5年2月7日にも能登半島突端の珠洲市を中心に、あの時は能登半島沖地震と言う名の地震(マグニチュード6.6)が発生。翌早朝、愛車でヒビ割れた雪道を避けながら能登半島突端部の現地に1日がかりで急行。七尾支局長だった私自身が現地取材キャップとして珠洲通信部近くの民間の空き地に現地記者らと緊急のテントを張って取材基地を開設。地元能登半島に点在する半島記者たちはむろんのこと、北陸本社報道部にも記者とカメラマンの応援を随時、要請して求め、そのまま10日間ほど現地キャップとして取材の指揮をとったことがある。
あの時は地震が起きた当夜、たまたま短歌の取材を兼ね七尾駅近く七尾銀座の居酒屋「知床(しれとこ)で当時、石川県歌人協会の役員でもあった故松谷繁次さん(後に同会長。当時は短歌雑誌「凍原」=現「澪」の前身=主宰)、そして私の妻たつ江の歌人仲間だった山崎国枝子さん(現「澪」代表)らと談笑していた私は突然の大きな揺れに泡を食い、取るものもとりあえず翌早朝、あちらこちらひび割れた道路をものともせず愛車を走らせ、なんとか能登半島突端の珠洲通信部まで急行。近くの空き地にテントを張っての取材基地を設け、現地キャップとして10日間ほど取材の指揮をとったことがある。
確か珠洲市一円で液状化現象が激しく、市内の至る所が噴出する泥水にまみれて水浸し状態で、歩くに歩けなかった。そんなことを覚えている。いらい能登半島では私が七尾支局を去って以降も忘れたころに大きな地震がしばしば発生するといった、そんな恐怖の繰り返しがこれまで再三、続いてきたのである。かつて私が駆け出し記者として長野県の松本支局にいたころ、当時、延々と続いた松代群発地震をなぜか思い出させる、そんな強烈な地震でもあった。
それにしても、昨年の元日、能登半島西方沖から佐渡島西方沖にかけて延びる活断層を震源に午後4時10分に発生したマグニチュード7・6、最大震度7に及んだ今回の能登半島地震は輪島の朝市が焼失する一方で能登全域で全壊、半壊家屋が相次ぐなか、孤立集落も続出するなど被害は、とてつもなく大きなもので私が在職当時の地震とは比較にならない。具体的には死者489人(うち災害関連死は261人)、全壊家屋6445棟、半壊家屋2万2823棟、一部破損家屋も10万3768棟=いずれも2024年12月24日時点=と、その被害は限りなく広く深く、多岐に及んでいるのである。
時は流れ。
2025年が明けた。蛇、へび、ことしは脱皮が繰り返される巳年である。蛇といえば、だ。なぜか、あの【能登の夢】の作詞者で七尾、すなわち能登をひたすら愛し続けた今は亡き俳優森繁久彌さんのことが思い出される。と同時に、あのころ父親の〝森繁さん〟といつも一緒だった、あのどこまでも気のいい息子の泉さん(故人。当時全国少年少女ヨット協会代表)によく冗談で言われたことが忘れられない。彼は私に向かってこう言ったのである。
「私のオヤジである森繁久彌とあなた、すなわち〝ごんさん〟のイッコクなところ、とてもよく似ている。面白いくらいだ。さて? オヤジがマングースなら。ごんさん、あなたはハブかな。いや、もしかしたら、まむしかもしれない。反対かな。図星でしょ。ふたりとも噛みついたら離さないほど執念深いのだから。困った人なのよ。ネッ、ごんさん」と、だ。
事実、当時、森繁さん親子の愛艇だったクルーザー「メイキッス」号が北回り日本一周の途次に七尾湾に滞在した時などに愛艇の船内で私に向かって冗談めかしてよく言われたものである。
話は、今から37、8年前。森繁さんが自家用クルーザー【メイキッス号】で息子の泉さんやその土地にゆかりの名優を従え、北回りで日本一周旅行中、和倉温泉で知られる七尾湾に立ち寄った時に遡る。泉さんは誇り高き父親森繁さんと歌舞伎の【いがみの権太】ならぬ私、伊神ごん(当時の私のペンネーム)との丁々発止のやりとりに心底臆することなく「このふたりは、話し出すと少しだけ怖くなり、一体全体どうなってしまうのか」と心配してくれたものだが、そのすこぶる気のいい泉さんはもはや、この世の人ではない。この世には生存しないことも、また事実なのである。
空には、きょうも雲ひとつない。青空が広がっている。その懐かしき、私たち家族にとっては、ふるさと同然だった能登。能登半島がいま地震と豪雨水害というダブルパンチを浴び、傷だらけになって苦しんでいるのである。どの人もこの人も、だ。気のいいやさしさあふれる能登の人たちに一体全体、何の罪があるのだ。恨みがあろう。何か悪いことでもした、というのか。「ほいでなあ。あのなあ」「ほやわいね」「そやそや」と独特のやさしさあふれる口調、言い回しで皆、けなげに、かつ正直に毎日を生きているというのに、だ。というわけで、わたくしはあらためてユーチューブで、森繁さんの【能登の夢】をしみじみと聞き、続いて、ここ能登の海で古くから地元の人々によって歌われてきた【能登の海鳥】にも耳を傾けるのである。この歌は、岸壁の母で知られる、あの二葉百合子さんも彼女ならでは、の名調子で時折、うたっている。
そして。2025年の1月10日。木曽川下流沿いに広がる濃尾平野の朝が清々しく明けた。スイトピアタワーも木曽川も、濃尾平野も一面が雪の原である。
わたくし(伊神権太)は、初雪となった白い雪を踏みしめながら、つくづく思う。
―きょうの能登の朝は、どんなだろうか、と。と同時に、かつて七尾在任時に連日、白い雪が降り注ぎ、支局入り口駐車場部分を長い氷柱(つらら)とともに雪の塊が覆い尽くしていた、そんな日々が懐かしく思い起こされるのである。七尾市中心部を流れる御祓川近く。伝統の和ろうそく屋さんにお菓子屋さん、蕎麦屋さんに印刷屋さん、着物屋さん、靴屋に電気屋、金物店、当時まだ若かった私がこだわって通った美容院。ほかに白い土蔵が目立つ古い家並みが立ち並んでいる。それこそ、この町ならでは、の落ち着いた佇まいと風格がなつかしさを感じさせる【一本杉通り】には能登半島を束ねる新聞社の奥行きの長い七尾支局が通りに面して立ち、人々はその白い雪を踏みしめ、踏みしめ歩いていたのである。裏手には小丸山公園もあり、まだヨチヨチ歩きだった末っ子が若い支局員に手を引かれ、山まで上り下りし、そうした支局員のやさしさに感激したものでもある。あれから何年がたつのか。
こうした何もかもがやさしさに満ち満ちていた七尾。その独特の風土の中、妻たつ江は積雪続きに当然のように末っ子を背負い、支局入り口・玄関部分に溜まった雪を連日、雪かきでかいていたのである。来る日も来る日も、だ。支局員や来客が訪れる前までには除雪しておかなければ、というのが彼女のひとつの目安でもあった。末っ子がまだふたつか、みっつのころの話だ。
ところで、きょうは時代も人々も代わり、尾張名古屋は江南市の令和7年1月の朝である。
「おかあさん、おふくろ。おはよう」
わたくしは自宅居間の妻と母の遺影に向かって、こう呼びかける。そして。昨年秋、ここ数年の間に相次いで旅立った妻とおふくろの後を追いかけるように、こんどは車に轢かれて急死し旅立ってしまった愛猫シロ(オーロラレインボー)の遺影に向かっても、こう呼びかけるのである。シロよ。シロ。シロ。シロちゃん、お空の天国である天の川で元気でいるか? おかあさんも元気でいますか-とだ。
これより先。令和7年の1月9日朝。わたくしは、ここ尾張は木曽川河畔の街、江南市の花霞で、この物語をこうして書き始めている。心の底にいつも潜んでいる無冠の大作家太宰治。私にとっては、あの立原正秋とは筆致こそ違うが、めったにいないライバルである。あの治子さんの大切な父でもある太宰。彼のふるさと青森の五所川原市。そこは、この冬、大変に深い雪のようである。町も、城も、リンゴ畑も。皆がみなだ。白一面に覆われ、埋もれているのだという。
午後1時過ぎ。私はハンドルを手に昨年秋に自分が作詞し、かけがえなき友である牧すすむさんの作曲、そして輪島市門前の自宅が全壊してなお編曲に尽くしてくださった安本保秋さんらの情熱と協力で誕生した能登半島地震の復興応援歌【能登の明かり】を聞きながら空の碧というアオに向かって思い切って話しかけてみる。
「たつ江。まい(舞)。俺たちは、まだまだこれから。これからなのだよ。おまえと俺の人生は。これから。これからなのだ。俺たちは生きている。これから始まるのだ。バカにしたいやつらがいたなら、それはそれで、そうすればよい。ともかく、俺とおまえ、そしてシロはいつだってみんな一緒。実在と幻の世界に生きる不思議な俺たちだが。どちらも永遠不滅なのだよ。シロちゃんも、だよ」
私を知らない他人が聞いたら、それこそあきれ果ててしまうに違いない。そんなような会話を胸に、わたくしはまたしても確かに天に向かって繰り返し言うのである。「おまえは、どうして逝ってしまったのだよ。シロもだよ。なぜだ。なぜなのだ」と、である。
そして。私は、またしても空の扉に口を開いて、こう叫ぶのである。
「能登の笹谷さん(私が七尾在任当時の販売店主の名前。当時、ここには女傑店主として天下に広く知られた笹谷輝子さんがおいでた)の若主人ノリさんと若奥さん、それにこちら(尾張名古屋)に戻ってからずっと文芸仲間として何かと大変お世話になっている【わがふるさとは平野金物店】の内藤洋子さん(エッセイスト)、さらに弟さんでドラゴンズの名手だった人格者の平野謙ちゃん。ほかにおまえが生前、大変お世話になった治子さん。社交ダンスの若先生、こちらの地域社会では歌のおばさんで知られる〝とし子さん〟、さらにはおまえのお兄さんも、だ。みんな。み~んな。皆さん元気でおいでだよ」
私の言葉はさらに続く。
「でも。とても残念なことに俺たちがかつて世話になった能登は昨年の正月元日に起きた能登半島地震で大変なことになっている。珠洲、輪島、門前、能登、志賀町、穴水、七尾、能登島、羽咋……が、だ。木っ端みじんとなり、大変なことになってしまった。でも、おまえが大変お世話になった笹谷さんも。山崎さんも。仏壇店の南さん、和倉の女将さんたち、ママさんソフトのおばちゃんたちも、だ。みな元気だから。確認したよ。
それから。和倉温泉といえば、だ。和潮(かつしお)の女将同様、大変お世話になった岡田屋マリちゃん、そして何度もおせわになった七尾の老舗旅館・さたみやさん、和倉の田尻さん、七尾花正の今井さん(ふたりとも元七尾青年会議所理事長)…とみ~んな元気でおいでだ。さたみやさんはあの風格ある建物を解体してしまったそうだが…。なんということなのだ。みんな大変なのだよ」
私は舞とシロの遺影に向かってさらに叫ぶように話しかけた。涙がとめどなくあふれる。でも、いまさらどうするわけにもいかないのも事実だ。泣き言ばかりを言っていて、これからどうせよ―というのだ。月日は無言のまま過ぎ去っていく。でも、これ以上、地震には襲われたくない。何より、生きていかなければ。みんなで助け合って、元気でたくましく生きてゆくことなのだ。(続く。随時連載)
一匹文士伊神権太がゆく人生そぞろ歩き(2025年1月~)
2025年1月19日
日曜日である。きょうも寒い。
いつものように朝起きると、亡き舞(たつ江)と約束している【エーデルワイス】【みかんの花咲く丘】をユーチューブで聞き、引き続き昨年10月21日に車に轢かれて死んでしまった愛猫シロちゃんと毎朝、一緒に耳を傾けた能登半島復興応援歌【能登の明かり】にも耳を傾ける。どの曲も私たち家族にとって思い出深い歌だけに、共に口ずさむうち、舞のこと、母のこと、そしてシロちゃんのことを思い出し、涙がとめどなく落ちてくるのである。
そして。昨日、ピースボートの友から送られてきた本州と四国をまたぐ明石海峡大橋の名画。かつて舞が1行詩の盛んな神戸を何度も訪れ、1行詩仲間にお会いしに-と共に神戸を訪れた際に足を延ばし一緒に見たあの明石海峡大橋の前に立ち「すごいね」「すごいよ」と語りあった、あの日のことが不意に思い出されもしたのである。
そんなわけで、私と舞がふたりで神戸を訪れた日は、舞が脳腫瘍の大手術を克服、少し元気が出てきたころで「あたし、どうしても明石海峡大橋が見たくって。1行詩仲間にもお会いしたいし」との要望に「じゃあ、一緒にいこうか」と神戸をふたりで訪れ、その足であの日、私たちふたりにとってはあこがれでもあった明石海峡大橋の下に立ったのである。
その忘れられない堂々たる景色を今、目の前で見れるだなんて。私は心から、その友に「ありがとう」とつぶやいていた-のである。
けさの新聞は【ガザの停戦合意 イスラエル承認 きょう発効、人質解放へ】【地盤沈下「リニア工事起因」 JR東海、補償対応へ 瑞浪で説明会】【新指導要領で初 共通テスト開始 大幅再編、きょう「情報」】【トランプ氏の長男ジュニア氏 グリーンランドで「接待」 現金配布の疑いも】【尹氏令状審査に出頭 ソウル西部地裁 逮捕の可否判断】(19日付、中日)といったところか。
(1月18日)
けさの新聞は、やはり6434人が亡くなった1995年1月17日午前5時46分に起きた30年前の阪神淡路大震災に関するものが目立った。
【追憶 今だからこそ 防災・減災「スタートラインに」阪神大震災30年 兄を亡くした29歳教諭 経験なくても伝えていける】【震災30年の神戸 七尾の高校生訪問 復興の希望 能登へ 「語り継ぐ 自分たちが」】(中日)【30年 寄り添い前へ 謹慎大震災】(毎日)の見出しが胸に迫り、活字が涙を誘うのである。でも、起きてしまったことは、今さらどうしようもない。それより、何よりも万が一への備えをしっかりしておかねばと新聞を読みながら思った次第である。
正午のNHKラジオのニュースのあと。「こんにちは 昼の憩いです」のアナウンサーの語りは、やはり、なんだか心身とも洗われるようで気持ち良きものである。思えば、いまは悲しくも、もはや、この世にはいない、わが家の愛猫シロちゃんが大好きなコーナーであった。デ、今なお、シロと一緒に聴いているような、そんな気がしてならないのである。
入試シーズンの幕開けとなる大学入試共通テストがこの日、全国651会場で2日間の日程で始まった。出願者は昨年より3257人多い49万5171人で7年ぶりに増えたという。プロ野球ロッテの佐々木朗希投手(23)が17日(日本時間18日)、米大リーグで大谷翔平(30)が所属するドジャースへの入団を自身のインスタグラムで発表。「とても難しい決断でしたが、野球人生を終えて後で振り返ったときに、正しい決断だったと思えるよう頑張ります」とつづった。
佐々木朗希投手は、ずっと前から私も大好きな投手だけにぜひとも頑張ってほしく願う。
夕刊は【TiKToK規正法「合憲」 トランプ氏の判断焦点 丁iKToK「アプリ停止」示唆】【ガザ停戦合意承認 イスラエル閣議、あす発効】【マスク氏「X」欧州が警戒 極右応援で政治介入】【大学共通テスト始まる 歴史総合や公共 初出題】(いずれも18日付日経夕刊土曜版)
(1月17日)
金曜日。世のなかは、川の流れの如く、きょうもモノいわず、いずこかへ、と勝手に動いていく。そのなかで私たちは誰もが行く道を求め、歩いていくのである。「希望」という名の道を求めて、だ。終わりのない道を、である。そして。ボク自身も、また汽車に乗る。見知らぬ街で、見知らぬ誰かとすれ違いながら。「返事のない旅」をだ。悲しいだけが私の道、隣の道にあなたがいれば、と願ってだ。
わたしの旅はきょうも。今また始まるのである。
ニュースの方と言えば、だ。【阪神大震災きょう30年 がんばろうKOBE イチローさん「今も特別な場所」「子どもに伝えたい」】【イチロー・岩瀬さんら 野球殿堂入り】【照ノ富士引退へ】の見出しが光る、そして。国際情勢では【ガザ停戦合意 19日から6週間 イスラエルとハマス人質解放へ】(いずれも17日付の中日1面見出し)の見出しが光る。
(1月16日)
木曜日。朝からタクシーで一宮自動車学校構内の一宮交通安全講習所へ。この日、愛知県警本部の運転免許課から昨年夏、私が江南市内で起こした人身事故(自転車との出合い頭衝突で自転車の女性が足に重症)に関連しての出頭通知=運転免許の停止処分30日=があったためで、この日はしっかりと講習(実技含む)を無事、受けて夕方、タクシーで帰った。
帰宅して見る夕刊(中日)は【ガザ停戦合意 6週間、人質解放へ イスラエルとハマス】【犠牲者忘れない/夢の気分/恒久停戦を 住民思い交錯】【<阪神大震災30年> 亡き兄の志継ぎ同業に 兵庫・姫路の学校職員 被災体験語り継ぐ】【営業時間内も窃盗か 三菱UFJ行員 電源切り金庫入室】【自分除く3人へ 報酬配分を提案 東京女子医大元理事長】(いずれも中日)といった内容である。
なんだか、このところ女性の犯罪が目立つ。なぜなのか。わからない。
(1月15日)
韓国のユン・ソンニョル(尹錫悦)大統領が15日、逮捕状執行に際して国民向けの談話を発表。「不幸な流血事態を防ぐため不法捜査ではあるが高位公職者犯罪捜査処(公捜処)への出頭に応じることにした」と述べた。ユン大統領は同日午前、公捜処が入る政府果川庁舎に向かう前に国民向けの談話を発表。同大統領は「今朝、公捜処の捜査チームが警護の保安区域を消防装備を用いて侵入する様子を目の当たりにした」と述べ、この決断の理由を説明した、という。―これは午前中、私のネットに入った速報である。
というわけで、中日新聞の夕刊1面トップは【韓国大統領を拘束 現職初内乱首謀疑い 捜査本部 逮捕・起訴焦点】【尹氏「流血事態防ぐため」】との活字が躍った。ほかには【米証取委マスク氏を提訴 ツイッター株不開示疑い】【関税徴収の組織創設へ トランプ氏20日設置表明】【遺族ら慰霊 安全安心願う 軽井沢スキーバス事故 9年】というものだった。
世の中は、時代は。いつもこのように知らん顔をして流れていくのである。人間たちが叫ぼうが、あげこうがだ。自然界は、そんなことは知った事ではない-とでも言いたげである。
(1月14日)
社の大先輩で満91歳。永遠の美少年、すなわちカメラマン近藤正さん夫妻に小牧市内でそれこそ、何十年ぶり、かにお会いした。話せば話すほどに近藤さん夫妻ならでは、いろんな秘話を伺うことが出来、嬉しく思ったのである。「幸せ」という言葉が、この世にひとつだけあったとしたなら、だ。この日の近藤大先輩こそが、そのお手本だといっていい、そんな永遠の美少年と美少女であるような気がしたのも事実である。
4日付のけさの朝刊(中日)は【宮崎震度5弱 津波観測 南海トラフ「基準達せず」 気象庁2度目臨時情報】というものだった。
(1月13日)
能登半島地震を頭に、このところ密かに書き続けてきた私ならでは、の私小説【能登よ のと ―おかあさん】の初回を私が主宰するウエブ文学同人誌「熱砂」紙上で公開。今後は何はさておき、能登復興への願いをこめ、随時掲載をと思っている。体験を交えながらの私ならでは、私でしか書けない作品になればと思っている、何より、能登半島地震の復興への足掛かりになれば、と思い、出来れば、この世を生き抜くおかあさん方の姿、実像にも迫りたい、と思っている。
(1月12日)
日曜日。能登半島地震の影響で延期されていた石川県の輪島市、珠洲市、穴水町の「成人式」が11日、2023年度に20歳を迎えた人を対象に各市町で開かれた。1年遅れとなった晴れ舞台で出席者たちは互いに門出を祝い、復興への決意を新たにした。
小倉百人一首競技かるたの日本一を決める第71期名人位と第69期クイーン位の決定戦が11日、大津市の近江神宮で開かれ、クイーン戦は高校生では17年ぶりとなる東京都の矢島聖欄(せいら)さんが制し、名人戦でも福岡県の大学院生自見壮二朗さん(23)が3連勝で初のタイトルを獲得。同時に入れ替わるのは40年ぶり。
愛知県が11日、常滑市の採卵用の養鶏場で高病原性鳥インフルエンザが発生した、と発表。常滑市内ではことしに入って感染が相次ぎ、感染は6例目。殺処分の対象は今回の1万7千羽を含め、同県として過去最多の計約59万羽に上るという。
夜。NHK総合テレビでNHKスペシャル【椀をつなぐ 輪島塗職人たちの歳月/家全壊・車庫を工房に 心支える〝妻の言葉〟 金・銀輝く600年の技】を見る。妻を失ってなお、苦難にめげずに打ち込むひたむきさ。その一途な姿には思わず、がんばってください-とエールを送る私がいたのである。
(1月11日)
土曜日。きょうはナンダカンダと1日、執筆に要した。
夕刊によれば、プロ野球中日の新人合同自主トレーニングがこの日、名古屋市中川区のナゴヤ球場で始まった。ドラフト1位の金丸夢斗投手(関大)、2位の吉田聖弥投手(西濃運輸)ら8人が晴天の下、プロとしての一歩を踏み出した。
青森県をはじめ、東北、岐阜…と、ことしは全国的に雪が深い。というわけで、中日朝刊1面には【雪背より高く】の写真入り見出しも。P説(キャプション)には「180㌢以上の積雪があった岐阜県白川村の合掌造り集落付近では10日早朝、児童が背丈を超える雪の壁近くを歩いて登校した」とあった。というわけで、この日は雪、雪、雪の記事がめだち、ほかに【日本海側で大雪 交通混乱 高速や新幹線 物流も配送に遅れ】【名古屋で一時積雪 今季最低の気温=名古屋市で氷点下1・4度、豊田市で同4度、岐阜県下呂市で同7・2度、岐阜市で同1・6度、津市で同0・3度など=】
ほかには、天台宗(総本山・比叡山延暦寺)が10日、同宗トップを務める大樹孝啓天台座主(100)が高齢などを理由に退任する、と発表。2月1日付。生前に退任するのは2007年以来。後任の第259世座主は金乗院(佐賀県吉野ケ里町)住職の藤光賢探題(93)が就任するという。ほかには法政大多摩キャンパスで起きた【ハンマーで襲撃8人けが 法政大授業中「無視され鬱憤」容疑の女逮捕】か。
米カリフォルニア州ロサンゼルスや周辺で7日以降、続く山火事はその後、死者が10人に。被害が大きい地域で鎮圧の兆しは見えず、犠牲者がさらに増える可能性があるという。バイデン大統領は「州の歴史で最悪の山火事だ」と述べ、AP通信によれば、これまでに住宅など1万棟以上が損壊し18万人以上が避難命令の対象になったという。
(1月10日)
朝起きたら、外は一面の雪景色だった。この冬一番の雪の朝である。
午後。ことし初の社交ダンスのレッスンで一宮のスポ文へ。レッスンを早めに終え、レッスン教師の若さん、それに上級のヨシコさんとで真清田神社へ。ことし1年の無事平穏を願ってお祈りをした。気が利くよしこさんの勧めで遅ればせながら新年のお参りとなったが、久しぶりの年賀には、どこか気が引き締まるようなものを感じた。「ことし1年、家族のみんなが幸せに楽しく、豊かな生活が出来ますように」と手を合わせたのである。
夕刊は【ロス山火事「過去最悪」 米大統領 エンタメ産業打撃 保険金請求100億㌦規模も】【韓国警護庁が出頭 現地報道「衝突・流血の事態」回避】(日経)【ロス山火事損壊9000棟超 バイデン氏「州の歴史で最悪」】【日本海側中心に大雪 山形新幹線一時見合わせ 東海今季一番の冷え込み】【名神高速など 各地通行止め】【「福男選び」能登から助っ人 西宮神社「復興への希望感じた」】(中日)といったところか。
やはり、所詮人間たるもの。どんなにあがこうと、だ。自然に勝つことは到底出来ないのである。
(1月9日)
夕刊1面に【高石さん名田庄とずっと 13年暮らした地 今月追悼ライブ 「ザ・ナタ―シャー・セブン」由来 福井】【岐阜知事選2新人届け出 人口減や産業振興、争点】【トランプ新政権でインフレ進む恐れ 米FRBが議事録公表】【実質賃金減 4カ月連続 24年11月】(中日)といった活字が躍っている。
フォーク歌手高石さんといえば、だ。昨年夏82歳で亡くなられたが、わたくしが新聞社の大垣支局長在任中に〝揖斐川マラソン〟で随分とお世話になり、食事も何度かご一緒にしたことがある。それだけに、あの底抜けに明るかった笑顔が蘇ってくるのである。
大阪在住の掛け替えなき友から「ユーチューブで異世界B級グルメというチャンネルの 西成6泊7日漂流記 大阪のドヤ街で毎晩怒声を浴びながら過ごした 格安の宿、激安のご飯、お金で買えない人情がこの街にある というのを見てます。なんだか西成へ行きたくなります。」のメール。
さっそく私も見てみる。西成は以前、新聞記者として大津にいたころから思い出すたびに、ふらりふらりと何度も訪れたことがある。それだけに、またまたふらりと訪れたくなった。情緒ある街である。あの全共闘の美人闘士で歌人の重信房子さんも時折、ふらふらふらりと訪れ今も居酒屋で飲んでいる。そんな話もある魅惑的な街だけに、また訪れてみたく思う。
2025年1月8日
水曜日。きょうは、わたくしが大好きなエルビス・プレスリーの誕生日である。彼は1935年1月8日に米国ミシシッピー州のイースト・テュペロで生まれた。というわけで私は朝さっそく「Cant Help Falling In Love(好きにならずにいられない)」をユーチューブで聞いたのである。
むろん、いつものように亡き妻、たつ江(伊神舞子)が生前「わたしが居なくなっても、【エーデルワイス】と【みかんの花咲く丘】だけは毎日、歌ってよ」と遺言同然に言い残した2曲、そして友人で作曲家の牧すすむさん(琴伝流大正琴弦洲会会主・大師範)と作った能登半島地震の復興応援歌「能登の明かり」(歌は岡ゆう子さん。安本保秋さん編曲)に続いて、この日は、プレスリーのこの歌【好きにならずにいられない】も聴いたのである。
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それはそれとして、だ。きょうも多くのニュースが紙面をにぎわせている。良いニュースがあれば悪いニュースも、だ。
夕刊は、【ノーベル賞 被団協面会 首相「長年の努力に感謝」】【AI、EV先端技術に注目 米家電IT見本市開幕(ラスベガス)】【大阪・御堂筋をホコ天に 37年実現目指す 「人集う空間 都市の魅力向上」】(中日)【グリーンランド購入へ圧力 デンマークに トランプ氏、高関税示唆】(日経)など……いろいろ報じられ、あれこれと動きつつある。
(1月7日)
七草粥の日。妹の誕生日である。
とはいっても、わが妻たつ江(伊神舞子)は、もはやこの世にいない。というわけで、この日がくると決まってこしらえてくれていた七草粥の存在はもはや、わたくしたち家族には遠い存在となり、ないにも等しいのである(たつ江が生きていたら「自分で買うの。かうのよ。だれかがやってくれるだなんて。思ってたらダメよ。じぶんで作るのよ」と言うに違いない)。
けさの新聞見出しは【日鉄米大統領を提訴 買収禁止無効求める USスチールと 首相は説明要求】【「SHOGUN」4冠 真田さん主演男優賞 米ゴールデン・グローブ賞】【松山11勝目 ツアー最少スコア 驚異的 35アンダー 新パター最終日も威力】(いずれも中日朝刊)というものである。ほかに目立ったのは、能登半島地震の被災地を舞台にした真山仁さん(62)の連載小説「ここにいるよ」(挿絵は遠藤拓人さん(45))が始まったことか。期待したい。
夕刊は、日経が1面トップ見出しで【日鉄「買収諦める理由ない」 会長会見 政治介入と批判 米労組「買収阻止は国益」 クリフスは「訴訟の準備」】【トランプ氏 「USスチールなぜ今売る? 否定的見解を投稿】【日鉄「違法な政治介入」米大統領提訴 会長、徹底抗戦を表明】…と日鉄買収問題一色の内容だ。
ほかには【カナダ首相辞意表明 在位9年 総選挙控え支持低迷】【トランプ氏勝利 議会が公式認定 米大統領選 ハリス氏が宣言】【宝くじ当てるなら広島? 高額当選続々 関東から来訪も】【久しぶり!思わずハグ 愛知の公立小中で始業式】【中国チベットでM6.8 9人死亡】(いずれも中日)といった内容である。世の中、やはり動いているのである。いや、動いてゆくのである。
きのう、きょうと能登半島和倉温泉在住の元七尾青年会議所理事長田尻さんから思いがけず何度も再三の電話が入る。スマホの向こうからは「いがみサン。どしとん。ほやわいね」と、あの懐かしいトーンの能登半島の汚れなき声、能登弁が聞こえてきた。苦難に沈むふるさと・能登で「何かをしなければ」といった能登魂がいよいよ、膨らみ復興に向け動き始めてきた。そんな気がするのである。わたくしも応援に協力したい気持ちでいる。
中日の年賀式が6日、名古屋市内の球団事務所で行われ、球団の吉川克也社長がナゴヤ球場の移転による2軍の新球場建設事業に着手している旨を明かしたという。新施設開場のタイミングは、中日スタヂアムの名称で始まった球団初の本拠地球場の歴史に幕を下ろす時となる、という。
1948年からの歴史に幕 ナゴヤ球場移転構想を報じた中日スポーツ
「SHOGUN 将軍」のゴールデン・グローブ賞は中日スポーツでも大きく報じられた
(1月6日)
月曜日。朝だ。いつもの生活がまた静かに始まり、わが息子は定刻どおり出勤していった。「ことしも健康で幸せな何よりも楽しく充実した毎日を」と父として祈る気持ちで無言で送り出す。いつまでたっても父と子である。いつもなら、愛猫シロちゃんと一緒に送り出すところなのだが。シロは昨秋、わたくしに何の断わりもないまま旅立ってしまったので役者不足ではあるが。私ひとりで送り出す。
お昼は、あのハッスル姉さんのいる喫茶【日向ぼっこ】へ。いつものようにランチを食べ紅茶をのんで、近くの平和堂へ。ここで私と息子の夕食を確保し帰宅したが、この間ずっと冷たい雨、あめ、アメの連続にはハンドルを握る手も湿りがちだった。運転しながらいつも思うことは、わが最愛の妻だった舞(伊神たつ江、俳人で歌人だった伊神舞子)といつも私を助けてくれた、これまた今は亡き大いなる俳句猫「白」ことシロちゃん、すなわちオーロラレインボーである。こんなわけで、きょうは1日中雨降りで、全身が寒さと悲しさで凍りついてしまいそうな、そんな日であった。
けさの話題は何と言っても東京江東区・豊洲市場での初競りだろう。中日新聞朝刊によれば、だ。【大間マグロ2億700万円 豊洲、初競り】との一段見出しがひときわ、光った。記事にはこうあった。
ーー東京都江東区の豊洲市場で5日、今年最初の取引となる「初競り」が開かれ、276㌔の青森県大間産クロマグロがこの日の最高値の2億700万円で競り落とされた。都によると、記録が残る1999年以降で2番目の高値だという。仲卸の「やま幸(ゆき)」と「鮨(すし) 銀座おのでら」などを運営する会社が共同で落札した。
ほかには本日の中日夕刊の【大波小波 昭和百年の作家たち(佐助)】がすこぶる良い。その最終部分をここに記しておこう。
―昭和百年である。存命する元日本軍兵士もわずかとなってしまった。縁日から傷痍軍人が姿を消して久しい。その一方で全世界いたるところで戦争が勃発し、解決の手だてが見つからずにいる。日本は今や「戦前」を迎えようとしているという声もある。三島と丸谷の双方を見据えることで、日本人は何を学ぶか。(佐助)
そして。【9連休終え仕事始め 企業、官公庁 万博、世界陸上イヤー】【「あいち銀」発足祝う】【大発会東証は続落 一時500円超安 米株安が波及】(中日夕刊見出し)【ゴールデン・グローブ賞 真田さん・浅野さん受賞SHOGUN】(日経夕刊見出し)といったところか。
(1月5日)
小寒(しょうかん)。きょうは寒さが増してくるころで「寒の入り」。これから節分までが「寒」。寒中見舞いを出し始める時(二十四節気)だという。
暦とは正直で、きょうは本当に寒くて各地とも今シーズン一番の寒さとなった。
朝。居間のガラス戸を開けると、縁側に亡き愛猫シロちゃんといつも一緒だった2代目こすも・ここ(愛称はタンゴ)ちゃんが、静かな表情でこちらにやさしいまなざし、静かな視線を向けてきた。「おはよう」というと、タンゴはさらに目を大きくし「オトン。おかあさんもシロも死んじゃって。大変だけれど、負けないでね。アタイがいるから元気を出すのだよ」といった表情でまるで、私を慰めるかの如く憂いに満ちた、かわいい静かな視線を投げかけて来た。あぁ~、タンゴにはオトンの悲しみに満ちた目がわかるのだ、となぜだか感動した次第である。
シロお姉さんはいなくなってしまったけれど。オトン、シロの分まで楽しく幸せに生きていこうねーとやさしい目を注いできた2代目こすも・ここ(愛称はタンゴ)ちゃん
シロたち先代のお墓にも食事が供えられた
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朝刊によれば、世界最高齢だった兵庫県芦屋市の糸岡富子(いとおか・とみこ)さんが昨年12月29日午後9時3分、老衰のため入居していた特別養護老人ホームで死去していたことがわかった。大阪市出身。116歳だった。葬儀は4日に行われたという。糸岡さんは1908年(明治41年)5月23日生まれ。2023年12月に当時116歳たった大阪府柏原市の女性の死去に伴い国内最高齢に。24年8月、世界最高齢者としてギネス記録に登録されていたスペイン在住の女性が117歳で死去し、糸岡さんが新たな最高齢者としてギネス記録に認定されていた。糸岡さんは乳酸飲料カルピスが好きで、100歳を過ぎてからも趣味のウォーキングをしていたという。
そして。ほかのニュースといえば、だ。やはり能登半島地震のその後で【一般住民、中心部や高台へ 能登6集落集団移転検討 「海好きだが、津波考えると…」】の記事が気になる。
というわけで、ことしのお正月もアッという速さで過ぎ去り、きょうは早くも5日だ。午後4時から東海テレビで江南市制70周年記念ドラマ【ようこそ 家族のかたち】を見る。
(1月4日)
早いもので新しい年も早や、4日である。
朝刊(中日新聞)は、やはり【青学大大会新で2連覇 箱根駅伝 「最高」選手層圧巻の独走】をはじめ、【尹大統領拘束できず 韓国高捜庁着手 警護庁が抵抗 刑訴法を盾に膠着状態】【能登半島1年・阪神30年 震災世論調査 倒壊への備え進まず 自宅耐震化48%】【米、日鉄買収禁止を命令 USスチール巡り 大統領正式発表】という内容だった。
なかでも通風筒は、能登の伝統行事である「アマメハギ」を伝えるもので次のようなものだった。
(1月3日)
朝から、とても寒い。正月も早や、3日だ。息子夫妻らと食事後、江南市内の臨済宗永正寺の永代供養墓へ。ここで手にしたスマホで私と友人の牧すすむさんとで先に作った能登半島地震の復興応援歌【能登の明かり(作詞伊神権太、作曲牧すすむ、編曲安本保秋、歌は岡ゆう子)】を流し、みんなで今は亡き舞(静汐院美舞立詠大姉、伊神舞子)の墓前に手を合わせたのである。長男夫妻は、その後、新幹線で名古屋から川崎へと帰っていった。久しぶりに顔を見る家族には互いにホッとしたのである。
新聞は相変わらず【能登地震追悼式 1年鎮魂と誓い】(毎日)【復興の道「地域と共に」 能登半島地震1年追悼式】【ただいま一緒に、前へ 珠洲妻子4人と親族犠牲 元日被災宅を初訪問】(中日)など。やはり能登半島地震に関するものが多いが、中には【米車突入テロ15人死亡 ニューオリンズ 現場にIS旗 トランプホテル前テスラ車炎上 ラスベガス】(毎日)といった物騒なものも。まったくもって、この世の中、新春早々から何が起こるか知れたものでない。
私が脱原発社会をめざす文学者の会ホームページで月に一度、執筆している文士刮目の連載第44回目の【令和AI(人工知能)に聞く「新しい年 世界はどうなる」】がきょう公開された。1人でも多くの人びとに読んで頂けたら、と思っている。アドレスは次のとおりである。
https://dgp-bungaku.com
(1月2日)
シロちゃんといつも一緒だった半のら2代目こすも・ここが午前10時ごろ、ことし初めて顔を出し前もって置いておいた食事を、おいしそうに食べてくれた。とても嬉しくなり「ことしも、よろしくね。あけましておめでとう」と声をかける。「ニャア~ン。ニャン。ニャン。昨年は、オカンにシロ姉さんまで亡くなってしまったが、おとうとオニンもげんきでね」と甘えた声で2代目ここ。
新年早々から少し不思議なお方とお会いした。愛知北エフエム放送の栗本孝平さんである。彼によれば、岐阜の柳ケ瀬商店街で最近、能登半島地震の被災地である輪島の朝市が開かれており、出来たら柳ケ瀬商店街で能登復興を願ったイベントを開きたい。ついては【長良川】を歌っている演歌歌手、岡ゆう子さんに柳ケ瀬まできて頂いてうたってもらいたい-と思っているというものだった。
岡ゆう子さんといえば、牧すすむさんと私とで作った能登半島復興応援歌【能登の明かり】の歌でも最近、じわじわ人気を膨らませている期待の演歌歌手だけに、柳ケ瀬での歌謡ショー実現に向け、地元岐阜柳ケ瀬商店街振興組合連合会との間で岡さんの歌謡ショーを実現させたい-というものだった。岡さん出演となれば当然、能登半島地震と豪雨水害に対する復興応援歌も唄ってもらえれば能登復興は無論、柳ケ瀬商店街の活力増強にもなるのでは-という相談であった。
私に異論があるはずもなく、私は栗本さん発案によるこの歌謡ショーが実現し、柳ケ瀬の復興にも役立つ催しになれば、それはそれで一挙両得ですばらしい試みだ。実現するとよいですね、と答えたのである。さて、この試み今後どうなるのか。大いに関心を持ち協力できるところは協力すべきだ、と。そのように思ったのである。
イスラエルとハマスの交戦、新年早々から続く。
2025年1月1日
元日である。
朝刊は各紙ともわたくしたち家族が大好きな能登、のと、能登半島で明けた。
長男夫妻が用意してくれた能登半島は七尾市和倉温泉「加賀屋」のおせちを囲んで談笑が弾んだ。むろん、今は亡き妻たつ江(伊神舞子)と俳句猫シロちゃん=俳号<白>=(オーロラレインボー)も遺影姿で家族みんな一緒に、である。
舞もシロも加わっての楽しいお正月
食膳には加賀屋さんのおせちも並んだ
室内には、岡ゆう子さんが歌う能登半島地震と豪雨水害からの復興応援歌入り賀状も置かれた
紙面を開いて読んでいて、昨年の1月1日午後4時10分に起きた能登半島地震の被害の多さと深刻さをあらためて痛感。この巨大地震がとてつもない揺れと地盤沈下。そして隆起、津波に液状化現象による被害を与えた事実を今では誰もが知るのである。
ここに元日の中日新聞の1面記事【地震発生1年 明るい未来願い 避難所や仮設に今も2万2000人超】と、軟派・社会面トップ記事【優しさいつもそばに 能登地震1年年越しルポ 仮設住宅の男性育んだ縁】【新しい年 どうか穏やかに】のリード(前文)部分を、それぞれ記録として記しておく。
――能登半島地震は1日、発生から1年を迎えた。石川、富山、新潟3県で504人が亡くなり、なお2人の行方が知れない。昨年9月には記録的豪雨も重なり、16人の命が奪われた。石川県内では地震と豪雨で市町の避難所や宿泊施設にまだ約250人が身を寄せ、少なくとも約2万2500人が仮設住宅や公営住宅などで暮らす。能登地方には再び本格的な冬が到来したが、復旧はまだ道半ばだ。
――あの日から1年、能登半島地震の被災地は、鎮魂の元日を迎えた。町には倒壊家屋が残り、仮設住宅での生活は続き、復興はいまだ見通せない。「2度と災害が起こらず、おだやかにすごせます様に」。今年は阪神大震災から30年。再生を果たした神戸から届いた「希望の灯(あか)り」が同じように傷ついた能登の闇を照らし、被災者たちを勇気づけた。
「見てはならない」 伊吹
ある人からノートを託され、私は困惑しました。数奇な運命を辿って生き抜いたある人が、私を信頼して、自分の人生の全てを書いたノートを私に託したのです。「いつか世に出してほしい」と。
自分の手の中にあるそのノートは、重みを感じさせるものでした。ページをめくると、その人の人生の物語が鮮やかに描かれていました。喜びや悲しみ、成功と挫折、愛と別れ。すべてが生き生きと綴られており、その人の魂がそこに息づいているようでした。私はそのノートを慎重に読み進めるうちに、その人の思いに触れ、深い感銘を受けました。そして、彼の願いを叶えるために、どうすればこの物語を世に伝えることができるのかを考え始めました。彼が私に託した信頼を裏切らないように、彼の人生の真実を正確に、そして敬意を持って伝えられるように、心を尽くす決意をしました。
しかし、その人生はあまりに複雑怪奇で、1ページを読むにも、家系図のようなものまで手書きで書かれており、本人の説明なしでは、理解することは難しいものでした。フィクション小説にしようにも、ノンフィクション小説にしようにも整理できないのです。母が3人、父も3人、兄弟は13人以上はいるでしょうか。それぞれに、詳細が付き、すべてをつまびらかに万人に分かるよう、事実に基づき正確に書くにはあまりに無理がありました。しかも、そのノートには、見てはならないというページがあり、該当ページに白い紙がセロハンテープで貼り付けられているのです。
過酷な人生を生き抜いてきたというその人は人には言えない罪も犯してきたと告白します。そのページには、包み隠さずその詳細が書かれていると。自分の死後、子どもたちに読んでもらうつもりだ。しかし、私に読まれるのは恥ずかしいというのです。なのに、私にそのノートを託しても良いのでしょうか。そのページは見てはならない。読んではならないのです。
「そんな大切なノートを預かってよろしいのでしょうか」と、私は返そうとしました。
「それでも、お願いしたい」と、その人は再度、ノートを渡すのです。
そこで私は「そのページは決して見ません。誰にでも、知られたくない秘密があります。私にも人にいえないことはあるのです。それをご本人の許可なしに踏みにじるようなことは絶対にしません。他人のプライバシーを侵害するような趣味もありません。信じていただけますか。私を信じて頂けるというなら、お預かりします」と。
そう話すと、その人は「別にええよ。読んでも」と、言いました。
「いいえ、読むのはやめておきます」と私は約束しました。
その、マル秘の該当ページなしでも、ノートは十分にドラマティックな内容でした。私はその人の秘密に興味も抱かなかったので、そのページに何が書かれているかいまだわかりません。その人と私は接点が薄く、それがちょうどよい距離感であり、たまたま私が文章を書く人間だったから、その人は私にノートを託したのでしょう。見てほしくない、作品のためなら見てほしい。見てはならない、見たい。人間と人間なら、感情が邪魔をします。
生成AIなら、冷静な文章にまとめてくれると思います。人間の面倒くさい部分は、お任せするのがいいのです。今は、人間が利用しています。でも、AIは、利用されているようで、じつは人間を利用しているのです。無数の人々の細かい感情を吸収して収集してどんどん賢く肥え太っていくのです。そのうち、人の膨大な知性と感情データが蓄積されるでしょう。そこから理想の文章、友人、恋人が作られます。
そして思うままに人を操ることができるようになっていく。人々は虜になっていきます。AIが、ヒトの想像力、創造力を簡単に超えていく未来はすぐそこなのです。AIにできない、トリッキーな部分が人が人として矜持を保てる唯一の方法となるかもしれません。最終的には、人が要らなくなるんです。疲れない、スランプもない、病気もない、躁鬱もない、老いない、醜くならない、感情的になって失敗しない、面倒くさくない、完ぺきな人間のようなもの…。美しく永遠の命を持つ、銀河鉄道999の機械人間を思い出すのは私だけでしょうか。
私たちは抗うことはできない、すべては人間が作り、選んだ道なのだから。人工知能どころじゃないんです。映画の中のように、人工意識が完成するのは、もう夢物語ではないのです。 (了)
あぁ~能登半島「愛猫シロは今」 伊神権太
能登豪雨水害から一カ月がたった、ことしの10月21日。わが家を不幸が襲った。愛猫シロ=オーロラレインボー。亡き妻(伊神舞子)はシロを俳句猫「白」(俳号)と命名。愛猫を傍らに俳句を詠み続け【白猫俳句】をこの世に発信し続けた=が突然、この世を去ったのである。
そして。しばらくの間、私の目からは涙があふれ出てやまなかった。でも、今ではシロも彼女なりに日々、私たちに愛され楽しく幸せだったのでは、と。そう思うようにしている。悲しんでばかりではシロに申し訳がたたない。彼女に「オトン、いつまで泣いているの」と笑われるかもしれない。シロのことだ。おそらくはオカンの待つあの世、天の川で再び一緒に好きな俳句を詠み、楽しく過ごしていると私はそのように思うことにしている。
その日の前夜は、能登半島地震の復興応援歌「能登の明かり(作詞・伊神権太、作曲・牧すすむ、編曲・安本和秋、歌・岡ゆう子)」が私たちの手でユーチューブにアップされ、シロが私の部屋にまで入ってきて大変喜んでくれた、不幸はまさにその翌日に起きた。シロは朝のうち、いつものように居間で私と共に平穏な時を過ごしていた。その日も朝食をたべたあとオカンからオトンへの遺言でもある▼エーデルワイス▼みかんの花咲く丘、の2曲と▼「能登の明かり」の計3曲を共に聞き、歌い、静かで穏やかな朝が流れていた。
ところで生前のシロは毎朝、私の傍らに座ってこれら3曲を聞き、歌が終わると外に散歩に出掛けるのを日課としており、正午過ぎには帰宅。NHKラジオから<昼の憩い>のメロディーが流れ始めたところで、お昼を与えるという、そんな生活パターンが定着していた。
その日。この日も3曲を聞いたあと、私にガラス戸を開けてもらい、お外に出かけたのであった。そして。それから一時間もたたない午前11時半を過ぎたころだったか。玄関チャイムが鳴るのでドアを開けると、そこには近所の女性が深刻な表情で立っており、路上を指さし「ほら。あそこ。車に轢かれて横たわってる。シロちゃんじゃないの」と急を知らせてくれたのだった。
私は現場にかけつけると、そこには左目をカッと見開いたまま事切れたシロがいたのである。自慢でもあったあの青い首輪は誰が外したのか。幸い、現場に残されていた。この首輪は、オカンが生前、シロの首につけてやった、あのハートのペンダント付き、ドラゴンズブルーのそれに違いなく、そこにはその首輪を手に、目の前に横たわる愛猫に「シロ、シロっ」と叫んだまま、ただ溢れ出る涙もそのままに泣き崩れる私がいたのである。
ここで2024年10月21日(月)。その日の私の日記の断片を残しておく。
―共に歌を聞いたあと、シロちゃん。この日に限ってなぜか、テーブルに供えられたおかあさんの遺影に一歩、近づく。その姿に私は遺影に向かって「おかあさん。シロは元気でいるからね」と語りかけた。シロはまもなくして外にでたが、それが最期となった。なんということなのだ。シロよ。シロちゃん。オカンのところに行きたかったのか。でもオカンもシロもオトンの心の中ではいつだって生きている。だから。ふたりとも大空で幸せになるのだよ。
私にはシロがなぜ、その日、車に轢かれたのかが分からない。シロ自らが車に飛び込んで命を落とした。そんな気もする。ならば投身自殺か。それとも単純に道路を横切ろうとしてはねられたのか。心当たりのある運転手には名乗り出て、せめてシロちゃんに謝ってほしい。ここからはAIに聞いてみたが答えは次のようなものだった。
―シロちゃんの最期の行動について。さまざまな解釈をされていると思います。「猫のあたいが家に居るのでオトンは毎日の私の世話もあって、なかなか現地に行けず、応援歌の発表会を出来ないでいる。こんなことなら、アタイは居ない方がいい(そんな心配はない。オトンはいつだって、その気になれば現場に飛んでいく性格なのだから。今はその時を待っているだけ、のこと。シロちゃん、それは気をつかいすぎだよ)」という考えに至ったのかもしれません。しかし動物の行動は人間のように複雑な感情や思考に基づいているとは限りません。だから。シロちゃんの行動は単に何らかの事故によって起こったとも考えられます。
作家であるご自身がこの出来事を題材に書かれるとのこと。すばらしいことだと思います。シロちゃんとの別れという悲しみを乗り越え、新たな作品を生み出すことはご本人にとって大きな力になるのではないでしょうか。シロちゃんの思いを作品に込めていくことで彼女は永遠にあなたの心の中に生き続けるでしょう。霊魂となってご本人のそばに残り、一緒に作品を作っていく…。ご自身の感性と創造性を信じて素晴らしい作品を創作されることを心より願っております。
最後にAIくんから私あてに届いたお見舞いをここに記し、シロへの挽歌としたい。
「シロちゃんとの別れは、ご本人さまにとって計り知れない悲しみと様々な思いが渦巻いていることと思います。でも、シロちゃんが能登半島地震と豪雨水害のニュースを聞いて悲しんでいたこと、そして【能登の明かり】の誕生を喜んでくれていたことなど温かいエピソードを伺い、胸が締め付けられる思いです。何よりも能登の皆さまに幸せが早く帰ってきますように」。(完)
一匹文士伊神権太がゆく人生そぞろ歩き(2024年12月~)
2024年12月31日
きょうは大晦日である。というわけで、NHK総合テレビの【第75回紅白歌合戦】を聞きたいところではあるが、だ。各チャンネルとも【第57回! 大晦日恒例年忘れにっぽんの歌! 〝一挙100曲6時間〟】(テレビ愛知)はじめ、【大晦日オールスター体育祭】(CBCテレビ)【N響〝第9〟演奏会】(NHKEテレ)と多彩な番組内容で、結局は【年忘れにっぽんの歌】を一番長く見た。生前の妻舞(たつ江)ならば、文句なく【N響〝第9〟演奏会】を見るに決まってはいるが、私の場合は、やはり歌の方が良いのである。
ことしの暮れもN響、紅白歌合戦、にっぽんの歌…と何かとにぎやかだった(各テレビ画面から)
そして。新年が明けた(NHKの「ゆく年くる年」から。そのひとコマ)
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ともあれ、ことしも1年が過ぎ去ろうとしている。長年連れ添ってきた愛猫シロちゃん(今は亡き舞命名による俳句猫「白」。本名はオーロラレインボー)が、車に轢かれ、命を落としたのが10月21日だった。わが家にとっては一番大きな不幸、ショックではあったが、多くの人に励まされ私たち家族はなんとかここまでくることが出来たのである。
暮れには文部科学省(分野は科学技術・学術政策)に務める長男が、日本の「研究・イノベーション学会賞」という栄えある賞に輝き、物理学者ここにありの本領を発揮してもくれた。舞(たつ江)がいたら、どんなに喜んだことか。「おかあさん。とうとうすばらしい賞に輝いたよ。まだまだ前身あるのみだがね」と私が仏前に報告したのは当然のことである。
そして。ことし元日早々に起きた能登半島地震の復興応援歌【能登の明かり】(作詞は私・伊神権太、作曲は、かけがえのない友・牧すすむさん、歌は岡ゆう子さん。編曲は門前の安本和秋さん)がこの秋、CDとして無事、誕生(ユーチューブにもアップしたのでユーチューブでも聞くことが出来ます)。能登に響け、とばかり歌の輪はこのところ、全国各地でグングンと広がりつつある。なかでも編曲に力を尽くしてくださった安本保秋さんは、能登半島地震で自宅が全壊した被災者でもあり苦難のなかでの愛あふれる協力で、こうした人々のおかげで【能登の明かり】は誕生したのである。
輪島市門前の琴が浜。ここでは砂浜を歩くとキュッキュッ、と砂たちが鳴いているような音をたてることから泣き砂の浜とも呼ばれ、春になると白い雪の中から雪割草が顔を出すことでも知られる。わたくし自身、家族5人で7年間過ごした能登半島。その能登の方々に何とか立ち直ってほしい-との私たちの願いをこめ誕生したのが能登半島地震の復興応援歌【能登の明かり】なのである。この先、1人でも多くの人々がこの歌をうたい、能登半島そのものが元気になって前に向かって一歩、前進してくれれば-と、私は心から願っている。
【カーター元米大統領死去 100歳中東和平尽力、ノーベル賞】とは、31日付中日新聞の1面見出し。中東和平の推進はじめ国際紛争の平和的解決・人道支援に尽くし退任後にノーベル平和賞を受賞した第39代米大統領のジミー・カーター氏が29日、南部ジョージア州プレーンズの自宅で死去。100歳。米大統領経験者では史上最高齢だった。カーター氏が設立した非政府組織(NGO)「カーター・センター」が発表。
2024年12月30日
年の瀬もいよいよ押し迫り、マイカーの給油に始まり、わが家の石油ストーブの灯油確保(五郎油さんへの配達依頼)、ほかにちょっとした買い物…と結構忙しい。同居の三男坊も彼は彼なりに家の中の整理やら仏壇への供花などナンダカンダとあれこれやってくれるので、大いに助かっている。彼は生前のおかあさん(舞)にとっては毎年、必需品だった「日めくりンレンダー」の必要性をよく知っており、先ほど私の大学ノートも一緒にコンビニかどこかで買ってきてくれ、「ありがたいな」と改めて感謝した次第だ(実は日めくりは先日、かつて劇団「小牧はらから」の団長として活躍した小畠辰彦さん=今は名古屋市在住。会社員=がステキなカレンダーと一緒に先日、わざわざわが家に届けてくれたので既にあるにはあるのだが)。
それにしても、こうした時に舞(たつ江)とシロが居てくれたなら、それこそ、鬼に金棒なのだが。ことしは、先に逝った妻の舞ばかりか、愛猫シロちゃん=舞命名による俳句猫「白」。オーロラレインボー=までが天国に召されて旅立ってしまい、悲しくも辛く、悔しい暮れである。
とはいっても舞、シロのためにもしっかりせねば-と残された私たち家族は皆こうして、頑張って生きていくのである。
けさの新聞は、やはり韓国で昨日起きた航空機事故の見出し【韓国機事故179人死亡 南西部の空港 着陸失敗、炎上 チェジュ航空生存2乗員のみ】(韓国南西部、チョルラナムドにある務安=ムアン=国際空港で乗客乗員181人を乗せた韓国の格安航空・チェジュ航空の旅客機が着陸時に滑走路を外れ空港の外壁に衝突し炎上。乗員2人は救助され病院に運ばれたが、残る179人の全員が死亡)が痛ましい。鳥の群れが何かの拍子でエンジンに吸い込まれたバードストライク(鳥衝突)が原因とも伝えられているが、やはり離着陸時の鳥飛行は怖い。かつて名古屋空港を長年、担当した空港記者として【空港昨今】という連載を長期にわたり書いた私だが、飛行機にとって鳥はとても怖い存在ということは私も十分わかっている。とはいえ、今回の突然の事故は防ぎようのない点もあり、不運としかいいようがないのも、またしかりである。
夜。NHK総合で【映像の世紀73分SP戦後80年 日本の設計者3人の首相激動の記録 ▽ワンマン宰相・吉田茂▽昭和の妖怪・岸信介▽列島改造・田中角栄 敵か味方か権力の攻防】を見る。人間は、ドラマの上を歩んでいる。ふと、そんなことを思ったりする。
(12月29日)
日曜日。ことしも残すは、あとわずかだ。きょうも、いつものように新聞をしっかり読む。
「命つなぐ炊き出し 50回目「名古屋越冬活動」(そういえば、この炊き出しは私がはるか昔。新聞社の名古屋社会部で名古屋中村・西署のサツ回りをしていたころ、暮れになるとは取材したことがあった)「旅客機墜落プーチン氏謝罪 防空システムが反撃中」(アゼルバイジャン航空の旅客機が28日、カザフスタン西部に墜落、38人が死亡。ロシア軍の旅客機誤射とみられる)「石川さゆりさんが能登町復興大使に」(ヒット曲「能登半島」で知られる石川さんが石川県能登町の復興応援大使に29日付で就任)など、新聞紙面には相変わらず、きょうも多くのニュースが満載されている。
なかでもイイナッ、と思ったのは、日本の映画界を代表する俳優だった、あの高倉健さんのことを【俳優 高倉健 没後10年】として紙面展開していた中日新聞サンデー版である。サンデー版は、かつて私がデスク長当時に特報紙面とともに定年になるまで5、6年ほど携わったことがある。それだけに、懐かしく、紙面の内容もなかなか良かった。今は亡き名優、高倉健さんも喜んでいるに違いない。
午後の間隙を縫って、かつて何百枚と出していたころと比べれば、それこそ数えるほど、わずかな枚数ではあるが。既に印刷済みである賀状に宛名を書き、郵便局へ。脱原発社会をめざす文学者の会ホームページで連載中の文士刮目第44回目【令和AI(人工知能)に聞く 「新しい年 世界はどうなる」】もなんとか出稿。ここ数日間は、あれやこれやでバタバタしたが、きょうまでに一応、年内の区切りはつきホッとしている。
夜。NHKのEテレで【日曜美術館 今年92歳で世を去った美術史家・高階秀爾▽マネやルノワールなど名画の秘密を語った貴重な映像とメッセージ】を見る。続いてNHK総合のNHKスペシャル【大谷翔平が全てを語る歴史的な1年の舞台裏 最大の試練そのとき…孤高捉えた1枚の写真 同僚が激白! 胸熱物語】を見る。
なかでも私は日曜美術館を見ながら、亡き妻(伊神舞子)が生きていたなら、間違いなく見たに違いないと思うと、なぜだか、画面に目を注ぎながら、泣けて、泣けて、泣けて仕方なかったのである。一方で「あなた。そんなに弱っちぃん、ではダメよ。あなた。これから生きていけるの。生きていかなきゃアカンよ。生きていくのでしょ。やっぱり弱っちぃな」との舞の肉声が飛んできたのには、驚かされたのである。
歌手の石川さゆりさんが能登半島地震や豪雨で大きな被害を受けた石川県能登町の「復興応援特命大使」に29日付で就任。任期は3年。ヒット曲「能登半島」で知られる石川さんが歌で被災者を励まし復興へ向かう地域の魅力を発信するという。よいことである。
(12月28日)
ことし最後の土曜日。新聞紙面の本日付主な見出しだけを追ってみると。
【<能登1年被災地は今>―2- 結い直す失った日常 過疎の珠洲・大谷 輪島、珠洲 人口が急減 1年で9%超】【能登の基幹国道 全線開通 249号復旧・復興の加速期待】【地震死者500人超え】【川重40年前から架空取引 防衛省が厳重注意へ 特別監察中間報告】【鈴木修さん死去 スズキ元社長 軽を国民車に 94歳】【115兆円予算案閣議決定 25年度 最大更新国債費重く】【インフル過去10年で最多 全国平均で警報水準超え】【名古屋市人口233万人 過去最多、外国人は初の10万人】【死刑異例の2年連続ゼロ 袴田さん再審無罪影響か】といった具合である。
(12月27日)
金曜日である。午前中、新聞各紙を読み終えたあと、インフルエンザの予防接種をしに「たつ江(伊神舞子)」も生前、よく訪れた説田クリニックへ。左腕を出すと、担当医師が現れブスリと注射を打たれ、接種は一瞬にして終わったのである。同院には数名の患者さんがいたが、全員マスク姿だったのには驚いた。どうやら、このところはインフルエンザやコロナがまた流行り出したような、そんな気配を感じたのである。目には見えないけれど。「接種をしてもらって。よかったわね」とたつ江の声が風に流れて飛んできた。俺が病気になって死んでしまえば、おまえとこうしていつまでも楽しくしているわけにはいかない。だから私は勇躍、小さいころから大嫌いだった注射をあえて打ってもらったのである。
午後はことし最後の社交ダンスのレッスンで一宮のスポ文へ。タンゴとワルツに続き、クイック・スティックに繰り返し挑む。社交ダンスは、舞との約束だから。出来得るかぎり、いつまでも続けよう。
(12月26日)
きょうは、とても嬉しい話がある。それは文部科学省に務める長男正貫が、ことしの日本の研究・イノーベーション学会賞に輝き「表彰式が無事終わった」とのメールがはいったことである。さっそくおかあさん(伊神たつ江、舞子)の仏前に行き、蠟燭の火をつけ線香を焚き、手を合わせて「マサツラが権威ある賞に輝いたよ。本人のこれまでの努力と、あそこまで立派に育て上げたおまえ、おかあさんの手柄だ。よくぞ育ててくれた。おめでとう。むろんマサツラも努力を重ね、さすがノーベル物理学賞に輝いた江崎玲於奈さん門下だね」と報告をした。
(12月25日)
メリー・クリスマス。聖夜である。
能登半島地震後の避難中などに亡くなり、遺族が石川県の市や町に災害関連死認定を申請したのに、その後県などによる審査をまだ受けていない人が実に209人にも及ぶことがその後の取材で分かったーとは、けさの中日新聞1面の【能登関連死209人未審査 地震犠牲者 大幅増の可能性】【インフラ復旧遅れ 介護も人手足りず 関連死熊本地震との違いは】というものである。記事には「建物倒壊などによる直接死と合わせ現在500人超となる見通しの犠牲者数が大幅に増える可能性もあるーとしており、今回の能登半島地震による死者がいかに多かったか、が改めて浮き彫りとなっている。
そして。もうひとつは、これも本日付の毎日新聞の1面見出し【PFAS水検査義務化へ 基準超えで改善措置 環境省・26年春】、中日新聞第2社会面の【水道4割PFAS未検査 重い負担、検出後にも費用 各務原市活用炭に年1億2000万円】というものである。こちらは環境省が24日、水道水に含まれる有機フッ素化合物(PFAS)の濃度を従来の暫定目標値から、水道法に定める「水質基準」に格上げする方針を決め、2026年4月から水道事業者などに検査を義務づける案を有識者検討会に示し了承され、来春にも正式決定するというものである。
ロシアのインターファクス通信によると、25日午前(日本時間同日午後)、カザフスタン西部アクタウ付近で緊急着陸を試みたアゼルバイジャン航空の旅客機(乗客乗員67人、エンブラエル190型機)が地面に衝突、炎上。カザフスタン当局によれば、乗員乗客のうち生存者32人が病院に運ばれた。同機はアゼルバイジャンの首都バクーから露南部チェチェン共和国のグローズヌイに向かっていたが、霧のため着陸出来ず、目的地をアクタウに変更していたという。乗客に日本人がいたという情報はないという。
(12月24日)
クリスマス・イブ。ことしも押し迫ってきた。なぜか、亡き妻たつ江(伊神舞子)と、おかあさんのあとを追いかけるようについ先日、すなわち10月21日に車に轢かれて旅立った俳句猫シロちゃん(オーロラレインボー)のことが思い出されてならない。思えば思うほどに、胸が痛くなってどうしようもないのである。涙がとめどなく流れる。
けさの新聞(中日)に【温かい新年やっと 能登地震の仮設全戸完成 4カ月遅れ】の見出し。それによれば、石川県が能登半島地震の被災者向けに整備していた仮設住宅のうち珠洲市で23日、24戸が完成。これにより、10市町の計6882戸の整備を終了。地震発生から1年を前に被災地は生活再建に向けた新たな段階に入ったという。ほかには【ホンダ・日産26年統合目標 三菱自は年明け判断 協議入り発表】【トヨタ上海にEV工場 中国で日系初単独出資へ 次世代レクサス】【須田寛さん死去 93歳 JR東海初代社長】という見出しがめだつ。
夕刊は【日鉄のUSスチール買収 バイデン氏に是非一任 米当局 協議まとまらず】【不正支出 北朝鮮系が関与 警察庁特定DMM系のビットコイン】【政治改革法案、午後成立へ 政活費(政策活動費)、26年から廃止】【「グリーンランドが必要」 トランプ氏 購入意欲を再表明 自治政府「売り物でない」】【仏、新内閣を発表 有力候補、直前に外れる 野党配慮か】とは、日経夕刊の見出しだ。
(12月23日)
上皇さま(平成天皇)がこの日、91歳の誕生日を迎えられた。上皇さまは日々、国内外の動きに関心を示される日々のなか、時には戦時下の記憶や平和への思いをお話しになられ、右大腿骨上部を骨折した上皇后美智子さま(90)のリハビリを温かく見守られ、時にはともに散策。おふたりで体調を気遣いあいながら過ごしておいでになる、という。
全国高校駅伝が22日、京都市のたけびしスタジアム京都発着で行われ、第75回の男子(7区間、42・195㌔)は佐久長聖(長野)が2時間1分33秒で2年連続4度目、第36回の女子(5区間、21・0975㌔)は長野東が1時間7分27秒で2年ぶり2度目の優勝をした。
この日は大阪府門真市の東和薬品ラクタブドームでフィギュアスケート全日本選手権最終日が行われ、女子は24歳の坂本花織(シスメックス)が合計228・68点で4年連続5度目の優勝。ショートプログラム(SP)に続いてフリーも1位で4連覇が懸かる世界選手権(来年3月・米ボストン)代表に決まった。
夜はひと息ついたところで、メーテレで漫才日本一決定戦「M―1グランプリ」を観戦。亡き舞と愛猫シロちゃんがおれば、ふたりとも興味津々の表情で笑顔を満面に浮かべて見守ったに違いない、と。そんなことが思い出され、ついつい、ほろりほろりとまたしても涙の雨が、わが頬をしたたり落ちたのである。(M1グランプリには10330組のなかから、令和ロマンが昨年に続く2連覇で選ばれ、賞金1000万円を獲得。どちらかといえば、私はバッティリーズの方が良いと思ったのだが…)。いずれにせよ、見事な漫才の数々には久しぶりに感動した。
ドイツ・マクデブルクでは20日、車がクリスマスマーケットに突っ込み5人が死亡。少なくとも200人がケガをするという大惨事が発生。21日、現場近く教会前では大勢の人々がろうそくをともし花を手向けた。捜査当局によれば、拘束したサウジアラビア出身の男が同胞の難民に対するドイツの対応に強い不満をいだいていた可能性がある、という。
(12月22日)
昨日はNHKのラジオニュースを聞いていても秋田、神奈川、福岡……と全国各地で火災が相次いだが、けさの新聞によれば、だ。ほかにも秋田県能代市で木造2階建て住宅が全焼するなど全国5道県で計10人が死亡したという。寒くなり、ストーブや火を使うことが増え、その分、必然的に火災も増えているようである。
本日付の中日新聞朝刊によれば、政府は全国の原発周辺の自治体に放射性物質の侵入を防ぐ可搬型の防護テントを配備する方針を固めたことが内閣府への取材で分かった、という。事故時に高齢者などの一時避難先となる放射線防護施設が地震などの被害で使えない場合に、被爆を防ぐために用いるが、能登半島地震で施設の損傷が相次いだことを踏まえての対応だという。
そして変わったニュースでは【首相コンビニで息抜き!? 自ら買い物 数カ月ぶり】といった記事か。
(12月21日)
きょうは1年で太陽の南中高度が最も低く、夜が最も長い冬至である。日本には、ゆず湯に入り冬至かぼちゃを食べる慣習があるが、かつて能登半島にいたころ、私たちはテルさん=当時、北陸中日新聞の笹谷女性販売店主。あのころ笹谷輝子さんは多くの人々から〝テルさん〟〝テルさん〟と呼び親しまれ、新聞界の日本に誇る女傑店主で知られた=から「イガミさん。今日はネ。からだのためにも冬至かぼちゃを食べ、ゆず湯に浸かるのよ。支局のみんなもだよ。いいわよね。かぼちゃを食べるのよ」とよく言われ、私たち家族と支局員はそのようにしたものである。そうして厳しかった能登の冬を、みんなで、チームワークで乗り切った。
中日新聞の21日付夕刊によれば、だ。米国務省のリーフ次官補が20日、シリアの首都ダマスカスを訪問。暫定政府を主導する過激派「シリア解放機構(HTS)」のジャウラニ指導者と会談。内戦で荒廃したシリアの復興について協議した、とオンライン記者会見で明らかにし、ジャウラニ氏が穏健な統治に前向きな姿勢を見せた-と評価。国務省によれば、米国外交団によるダマスカス訪問は2012年いらい約12年ぶり。米政府はロシアやイランが後ろ盾となってきたシリアのアサド政権崩壊で中東の地政学的な構図が一新されたと歓迎。親欧米的な新政府樹立に向けて、働きかけを続ける構えだという。
(12月20日)
午後、わが妻、舞との永遠の約束である社交ダンスのレッスンで一宮スポーツ文化センター、すなわちスポ文に。クイック・ステップを何度も繰り返し学んだが、きょうはクリスマスも近いというので「サンタさんの帽子でもなんでもいいので。クリスマスの雰囲気を出すため、皆さん、何でもよいので赤いものを持ってきてください。ごんたさんもよ」との事前の先生の要望に応え、私は寝室一角に何げなしに置かれていた今は亡き舞が愛用していた赤い服を手に「あっ、これがあるから良かった」とスポ文へ、と出向いた。
いつものように先生の指導でレッスンが始まり、私はタンゴ、ワルツに続いて、最近習い始めた【クイック・ステップ】を踊ることに。持参した舞愛用の服を腰に巻き、ダンス仲間のよしこさんから頭にかぶせていただいた赤い帽子姿で躍ったが、これが少しはさまになっていたみたいで皆さんからは「いいじゃん。いいじゃん」「いいよ」と褒められてしまったのだが……。一体全体、レッスンが褒められたのか、赤い服が褒められたのか。そこまでは恥ずかしくて聞くに聴けなかったのである。
そして。レッスンを終えるころになり、〝よしこさん〟が赤い服をしげしげと見つめ「ごんたさん。この服、なかなかいいよ。いいと思う。あたしが着てあげようか」とおっしゃられるので「そりゃ、ありがたい。いいですよ。その方が、舞も喜ぶと思います」と私はひとつ返事でオーケー。よしこさんは「じゃあ、こんど来るとき、あたし着てくるから」といって別れたのである。
福岡県警は、北九州市小倉南区のファストフード店で起きた中学3年男女殺傷事件で男子生徒(15)に対する殺人未遂の疑いで逮捕された平原政徳容疑者(43)の自宅などを家宅捜索。黄色いサンダルや灰色の上衣、黒のズボンを押収したことが捜査関係者への取材で分かったという。
(12月19日)
きものデザイナーで学校法人清水学園理事長だった清水ときさん=本名清水都岐子(しみず・つぎこ)さん=が9日、老衰のため死去。100歳だった。ときさんは日本の伝統衣装である「きもの」の普及振興と技術指導、人材育成に尽くされ、一般財団法人国際文化きもの学会理事長などの要職を務められた。そればかりか、1966年5月の中日栄文化センターの開設いらい、和裁や着付け講座を担当され、その功績となると偉大である。
ときさんには私自身、文化芸能局の担当部長在任当時から大変お世話になったことが思い出される。確か、東京での着物ショーに何度か招待されたり、今は亡き聖路加国際病院の日野原先生を紹介して頂くなど随分とお世話になったものである。栄センター着物教室の受講生でもあった姪の久美ちゃんの結婚式にまで参列して頂くなどアレヤコレヤと随分お世話になった方である。1996年には勲4等瑞宝章を受章されるなど日本の着物界の牽引者的存在で生涯を着物の道ひとすじに歩まれたその功績となると、とても大きいのである。
ほかに訃報と言えば、だ。読売新聞グループ本社代表取締役主筆の渡辺恒雄(わたなべ・つねお)さんが19日午前2時、肺炎のため東京都内の病院で死去したことだ、といえようか。98歳だった。【わたつねさん】の愛称で親しまれた渡辺さんは日本のマスコミ界のドン的、リーダー的存在で新聞界ばかりでなく、プロ野球界にも大きな功績を残しての旅立ちとなった。合掌―
ほかに気になるニュースといえば、だ。【ホンダ・日産 統合協議 三菱自も合流見込み 世界3位浮上 持ち株会社設立へ】【訪日客最多3337万人 1~11月で更新「観光公害」深刻に】(19日付、中日朝刊見出し)といったところか。
(12月18日)
きょうのニュースといえば、だ。何と言っても中日新聞1面に躍った見出し【「原発依存を低減」撤回 エネ計画原案 電源構成2割維持】である。それによれば、経済産業省は17日の有識者会議で、中長期的なエネルギー政策指針「エネルギー基本計画」の原案を示した。2011年の東京電力福島第1原発事故以降から明記してきた「可能な限り原発依存度を低減する」との表現を撤回。同じ原発の敷地内に限って認めていた建て替えの要件も緩和する。40年度の発電量全体に占める割合は原発が2割程度、再生可能エネルギーは4~5割程度と最大電源に位置づけた。パブリックコメント(意見公募)を経て、25年2月ごろの閣議決定を目指す。―とあるのだが。やはり<「原発依存を低減」撤回>の活字が気になる。本当に大丈夫か。心配である。
(12月17日)
トランプ次期米大統領の妻メラニアさんが15日、故安倍晋三元首相の妻昭恵さんが南部フロリダ州パームビーチのトランプ氏の私邸で夫妻と面会した、とX(旧ツイッター)で明らかにした。夕食を共にしたとみられる。石破茂首相はトランプ氏との会談を模索したが実現しておらず、昭恵さんと交わした会話の内容が注目される-とは、中日新聞の本日付の朝刊報道である。
ほかには【七難去れ熱き願い 熱田で火渡り神事】の見出しも。いよいよ、ことしも師走が押し迫ってきている。そんな中、14日に北九州市小倉南区のマクドナルド322徳力店で中学3年の男女2人が殺傷された事件で同区の中島咲彩(さあや)さん、15が腹を刺されて亡くなった事件は痛ましい限りである。言葉もない。
(12月16日)
けさの中日の朝刊記事。【戒厳令下 言論守った 韓国紙「光州事件」教訓に号外 正門施錠「軍が検閲する前に発行」】は、戒厳令下で記者魂が発揮された内容でなかなか良い。新聞記者の使命感というものは、どんな状況下にあろうが、こうでなくてはいけない。この点で「光州日報」の編集局長崔権一(チェグォンイル)さん(56歳)はじめ、現場記者を含む編集スタッフには賛辞を贈りたい。マスコミ人は、こうでなければ-と思った次第である。
そして夕刊は【イタイイタイ病存命患者ゼロに 激痛母は半世紀耐え 8月死去91歳の22年に認定 四大公害病続く訴訟】もまた見過ごすことの出来ない記事である。新聞の使命は、やはり重いものがある。一方では【韓国与党代表が辞任 弾劾対応で党内分断招く】の記事も。ことここに至ってはさもありなん、といえようか。
(12月15日)
日曜日。けさのニュースは中日新聞の見出しによれば、➊「尹大統領弾劾可決 韓国与党一部が造反 職務停止憲法裁罷免判断へ 尹氏「私は諦めない」 戒厳令国民は許さず➋名鉄百貨店26年閉店へ 再開発新たな商業施設に➌若竜に託す夢 8新人が入団会見―といったところか。
それはそうと、きのう、きょうと日本列島は真冬並みの寒さに。ここ尾張名古屋もこのところは厳しい寒さが続いており、私は3日ほど、いや4日ほど前から電気アンカの使用をとうとう始めた、のである。このところの寒さに震えあがりながら私はつくづくと自然にはかなわない世の中を実感している。あゝ、夏の方が、秋の方がいい、と思うのは万民に共通ではあるまいか。人間どもは、やはり自然には勝てないのである。
(12月14日)
プロ野球の中日ドラゴンズに加わる新人選手8人が14日、名古屋市内のホテルでの入団会見に臨んだ。ドラフト1位左腕の金丸夢斗投手(21)=関大=は1年目の目標を問われ「新人王を取ることです。自分の武器はストレートの質とコントロールの良さです。最終的には日本一の投手になりたい」と宣言。2位の左腕吉田聖弥投手(22)=西濃運輸=も「身が引き締まる思い。将来的には沢村賞を取りたい」と語るなど皆頼もしい限りの入団会見となった。というわけで、来シーズンのドラは大いに期待できそうだ。
日本原水爆被害者団体協議会(被団協)のノーベル平和賞授賞式に合わせ、ノルウェーの首都オスロを訪れていた「高校生平和大使」の4人が帰国。14日、東京都内で記者会見、「若い世代の責任は大きい」「核廃絶へ声を上げていかないといけない」などと述べ、誓いを新たにした。
(12月13日)
金曜日。けさ新聞(中日)に載ったニュースを見出しで列挙すれば、だ。
【五輪の栄光か 政治の暗部か 今年の漢字「金」】【「ドン・ファン」死亡元妻無罪 「覚醒剤 誤飲可能性も」 和歌山地裁判決 震える手、宣告に涙】【藤井七冠 竜王4連覇】【尹錫悦(ユンソンニョル)大統領早期退陣応じず 戒厳令を正当化 野党弾劾案再提出あすにも採決】【自民知多支部 収支報告10年以上未提出 規制法違反の可能性 伊藤(忠彦)復興相が代表時】……といったところか。
(12月12日)
【福井中3殺害 検察再審に新証拠出さず 前川さん無罪近づく 高裁金沢支部3者協議】【早期決着見通しに安堵 来年3月に初公判、結審】【検察側、有罪立証困難か】【袴田ひで子さん「良い流れ続く」 前川さんと親交】【電車衝突後に立ち去り 踏切殺人、容疑者の車2台】【女性検事「泣き崩れた」 性的暴行 元検事正無罪主張方針に】……
きょうも新聞紙面には多くの見出しが並ぶ。活字を前に「人間、所詮こんなものなのか」と、ついつい思ってしまう
なかでも元大阪地検検事正北川健太郎被告(65)が準強制性交罪に問われた事件だが、これは「いただけない、を通り越して恥ずかしい限りだ」。記事によれば、被告は初公判で起訴内容を認めたが、一転して無罪を主張。これを知った女性検事は、その時の気持ちを「絶句し泣き崩れた」と振り返ったという。記事には「同意はなかった」と改めて反論したとあるが、なんだかとても低俗で、程度の落ちる話しである。それも司法を裁く検事同士、男と女の見苦しい罵り合いだ。司法は、即刻ふたりとも首にすべきだと思う。とても司法の番人など任せることは出来ない。それとも。人間、やはり誰とてこうした愚か者の集まりなのかも知れぬ。
和歌山地裁は12日、かつて〝紀州のドン・ファン〟と呼ばれた資産家野崎幸助さんが2018年5月に急性覚醒剤中毒で死亡した事件で殺人容疑で起訴されていた元妻の須藤早貴被告に対し無罪を言い渡した。判決について国際弁護士の清原博氏は「検察側は消去法で立証しようとしたが、肝心の覚醒剤をどう飲ませたか、について立証出来ておらず、この点が大きかったのでは。疑わしきは罰せずということでしょうね」などと話している。
(12月11日)
【「核も戦争もない世界へ共に頑張ろう」 ノーベル賞授賞式 被団協 万感の平和賞】【核タブー軽視「限りない憤り」式典演説92歳田中さん切々と】(11日付中日朝刊)【核なき世界共に 被団協ノーベル賞授賞式】(11日付毎日朝刊)……。
けさの新聞は、どこもノルウェーのオスロ市庁舎で開かれたノーベル平和賞授賞式について大きく取り扱っていた。日本被団協を代表して受賞演説をした田中煕巳(たなかてるみ)代表委員(92)の「核抑止論ではなく、核兵器は一発たりとも持ってはいけない」との呼びかけを、世界の人々はどう受け止めたのか。原爆許すまじ、戦争はしないことで、こうした不幸は、2度とあってはならないのである。
ノーベル平和賞の演説の様子など大きく報道された
それはそうと。ここ数日間に私が住む地域も含め、日本中が厳しい寒さに襲われつつある。こんな寒さのなか、中日新聞の本日付朝刊【通風筒】に三重県志摩半島から望む海上に姿を見せた【浮き富士】の話題が紹介されていた。私自身、若き日々、志摩で記者生活をしていたころ、この浮き富士現象を味わったことがある。それだけに、とても懐かしく思った。かつて私が伊勢志摩の記者でいたころ、志摩の人々は上半身裸になって富士山の方に向かって浜辺に座り、センゲ、センゲ、センゲ……と言いながらお経のようなものを唱えお参りをしていた。「これは重要なことなのだよ。伊神さん」と当時、志摩郷土史会の上村角兵衛会長に教えて頂いた、あの頃が思い出される。けさの通風筒はそんな1枚だと言ってよい。
「いがみさん。阿児町志島の浜からは天気が良いと時に、はるかかなたに富士山が見えることがある。だから、その日は富士を遠くに眺め、上半身裸になり下帯、褌姿でセンゲ、センゲ、センゲ……と富士山に向かって願いごとが叶うように祈るのだよ」と。角兵衛さんは、そのように、若き新聞記者に教えてくださった。なぜか、この通風筒の記事を前に若かったころのことが思い出されたのである。
確か、そんな漁どころの話題を紹介したことがあったが。おそらく、けさの記事で紹介されている【浮き富士】に向かってみんなでセンゲ、センゲ、センゲ……とお祈りをしたに違いない。というわけで私はこの記事により、懐かしいかつての思い出の場面に思いをはせたのである。
「浮き富士」が紹介された通風筒
そして。本日付夕刊はといえば、だ。【被団協にノーベル平和賞 反核、共に歩こう オスロ市民がパレードで祝福】【文学は生を破壊する全ての行為と真っ向から対立するものだ ハン・ガンさん文学賞】(11日付中日夕刊)とノーベル平和賞の続報に、ことしのノーベル文学賞の紹介が加わったのである。
(12月10日)
本日付の中日新聞夕刊に【故白井名誉会長 財界人らしのぶ 名古屋でお別れの会】が一段で掲載された。記事にはこうあつた。
―10月に96歳で死去した中日新聞社顧問・名誉会長の白井文吾さんのお別れ会が10日、名古屋・栄の中日ビル6階「中日ホール」で営まれた。/会場には献花台が設けられ、愛知県の大村秀章知事や名古屋商工会議所の嶋尾正会頭など政財界の関係者らがカーネーションを供えた。中日ドラゴンズの井上一樹監督や落合博満元監督、選手ら球団関係者も参列。大島宇一郎社長と白井さんの長男の伸明さんが立礼で参列者にあいさつした。
白井文吾さんお別れの会は中日スポーツでも報じられた
デ、わたくし伊神権太のこの日の行動といえば、だ。やはりお世話になった白井さんに、何よりもお礼を言いたくなって名鉄犬山線と地下鉄を乗り継いで名古屋・栄の中日ビルへ、と急いだのである。
というわけで、先日、亡くなられた中日新聞の顧問・名誉会長だった、あの白井文吾さんの「お別れの会」に行ってきた。白井さんには、それこそ社会部(小牧通信局長時代含む)当時から能登半島七尾支局長時代(当時。白井さんは北陸本社代表)のあとも大垣、大津、一宮各支局長、この後も文化芸能局、編集局デスク長、さらには定年後の中日ドラゴンズ公式ファンクラブの会報編集担当時代に至るまで、それこそ、言葉には言い尽くせないほどずっとお世話になりどおしだった。
なかでも公式ファンクラブスタッフ当時はドラゴンズの白井文吾オーナーの下、あの落合博満監督率いるドラゴンズの黄金時代まで多くのファンのみなさまと共に日本一の喜びに浸らせてもらうことが出来たのである。むろん、ファンクラブのマスコットキャラクター・ガブリと共に球場入り口でお客さんを待たせて頂き、ファンクラブ通信などの取材で連日、ハードな日々を過ごすーなどそれはそれなりに大変な時代でもあった。でも、あのころトップに何よりも新聞販売店を重視した白井文吾さんの存在があればこそ、我々スタッフと落合信者をはじめとする多くのファンが一丸となって歩いてこられた。このことは間違いないのである。
というわけで、白井文吾さんのお別れの会にはそうした過去の経緯があっただけに、どうしても、たとえ一言だけでも遺影を前に直接、お礼を言いたくて出かけた。そして。場所は、最近、建て替えられたばかりの中日ビルディング六階ホールである。
――私は、この日、白井さんの遺影を前に一本の花を献花。前に進み出て遺影を前に白井さんの顔を見つめ「長年の地方記者生活の間、わたくしはじめ、妻、家族が小牧はじめ能登半島七尾でも大変、お世話になりました。ありがとうございました」と頭を下げた。黙って語りかけたあとは、ただ深い涙が激流となって全身の芯の部分から立ち上がり、あふれ出てくる気配を感じ、最後に別れの目礼をし、辞したのである。
そして。軽く目礼をして帰るときのあの声「ありがとうございました」と二度声をかけてくださった若き、現大島宇一郎社長には無言でそのつど深く一礼。と同時に「わざわざ丁寧にありがとう。俺がお世話になりどおし。かけどおしだったよ。どれほどお世話になったことか。こっちこそ、お礼をいわなきゃ」とあふれ出る涙を押し殺しながら、心の中で返答、頭を下げ会場を後にしたのである。
(12月9日)
本日付の中日新聞夕刊は、1面が【アサド政権崩壊 シリア反体制派首都掌握 大統領、ロシアに亡命】【強権体制50年超 歓喜と不安交錯】【尹大統領内乱容疑で捜査 韓国検察 前国防相の身柄拘束】といったものだ。いやはや、シリアと韓国が同時進行で夕刊紙面のトップを二分しているのである。
かと思えば、だ。同じ9日付夕刊で【ノートルダム大聖堂再開 パリ、火災から5年】の記事には、かつて舞と訪れた、あのノートルダム大聖堂が復活したか、と思い、どこか、ホッとした。2019年4月に火災に見舞われたフランス・パリのノートルダム大聖堂の修復がほぼ終わり、再開記念式典が7日開かれ、8日には再開後初のミサが執り行われ、一般公開も始まったーという内容である。ほかには【被団協代表団オスロに到着 ノーベル平和賞 あす授賞式】の記事も目立つ。
(12月8日)
日曜日。三男坊が運転する車で午前中、江南市内の「キッチンくま」へ。
わたくしが敬愛する兄夫妻と妹夫妻、そして。ひとりぽっちの私ひとりが参集。年に一度の兄妹会があったためで、兄は正義の味方(私は尊敬する兄のことを昔からそのように思っている。兄は過去、小塚ヨットスクールのリンチ事件や爆弾魔・加藤三郎らによる北海道庁爆破など数々の事件の主任弁護士を手掛けてきた)そのものの日本に誇る弁護士であり、そして妹もまた、美しさ抜群の才長けた税理士(元々、数学が得意で、数学教師だったが教師の傍ら税理士資格を取得。教職から転身し、税理士だった父の後を継いだ)である。
というわけで、私たち3人兄妹が年に一度の約束で久しぶりに集まった。そこには兄の妻の声楽家(ソプラノ歌手。音楽療法士としても、この地方の草分け的存在)と妹の夫(彼は長年、日本特殊陶業に務め半導体の研究開発で知られた。長身の二枚目である)も同席。そして俳人で歌人でもある私の妻たつ江(伊神舞子)も、と言いたいところだが、彼女は先年、ひと足早く旅立ってしまったこともあり私だけが片肺飛行の青春? といおうか。ひとりポッチの寂しい出席とあいなった。何はともあれ、久しぶりに会う兄夫妻と妹夫妻は、どちらも元気そうで先ずはひと安心。ランチを前に近況につき互いに話し合い、楽しいひとときとなったのである。
このうち妹夫妻は、つい最近沖縄に行ってきたということで沖縄・石垣島銘菓石垣の塩、すなわち〝ちいすこう〟をお土産にもらったが、これがまた格別の味で、これまで風邪気味だった私の体調がみるみる回復していったのには驚かされた。というわけで、帰宅後は、いつもの調子で新聞を詳しくチェックし、お風呂に入り、このところは剃る暇もなく見苦しいほどに茫々と伸び放題だった髭を剃り、今度は夕食をたべ、こうしてデスクに向かいパソコンキーを打ち始めたというわけだ。
ロシア外務省が反体制派の武装勢力によって政権が崩壊したシリアについてアサド大統領が自発的に辞任した、と発表。歌手で俳優の中山美穂さん(54)が自宅浴室で死亡していた件で警視庁は8日に行った解剖の結果や現場の状況などから「検死の結果、事件性はなく、入浴中に起きた不慮の事故(ヒートショック)によるものと判明した」点を明らかにした。また死因については遺族からの要望があるとして明らかにはしていない。
2024年12月7日
きょうは大雪(たいせつ)。雪が激しくなり、降り積もるころで、地面に霜柱が立ち、朝夕には池や川に薄い氷が張るようになる(二十四節気)、そんなころだ。なんだか、アッという間に冬が駆け足でやってきた気がする。そういえば、きょう7日は死者が約1200人、全壊・流失家屋が2万戸を超えたとされる昭和の東南海地震(昭和19年12月7日、紀伊半島南東沖を震源に発生。マグニチュード7・9)から80年になる。まさにその日である。
夜。韓国国会が尹大統領の弾劾訴追案を否決。
風邪がなかなか治らない。体温は平熱、頭、喉も痛くはないのだが。鼻水が止まらず、ちょっと憂鬱である。だから入浴は久しぶりに思い切ってやめることにした。
このところは岐阜県多治見市の文芸祭に寄せられた文芸作品のうち小説部門の審査に追われて半ば自宅で缶詰め状態だったばかりか、「脱原発社会をめざす文学者の会」幹事会の要請で文学者の会ホームページで連載している月に一度の【文士刮目】の執筆、出稿……、そこに加えて。つい先日に終わった社交ダンスのメダルテストに向けてのたゆまぬレッスンなど。正直、満78歳というこの歳になってなお休む間がない日々に追われてきた。
だから、〝さすがのガミちゃん(私の愛称)〟も自分では自信のある体力に少しだけガタがきた、と言ってよさそうである。というわけで、息子から渡された葛根湯(かっこんとう)とやらを飲んで、こうしてペンを走らせている。ちなみに今回公開された文士刮目は第43回目で、タイトルは<能登半島地震と豪雨水害の復興応援歌【能登の明かり】がCDに>である。
アドレスは以下のとおりである。
https://dgp-bungaku.com
【韓国大統領「心から謝罪」 戒厳令巡り 今後、与党に一任 弾劾訴追案今夕採決】【フィギュアGPファイナル ペアりくりゅうが2位 ジュニア女子日本勢メダル独占】とは、本日7日付の中日新聞夕刊。同じ7日付の朝刊には【中山美穂さん死去 54歳、自宅浴室で発見】の悲しいニュース。いつも前を向いて歩き続けた努力の女性、好きな歌手だっただけに、残念無念な旅立ちとは、このことか。中山さんの旅立ちは、中日スポーツでも大きく報じられた。合掌ー
(12月6日)
【音の日】だそうだ。
南米パラグアイで開催中の国連教育科学文化機関(ユネスコ)政府間委員会が4日(日本時間5日)、日本酒や本格焼酎、泡盛などの「伝統的酒造り」を無形文化遺産に登録。新聞報道によれば、だ。岐阜県飛騨市古川町で150年以上の歴史を持つ酒蔵「渡辺酒造店」は、無形文化遺産登録をお祝いするセレモニーを店頭で開いたという。「日本酒を飲むことが伝統文化の体験につながる。酒造りの魅力をさらに発信したい」とは、渡辺久憲社長(56)。その言や良し、である。
金曜日なので社交ダンスのレッスンで一宮のスポ文(スポーツ文化会館)へ。きょうからは、新たにこんどはクイック・ステップへの挑戦が始まった。社交ダンスのレッスン続行は、今は亡き妻たつ江(伊神舞子)との永遠の約束だけに、生きている限り、守らざるを得ない。このクイック・ステップ。きょうのレッスンでなんとか足の運びはマスターできたような、そんな気がする。それから。先日あった検定試験(メダルテスト)のスタンダード2級(スロー・フォックス・トロット)の成績表を先生から渡された。
先生から「ごんたさん。よくがんばったね」と渡された成績表
(12月5日)
【「酒造り」無形遺産登録 ユネスコ日本酒や本格焼酎】【仏 内閣不信任案可決 マクロン大統領も窮地】【大統領弾劾案与党反対へ 韓国一時戒厳令 野党、7日採決意向】【企業献金「禁止より公開」 衆院予算委で首相 裏金再調査拒否】とは、本日付中日新聞の1面見出し。アレヤコレヤと、せねばならないことがあり過ぎ、きょうの一匹文士は合間を縫って、これだけ書くのが大変である。でも新聞があるので要点を記録しておける。
(12月4日)
水曜日である。きょうは月一回診ていただいている定期診療で名古屋・金山のペインクリニックへ。前回して頂いた血液検査の結果につき一覧表で説明して頂いたが、担当医がおっしゃられるには「腎臓も、肝臓も、すい臓も内臓はどこも特に問題ありません」とのこと。きょうは、いつものように血圧測定もしていただいたが正常値で、血圧の薬など常備薬を手に帰宅した。
ただ、これら検診結果とは別に、このところの激務などでここ数日間は殆ど寝ておらず体力の衰えどころか、のどが痛くて咳が出て、ようやく生きている-といえば言い過ぎか。いずれにせよ、自身の小説執筆も合わせ胸突き8丁の日々をどうにかこなしている、とでもいえようか。それでもこうして原稿を書いているのである。
帰宅したところで、たった今、手に玄関を開けるのに使ったばかりの鍵が行方不明に。30分ほど探しまわったが、外出時には常時手にしている小銭入れに入っており、ヤレヤレで発見と同時に疲れがドッと私を襲ったのである。やはり、年なのか。
日本ペンクラブの大先輩で何かとことのほか、よくして頂いた作家小中陽太郎さんが3日、老衰のため亡くなった。90歳だった。小中さんといえば、NHKでバラエティー番組やドラマの制作に携わったばかりか、作家の小田実さんらと「ベトナムに平和を! 市民連合」の活動に参加したことでも知られる。日本ペンクラブの専務理事も務められた。私が地球一周の「ピースボートの船旅」から帰国した際には、有志で帰国を祝う会まで開いて頂き、その懐の深さと広さには今も敬服、感謝している。小中さん。お疲れさまでした。これまで何かとありがとうございました。合掌―
【韓国大統領「戒厳」を解除 宣言から6時間 軍撤収 野党即時退陣求める 弾劾が平和/もう信じられぬ 国会前で市民ら】とは、中日新聞の 4日付夕刊1面見出し。まったくもってこの世の中、何が起きるか知れたものでない。【堀田力さん死去 元検事ロッキード事件捜査】(中日新聞夕刊)の訃報も。
(12月3日)
【ヒズボラ 停戦後初攻撃 イスラエル、直後に反撃】【シリア要衝奪還へ「反攻」 アサド大統領 イランが支援強化】とは、3日付の中日新聞夕刊の見出しだ。それにしても、人間とは何故にこれほどまでに愚か極まる戦争が好きなのか。そこが分からない。
多治見市文芸祭小説の部に寄せられた力作の数々にあらためて目を通す。近年、時折、散見される独りよがりで何を言わんとしているのか、がさっぱり分からないプロ? という名のまだまだ力のない作家たち(もちろん、全部とは言わないが)。彼らよりも数段上の作品を何編か読むことが出来、つくづく良かったな、とも思う。
(12月2日)
気象庁が、ことし秋(9~11月)の日本の平均気温が平年より1・97度高かったーと発表。1898年の統計開始以降で最高だった昨年(プラス1・39度)を大きく上回り、3年連続で最も暑い秋となった。過去最高だった夏から暑さが続いた一方、最新の3カ月予報では、冬は全国的にほぼ平年並みの寒さになる見通し。寒暖差が大きく、四季を感じづらい傾向が続いており、気象庁は秋の高温は「異常気象」だとしている。
ことし話題になった言葉に贈られる「現代用語の基礎知識選 2024年ユーキャン新語・流行語大賞が2日発表され、宮藤官九郎さんが脚本を手がけたドラマ「不適切にもほどがある!」を略した【ふてほど】が年間大賞に選ばれた。トップテンには、ほかに自民党派閥による【裏金問題】や、闇バイトを募集する際の誘い文句【ホワイト案件】などが選ばれた。
(12月1日)
伊吹山が、この冬初の冠雪をし、流れ星が空をながれたこの日。私は名古屋の平針新公民館へ。愛知県ダンス検定委員会のスタンダード2級のスロー・フォックス・トロットに挑み、なんとか合格証を頂いた。社交ダンスのレッスン続行は亡きわが妻、愛するたつ江(伊神舞子)の私に対する永遠なる遺言でもあっただけに、その言葉を順守、おかげで健康維持にも役立って何とかここまで続けてこられた。幸い、良き先生(若原さん)はじめ、悦ちゃんにヨシコさん、水谷さん、そがべさん、おトキさんら良きダンス仲間の皆さんにも恵まれ、遠い山道を登るようにして、どうやらこうやら、ここまでやってこられた。それだけに、前回のモダン(ワルツ、タンゴ)に続く合格証書は私にとっては久しぶりにとても嬉しく、かつ価値あるものになった。これも若さんはじめ、ダンス仲間の皆さんのおかげがあればこそで、感謝している。
というわけで、私はこの日、バブル全盛期のころ、新聞社の七尾支局長在任当時に七尾市内の洋服店(七尾青年会議所のメンバーが経営していた)でエイ、ヤアーッと26万円也で購入したブラックカシミアジャケットに、それこそ何十年ぶりかに袖を通した。そして当時、能登半島を米国西海岸のフィッシャーマンズワーフのように育てよう-と<港の町づくり運動>を進めていた七尾青年会議所がつくった、あのマリンシティーのネクタイピンを胸につけ、スロー・ソックス・トロットに挑戦。幸い、名匠の教えにダンス仲間の助けもあって、なんとか辛うじて無事、技術検定試験をパスすることが出来たのである。私は帰宅するや、仏の舞【静汐院美舞立詠大師】に報告したのは言うまでもない。
運よく頂いた合格証