【一匹文士伊神権太がゆく 人生そぞろ歩き(2018年11月)】

平成30年11月16日
 探しもの見つかりぬ全山紅葉(11月16日)
 三日月の舟に乗りつつ旅に出ん(11月15日)
 =伊神舞子の〈きょうの俳句 minuetto-mi〉から

 紅葉真っ盛りである。梓川の清流が心地よい北ア・上高地、奥美濃の山里、赤目四十八滝、能登の小丸山公園、大垣城公園と芭蕉ゆかりの水門川、大津の三井寺など。どこもかしこも、燃え尽きるほどの美しさに違いない。 
 14日夜。美しい三日月が神月そのままにポッカリと空に浮かんだ。なぜか神月を見ると今は亡き、昨年7月に旅立った神猫シロちゃんを思い出す。彼女はわが著作〈懺悔の滴(人間社刊)〉の表紙を飾った。

 月が微笑んでいる。その顔は私たちに何を言おうとしているのか。ああ~、それなのに。きょう(14日)も、応援している横綱稀勢の里が大相撲九州場所で平幕栃煌山にすくい投げで逆転負けしてしまい、これで4連敗の屈辱。誠に残念無念である。横綱の4連敗だなんて聞いたことがない。 
 不戦敗を除いて横綱の初日からの4連敗は1931年春場所の宮城山いらい87年ぶり、1場所15日制が定着した49年夏場所以降では初の事態。それだけに、本日付中日スポーツ〈はやわざ御免 北の富士勝昭〉の見出しにある通り「弱いから負けた。それだけで十分だ」の活字が胸に容赦なく突き刺さる。

 往年の名横綱、北の富士勝昭さんは、この〈はやわざ御免〉の中でこうも言っている。
――場所前、80番の稽古量で優勝を狙うと、高らかに宣言したではないか。私はそれを聞いてがっくりした。番付発表から2週間、約10日間でたったの80番、1日にして数えると、1日10番足らずの番数である。それも、格下相手である。稽古は番数でないとも述べている。私は「もう、救いようがない」と思ったものだ。だから、始まってからの3日間にこだわったのである。
 結果は見ての通り。散々たるありさまとなってしまった。「人事を尽くして天命を待つ」というが、稀勢の里は人事を尽くしたのか? 砂にまみれて稽古をしたのだろうか? 誰の口からもよくやっているという話は出てこない。どうやら、考えが甘かったといわざるを得ない。今の考えを反省しない限り、今後、何度チャンスを与えてもらっても、今場所と同様に終わるだろう。
(中略)
 これだけ言われたら、悔しいだろう。悔しければ優勝すればいい。初場所でも春場所でも、稀勢の里が優勝したなら、私は言い過ぎたおわびに、テレビの解説も、このコラムもやめていいと思っている。
 とにかく、言えることは、相撲ファンは稀勢の里が好きなのだ。みんなで再起を待ってくれる。初優勝して横綱に昇進したころの稀勢の里をもう一度、見たいものである。今はゆっくり休むことだ。(中略)5日目は本当に疲れた。俺も6日目から休場したいくらいだ。外出する気もない。食欲もない。金もない。これは冗談です。
 おやすみなさい。それにしても、本日の原稿は最悪だ。  (元横綱)

 さすがは名横綱だった北の富士勝昭さんだ。彼だからこそ、の機知に富んだ厳しくもあっぱれな言である。ところで私がかつて過ごした新聞記者の世界にも〈現場百回〉〈100回聞いて1を書く〉の言葉がある。歩いて。歩いて。歩きとおし、聞いて聞いて聴きまくる。そうしてこそ1行の特ダネ記事が産声をあげるのである。記者は何ごとに関しても【大いなるど素人】だ。だから、決して知ったかぶりをしてペンを手にすることは許されないのである。
 もしかしたら、稀勢の里にはこの点が欠けていたのではないか。これをスキという。天下の横綱に油断、過信があった気がしないでもない。北の富士勝昭さんの言うとおり、復活するためには、ただ稽古稽古、稽古あるのみだ。
        ☆        ☆

 13、14の両日は江南厚生病院へ。
 13日はことし1月早々に3分の1を切除した右肺のその後の状況を内科で、14日は骨折その後を整形外科(骨折部位はリハビリ治療後に)でそれぞれ担当医師に診てもらうためだ。肺は胸部のレントゲン撮影が中心だったが幸い「異常なし。でも万全を期し来年3月にもう一度診させて頂き、あとは通常の健康診断で推移を診ていきましょう」とのことだった。  
 骨折の方は「何よりも右腕が早く(直角に)曲げられるようになると良いですね。リハビリ治療を続けてください。お酒は、そこそこ」とのこと。右腕をリハビリでそろりそろりと動かす時、まだまだかなり痛いことは私自身が一番強く感じている。デ、いつもどおり痛み止めの薬を処方していただき、帰った。
 もう、病院へ行くのはひとりでも大丈夫なのに。舞はきのう、きょうとお店を休んでまで付き添ってくれ感謝している。悪いな、と思う。

 14日。病院から帰り携帯電話をチェックすると妹から3度の電話が入っていた。
「いったい何ごとか」と折り返すと「たか坊(私の本名は孝信。時に〝たかちゃん〟とも)ん、とこの畑が草茫々なのを近くの園芸屋さんが心配してくれている。ありがたいことよ。それで電話したんだよ」ときた。ならば、と税理士業務で忙しい妹にここは甘えることとし、私たちはまもなく車でさっそうと現れた妹に乗せてもらい現場に直行とあいなった。
「私も、ずっと気になっていました」と舞。草はやはり、かなり伸びてきていた。こんなわけで、私たちは妹の提言もあって、雑草の全てを刈り取って頂くことにしたのである。
 翌15日。私は江南園芸代表の大脇さんからの電話に「早いほうが良い」と判断、わざわざ車で迎えに来て頂いた大脇さんに甘え私たちの畑、エデンの東=以前に米国西海岸を訪れたときに見た夕日のあたる〈エデンの東〉に、とてもよく似ていたため私が勝手に、こう名付けた=〉へ。畑地の境界の説明などをさせてもらったが幸い、舞が育てていた紫のラベンダーと黄色マリーゴールドの花が生えそろった草たちの中で埋もれるようにして花を咲かせており、これには彼女も大喜び。ほかにピーマンも3個草の中で眠った如く育っており、これまた驚いた。

 舞が摘み取ったラベンダーとマリーゴールド
 20181115_172741
 
 いずれにせよ、かなりの面積をこの際、きれいにしてもらい、また1からの出直しとなるのである(ただ現在、地元の方にお貸ししてある畑は野菜が栽培中でもあり、しばらくはそのままに、と思っている)。
 こんなわけで、私たちの畑〈エデンの東〉の雑草除去処理作業は16日朝からさっそく始まった。これも私が右手を骨折したからこそ生まれた、これまで思ってもいなかった動きである。私たちは「これで良い」と思う。人間万事塞翁が馬である。今を受け入れ、ありがたいと感謝して生きていくほかあるまい。手を折ったればこそ、のドタバタ劇。災い転じて福と化す―かもしれない。
 
 本日(16日)は、午後久しぶりに歩いて母校、滝高近くの喫茶店へ。ここで来年から始まる私の〈こらむ〉執筆を前にした事前の打ち合わせをした。
        ×        ×

 日航のロンドン発羽田行き副操縦士が大量飲酒で英国の現地警察に逮捕されたかと思えば、岐阜では家畜伝染病「豚コレラ」が発生するなど。この世の中、相も変わらず、いろいろ起きる。

11月11日
 露育つ星の光を宿しつつ(栗本寬)
 秋夕焼つながるかしら糸電話(伊神舞子)
 =9日付尾北ホームニュース〈●尾北の文芸● 俳句 江南俳句同好会〉紙面から

 立冬(7日)も過ぎ、きょうは日曜日。
 しばらく本欄〈そぞろ歩き〉とも、ご無沙汰していた。
 この間には【江南文芸村】誕生話が仕掛け人の正五郎さん(画廊喫茶「音彩」店主、後藤正敏さん)らの奔走と、中日の地元記者(鈴木里奈さん)の苦心と熱意の執筆も手伝い、〈江南での作家活動サポート〉〈有志が「文芸村」発足〉の見出し付きで8日付尾張版紙面でデカデカとトップを飾ったりした(ちなみに村長さんは私、村議会議長さんが中日スポーツの4コマ漫画「おれたちゃドラゴンズ くらはしかん」で知られる漫画家、作家の倉橋寬さん)。

 ところで肘の部分を骨折した右手がまだまだ痛くて。自由には動かせない。そればかりか、このところは手のリハビリをはじめ、三河湾リゾートリンクス(愛知県西尾市)での中部ペンクラブの秋企画「文学座談会」の準備、12月22日に江南市の臨済宗妙心寺派高屋山永正寺で開催されることになった中村敦夫さんの朗読劇「元原発労働者のモノローグ 線量計が鳴る」へのこんごの進め、近く多くの読者を対象とした街の生活情報紙で執筆が始まる私の【こらむ】の題材探しと準備、その他もろもろなどアレヤコレヤに追われた(だからといって、やはり無理はしない―と自らに言い聞かせていることもあって本欄執筆は控えている)。

 このうち今月7日に三河湾リゾートリンクスであった文学座談会は中日新聞名古屋本社文化部デスク、中村陽子記者の基調講演「文芸記者の日々」を聞いたあと、これを題材に参加者全員で大いに語り合うのが狙いだったが、講演冒頭に飛び出した中村さんの「【文化】を取材する。そもそも〈文化〉って何でしょうか。それは生活をよくしようとする人間の営みかと思います」との発言がまず、参加者の共感を誘った。
 
 講演をする中村陽子さんと熱心に質問する中部ペンクラブ会員ら=三河湾リゾートリンクスにて
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 引き続き中村さんは東京本社の文化部在任当時に10年ほど芥川、直木両賞の選考取材をした経験を基に両賞選考に至るおおまかな流れや賞それぞれの性格、受賞記者会見でのエピソード、さらには最近発覚した芥川賞の候補作「美しい顔」による類似表現問題や受賞作(芥川賞「影裏」)に見る〈震災文学のありよう〉、AI(人工知能)時代の文学の行く手などについても幅広く触れた。
 この後の参加者との質疑応答では双方の間で「芥川賞は常に新しい世界(時代)を目指し、直木賞は自分の心に添う、人生を気持ちのなかで助けてくれる文学だ」「芥川賞の受賞作家が新人なら、直木賞の方はベテランが多い。芥川賞作家の方が、寿命が短いが、なぜなのでしょう」「幸運なのかどうか。たまたま、ある偶然によって賞に輝いたことが幸せなのか、それとも不幸せなのか。それは分からない」などといった声が相次いだ。
 中には「私は芥川とか直木賞などとは関係ない世界で〝自分の書きたいことを、ただ書き続けるだけ。それが文学なのですよ〟そうしたことこそが必要なのです」と力を込めて発言する老境作家の姿も。
 こうしたさまざまな声に中村さんは「出版業界の力が弱まるなかで中央一極集中の構図が変わってきており、地方で書き続ける人も目立つ。中央以外に、さまざまな試みが増えれば、たとえ芥川賞や直木賞の選考でも無視できない存在になるはずです。この先、中部からも面白い動きがあれば記者として、とても嬉しいです」と結んだ。
        ☆        ☆

 文学座談会が終わりホッとしたところで、きのうはEテレで〈こころの時代~宗教・人生~「反骨 ~中村敦夫の福島~」(60分番組)〉を見、きょうは舞の命令に従って1人で歩いて近くの床屋さんへ。
 長く伸び放題だった無精髭を剃っていただき、気になっていた頭も整髪してもらった。行き帰りとも両手を下にぶらぶらさせ自然に歩いてみたが、骨折に泣いた右腕の痛みも少しは軽くなってきたようで、からだ全体のバランスも正常になってきた。そんな気がする。
       ×        ×

 パリの凱旋門では第1次世界大戦終結100年の記念式典。マクロン大統領はドイツのメルケル首相、国連のグテレス事務総長はじめ、トランプ米大統領やプーチンロシア大統領、麻生太郎副総理兼財務省らを前に、高まるナショナリズムの兆候に強い懸念を示し「古い悪魔が再度目覚めつつある。自国第一主義と排他的政治がのさばろうとしている」と述べた。さすがは、フランス。パリである。
 トランプ、そしてプーチン両首脳は、どう思ったか。
 大相撲九州場所の初日。1人横綱の稀勢の里は小結貴景勝にはたき込みで負け、苦しい出だしに。昨日、広島県立総合体育館であったフィギュアスケートのグランプリ(GP)シリーズ第四戦、NHK杯は男女フリーなどを行い女子はGP初出場の16歳、紀平梨花(関大KFSC)がトリプルアクセル(3回転半)を2度成功させて合計224・31点をマークし逆転の初優勝を飾り、GPファイナル(12月・カナダのバンクーバー)への進出を決めた。

 東日本大震災から7年8カ月。被災地の陸前高田市では月命日の11日、M9の地震発生に伴う大津波を想定した避難訓練が行われた。先にあった米国中間選挙。上院は与党の共和党が多数を獲得したものの、下院は民主党が8年ぶりに多数派を奪回するねじれ現象となり、トランプ大統領がこの先どう出るのか。
 その米国カリフォルニア州では山火事が収まりそうにない。20万人以上に避難命令が出され、煙がサンフランシスコ周辺にまで到達、これまでに分かったところでは31人が死亡、100人以上が行方不明になっているという。
 きょうは、ここいらで。

11月6日
 フェルメールの絵十一月の光似し
 =伊神舞子〈きょうの俳句 minuetto-mi〉から

 冬の味覚ズワイガニ漁が日本海で解禁。

 最大震度7を観測し、41人が亡くなった北海道地震から丸2カ月―
 きのう5日は、世界津波の日。ニューヨークの国連本部では津波への備えをテーマにしたバネル討論が開かれ、東日本大震災の被災地日本からは岩手県陸前高田市の戸羽太市長が出席。障害者ら災害弱者にもやさしい津波に強い街づくりを目指して復興を進めていると報告した、という。岐阜県高山市では、核兵器廃絶と世界平和の実現をめざす自治体首長が集う平和首長会議の国内加盟都市総会が全国92自治体から約150人が参加して5、6の両日開かれた。
 米ではトランプ大統領が中間選挙の投開票を6日(日本時間7日)に控え、オハイオ州などで最後の訴えをして投票を呼びかけた。

「米、イラン原油禁輸発動 制裁復活 核合意の根幹崩壊」「日本など180日猶予」とは本日付中日新聞の1面トップ見出し。そして。特報面では「原発過酷作業 健康置き去り」「福島第一 車両整備の男性過労死認定 月の残業100時間超 重装備で汗まみれ」「現場の特殊性 考慮を」「ハードな工期日程 長い移動続く待機 問われる使用者の管理責任」といった活字が躍った。
――全くもって人間たちのやることは愚かなことばかりだ。
 あぁ~、と思わずため息が出てしまう。そういう私とて、その罪深き人間なのである。
        ×        ×

 雨のなか、バスに乗ってふたりで江南厚生病院へ。傘を手に舞が「お墓参りにいってきたよ」とポツリ。いつのまに、と思いつつ「そういえば、おまえのお父さんの亡くなった日が確かあす、11月7日だったよね」と私。
 昭和47年の11月7日。母子家庭に育った20の彼女は父の命日(昭和33年11月7日)を期して志摩半島は阿児町鵜方(現志摩市)の通信部で当時、新聞社の地方記者をしていた私のもとに飛び込んできたのだった。あのころは、森進一の〈襟裳岬〉が大ヒットし、舞にとっての襟裳岬が私がいる志摩半島だったのである。
 着の身着のまま、素足で近鉄鵜方駅におりたち私のもとに、こ走りで飛び込んできたその姿を私は忘れられず、後年、ベストセラーとなった〈泣かんとこ 風記者ごん!〉(能登印刷出版)執筆のきっかけにもなった。あのときはそれこそ、ふたりともゼロからの出発で、その後3人の子にも恵まれ今こうしていられるのが不思議でさえある。

 家族の仲間入りを、とチャンスをうかがう半野良シロちゃん(まだ首輪はない)と焦りなさんな、とゆったりと見守る猫パンちゃん。ふたりは良きコンビだ
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 きょうは半野良猫シロちゃんの粘り勝ちか。私たちの外出前にとうとう留守番名目でシロがわが家の家族として入居を許可され、帰宅するまでの間、家族の一員としての待遇を受けたのである。どこからやってくるのか。いつも舞が帰宅するつど決まって玄関先で出迎えてくれるシロちゃんの日頃の努力が認められたということか。
 でも、ほかの猫ちゃんたちと差別することになってはいけない。なので舞は留守番を条件にわが家に入れてしまったものらしい。「不公平はアカンよ」と私。シロちゃんは以前、わが家の家族の一員だったトンヌラ。初代の神猫シロちゃんの生まれ変わりみたい。何から何までそっくりなのである。情が移らないほうがおかしいか。
 
 夜。夕食後にふたりでNHKの〈うたコン〉を見た後、自室に戻ってこうしてそろそろと。またしても、パソコンキーを打ち始めた。いつまでも病人でいるわけにはいかない。ぼつぼつ、書き始めねば。そう、自分に言い聞かせながら、だ。
 でも、やっぱり、まだまだ右手はかなり痛い。自由にはとても動かない。

11月4日
 このところ秋ならでは、の爽やかな日が続いた。
 だが、きょうは雲が空一面を覆い尽くし、時折、小雨がぱらつく日となった。こうしたなか、世の中の人々は誰しもがそれぞれの目的に向かい、皆懸命に生きていくのである。 
 野良猫だって同じだ。みな、ちいさき心をときめかせて一瞬一瞬を生きている。わが家周辺に住み着く半野良猫のシロちゃん、猫パンちゃんたちだって、同じだ。

 1カ月ほど前、10月2日の深夜に名誉の負傷といおうか。タクシーで自宅に帰宅した際に玄関前の路上で転倒してしまい、右腕肘の骨をポキンと折ってしまい、若き日の講道館柔道三段の威光もどこへやらで、不覚にも1敗地にまみれ得難い経験に泣いた私。その後病院に通いリハビリなどの治療にあたってきたが、まだまだ痛さは残る。腕も上がらない。
 とはいえ、やっとこせ、少しは回復してきており(むろん休み休みではあるのだが)こうしてパソコンキーをなんとか打てるまでになった(以前は、左手を副木にして右手の痛さをこらえ1字1字、パソコンの前に立ちはだかって〈エイ、ヤアーッ〉と、顔面をゆがめ仁王立ちして涙ながらに必死で打っていたものだが、今ではまだまだ痛いが、それほどではなくなった)。

 そして。この社会といえば、だ。
 ここしばらく本欄〈そぞろ歩き〉と遠ざかっている間にも、中日ドラゴンズの与田剛新監督がプロ野球ドラフト会議で大阪桐蔭高・根尾昴内野手を1位指名し、当たりクジを引き当てたのをはじめ、シリアで武装勢力に拘束されていたフリージャーナリスト安田純平さん(44)の3年4カ月ぶりの解放、ソフトバンクの昨年に続く通算9回目の日本シリーズ制覇(本音を言えば、私は広島の34年ぶり日本一を願っていた)、烈しい雨、風にたたられたイタリア・サンマルコ広場の水没など。いろいろあったのである。

 この間、私はといえば車の運転はもちろん出来ず、社交ダンスのレッスンも全てキャンセル、ほかに恒例の日本ペンクラブ秋の京都例会に始まり、出席案内が来ていた一宮支局在任時の亡き人を偲ぶ会、東京での脱原発社会をめざす文学者の会の集まり、菅直人・岳真也カンカンガクガク対談『脱原発党宣言』出版記念・虎希の会懇親会、そして名古屋市内での大学時代の柔道部OB会総会など大半の出席は見合わせ、立場上どうしてもという席に限って出させていただいた。
 という事情なので関係者の皆さまには、本欄〈そぞろ歩き〉の紙面で相次ぐ非礼を深くおわびしておきたい。もちろん日々、家事や仕事をこなす傍ら好きな俳句の創作にも深夜未明までコツコツと励み、そればかりか、こんなグータラ亭主である私のために着替えをしてくれたり弁当を用意したりしてくれ、病院や時には床屋さんにまで付き添ってくれている舞には感謝のしようもない。
 ほかに「腕の骨折は回復急がず、お大事になさってください」などと、いつもメールで温かく励ましてくださっている心からの友にも礼を申しておきたい。
        ☆        ☆

 きょう11月4日午前11時過ぎ。昨日名古屋の短歌会館で短歌朗読コンサートを開かれた北久保まりこさん(短歌結社「心の花」)からメールが入った。
 伊神さま おはようございます。昨日は心配していた来場者もそこそこ集まり、皆様にお楽しみ頂く朗読ができました。ご心配頂き感謝しております。ありがとうございました。今は心地よい疲れと安堵感にひたっております。
 パフォーマンスの後には、中日日本歌人会の鈴木竹氏様が「魂を包みこまれるような感覚は初めてだった。良い朗読だった」と感想をのべられ、とても幸せな気持ちが致しました。またいつか伊神さまにお聴き頂ける機会をもうけたく思っております。
 どうぞ肘をお大事になさってください。
――といった内容で私も「良かったですね」と返信をさせて頂いた。

 夕方。名古屋の兄から携帯に電話。「たか坊(私の本名は孝信)が、手の骨を折ったとは知らなんだもんで。ほんでどうだ。大事にせなアカンよ。大丈夫か」と兄(そう言えば、妹には以前、話したが、兄には「言うほどのこともない。それに母が過度なほどの心配をするといけない」と勝手に判断しこれまで身から出たサビとも言える骨折受難については黙っていた)。
「ほんで、今おふくろに代わるから」というので満98歳のおふくろと久しぶりに話す。「元気でいるから」と話すと「早く、ようせやーよ」と彼女。

 というわけで、このところは、医者通いのほかには、私がこだわる彼(か)の能登出身作家藤澤清造の「狼の吐息」「家康入國の評判」(石川近代文学全集5、能登印刷出版部)はじめ、「菅直人×岳真也 脱原発党宣言 カンカンガクガク対談」(みやび出版)などを読む一方で、川端康成の〈伊豆の踊子〉所蔵の「伊豆の旅」(中公文庫)の名場面を何度も読み返してみるなどしていた。
 そして今夜はNHKスペシャル「メジャーリーガー 大谷翔平」を見たあと、こうしてパソコンキーに向かっている。「熱砂」同人、平子純さんから届いていた俳句8句も〈風狂子8句〉として新たに公開。

18年11月5日

ウェブ作品集

伊神 権太

実録随想「残り花」

平成30年11月16日
 探しもの見つかりぬ全山紅葉(11月16日)
 三日月の舟に乗りつつ旅に出ん(11月15日)
 =伊神舞子の〈きょうの俳句 minuetto-mi〉から

 紅葉真っ盛りである。梓川の清流が心地よい北ア・上高地、奥美濃の山里、赤目四十八滝、能登の小丸山公園、大垣城公園と芭蕉ゆかりの水門川、大津の三井寺など。どこもかしこも、燃え尽きるほどの美しさに違いない。 
 14日夜。美しい三日月が神月そのままにポッカリと空に浮かんだ。なぜか神月を見ると今は亡き、昨年7月に旅立った神猫シロちゃんを思い出す。彼女はわが著作〈懺悔の滴(人間社刊)〉の表紙を飾った。

 月が微笑んでいる。その顔は私たちに何を言おうとしているのか。ああ~、それなのに。きょう(14日)も、応援している横綱稀勢の里が大相撲九州場所で平幕栃煌山にすくい投げで逆転負けしてしまい、これで4連敗の屈辱。誠に残念無念である。横綱の4連敗だなんて聞いたことがない。 
 不戦敗を除いて横綱の初日からの4連敗は1931年春場所の宮城山いらい87年ぶり、1場所15日制が定着した49年夏場所以降では初の事態。それだけに、本日付中日スポーツ〈はやわざ御免 北の富士勝昭〉の見出しにある通り「弱いから負けた。それだけで十分だ」の活字が胸に容赦なく突き刺さる。

 往年の名横綱、北の富士勝昭さんは、この〈はやわざ御免〉の中でこうも言っている。
――場所前、80番の稽古量で優勝を狙うと、高らかに宣言したではないか。私はそれを聞いてがっくりした。番付発表から2週間、約10日間でたったの80番、1日にして数えると、1日10番足らずの番数である。それも、格下相手である。稽古は番数でないとも述べている。私は「もう、救いようがない」と思ったものだ。だから、始まってからの3日間にこだわったのである。
 結果は見ての通り。散々たるありさまとなってしまった。「人事を尽くして天命を待つ」というが、稀勢の里は人事を尽くしたのか? 砂にまみれて稽古をしたのだろうか? 誰の口からもよくやっているという話は出てこない。どうやら、考えが甘かったといわざるを得ない。今の考えを反省しない限り、今後、何度チャンスを与えてもらっても、今場所と同様に終わるだろう。
(中略)
 これだけ言われたら、悔しいだろう。悔しければ優勝すればいい。初場所でも春場所でも、稀勢の里が優勝したなら、私は言い過ぎたおわびに、テレビの解説も、このコラムもやめていいと思っている。
 とにかく、言えることは、相撲ファンは稀勢の里が好きなのだ。みんなで再起を待ってくれる。初優勝して横綱に昇進したころの稀勢の里をもう一度、見たいものである。今はゆっくり休むことだ。(中略)5日目は本当に疲れた。俺も6日目から休場したいくらいだ。外出する気もない。食欲もない。金もない。これは冗談です。
 おやすみなさい。それにしても、本日の原稿は最悪だ。  (元横綱)

 さすがは名横綱だった北の富士勝昭さんだ。彼だからこそ、の機知に富んだ厳しくもあっぱれな言である。ところで私がかつて過ごした新聞記者の世界にも〈現場百回〉〈100回聞いて1を書く〉の言葉がある。歩いて。歩いて。歩きとおし、聞いて聞いて聴きまくる。そうしてこそ1行の特ダネ記事が産声をあげるのである。記者は何ごとに関しても【大いなるど素人】だ。だから、決して知ったかぶりをしてペンを手にすることは許されないのである。
 もしかしたら、稀勢の里にはこの点が欠けていたのではないか。これをスキという。天下の横綱に油断、過信があった気がしないでもない。北の富士勝昭さんの言うとおり、復活するためには、ただ稽古稽古、稽古あるのみだ。
        ☆        ☆

 13、14の両日は江南厚生病院へ。
 13日はことし1月早々に3分の1を切除した右肺のその後の状況を内科で、14日は骨折その後を整形外科(骨折部位はリハビリ治療後に)でそれぞれ担当医師に診てもらうためだ。肺は胸部のレントゲン撮影が中心だったが幸い「異常なし。でも万全を期し来年3月にもう一度診させて頂き、あとは通常の健康診断で推移を診ていきましょう」とのことだった。  
 骨折の方は「何よりも右腕が早く(直角に)曲げられるようになると良いですね。リハビリ治療を続けてください。お酒は、そこそこ」とのこと。右腕をリハビリでそろりそろりと動かす時、まだまだかなり痛いことは私自身が一番強く感じている。デ、いつもどおり痛み止めの薬を処方していただき、帰った。
 もう、病院へ行くのはひとりでも大丈夫なのに。舞はきのう、きょうとお店を休んでまで付き添ってくれ感謝している。悪いな、と思う。

 14日。病院から帰り携帯電話をチェックすると妹から3度の電話が入っていた。
「いったい何ごとか」と折り返すと「たか坊(私の本名は孝信。時に〝たかちゃん〟とも)ん、とこの畑が草茫々なのを近くの園芸屋さんが心配してくれている。ありがたいことよ。それで電話したんだよ」ときた。ならば、と税理士業務で忙しい妹にここは甘えることとし、私たちはまもなく車でさっそうと現れた妹に乗せてもらい現場に直行とあいなった。
「私も、ずっと気になっていました」と舞。草はやはり、かなり伸びてきていた。こんなわけで、私たちは妹の提言もあって、雑草の全てを刈り取って頂くことにしたのである。
 翌15日。私は江南園芸代表の大脇さんからの電話に「早いほうが良い」と判断、わざわざ車で迎えに来て頂いた大脇さんに甘え私たちの畑、エデンの東=以前に米国西海岸を訪れたときに見た夕日のあたる〈エデンの東〉に、とてもよく似ていたため私が勝手に、こう名付けた=〉へ。畑地の境界の説明などをさせてもらったが幸い、舞が育てていた紫のラベンダーと黄色マリーゴールドの花が生えそろった草たちの中で埋もれるようにして花を咲かせており、これには彼女も大喜び。ほかにピーマンも3個草の中で眠った如く育っており、これまた驚いた。

 舞が摘み取ったラベンダーとマリーゴールド
 20181115_172741
 
 いずれにせよ、かなりの面積をこの際、きれいにしてもらい、また1からの出直しとなるのである(ただ現在、地元の方にお貸ししてある畑は野菜が栽培中でもあり、しばらくはそのままに、と思っている)。
 こんなわけで、私たちの畑〈エデンの東〉の雑草除去処理作業は16日朝からさっそく始まった。これも私が右手を骨折したからこそ生まれた、これまで思ってもいなかった動きである。私たちは「これで良い」と思う。人間万事塞翁が馬である。今を受け入れ、ありがたいと感謝して生きていくほかあるまい。手を折ったればこそ、のドタバタ劇。災い転じて福と化す―かもしれない。
 
 本日(16日)は、午後久しぶりに歩いて母校、滝高近くの喫茶店へ。ここで来年から始まる私の〈こらむ〉執筆を前にした事前の打ち合わせをした。
        ×        ×

 日航のロンドン発羽田行き副操縦士が大量飲酒で英国の現地警察に逮捕されたかと思えば、岐阜では家畜伝染病「豚コレラ」が発生するなど。この世の中、相も変わらず、いろいろ起きる。

11月11日
 露育つ星の光を宿しつつ(栗本寬)
 秋夕焼つながるかしら糸電話(伊神舞子)
 =9日付尾北ホームニュース〈●尾北の文芸● 俳句 江南俳句同好会〉紙面から

 立冬(7日)も過ぎ、きょうは日曜日。
 しばらく本欄〈そぞろ歩き〉とも、ご無沙汰していた。
 この間には【江南文芸村】誕生話が仕掛け人の正五郎さん(画廊喫茶「音彩」店主、後藤正敏さん)らの奔走と、中日の地元記者(鈴木里奈さん)の苦心と熱意の執筆も手伝い、〈江南での作家活動サポート〉〈有志が「文芸村」発足〉の見出し付きで8日付尾張版紙面でデカデカとトップを飾ったりした(ちなみに村長さんは私、村議会議長さんが中日スポーツの4コマ漫画「おれたちゃドラゴンズ くらはしかん」で知られる漫画家、作家の倉橋寬さん)。

 ところで肘の部分を骨折した右手がまだまだ痛くて。自由には動かせない。そればかりか、このところは手のリハビリをはじめ、三河湾リゾートリンクス(愛知県西尾市)での中部ペンクラブの秋企画「文学座談会」の準備、12月22日に江南市の臨済宗妙心寺派高屋山永正寺で開催されることになった中村敦夫さんの朗読劇「元原発労働者のモノローグ 線量計が鳴る」へのこんごの進め、近く多くの読者を対象とした街の生活情報紙で執筆が始まる私の【こらむ】の題材探しと準備、その他もろもろなどアレヤコレヤに追われた(だからといって、やはり無理はしない―と自らに言い聞かせていることもあって本欄執筆は控えている)。

 このうち今月7日に三河湾リゾートリンクスであった文学座談会は中日新聞名古屋本社文化部デスク、中村陽子記者の基調講演「文芸記者の日々」を聞いたあと、これを題材に参加者全員で大いに語り合うのが狙いだったが、講演冒頭に飛び出した中村さんの「【文化】を取材する。そもそも〈文化〉って何でしょうか。それは生活をよくしようとする人間の営みかと思います」との発言がまず、参加者の共感を誘った。
 
 講演をする中村陽子さんと熱心に質問する中部ペンクラブ会員ら=三河湾リゾートリンクスにて
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 引き続き中村さんは東京本社の文化部在任当時に10年ほど芥川、直木両賞の選考取材をした経験を基に両賞選考に至るおおまかな流れや賞それぞれの性格、受賞記者会見でのエピソード、さらには最近発覚した芥川賞の候補作「美しい顔」による類似表現問題や受賞作(芥川賞「影裏」)に見る〈震災文学のありよう〉、AI(人工知能)時代の文学の行く手などについても幅広く触れた。
 この後の参加者との質疑応答では双方の間で「芥川賞は常に新しい世界(時代)を目指し、直木賞は自分の心に添う、人生を気持ちのなかで助けてくれる文学だ」「芥川賞の受賞作家が新人なら、直木賞の方はベテランが多い。芥川賞作家の方が、寿命が短いが、なぜなのでしょう」「幸運なのかどうか。たまたま、ある偶然によって賞に輝いたことが幸せなのか、それとも不幸せなのか。それは分からない」などといった声が相次いだ。
 中には「私は芥川とか直木賞などとは関係ない世界で〝自分の書きたいことを、ただ書き続けるだけ。それが文学なのですよ〟そうしたことこそが必要なのです」と力を込めて発言する老境作家の姿も。
 こうしたさまざまな声に中村さんは「出版業界の力が弱まるなかで中央一極集中の構図が変わってきており、地方で書き続ける人も目立つ。中央以外に、さまざまな試みが増えれば、たとえ芥川賞や直木賞の選考でも無視できない存在になるはずです。この先、中部からも面白い動きがあれば記者として、とても嬉しいです」と結んだ。
        ☆        ☆

 文学座談会が終わりホッとしたところで、きのうはEテレで〈こころの時代~宗教・人生~「反骨 ~中村敦夫の福島~」(60分番組)〉を見、きょうは舞の命令に従って1人で歩いて近くの床屋さんへ。
 長く伸び放題だった無精髭を剃っていただき、気になっていた頭も整髪してもらった。行き帰りとも両手を下にぶらぶらさせ自然に歩いてみたが、骨折に泣いた右腕の痛みも少しは軽くなってきたようで、からだ全体のバランスも正常になってきた。そんな気がする。
       ×        ×

 パリの凱旋門では第1次世界大戦終結100年の記念式典。マクロン大統領はドイツのメルケル首相、国連のグテレス事務総長はじめ、トランプ米大統領やプーチンロシア大統領、麻生太郎副総理兼財務省らを前に、高まるナショナリズムの兆候に強い懸念を示し「古い悪魔が再度目覚めつつある。自国第一主義と排他的政治がのさばろうとしている」と述べた。さすがは、フランス。パリである。
 トランプ、そしてプーチン両首脳は、どう思ったか。
 大相撲九州場所の初日。1人横綱の稀勢の里は小結貴景勝にはたき込みで負け、苦しい出だしに。昨日、広島県立総合体育館であったフィギュアスケートのグランプリ(GP)シリーズ第四戦、NHK杯は男女フリーなどを行い女子はGP初出場の16歳、紀平梨花(関大KFSC)がトリプルアクセル(3回転半)を2度成功させて合計224・31点をマークし逆転の初優勝を飾り、GPファイナル(12月・カナダのバンクーバー)への進出を決めた。

 東日本大震災から7年8カ月。被災地の陸前高田市では月命日の11日、M9の地震発生に伴う大津波を想定した避難訓練が行われた。先にあった米国中間選挙。上院は与党の共和党が多数を獲得したものの、下院は民主党が8年ぶりに多数派を奪回するねじれ現象となり、トランプ大統領がこの先どう出るのか。
 その米国カリフォルニア州では山火事が収まりそうにない。20万人以上に避難命令が出され、煙がサンフランシスコ周辺にまで到達、これまでに分かったところでは31人が死亡、100人以上が行方不明になっているという。
 きょうは、ここいらで。

11月6日
 フェルメールの絵十一月の光似し
 =伊神舞子〈きょうの俳句 minuetto-mi〉から

 冬の味覚ズワイガニ漁が日本海で解禁。

 最大震度7を観測し、41人が亡くなった北海道地震から丸2カ月―
 きのう5日は、世界津波の日。ニューヨークの国連本部では津波への備えをテーマにしたバネル討論が開かれ、東日本大震災の被災地日本からは岩手県陸前高田市の戸羽太市長が出席。障害者ら災害弱者にもやさしい津波に強い街づくりを目指して復興を進めていると報告した、という。岐阜県高山市では、核兵器廃絶と世界平和の実現をめざす自治体首長が集う平和首長会議の国内加盟都市総会が全国92自治体から約150人が参加して5、6の両日開かれた。
 米ではトランプ大統領が中間選挙の投開票を6日(日本時間7日)に控え、オハイオ州などで最後の訴えをして投票を呼びかけた。

「米、イラン原油禁輸発動 制裁復活 核合意の根幹崩壊」「日本など180日猶予」とは本日付中日新聞の1面トップ見出し。そして。特報面では「原発過酷作業 健康置き去り」「福島第一 車両整備の男性過労死認定 月の残業100時間超 重装備で汗まみれ」「現場の特殊性 考慮を」「ハードな工期日程 長い移動続く待機 問われる使用者の管理責任」といった活字が躍った。
――全くもって人間たちのやることは愚かなことばかりだ。
 あぁ~、と思わずため息が出てしまう。そういう私とて、その罪深き人間なのである。
        ×        ×

 雨のなか、バスに乗ってふたりで江南厚生病院へ。傘を手に舞が「お墓参りにいってきたよ」とポツリ。いつのまに、と思いつつ「そういえば、おまえのお父さんの亡くなった日が確かあす、11月7日だったよね」と私。
 昭和47年の11月7日。母子家庭に育った20の彼女は父の命日(昭和33年11月7日)を期して志摩半島は阿児町鵜方(現志摩市)の通信部で当時、新聞社の地方記者をしていた私のもとに飛び込んできたのだった。あのころは、森進一の〈襟裳岬〉が大ヒットし、舞にとっての襟裳岬が私がいる志摩半島だったのである。
 着の身着のまま、素足で近鉄鵜方駅におりたち私のもとに、こ走りで飛び込んできたその姿を私は忘れられず、後年、ベストセラーとなった〈泣かんとこ 風記者ごん!〉(能登印刷出版)執筆のきっかけにもなった。あのときはそれこそ、ふたりともゼロからの出発で、その後3人の子にも恵まれ今こうしていられるのが不思議でさえある。

 家族の仲間入りを、とチャンスをうかがう半野良シロちゃん(まだ首輪はない)と焦りなさんな、とゆったりと見守る猫パンちゃん。ふたりは良きコンビだ
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 きょうは半野良猫シロちゃんの粘り勝ちか。私たちの外出前にとうとう留守番名目でシロがわが家の家族として入居を許可され、帰宅するまでの間、家族の一員としての待遇を受けたのである。どこからやってくるのか。いつも舞が帰宅するつど決まって玄関先で出迎えてくれるシロちゃんの日頃の努力が認められたということか。
 でも、ほかの猫ちゃんたちと差別することになってはいけない。なので舞は留守番を条件にわが家に入れてしまったものらしい。「不公平はアカンよ」と私。シロちゃんは以前、わが家の家族の一員だったトンヌラ。初代の神猫シロちゃんの生まれ変わりみたい。何から何までそっくりなのである。情が移らないほうがおかしいか。
 
 夜。夕食後にふたりでNHKの〈うたコン〉を見た後、自室に戻ってこうしてそろそろと。またしても、パソコンキーを打ち始めた。いつまでも病人でいるわけにはいかない。ぼつぼつ、書き始めねば。そう、自分に言い聞かせながら、だ。
 でも、やっぱり、まだまだ右手はかなり痛い。自由にはとても動かない。

11月4日
 このところ秋ならでは、の爽やかな日が続いた。
 だが、きょうは雲が空一面を覆い尽くし、時折、小雨がぱらつく日となった。こうしたなか、世の中の人々は誰しもがそれぞれの目的に向かい、皆懸命に生きていくのである。 
 野良猫だって同じだ。みな、ちいさき心をときめかせて一瞬一瞬を生きている。わが家周辺に住み着く半野良猫のシロちゃん、猫パンちゃんたちだって、同じだ。

 1カ月ほど前、10月2日の深夜に名誉の負傷といおうか。タクシーで自宅に帰宅した際に玄関前の路上で転倒してしまい、右腕肘の骨をポキンと折ってしまい、若き日の講道館柔道三段の威光もどこへやらで、不覚にも1敗地にまみれ得難い経験に泣いた私。その後病院に通いリハビリなどの治療にあたってきたが、まだまだ痛さは残る。腕も上がらない。
 とはいえ、やっとこせ、少しは回復してきており(むろん休み休みではあるのだが)こうしてパソコンキーをなんとか打てるまでになった(以前は、左手を副木にして右手の痛さをこらえ1字1字、パソコンの前に立ちはだかって〈エイ、ヤアーッ〉と、顔面をゆがめ仁王立ちして涙ながらに必死で打っていたものだが、今ではまだまだ痛いが、それほどではなくなった)。

 そして。この社会といえば、だ。
 ここしばらく本欄〈そぞろ歩き〉と遠ざかっている間にも、中日ドラゴンズの与田剛新監督がプロ野球ドラフト会議で大阪桐蔭高・根尾昴内野手を1位指名し、当たりクジを引き当てたのをはじめ、シリアで武装勢力に拘束されていたフリージャーナリスト安田純平さん(44)の3年4カ月ぶりの解放、ソフトバンクの昨年に続く通算9回目の日本シリーズ制覇(本音を言えば、私は広島の34年ぶり日本一を願っていた)、烈しい雨、風にたたられたイタリア・サンマルコ広場の水没など。いろいろあったのである。

 この間、私はといえば車の運転はもちろん出来ず、社交ダンスのレッスンも全てキャンセル、ほかに恒例の日本ペンクラブ秋の京都例会に始まり、出席案内が来ていた一宮支局在任時の亡き人を偲ぶ会、東京での脱原発社会をめざす文学者の会の集まり、菅直人・岳真也カンカンガクガク対談『脱原発党宣言』出版記念・虎希の会懇親会、そして名古屋市内での大学時代の柔道部OB会総会など大半の出席は見合わせ、立場上どうしてもという席に限って出させていただいた。
 という事情なので関係者の皆さまには、本欄〈そぞろ歩き〉の紙面で相次ぐ非礼を深くおわびしておきたい。もちろん日々、家事や仕事をこなす傍ら好きな俳句の創作にも深夜未明までコツコツと励み、そればかりか、こんなグータラ亭主である私のために着替えをしてくれたり弁当を用意したりしてくれ、病院や時には床屋さんにまで付き添ってくれている舞には感謝のしようもない。
 ほかに「腕の骨折は回復急がず、お大事になさってください」などと、いつもメールで温かく励ましてくださっている心からの友にも礼を申しておきたい。
        ☆        ☆

 きょう11月4日午前11時過ぎ。昨日名古屋の短歌会館で短歌朗読コンサートを開かれた北久保まりこさん(短歌結社「心の花」)からメールが入った。
 伊神さま おはようございます。昨日は心配していた来場者もそこそこ集まり、皆様にお楽しみ頂く朗読ができました。ご心配頂き感謝しております。ありがとうございました。今は心地よい疲れと安堵感にひたっております。
 パフォーマンスの後には、中日日本歌人会の鈴木竹氏様が「魂を包みこまれるような感覚は初めてだった。良い朗読だった」と感想をのべられ、とても幸せな気持ちが致しました。またいつか伊神さまにお聴き頂ける機会をもうけたく思っております。
 どうぞ肘をお大事になさってください。
――といった内容で私も「良かったですね」と返信をさせて頂いた。

 夕方。名古屋の兄から携帯に電話。「たか坊(私の本名は孝信)が、手の骨を折ったとは知らなんだもんで。ほんでどうだ。大事にせなアカンよ。大丈夫か」と兄(そう言えば、妹には以前、話したが、兄には「言うほどのこともない。それに母が過度なほどの心配をするといけない」と勝手に判断しこれまで身から出たサビとも言える骨折受難については黙っていた)。
「ほんで、今おふくろに代わるから」というので満98歳のおふくろと久しぶりに話す。「元気でいるから」と話すと「早く、ようせやーよ」と彼女。

 というわけで、このところは、医者通いのほかには、私がこだわる彼(か)の能登出身作家藤澤清造の「狼の吐息」「家康入國の評判」(石川近代文学全集5、能登印刷出版部)はじめ、「菅直人×岳真也 脱原発党宣言 カンカンガクガク対談」(みやび出版)などを読む一方で、川端康成の〈伊豆の踊子〉所蔵の「伊豆の旅」(中公文庫)の名場面を何度も読み返してみるなどしていた。
 そして今夜はNHKスペシャル「メジャーリーガー 大谷翔平」を見たあと、こうしてパソコンキーに向かっている。「熱砂」同人、平子純さんから届いていた俳句8句も〈風狂子8句〉として新たに公開。

08/4/26