「かどであれこれ」 真伏善人

 門出とは自分の家を出発して旅に向かうこと、新しい生活に向けて出発すること等が言われている。そこで自分にもあった門出を考えてみると、まずはこの世に生を受けたことだろう。勿論記憶などあるはずもないが、始まる人生の門出であることは間違いない。

 そして物心が付き始めると、人間社会の第一歩が義務教育の始まりである。まずはその準備、支度であった。心の準備、覚悟は年明け頃にはあったのだろう。家族の中での会話や、遊び友達の言葉の中にそのことについてのやりとりが、次第に多くなってきていた。地域での集合場所には何時までに集まることや、学校での過ごし方などが耳に入ってきていた。だが、そんなことより大きな心配事があった。身支度である。いつまでたってもらしき物が目に入らない。やはりどこかの小学生のお下がりを探しているのだろうかと思うようになっていた。そんなある日、家に見たこともない大きな荷物が届いた。それが何と入学するための全てが揃っていた。帽子、学生服、靴、ランドセルを前にしてはしゃぎ回った。遠くの地で働いている兄からのものであった。入学式は誰にも気遅れすることなく、胸を張って母と出席することができたのである。これが第二の門出。

 第三の門出は何といっても就職であろう。進学したくても家庭の事情で働かなければならない人たちが多くいた。今では死語になった集団就職である。進学にわずかな望みを託していたが、やはり家の事情で就職列車に乗ることとなった。当日は家の仕事が忙しく、ひとり駅に向かい待合室に入る。そのうち来るだろう母の姿を、今かと待っているうちに列車が入ってくる。やはり来ないのかと、促す駅員の声に外を振り向きながら列車に乗り込む。それでもと、ホームの窓際に席を取り目をこらす。と、小走りで来る母の姿が目に入った。人垣で窓際に寄れない母と目が合い手を振ると、同じように手首をゆらしてほほ笑んだ。ホームの親、近親者、先生たちに見送られる列車は、泣き叫ぶ声を乗せたまま駅を離れた。

 社会人として周りの環境に慣れ、仕事もそれなりに進められるようになって十年ほどが過ぎると、誰もが意識するのが、家庭をかまえることだった。自分も例にもれず考えはしたものの、先立つものが全くない。これではと気持ちを改め、独身寮にひきこもって、ひたすら資金をためることに専念した。結果、人並みに家庭を持てたのが第四の門出であろう。
 第五の門出は言うまでもなく、会社員としての定年である。「自由」これをどれほど待ち望んだだろうか。長い会社勤めが、これで終わると決まった時は、まさに天にも昇るようであった。まずは何も考えず、頭と身体がふやけるほどのんびりした。
 体力、気力が現実に慣れてからは、思いつくままに外へ出た。目的はあって無いようなもので、近くの田んぼ道を歩いてみたり、川岸から流れの色を眺めたり、ひょいと現れる猫たちと遊んでみたりと、その日の空を見ながら一日を楽しんでいた。時にはカメラをかまえて昆虫のあるがままや、陽が落ちればお月さんを撮ったりと、それはもう夢中であった。あいにくの天気には、参考になりそうな本はないかと、書店や図書館へ足を運んだ。

 そして年月が経ち、今では以前登った山々を望める所まで足を運ぶようになった。その風景写真を持ち帰って目の前に置き、パステルを使って絵にするのである。今、次のことは頭にない。なにしろこの作業はかなりの日時を要し、時を忘れている。
 だが、生を受けた限り幕が下りる何時かがある。それがまた新しい門出にと、捉えるのは勝手すぎるか。(完)

18年5月30日

「卒業生へ送るピアノ」 黒宮涼

 門出とは自分の家を出発して旅に向かうこと、新しい生活に向けて出発すること等が言われている。そこで自分にもあった門出を考えてみると、まずはこの世に生を受けたことだろう。勿論記憶などあるはずもないが、始まる人生の門出であることは間違いない。

 そして物心が付き始めると、人間社会の第一歩が義務教育の始まりである。まずはその準備、支度であった。心の準備、覚悟は年明け頃にはあったのだろう。家族の中での会話や、遊び友達の言葉の中にそのことについてのやりとりが、次第に多くなってきていた。地域での集合場所には何時までに集まることや、学校での過ごし方などが耳に入ってきていた。だが、そんなことより大きな心配事があった。身支度である。いつまでたってもらしき物が目に入らない。やはりどこかの小学生のお下がりを探しているのだろうかと思うようになっていた。そんなある日、家に見たこともない大きな荷物が届いた。それが何と入学するための全てが揃っていた。帽子、学生服、靴、ランドセルを前にしてはしゃぎ回った。遠くの地で働いている兄からのものであった。入学式は誰にも気遅れすることなく、胸を張って母と出席することができたのである。これが第二の門出。

 第三の門出は何といっても就職であろう。進学したくても家庭の事情で働かなければならない人たちが多くいた。今では死語になった集団就職である。進学にわずかな望みを託していたが、やはり家の事情で就職列車に乗ることとなった。当日は家の仕事が忙しく、ひとり駅に向かい待合室に入る。そのうち来るだろう母の姿を、今かと待っているうちに列車が入ってくる。やはり来ないのかと、促す駅員の声に外を振り向きながら列車に乗り込む。それでもと、ホームの窓際に席を取り目をこらす。と、小走りで来る母の姿が目に入った。人垣で窓際に寄れない母と目が合い手を振ると、同じように手首をゆらしてほほ笑んだ。ホームの親、近親者、先生たちに見送られる列車は、泣き叫ぶ声を乗せたまま駅を離れた。

 社会人として周りの環境に慣れ、仕事もそれなりに進められるようになって十年ほどが過ぎると、誰もが意識するのが、家庭をかまえることだった。自分も例にもれず考えはしたものの、先立つものが全くない。これではと気持ちを改め、独身寮にひきこもって、ひたすら資金をためることに専念した。結果、人並みに家庭を持てたのが第四の門出であろう。
 第五の門出は言うまでもなく、会社員としての定年である。「自由」これをどれほど待ち望んだだろうか。長い会社勤めが、これで終わると決まった時は、まさに天にも昇るようであった。まずは何も考えず、頭と身体がふやけるほどのんびりした。
 体力、気力が現実に慣れてからは、思いつくままに外へ出た。目的はあって無いようなもので、近くの田んぼ道を歩いてみたり、川岸から流れの色を眺めたり、ひょいと現れる猫たちと遊んでみたりと、その日の空を見ながら一日を楽しんでいた。時にはカメラをかまえて昆虫のあるがままや、陽が落ちればお月さんを撮ったりと、それはもう夢中であった。あいにくの天気には、参考になりそうな本はないかと、書店や図書館へ足を運んだ。

 そして年月が経ち、今では以前登った山々を望める所まで足を運ぶようになった。その風景写真を持ち帰って目の前に置き、パステルを使って絵にするのである。今、次のことは頭にない。なにしろこの作業はかなりの日時を要し、時を忘れている。
 だが、生を受けた限り幕が下りる何時かがある。それがまた新しい門出にと、捉えるのは勝手すぎるか。(完)

18/5/11