「不思議な贈りもの」 加藤 行

 こんな小話があります。
 ひとりの旅人が山道を登っています。その途中、ふと彼が眼をやると、道の傍らに大きな岩が置いてあり、その表面に『この岩をひっくり返してごらん。面白いから』と書かれてあります。
 不思議に思った旅人が、一生懸命にその岩を裏返すと、今度はこんな文字が書かれています。
『この岩を元にもどしておくれ。また誰かを引っ掛けるから』
 この物語の虚実のほどは別としても、誰かがこの岩に落書きをしたのです。そして旅人の心に何かを残しました。『誰だ!こんなバカな事をしたのはと怒っている人。あるいは、面白い事を考えるよなと笑っている人、エトセトラ…』あなたも一度、(ひっくり返し)てみませんか。
  同じ様に(ひっくり返す)だけで、誰でも出来る簡単なトランプ手品があります。
 変わった仕掛けを施したトランプで『ストリッパーデック』という手品です。このトランプを使えば、相手が選んだカードをよく混ぜても一瞬に当てる事ができます。例えばこんな具合です。
 トランプを裏向きによく混ぜて、広げて相手に一枚選んでもらいます。覚えて、返してもらったら、またよく混ぜて揃えます。ところが次の瞬間、あっという間に、相手の覚えたカードだけが、手品師の手の中から飛び出して来ます。この単純明快な不思議さに観客の皆が驚嘆させられます。
 さぞ難解なテクニックが必要だと推測させられますが、仕掛けは呆気ないほどシンプルです。普通、トランプは長方形をしていますが、実は、このデックは全部、微妙に台形です。
 そういう事で、相手が選んだひとつのカードを覚えている間に、持っている残りのカードの全部を、気付かれずに『上下をひっくり返す』。そして、そのまま戻してもらってよく混ぜる。すると相手のカードだけが全体の中で、ふちが出っ張っているか、引っ込んでいるかで、スッと抜き出せる訳です。(ひっくり返す)簡単な技で、皆さんの、心に残ればささやかな贈りものになります。
 手品とくれば、次に登場するのが本格推理小説の世界です。ミステリー界の元祖、エドガー・アラン・ポーに始まって古今東西、様々な推理小説が常に斬新な仕掛けで、難問を読者に挑戦してきました。その中でも特に不可解な事件、密室殺人、足跡のない犯人、人間消失などの不可能犯罪を好んで描いたミステリー黄金期の巨匠、ジョン・ディクスン・カーの作品で、最もセールスを上げ、最もヒット作となったのが、歴史推理小説『ビロードの悪魔』でしょう。
 この作品では、悪魔との取引によって、過去にタイムスリップした探偵が、自分の先祖の貴族に成り代わって、その妻の毒殺事件の真相を追究しますが、最後に驚くべき結末を迎えます。
 何と毒殺事件の真犯人は探偵自身でした。この結末にも深く考えさせられます。
『原因を他者に探していたものが、実は自己の内にあった』。これも又、発想の転換を迫られた(ひっくり返し)の発想です。これは経験するようでも、百八十度の転換は容易ではなさそうです。
 日本には古くから言い伝えられている『ことわざ』が数多くあります。
『秘事は睫の如し』、『急がば回れ』、『情けは人の為ならず』等々、これらにはすべて、(ひっくり返し)の発想が込められています。
 現代は高度な情報化社会へと変貌を遂げました。巷ではマスメディアや携帯電話で溢れ返り、いつの世も人々は『つながり』を求めています。確かに人は、一人で生きていく訳にもいかないのが現実です。しかし、求めるものの多くのために、喜びよりも苦悩を背負い込むのも人間の性でもあるのです。少し立ち止まって『ひっくり返しの発想』を役立ててみてください。現代人が忘れている何かが見つかるかもしれません。
 最後に極論になりますが、人間、『生かされている』すべてのことを含めて『贈りもの』をもらっているのです。命を与えられて生まれて来ました。多くの恩恵を受けて生きています。
 その事を感じていれば、自己に出来る少しの与える『贈りもの』ができれば、あなたの心に何かが宿ります。それこそが、お互いにとって、この世で最大の『贈りもの』になるでしょう。