「パリからの異国便り」 碧木ニイナ

 パリから和紙の封書が届きました。趣のある白地に淡いピンクの桜の模様があります。差出人は親子ほど年齢の違うフランスの友人、セラ。
 桜の季節には少し早い三月初めのことでした。同じ柄の便箋には手書きの丸みを帯びたアーティスティックな文字がきれいに並んでいて、一字一字に注意を払いながら心を込めて書いてくれた彼女の想いが伝わってくるようです。
 実は、その封筒と便箋はバレンタインデーに私がプレゼントしたものでした。箱の中には縮緬(ちりめん)の風呂敷、私のお古の帯揚げと帯締め、浮世絵の図柄のファイル、扇子、美濃和紙で作られたウチワなど彼女が喜びそうなものを一緒に入れました。おしゃれでセンスの良い彼女のことですから、それらの贈り物を私が想像もしないユニークな使い方で、その個性を際だたせてくれることでしょう。
 旅行好きな彼女の便りには、プレゼントへのお礼と共に「次の旅先は日本と決めています。いろいろ情報をください。日本で会えるのを楽しみにしています」とも記してあって、文末には「あなたのフランスの友人、セラ」とあります。
 セラとは十七年ほど前にオーストラリアのシドニーで知り合いました。彼女はフランスの大学を一年間休学し、英語のレベルアップを図るためにシドニーに来たとのことでしたが、シャイで奥ゆかしいという言葉がぴったりする女の子でした。
 私がシドニーの旅行代理店で働いていたとき、「夏休みにゴールドコーストを旅したい」という彼女の電話の応対をしたのがきっかけでした。私も彼女も同じ時期に帰国することになり、私の住まいで何人かの友人を招いて、お別れパーティをしたことなどが懐かしく思い出されます。
 それから毎年、途切れることなくクリスマスカードがパリと岐阜を行き来するようになりました。昨年のカードは、セラと彼女のパートナーと、友人のカップルの四人がサンタクロースに扮した楽しげな写真入りのものでした。それに加えて、セラが昨年九月下旬にパートナーと旅した、北アフリカのチュニジアでのスナップ写真と手紙が同封されていました。
 彼女はとても幸せそうです。あの頃より体が引き締まって、ジムで鍛えているのだろうと想像させる体型に当時と同じロングヘア。パートナーはなかなかのイケメンでユーモラスな男性のようです。
 チュニジアは元フランス領でヨーロッパ世界とアラブ世界が交錯し、近代と古代が不思議なハーモニーでブレンドされた異国情緒溢れる国です。
「フランス通りにある石造りのフランス門を境に新市街と旧市街に分かれ、新市街では白い壁に青い窓枠のアール・ヌーヴォーやアール・デコ様式の建物など、数多くの貴重な建造物を見ることができます。旧市街は迷路のように路地が入り組んでいて、白い家に馬の蹄鉄の形をした長円形の青い扉がきれいです。空と地中海とチュニジアン・ブルー、真っ白な壁、咲き乱れる紫色のブーゲンビリアが町全体をまるで絵画のように見せています。白い建物の扉や窓枠やバルコニーに塗られた鮮やかな青、それがチュニジアン・ブルーです」(セラの手紙の抜粋)
 セラはその美しい風景をバックに、当時と少しも変わらない顔立ちにリラックスした様子で穏やかな笑みを浮かべています。私はしばらく見入っていたのですが、やがて幸福感が私の中をじんわり静かに駆けめぐりました。彼女はアフリカ系フランス人でパートナーは白人。セラの生い立ちを知る身は、彼女の末永い幸せを祈るばかりです。
 彼女に結婚のお祝いをと思ったのですが、その連絡はもらっていないし…、結局私は、バレンタインデーに「愛」を贈ることにしたのでした。
 セラの便りを受け取って数日後に、東日本大震災が勃発。直接の影響はなかったとはいえ、ザワザワ心が揺れる私に翌日、セラからパソコンにメールが入りました。それも手書きの文字です。
「…心配しています…私はいつもあなたと共にいます…」
 手書きの文字から伝わる彼女の心情やぬくもり。私はしみじみうれしく早速、無事でいると返信しました。
 セラとの日本での再会、きっと叶いますよね。