「間違い」こそ、成功への道

 今回のテーマは「間違い」に、と同人の一人からキツイ提案が出されたとき正直、私は自分のことを指摘されているようで、ギョッとした。「権太さん、あなたの人生を書いたらいいよ。それだけで大いなる間違い続きなんだから」と言われた気がしてウーンとうなったのである。というのは、ご推察のとおり私自身この年まで間違いだらけ、失敗の連続の人生を歩んできたため、その点をズバリ突かれ一本取られたと思ったからだ。世のなか、失敗は成功のもとだ、とよく言われるが、現実は「失敗は失敗の連鎖の始まり」といっていい。でも、分かっちゃいるけど人は過ちを犯し、繰り返すいきものなのである。
「間違い」との言葉に現役だった新聞記者時代の失敗談が洪水の如く、目の前に浮かび上がってくる。人生最初の大失敗として生涯忘れられないのは小学2、3年のころにあった校内水泳大会でのハプニング。ちいさいころから水泳が得意だった私は平泳ぎの校内競泳大会に出場。「用意、ドン!」のピストル音にプールに飛び込んだまではよかったが、水泳パンツのバンドがパチンとはじけて取れてしまい、なんと素裸のままヌード泳法(こんな言葉があるかどうかは知らないが)でおよぐはめに。あのときの恥ずかしさといったら。こども心に人生最初の大恥となったのである。
 屈辱といえば、大学生のころ講道館柔道3段を実力で取った19歳のころの話しだ。当時、自尊心の塊で【ブルース・リー】気取りでいた私は、恥ずかしげもなく仏文科の女性Uさんを大学祭が行われていた学生会館屋上にまで連れ出し半ば強引に自ら書いたラブレターを目の前で読んで聞いてもらったことがある。その場で「そんなにまで言ってもらい嬉しいけれど。アタシ、困っちゃう。アナタ、まだ若いのだから。イガミさん、それにふたりでこうして話しを交わすのもきょうが初めてじゃない」とやんわり断られた。
 いま思えば、あのときの勇気ある撤退、気恥ずかしさも忘れられない。初対面の女子大生を前にいきなりのプロポーズだったが、相手の女性は面食らったに違いない。(私自身は登下校時に擦れ違うUさんが天使に見え、彼女に憧れのようなものを感じていたのも事実だ。それとも、こいに恋していたのか)
 そして。社会人になってからの失敗も生涯忘れることはない。新聞記者の駆け出しとして松本支局でサツ周りをしていたころの話である。その年の夏、上高地臨時支局に駐在。合間を見て北アルプスの焼岳に登山しているさなかに、事件は起きた。読売新聞のヘリが槍ヶ岳に墜落したというのだ。「君の上高地駐在は一体何だったのだ。一番警戒すべき山岳遭難に備えてなのに、一番必要な時につかまらないとは。どこをふらついてたのだ。山の取材で行動するときは、朝のうちにすます。それも相当早いうちに、だ。午後は絶対、離れない―とあれほど言っておいたではないか」とそれまで叱られたことのなかった今は亡き、当時は〝仏の支局長〟として有名だった支局長にどなられたことがある。おかげで初動の遅さが最後までたたって、現場到着が他社の遅れをとる結果となった。
 上高地から帰り、恐る恐る支局に顔を出すと仏の支局長曰く「オウっ、ガミちゃんか。無事、帰ったか。ご苦労さん」と、ひとり酒を飲みながらヒョッコ記者の私の帰りを待っていてくれた、あの笑顔と優しさは永遠に忘れないだろう。 
 ことほどさように人生、間違いと失敗の連続である。不思議なもので周りを見渡すと間違いが多い人間ほど大物になり、大成している。そういう私も若いころ、真珠の海・英虞湾と海女さんで知られる三重県志摩半島で駆け落ち逃亡記者生活を強行、周りをヒヤヒヤさせ通しでなんとか記者道を務め上げ、いまだに失敗につぐ失敗の連続である。この人生。もしかしたら、間違いの積み重ねが大成功につながるのでは。人間とは、間違いをする生きものなのである。 (完)

15年6月5日

疲労困パイあわや  真伏善人

 今回のテーマは「間違い」に、と同人の一人からキツイ提案が出されたとき正直、私は自分のことを指摘されているようで、ギョッとした。「権太さん、あなたの人生を書いたらいいよ。それだけで大いなる間違い続きなんだから」と言われた気がしてウーンとうなったのである。というのは、ご推察のとおり私自身この年まで間違いだらけ、失敗の連続の人生を歩んできたため、その点をズバリ突かれ一本取られたと思ったからだ。世のなか、失敗は成功のもとだ、とよく言われるが、現実は「失敗は失敗の連鎖の始まり」といっていい。でも、分かっちゃいるけど人は過ちを犯し、繰り返すいきものなのである。
「間違い」との言葉に現役だった新聞記者時代の失敗談が洪水の如く、目の前に浮かび上がってくる。人生最初の大失敗として生涯忘れられないのは小学2、3年のころにあった校内水泳大会でのハプニング。ちいさいころから水泳が得意だった私は平泳ぎの校内競泳大会に出場。「用意、ドン!」のピストル音にプールに飛び込んだまではよかったが、水泳パンツのバンドがパチンとはじけて取れてしまい、なんと素裸のままヌード泳法(こんな言葉があるかどうかは知らないが)でおよぐはめに。あのときの恥ずかしさといったら。こども心に人生最初の大恥となったのである。
 屈辱といえば、大学生のころ講道館柔道3段を実力で取った19歳のころの話しだ。当時、自尊心の塊で【ブルース・リー】気取りでいた私は、恥ずかしげもなく仏文科の女性Uさんを大学祭が行われていた学生会館屋上にまで連れ出し半ば強引に自ら書いたラブレターを目の前で読んで聞いてもらったことがある。その場で「そんなにまで言ってもらい嬉しいけれど。アタシ、困っちゃう。アナタ、まだ若いのだから。イガミさん、それにふたりでこうして話しを交わすのもきょうが初めてじゃない」とやんわり断られた。
 いま思えば、あのときの勇気ある撤退、気恥ずかしさも忘れられない。初対面の女子大生を前にいきなりのプロポーズだったが、相手の女性は面食らったに違いない。(私自身は登下校時に擦れ違うUさんが天使に見え、彼女に憧れのようなものを感じていたのも事実だ。それとも、こいに恋していたのか)
 そして。社会人になってからの失敗も生涯忘れることはない。新聞記者の駆け出しとして松本支局でサツ周りをしていたころの話である。その年の夏、上高地臨時支局に駐在。合間を見て北アルプスの焼岳に登山しているさなかに、事件は起きた。読売新聞のヘリが槍ヶ岳に墜落したというのだ。「君の上高地駐在は一体何だったのだ。一番警戒すべき山岳遭難に備えてなのに、一番必要な時につかまらないとは。どこをふらついてたのだ。山の取材で行動するときは、朝のうちにすます。それも相当早いうちに、だ。午後は絶対、離れない―とあれほど言っておいたではないか」とそれまで叱られたことのなかった今は亡き、当時は〝仏の支局長〟として有名だった支局長にどなられたことがある。おかげで初動の遅さが最後までたたって、現場到着が他社の遅れをとる結果となった。
 上高地から帰り、恐る恐る支局に顔を出すと仏の支局長曰く「オウっ、ガミちゃんか。無事、帰ったか。ご苦労さん」と、ひとり酒を飲みながらヒョッコ記者の私の帰りを待っていてくれた、あの笑顔と優しさは永遠に忘れないだろう。 
 ことほどさように人生、間違いと失敗の連続である。不思議なもので周りを見渡すと間違いが多い人間ほど大物になり、大成している。そういう私も若いころ、真珠の海・英虞湾と海女さんで知られる三重県志摩半島で駆け落ち逃亡記者生活を強行、周りをヒヤヒヤさせ通しでなんとか記者道を務め上げ、いまだに失敗につぐ失敗の連続である。この人生。もしかしたら、間違いの積み重ねが大成功につながるのでは。人間とは、間違いをする生きものなのである。 (完)

15/6/1