「カメがピョンピョン」 山の杜伊吹

 先日、家族でラーメン屋に入った。めったにできない外食、一番嬉しいのはほかでもない、私である。
 ラーメン、ギョーザ、チャーハン、カラアゲ、注文した品が次々と運ばれてくる。
 嬉々として口にほおばる子どもたち。のびていない麺を食べるのは久しぶりだ。温かいお汁を口にするのも・・・。
 主人の帰りが遅いので、毎日朝昼晩ごはん戦争。生後一歳半の下の娘がとにかくよく食べる。熱くても、固くても、珍しくても、なんでも口に入れて、飲み込んでしまう。ごはんの時間になると、ちゃんと席に座って待ち、運ばれてきたものをむしゃむしゃぱくぱく、ぐちゃぐちゃとやり、待つ事ができない。
 私が席に着く頃には、お茶がこぼれている確率95パーセント。見切り発車で食べさせるが、口に入れるのが遅いと泣くので、次から次へと食べさせていると、一番最初に完食となる。私がまだ一口しか食べていないのに。
 上の兄が、これまた食べるのが遅いので、次に狙うのは私のごはんや兄のおかずだ。とられてしまうので、当然足りなくなり、私がおかわりをすると、それも食べる。ゆっくりたくさん食べる兄がようやくおかわりをすると、それも奪う。兄が怒る、妹が泣く、眠たい、甘えたい、早くお風呂に入れなくちゃ・・・。
 私はいつも食べたのか食べてないのかわからない状況で、泣き叫ぶ妹を足にまとわりつかせたまま、洗い物をし、風呂に入れて寝かしつける。その他にも兄の宿題の見届け、明日の用意など絶対にしておかなければならないことがある。
 久しぶりの休日、悲劇が起こった。主人に子どもたちを任せ、こちらはまったく頭の中オフの状態でラーメンをすすっていると、一瞬の出来事。
 下の娘が椅子に立ってるなあ、よろけているなあ、と横目で見たつぎの瞬間、あっというまに落ちた!   
 ゴンッ、と鈍い音。店内に響き渡る強烈な鳴き声、隣にいた主人が慌てて抱き上げ「大きなたんこぶが出来ている。医者に行った方がいいな」
 他人の作った温かい食事をいただく時間は、幕を閉じた。車で救急医療センターへ向かう。
 祈るような気持ちで診察を受けると、幸いにも大事には至らず、大きなたんこぶだけで事なきを得たのだが・・・。いまでもあの瞬間、頭が真っ白になった恐ろしい気持ちをありありと思い出す。子どもがけがをしないよう風邪をひかないよう、細部まで気をつかって24時間365日生きているつもりでも、こんな事が起こってしまう。言い訳はできない、私達親の責任である。
 運命というものが、あらかじめ定まっているのならば、人の生き場所、死に場所というものもあるはずである。
 結婚以来、九年以上もの長い間、人様の家を借りて暮らしてきた。いずれは主人の実家を立て直すか、隣に家を建てるはずであった。それが諸事情あってできなくなった。
 私達夫婦はいったいどこへ行けばいいのか、運命を教えてくれる人はだれもいない。家もない、一緒にいる意味もないのだとすれば、別々の道を選択することだってできる。
 どうするのか話し合って、家を建てようと決めた。まずは土地探しであるが、これがすんなりといかず、大変であった。長男の転校の不安を考えれば、同じ校区内に限られてくる。地元の不動産屋さんに何度も何度も足を運んだが、なかなかコレという物件がない。広すぎる、高すぎる、山の上過ぎる・・・ワケあり。
 ご近所の人から、いきつけのそば屋さん、美容院、新聞店、バスの運転手さんにまで聞き込みをしたが、なかなか良い情報を得られない。それにいまは不動産価格が底値なので、なかなか売る人がいない。空き地はいっぱいあるのに・・・だんだんにくらしくなってきた。
 駐車場になっているのに、全然車が停まっていないAの土地。人づてに聞いてもらったのだが、売る気はなし。同じく駐車場のBの土地。所有者のおばあさん経由で東京の息子さんに聞いてもらったが、いまは売る時期じゃない、というお返事。ふとん店の隣のCの土地。「息子は静岡に家を建てて帰ってこないし、娘も嫁いだ。でも売りません」がっくり。
 空き地狙いから、空き家狙いに目標を変更しよう。雨戸がずっとしまっている家、雑草がぼうぼうと伸び放題の家は意外と多い。でも人が住んでいないのだから、所有者となかなか連絡がつかない。たまに誰かが来て、家を掃除していく空き家があると聞き、ポストに手紙を入れる。「土地を探しておりますが・・・」と書き、返信用のハガキも添えたが、返事は一通も来なかった。
 いま住んでいる借家を売ってもらえないか、と考えた。しかし、残念ながら値段が折り合わず、夢ははかなく消えた。
 先住者が良い場所をすでに取得しているので、この町で売りに出されているのは売れ残りの土地ばかり。何度も妥協しようかと考えた。しかし、値段だってそれなりにする。それにそこが私達の生きていく場所なのだろうか、と頭の中で想像してみる。子どもの成長を喜び、感動している家族の様子がイメージできないのだ。
 すきま風が吹く寒い冬が過ぎ、雨漏りがする梅雨が来て、害虫におののき西日の強い夏を乗り越えた頃、吉報が舞い込んだ。少し足をのばして訪れた隣市の不動産屋さんから、手頃な物件情報が舞い込んだのである。
 表に出る事が少ない優良物件であり、ありがとうとお礼を言う私に、「だって、奥さん必死だから」と、不動産屋の担当者に言われた。こちらの熱意が伝わった。
 以後、土地の取得、建築会社決め、銀行と融資の相談、地鎮祭、棟上祭と突っ走り、現在、そのささやかな私達家族の夢の第一歩は、完成に近づきつつある。そこが私達の死に場所なのかどうかはまだ分からない。でもどうやら生きる場所ではあるようだ。
 娘がどこからか私のネックレスを持ってきて床に広げて遊んでいる。それをたしなめる余裕はない。他にしなければならないことが山のようにあるのだ。