「心の恩人」  真伏善人

 
 二年半ほど前のことである。コンサートホールから届いたゆうメールで、あのひとの公演予定を目にして仰天した。それまで幾度か日本での公演はあったようだが、知る機会もなく又、情報の範囲外にもなっていた。クラシックギター界の世界的第一人者であり、活動範囲も現代音楽や映画音楽まで広がりをみせていることは、手持ちのCDでおよそ知っていた。そのジャケットで見る写真は若かった頃の面影を残しているものの、髪の生え際は随分と上がっていた。
 四十数年前のことだ。僕が何もかもうまくいかず失望のどん底にあった頃、あのひとの一枚のLP盤を聴いたことで人生、立ち直るきっかけを与えてくれた恩人である。これはどうしたってこの公演に参じなければ、自分の気持ちが許さない。聞くところによるとこの日本での講演を最後にして引退するらしいとある。だとすれば、なんとしてでもこの機会にしっかりとあのひとの姿を目に焼きつけ、生涯、胸の奥深くにしまっておこうと思っていたら、何ということだろうか、公演の中止が発表された。東北大震災による原発事故がその理由であった。千載一遇のチャンスを失い、ああおれはなんと運のない人間なのだろうと天を恨んだ。
 だが、神様は見捨てなかった。あのひとの日本での公演に対する強い気持ちがあったのだろう。なんと翌年の秋に来日するという。もちろんこの地方にも再度公演が組まれていた。待ち焦がれていた当日の夕刻、満席の会場の中ほどに身体を沈め、息をひそめてあのひとが現れるのを待った。袖の扉が開くと、思っていたより立派な身体つきに目を見張った。そして意外にもカジュアルな服装で、いっぺんに距離感を縮めさせた。十数年前のCDジャケットに見る容姿ほとんどそのままでさっそうと現れ、満面の笑みを会場に向けて浮かべたのである。あの頬笑みはこの僕にも向けられているのだと信じて疑わず、思わず微笑み返した。
 やがて演奏は始まったが、目を瞑って耳を傾けるよりも、歳を重ねたあのひとの感情表現を窺うことに終始していた。プログラムを進めながら、幾度か会場に話しかけたりする表情は豊かで人間味に溢れていた。英語を聞き取れる人はうなずいたり、遠慮なく言葉を返していたが、僕に言葉が分かるはずもなく、その様子を前にして地団駄を踏んだ。馴染みのある曲、そうでもない曲が奏でられ、あっという間にエンディングとなる。アンコールに応えて小品を終えると、万雷の拍手を浴びてあのひとは舞台をあとにした。持っている全てであるはずはないが、僕は今日のすべてを心にきざんで会場を出た。
 あれはもうずいぶん昔のことだ。人生というものの中に自分がいるという認識が芽生えてまもなく、思い通りにいかないことに気持ちを尖らせ、見境なく当たり散らし、周囲から有形無形のバッシングを受けて居所を失い、その上、女性との交際もうまくいかず、身も心も深い淵に沈み、ひとりさ迷っていた時代に出会ったのが、あのひとのLP盤だった。音楽だけが心の支えになっていた僕がレコード店で目に留めたのは、古代美術のようなジャケットにタイトルが『ある貴神のための幻想曲』とある。憑かれたように手を伸ばして独身寮に戻り、ヘッドホンを耳にして聴くとそれは胸に捻り込んでくるギター協奏曲であった。当時の僕の辛さ、苦しさ、悲しさよりもずっと深く沈んだ旋律であった。それであってすばらしく美しく、力強さに溢れていた。毎日聞いているうちに、僕はあるべき自分を教えられたような気がした。
  その旋律を奏でた孤高のギタリストが、目の前にいる『ジョンウィリアムス』あのひとだったのである。四十数年を経て最後であろう生演奏を観聴きできたのは、本当に奇跡というしかない。心の恩人「あのひと」に感謝。  (了)

14年3月27日

 「心の恩人」  真伏善人

 
 二年半ほど前のことである。コンサートホールから届いたゆうメールで、あのひとの公演予定を目にして仰天した。それまで幾度か日本での公演はあったようだが、知る機会もなく又、情報の範囲外にもなっていた。クラシックギター界の世界的第一人者であり、活動範囲も現代音楽や映画音楽まで広がりをみせていることは、手持ちのCDでおよそ知っていた。そのジャケットで見る写真は若かった頃の面影を残しているものの、髪の生え際は随分と上がっていた。
 四十数年前のことだ。僕が何もかもうまくいかず失望のどん底にあった頃、あのひとの一枚のLP盤を聴いたことで人生、立ち直るきっかけを与えてくれた恩人である。これはどうしたってこの公演に参じなければ、自分の気持ちが許さない。聞くところによるとこの日本での講演を最後にして引退するらしいとある。だとすれば、なんとしてでもこの機会にしっかりとあのひとの姿を目に焼きつけ、生涯、胸の奥深くにしまっておこうと思っていたら、何ということだろうか、公演の中止が発表された。東北大震災による原発事故がその理由であった。千載一遇のチャンスを失い、ああおれはなんと運のない人間なのだろうと天を恨んだ。
 だが、神様は見捨てなかった。あのひとの日本での公演に対する強い気持ちがあったのだろう。なんと翌年の秋に来日するという。もちろんこの地方にも再度公演が組まれていた。待ち焦がれていた当日の夕刻、満席の会場の中ほどに身体を沈め、息をひそめてあのひとが現れるのを待った。袖の扉が開くと、思っていたより立派な身体つきに目を見張った。そして意外にもカジュアルな服装で、いっぺんに距離感を縮めさせた。十数年前のCDジャケットに見る容姿ほとんどそのままでさっそうと現れ、満面の笑みを会場に向けて浮かべたのである。あの頬笑みはこの僕にも向けられているのだと信じて疑わず、思わず微笑み返した。
 やがて演奏は始まったが、目を瞑って耳を傾けるよりも、歳を重ねたあのひとの感情表現を窺うことに終始していた。プログラムを進めながら、幾度か会場に話しかけたりする表情は豊かで人間味に溢れていた。英語を聞き取れる人はうなずいたり、遠慮なく言葉を返していたが、僕に言葉が分かるはずもなく、その様子を前にして地団駄を踏んだ。馴染みのある曲、そうでもない曲が奏でられ、あっという間にエンディングとなる。アンコールに応えて小品を終えると、万雷の拍手を浴びてあのひとは舞台をあとにした。持っている全てであるはずはないが、僕は今日のすべてを心にきざんで会場を出た。
 あれはもうずいぶん昔のことだ。人生というものの中に自分がいるという認識が芽生えてまもなく、思い通りにいかないことに気持ちを尖らせ、見境なく当たり散らし、周囲から有形無形のバッシングを受けて居所を失い、その上、女性との交際もうまくいかず、身も心も深い淵に沈み、ひとりさ迷っていた時代に出会ったのが、あのひとのLP盤だった。音楽だけが心の支えになっていた僕がレコード店で目に留めたのは、古代美術のようなジャケットにタイトルが『ある貴神のための幻想曲』とある。憑かれたように手を伸ばして独身寮に戻り、ヘッドホンを耳にして聴くとそれは胸に捻り込んでくるギター協奏曲であった。当時の僕の辛さ、苦しさ、悲しさよりもずっと深く沈んだ旋律であった。それであってすばらしく美しく、力強さに溢れていた。毎日聞いているうちに、僕はあるべき自分を教えられたような気がした。
  その旋律を奏でた孤高のギタリストが、目の前にいる『ジョンウィリアムス』あのひとだったのである。四十数年を経て最後であろう生演奏を観聴きできたのは、本当に奇跡というしかない。心の恩人「あのひと」に感謝。  (了)

14/3/27