「大切ないま。今は幸せかい」  伊神権太

 〈しあわせ〉って何。し・あ・わ・せ。そして、そのむこうに見えるものは。なんだろう。貧困。差別。病。戦争。テロ…。原発を含む悲惨な事故と大災害。民族間に立ちふさがる人種差別と宗教の壁。これらの難題をくぐり抜けてのし・あ・わ・せ。これを得るには容易なことではない。私たちはその合間を縫うかの如く。まさに紙一重、一触即発のダモクレスの剣にも似たなかで幸せを甘受している。ペットを含めた家族、友だち、書き続けるということ。だから、今を大切に抱きしめていきたい。と。そう願う。
 私は好きな横笛をふきながら。書き続ける。そして社交ダンスを踊り、ときには仲間とカラオケにも興じて。またある時には、お酒をのみながら。ふと思い出したようにそんなことに頭を巡らす。この星(地球)の全乗組員(全人類)にあなたは今、しあわせですか? 幸せの向こうに見えるもの、それは何ですか、と問いたいのである。

 つい先日11月24日付中日新聞朝刊の〈中日春秋〉によれば、寺山修司さんがたまたまトイレの落書で知ったルナアルのことば〈幸福とは幸福をさがすことである〉をあげていたが、全く同感だ。手に入れたいものを手に入れるまでの過程だ、とも言える。では、手に入れてからでは幸せでない、というのか。そうでもない。手に入れたものを大切にし続けることも立派な幸せかと思う。
 その典型例が夫婦一緒の暮らしであり、家族の穏やかな日々だ。次に友人、知人、私の場合だったら、文学や横笛、社交ダンスなど仲間たちとのお付き合い。幸福度でいうなら、家族のそれほど密度は濃くはなくっても、日ごろの互いに思いやっての何げない交流だって、しあわせ感を倍加させてくれる。最近では歳を重ねるにつれ、しあわせ=家族の平穏(平安)、平凡な日々をことあるごとに実感する。

 私の場合、このところ数年前までなら思いもしなかった夫婦そろっての野菜づくりで互いに文句を言いながらも結構楽しく、ふと幸せを感じる。ナスや白菜、キャベツなどを、たとえ少しでも収穫したときには心の中でバンザイと叫ぶ。むろん、若いころの、妻との逃避行にも似た志摩での〈駆け落ち記者生活〉で共に手を携え夢中で暮らした時や、わが子が生まれ入学したり大学入試や資格試験に受かったりしたときの、あの喜びは映画のシーンのように一コマひとコマ忘れられない。ましてや長男の結婚式のときなど、恥ずかしながらとめどなく流れ出る涙に、このままナミダの大海に溺れてしまうのでは、と本気で思ったりした(まだ2人残っている。今度はどうなるのだろう)。
 ほかに両親の金婚式のお祝いを兄弟で力を合わせ能登半島の和倉温泉で行った時など兄と妹夫妻一家も加わって、まるで夢のようなひとときが過ぎていったことをヨオーク覚えている。脳内出血や静脈瘤乖離などで幾度となく倒れた妻が、そのつど病を克服。何時間にも及んだ脳の大手術に耐え、奇跡的に生還してくれた時など、知人の励ましも含めて「これ以上の幸せはない」と思い、これまでを生きてきた。

 最後に三年前、私はピースボートによる地球一周の船旅を経験した。妻やわが子と別れての生活が実に102日間の長きに及んだが、あの時ほど心細く思うと同時に、家族のありがたさを身にしみて感じたことはない。今だから告白する。乗船中、私は常時、すぐにでもわが家に帰りたい衝動にかられていた。幸い、船内では大切な宝のような船友もでき、これはこれで別の幸せを味わったりもした。
 寄港地の先々では、あなたにとっての平和、すなわち幸せとは何ですか、と問いかけてみたが決まって「お母さんに毎日話を聞いてもらえ、友だちとおしゃべりが出来ること」「家族といられること」といった声が返ってきた。なかには「ピース・イズ・ラブ」とこたえてくれた少年も。愛こそ平和で、平和のなかにこそ幸せがある。世界の誰もが、そのように思っているのである。(了)

15年12月8日

「ギャラリーのある湖畔」  真伏善人

 〈しあわせ〉って何。し・あ・わ・せ。そして、そのむこうに見えるものは。なんだろう。貧困。差別。病。戦争。テロ…。原発を含む悲惨な事故と大災害。民族間に立ちふさがる人種差別と宗教の壁。これらの難題をくぐり抜けてのし・あ・わ・せ。これを得るには容易なことではない。私たちはその合間を縫うかの如く。まさに紙一重、一触即発のダモクレスの剣にも似たなかで幸せを甘受している。ペットを含めた家族、友だち、書き続けるということ。だから、今を大切に抱きしめていきたい。と。そう願う。
 私は好きな横笛をふきながら。書き続ける。そして社交ダンスを踊り、ときには仲間とカラオケにも興じて。またある時には、お酒をのみながら。ふと思い出したようにそんなことに頭を巡らす。この星(地球)の全乗組員(全人類)にあなたは今、しあわせですか? 幸せの向こうに見えるもの、それは何ですか、と問いたいのである。

 つい先日11月24日付中日新聞朝刊の〈中日春秋〉によれば、寺山修司さんがたまたまトイレの落書で知ったルナアルのことば〈幸福とは幸福をさがすことである〉をあげていたが、全く同感だ。手に入れたいものを手に入れるまでの過程だ、とも言える。では、手に入れてからでは幸せでない、というのか。そうでもない。手に入れたものを大切にし続けることも立派な幸せかと思う。
 その典型例が夫婦一緒の暮らしであり、家族の穏やかな日々だ。次に友人、知人、私の場合だったら、文学や横笛、社交ダンスなど仲間たちとのお付き合い。幸福度でいうなら、家族のそれほど密度は濃くはなくっても、日ごろの互いに思いやっての何げない交流だって、しあわせ感を倍加させてくれる。最近では歳を重ねるにつれ、しあわせ=家族の平穏(平安)、平凡な日々をことあるごとに実感する。

 私の場合、このところ数年前までなら思いもしなかった夫婦そろっての野菜づくりで互いに文句を言いながらも結構楽しく、ふと幸せを感じる。ナスや白菜、キャベツなどを、たとえ少しでも収穫したときには心の中でバンザイと叫ぶ。むろん、若いころの、妻との逃避行にも似た志摩での〈駆け落ち記者生活〉で共に手を携え夢中で暮らした時や、わが子が生まれ入学したり大学入試や資格試験に受かったりしたときの、あの喜びは映画のシーンのように一コマひとコマ忘れられない。ましてや長男の結婚式のときなど、恥ずかしながらとめどなく流れ出る涙に、このままナミダの大海に溺れてしまうのでは、と本気で思ったりした(まだ2人残っている。今度はどうなるのだろう)。
 ほかに両親の金婚式のお祝いを兄弟で力を合わせ能登半島の和倉温泉で行った時など兄と妹夫妻一家も加わって、まるで夢のようなひとときが過ぎていったことをヨオーク覚えている。脳内出血や静脈瘤乖離などで幾度となく倒れた妻が、そのつど病を克服。何時間にも及んだ脳の大手術に耐え、奇跡的に生還してくれた時など、知人の励ましも含めて「これ以上の幸せはない」と思い、これまでを生きてきた。

 最後に三年前、私はピースボートによる地球一周の船旅を経験した。妻やわが子と別れての生活が実に102日間の長きに及んだが、あの時ほど心細く思うと同時に、家族のありがたさを身にしみて感じたことはない。今だから告白する。乗船中、私は常時、すぐにでもわが家に帰りたい衝動にかられていた。幸い、船内では大切な宝のような船友もでき、これはこれで別の幸せを味わったりもした。
 寄港地の先々では、あなたにとっての平和、すなわち幸せとは何ですか、と問いかけてみたが決まって「お母さんに毎日話を聞いてもらえ、友だちとおしゃべりが出来ること」「家族といられること」といった声が返ってきた。なかには「ピース・イズ・ラブ」とこたえてくれた少年も。愛こそ平和で、平和のなかにこそ幸せがある。世界の誰もが、そのように思っているのである。(了)

15/12/3