「挑戦状」 伊神権太

 泳ぐ。
 この言葉からまず、浮かぶのは小学生のころ。愛知県知多半島野間であった「海の学校」での子ども心にも痛快極まる思い出だ。その日、沖合で遠泳大会があり、私たち小学生がそろって、それに参加したときのことだ。確か5、6年のころで、指定された沖合の周遊コースでいつまで泳ぎ続けることが出来るか、を競い合うものだった。
 ヨーイ、ドンの声で児童50~60人が一斉に泳ぎ始めてから十分がたち、二十分が過ぎるころには、友だちはどんどん泳ぐのをあきらめ(いや、浮いているのを―といった方が適切かも知れない)手を挙げ、伴送船に次々と引き上げられていった。
 そんななか私だけは、いつまでも指定された沖合コースをスローペースで黙々と泳ぎ続けた。水深はかなり深く波も強く立ってきていた。一時間ぐらいは過ぎたろうか。周囲の海には誰も居なくなっていた。私は、それでも平泳ぎでおよぐ。本当に浮いていられなくなるまで続けようと思っていたからで、伴走船以外には周りに誰もいないと知ってからは、逆に闘争心をかきたてられ「ヨシッ、やってやろうじゃないか」と決意も新たに半分浮いたままの状態で手足をゆっくりとバタつかせた。
 やがて伴送中の船上から、先生の声が耳に大きく二度、三度と迫った。
「お~い。いがみくん。もう海から上がったら?」「君の遠泳力の凄さは、もう分かった。1番だ。だから。やめて上がりなさい」
 その声に私は子ども心にも「いつまで泳ぎ続けられるか、を確かめる大会なのに。一人きりになったら、止めよ、だなんて。なんだかおかしい」と反発。先生たちがハラハラして見守るなかを、挑戦状でもたたきつけるように薄暗くなってきた海の中を、そのまま泳ぎ続けた。それでも、頃合いを見計って手を挙げ、船に乗せられたが、あのときの心配顔の先生たちのホッとした表情は今も忘れられない。

 これまた小学生のころの話だ。私は珠算に滅法長けた少年だった。
 なかでも、読み上げ暗算に関しては、いろんな珠算大会でどんな大人にだって一度も負けたことはなかった。絶えず優勝トロフィーを手にした。何百万単位すなわち6、7桁のそろばん珠が全て頭のなかに鮮明に入っており、正解を答える姿には周りの大人たちもそのつど仰天したものだが、この場合は私の頭にしかない回路を泳いでいたと言っていい。当時テレビでよく見る神童なぞ、全く問題ではなかった。実際3~4桁の読み上げ暗算くらいなら、今も軽くこなすだろう。
 こんな私に亡き父は生前よくこう言った。
「おまえほど頭のいい子はいない」と。だからといって私は、決して数学など得意でない。暗算ならドンと来いだが、少しひねった問題となると、たちまちにギブアップ。最初から放棄するのである。

 最後に〈泳ぐ〉で忘れられないのは、現役の新聞記者時代に土石流や地震、噴火、大水害といった災害や殺し、誘拐など大事件発生のつど、取材ヘリや双発ジェットで派遣された数知れない現場への取材行に関するものだ。これら命がけだった取材の数々が頭にこびりついて離れないのか。今は夢の中で事件発生を知らされた私がなぜか決まって、空や激流のなかを【泳いで】現場に向かうのである。
 空を飛び、木曽川などの急流をおよぎ切り、やっと目的地に着いたかと思った瞬間、私の脳裏の映像はプツンと消え「なんだ。夢だったのか」と初めて【犯人】に気付くのだが、こうした夢をいまだによく見、そのつど「あぁ~、着いた。ついたぞ」と叫んで立ち上がる。いまなお現場に駆けつけねば、といった記者魂に翻弄されている。これとて挑戦か。

 人間は皆いつだって何かの形でどこかを歩き、泳いでいるのだ。
 それは現実だったり、現実離れした幻の世界だったりするが、時には事件現場への回顧の時だったりもする。泳ぐ、とは。いろいろあって面白い。
 そして。私たちは誰だって、この宇宙の果てでどこかを泳ぎ続けている。(完)

18年8月27日

「泳ぐ命」 黒宮涼

 泳ぐ。
 この言葉からまず、浮かぶのは小学生のころ。愛知県知多半島野間であった「海の学校」での子ども心にも痛快極まる思い出だ。その日、沖合で遠泳大会があり、私たち小学生がそろって、それに参加したときのことだ。確か5、6年のころで、指定された沖合の周遊コースでいつまで泳ぎ続けることが出来るか、を競い合うものだった。
 ヨーイ、ドンの声で児童50~60人が一斉に泳ぎ始めてから十分がたち、二十分が過ぎるころには、友だちはどんどん泳ぐのをあきらめ(いや、浮いているのを―といった方が適切かも知れない)手を挙げ、伴送船に次々と引き上げられていった。
 そんななか私だけは、いつまでも指定された沖合コースをスローペースで黙々と泳ぎ続けた。水深はかなり深く波も強く立ってきていた。一時間ぐらいは過ぎたろうか。周囲の海には誰も居なくなっていた。私は、それでも平泳ぎでおよぐ。本当に浮いていられなくなるまで続けようと思っていたからで、伴走船以外には周りに誰もいないと知ってからは、逆に闘争心をかきたてられ「ヨシッ、やってやろうじゃないか」と決意も新たに半分浮いたままの状態で手足をゆっくりとバタつかせた。
 やがて伴送中の船上から、先生の声が耳に大きく二度、三度と迫った。
「お~い。いがみくん。もう海から上がったら?」「君の遠泳力の凄さは、もう分かった。1番だ。だから。やめて上がりなさい」
 その声に私は子ども心にも「いつまで泳ぎ続けられるか、を確かめる大会なのに。一人きりになったら、止めよ、だなんて。なんだかおかしい」と反発。先生たちがハラハラして見守るなかを、挑戦状でもたたきつけるように薄暗くなってきた海の中を、そのまま泳ぎ続けた。それでも、頃合いを見計って手を挙げ、船に乗せられたが、あのときの心配顔の先生たちのホッとした表情は今も忘れられない。

 これまた小学生のころの話だ。私は珠算に滅法長けた少年だった。
 なかでも、読み上げ暗算に関しては、いろんな珠算大会でどんな大人にだって一度も負けたことはなかった。絶えず優勝トロフィーを手にした。何百万単位すなわち6、7桁のそろばん珠が全て頭のなかに鮮明に入っており、正解を答える姿には周りの大人たちもそのつど仰天したものだが、この場合は私の頭にしかない回路を泳いでいたと言っていい。当時テレビでよく見る神童なぞ、全く問題ではなかった。実際3~4桁の読み上げ暗算くらいなら、今も軽くこなすだろう。
 こんな私に亡き父は生前よくこう言った。
「おまえほど頭のいい子はいない」と。だからといって私は、決して数学など得意でない。暗算ならドンと来いだが、少しひねった問題となると、たちまちにギブアップ。最初から放棄するのである。

 最後に〈泳ぐ〉で忘れられないのは、現役の新聞記者時代に土石流や地震、噴火、大水害といった災害や殺し、誘拐など大事件発生のつど、取材ヘリや双発ジェットで派遣された数知れない現場への取材行に関するものだ。これら命がけだった取材の数々が頭にこびりついて離れないのか。今は夢の中で事件発生を知らされた私がなぜか決まって、空や激流のなかを【泳いで】現場に向かうのである。
 空を飛び、木曽川などの急流をおよぎ切り、やっと目的地に着いたかと思った瞬間、私の脳裏の映像はプツンと消え「なんだ。夢だったのか」と初めて【犯人】に気付くのだが、こうした夢をいまだによく見、そのつど「あぁ~、着いた。ついたぞ」と叫んで立ち上がる。いまなお現場に駆けつけねば、といった記者魂に翻弄されている。これとて挑戦か。

 人間は皆いつだって何かの形でどこかを歩き、泳いでいるのだ。
 それは現実だったり、現実離れした幻の世界だったりするが、時には事件現場への回顧の時だったりもする。泳ぐ、とは。いろいろあって面白い。
 そして。私たちは誰だって、この宇宙の果てでどこかを泳ぎ続けている。(完)

18/8/23