「佳奈」の夢  眞鍋京子

 美しい山並みの比良連峰の雪も解け始め、町は春の様子に変わって来た。
 町の百貨店には何段もの赤い毛氈に雛壇が飾られている。お内裏様を始め、三人官女、五人囃子が並べられている。どのお雛様の顔を見てもつるりとして白い顔をしていて見事である。
 最近の住宅は、一軒家といっても大きなお雛様を飾る余裕のある間取りは少ない。
 佳奈は、たまに母に連れられて百貨店に出かけるとウィンドに吸い付けられるように窓ガラスに頬をすり寄せて見入っていた。「お母さん、あんな立派な雛人形は何時になったら私の家に入ってくるの?」「佳奈ちゃんには幼稚園にあがった時にお内裏様とお雛様を上げたでしょう。これから、学年が上がる度にお雛様の壇も増えて行くでしょう。」佳奈は学年が上がる毎に雛壇が増えていくのが楽しみで仕方なかった。五人囃子を見ていると笛を持ち出して踊り出しそうであった。
 佳奈は中学生からバレーボール部に入部した。夕方遅くまで練習し、夜は床に入ったらすぐ寝入ってしまうたちであった。それがある夜とても不思議な夢を見、今でも鮮明に頭に画き出されてくる。その夢は佳奈のおばあさんの夢であった。おばあさんは「トメ」といって佳奈をとても可愛がってくれた。
 夢の幕が開くと、そこは大広間、中央に赤い毛氈を敷き、金屏風をバックにお内裏様、左右には雪洞(ぼんぼり)がほのかな明かりを照らしている。「佳奈、久しぶりやなあ。中学生になって大きゅうなったなあ。もっとこっちへ寄っといで」トメの姿が消えたと思ったら雛壇にはそれぞれの衣装をつけた笛、太鼓を持った五人囃子が現れる。遠くから静かに雛祭の童謡のバックミュージックが聞こえてくる。
 トメさんは、その時代の有名な米問屋のおかみさんだった。お金が貯まるにつれて、あちこちの雛人形を集め出した。問屋に行っては、蔵の奥から顔形のいい人形を探し出した。人形だけでは飽き足らずに、江戸時代から家宝として使われていた雛人形の箪笥、長持、中でも楯鏡は周り全体が黒塗りで光線の加減で地の黒色がぴかぴか光って見えるのが何とも美しかった。この鏡は値がつけられない程高価なものだと町でも評判だった。トメさんの居る日しか見せてもらえなかった。
 トメさんの針仕事は、年を重ねる毎に針の運びが遅くなってきたが「私からお針の手を抜いたらもうおしまいや。仏様から授かった指は大事に扱わないと罰あたりですものね」トメさんは薬指や人指し指をこまめにもんだ。
 夢はほんとうに不思議なものだ。どの脳細胞から現れてくるのだろうか。佳奈の夢は不意に現れた。もう一度おばあさんに会いたい。佳奈が夢を見て涙を流している。母親が「どうしたの、どうしたの」と慰める光景はいじらしい。佳奈のように再び見られない夢もある。脳神経はどうなっているのだろうか。何れ全貌が解明される日が来るだろう。この日が早くやって来るのを待ちたい。でも、何もかも早くやって来たらおしまいだろうか。
 夢は夢で少しは残しておいた方が、楽しみや、潤いがあることも知っていた方が深みのある人生が送れるのではないかと、夜の夢を見つつ考えあぐむのである。  (了)