新連載・権太の地球一周船旅ストーリー〈海に抱かれて みんなラヴ〉5月25日

平成二十四年五月二十五日
 アラブの海はどこまでも透きとおり笑っている
 

 たった今、私は社交ダンスでからだを開くステップ(“ニューヨーク”という)を学んだあと、9階デッキの椅子にひとり座って海と空を見ている。この辺り、特にソマリア海域に近づくとしばしば海賊が出没するというのだが、海はどこまでも静かで満足そうな、平穏な波音である。考えてみれば、賊が出ようが出まいが彼女にとってはどうでもいいことだ。そのこと自体、ちっぽけな人間社会の成せることで関係ない。

 きのう美雪からいきなり「ピースボートは海にふさわしい船になりそうですか」のファックスが届いた。こうして海を見ていると、波の方からも、私の方からも互いの心が引き寄せられるようで、これも船旅だからこそ。この質問には「なれそうです」と答えておこう。美雪がいつもの調子で海のかなたから、たった一言フワリと投げてくる直球にボクは一瞬たじろぎながらも「なれそう」と繰り返した。

 あさ、太陽に向かひて顔を洗ふ/波の音 かぜの声 空とぶトビウオたち/波は消えることなく生まれくる/かぜの声も、そして私の胸音も、絶えることがない/海かぜにさらわれる私に 君が近づく/私は もいちど陽に向かひて 目を閉じる/眠る、ボクはひとり 君もひとり/そんなボクと君に 海は笑いかけてくれる/何も心配ないから、とー    2012年5月25日=〈海を超え〉、アラビア海にて・伊神権太

 デッキで私なりの、つたない海の詩(うた)をつくったあと、講演「アラブの春」(高橋和夫講師)を7階ブロードウェイで聞き、このあと8階バイーアで少女たちが牢屋に入れられゴミのように捨てられているタイの児童買春の醜い実態を描いた映画上映会に参加した。ほかに、ハーモニカ同好会やら「男性、ゆかたの着方教えます」「サリーを着よう」など出たい教室がいっぱいあったが、時間が重なるのでみなパスし、合間に執筆を続けた。

 船内を行き来していて8階プロムナードの壁に張られた〈「金色の輪」見えた 金環日食、列島各地で歓声(21日)〉の日本ニュースが目に留まった。それよると、「東京、大阪、名古屋など日本の主要都市の多くで幸運に恵まれたという。関東地方の大部分では1839年9月8日以来、実に173年ぶり、とあった。なんだか、うらやましい気がした。

【出会い】昨夜、居酒屋「波へい」で飲んでいたら、名古屋からおいでの「四男美(SHIOMI)」という名の不思議な男性にお会いした。出身は九州。集団就職で四十数年前、尾張名古屋へ。その世界に身を投じて三年前に退職。いまは名古屋びとそのものである。飛騨から金沢まで走るネイチャーランを十年近くも走り続けた、というこの男性。何やら謎めいたところがいい。

平成二十四年五月二十四日
 アラビア海で周囲を護衛艦に守られ航行するオーシャンドリーム号

 
木曜日。きょうは横浜を出港後初のリフレッシュデーということで船内新聞は休刊日扱い。社交ダンスもなく、何だか久しぶりに心身ともにホッとした感じだ。それもこれも昨夜、ユーチューブに「伊神権太が行く世界紀行 平和へのメッセージ/私はいまこの町で〈厦門(アモイ)編〉」をアップすることが出来たからこそ、でもある。アップに手間取っていたら今頃一睡もしないで次から次へとカードを切らしながらも挑んでいたに違いない。

 それにしても、このところの本欄連載ストーリー〈海に抱かれて みんなラヴ〉の執筆と連日の作品アップ(写真含む)、そして一番に手間取ったユーチューブへのアップ作業のおかげで本当に眠い。全身が眠っている。
 いつもなら、めまぐるしく船内各所で開かれている各種カルチャー教室も閉鎖されている。だから本当ならデッキに最近設けられた楽器練習広場でハーモニカと横笛でも、ゆったりした気持ちでふきたいところだ。でも、スマートフォンの音声、パケット通信ともに「利用不可能」が続き、船内からの電話も回線の関係で不可能とあっては通信手段は息子が設定しておいてくれた洋上からのメールしかない。まさに、それだけが命綱だ。

 というわけで、私を心配してくれている方々のたとえ一部でもメールだけは、と半日をかけ打ち続けたのである。シンガポールで束の間電話が通じた時にショートメールや電話、ファックスで最初に連絡した人は省くことにした。そうでないと、いくら私が金持ちだったとしてもカード代などバカにならないからだ。スケール大きく使うべき時は使いながらも無駄遣いは控えようーとの意識は、やはり“尾張びと”の成せる業か。

 ここ2、3日の間に船内で急激に様子が替わってきたのがデッキ部分の多くが船員により段ボール紙や黒いカーテンなどで次々と閉鎖されてきたことだ。オーシャンドリーム号はきょう午前中にはインド最南端のコモリン岬沖を通り越し、アラビア海をただヒタスラにスエズ運河に向け航行中である。
 船体右舷沖には明らかにそれ、とみられる護衛艦が並走して波を蹴立てている。きょうは、この先29日ごろまではソマリアを含む海賊警戒海域を航行するというわけで海賊対策避難訓練もあった。
 各船室には「安全のため、夜間(日没~日の出)はオープンデッキスペースへは立ち入らないよう願います」「夜間にオープンデッキのライトが消され、屋外に面した公共スペースの窓なども、光が漏れないようカーテンなどで覆われます。窓付きキャビンの方はカーテンを閉めていただくようにお願いします。」などといった〈海賊対策のお知らせ〉までが投かんされ、すこしばかり緊張感が伝わってくる。
 海賊出没に警戒を強める船員たち

 また日本や世界の動きは時折、8階プロムナードに張り出される壁新聞以外には何も分からない。美雪がファックスで送ってきた通り、まさに私たち乗客は今、ビデオとかカメラは別にして船内というアナログの世界で生きている。

【出会い】本日午後、ビアガーデンがオープンした9階中央プールエリアで撮影スポットを探して歩いていたら、横浜からお出でのキリンおじさん(いつもキリンのTシャツ姿だから。本名は津江慎弥さん)に「あのぉ~、ぜひ書いてやって」と声をかけられた。「ここのところ(居酒屋「波へい」で)お見かけしませんが。あなたの作品を読んで横浜のみんなが元気でやっててくれる、と安心してくれてます」とのこと。

 デ、何かよいニュースでもあるのですか、と聞くと「そうなんですよ。あんたさまには、ぜひ船内でのドジョウすくい踊りのことを書いてほしい。なんとも所作が面白くて」ときた。「ええ、私の作品〈海に抱かれて みんなラヴ〉でもよろしければ。いいですよ」と言うと、男性は「ちょいと連れてきますから」と姿を消し、しばらくするとドジョウすくい踊りの名手なる美貌の女性を僕の目の前に連れてきた。
 神戸から来た竹村雪路さん、74歳で「この方の踊るドジョウすくいが今船内で、とても評判なんです。ぜひ、ゴンタさんの連載でも取り上げてほしい」とキリンおじさん。雪路さんが言うには、かつて第70回のピースボートに乗ったがお年寄り用の教室がなかったので〈じいさん、バアサンの芸達者集まれぇ~〉と自主計画で呼びかけたところ、阿波踊りに始まって来るわ来るわ。あのときドジョウすくいをやったのが始まりでして…。今回は既に3回講座を開き全員がほぼ免許皆伝です、との弁。

 「ドジョウを入れるザルは段ボールを切り取ったり、ティッシュの箱を半分切って紐をつけたら、それでいい。あとは手ぬぐいに草履をはいて。みんな、ただや。からだ一本で出来るんやから。前半の三回で大半が免許皆伝なので次の教室までは、しばらく待ってほしい」。というわけで、どこまでも陽気で魅力的なドジョウすくい踊りの名手とキリンおじさんでした。

平成二十四年五月二十三日
 オーシャンドリーム号は早朝、スリランカのコロンボに着いた。
 船内新聞によれば、ピースボートが初めてスリランカを訪れたのは1991年1月。初の地球一周となった第10回クルーズの時からだ。以降、現地との交流を重ねる中で民族間対立から起きた内戦の戦災復興や、2004年の津波被害後の仮設住宅建設に携わったり、支援物質を届ける活動を行ってきた。一方で昨年の3・11東日本大震災発生時には今度はスリランカから宮城県石巻市に15人が駆け付け、三週間にわたって被災地支援活動に従事してくれたという。まさに、この国は日本にとって「遠くて近い国」なのである。

 この日、私は津波や内戦などで親を失った少女20人が逆境のなか、たくましく生きるヤソーダラ孤児院を訪ねる「『光り輝く島』の子どもたち」オプションツアーに参加。スリランカ政府観光局の政府認定ガイド・ダハナアヤカさんによれば、「スリランカは昔から本当に光り輝く島」と言われていたということだったが、私には子どもたち一人ひとりの目が輝いて見えた。なぜか。
 それは孤児院のロクマニヨ院長(大僧正)はじめリハーカ・ヘレン校長ら全職員、そして近所の家の誰もが温かい目で少女たちを見守り、そればかりか、彼女たちが晴れて結婚するまで責任をもって育てている。だから、なのだ。そして。少女たちは、私たちのために練習してきた歌や踊りを精いっぱいに見せてくれ、歌のなかには、ポンポコリンといったニッポンの唄まであった。

 私たちも、みんな私のハーモニカの伴奏で♪うみはあおいな おおきいな……と日本の唄を歌ってみせ交流会では、いつの間にか何組もの輪ができた。簡単な言語や日本の習字、お絵かき、折り紙、おはじきを教えたり教えられたり。なかには、珍しそうに関心を示すこどもたちに自分のカメラで撮影の伝授をしたり、外でシャボン玉の飛ばしあいっこをする、など楽しいひとときを過ごした。私は♪シャボン玉とんだ 屋根までとんだ…をハーモニカでふいたあと、日本の〈さくらさくら〉を横笛で演奏してみせもした。

 交流でひとときを過ごすコロンボの女の子たち

 続いて食べた昼食は、きのう近所の人々が総出で準備してくれただけあって、スパイスの効いたスリランカカレーなど、それはおいしかった。ほかに一個を四分の一に切って食べたマンゴーやリンゴ、パイナップル、ブドウの味も忘れられない。苦手なヨーグルトもなぜかノドにしみいった。

 最後にピースボート側から学用品の支援物資がロクマニヨ院長と園生らに直接手渡され、ピースボート女性ガイドの青木友里さんから突然大役を仰せつかった私が日本からの一行を代表して「きょうは本当に楽しかった。みなさん! ありがとう。私たちは、きょうのこの日を決して忘れることはないでしょう。きょうから、ヤソーダラ孤児院が世界平和への灯(ともしび)の発信点になることを互いに誓おうではありませんか」とあいさつしたのである。
 支援物質に対するお礼を述べるロクマニヨ院長

 帰船後は、きのう深夜未明まで二度にわたって挑戦しながら不安定な回線とカードの時間切れの影響で失敗に終わった〈権太が行く世界紀行 平和へのメッセージ 私はいま/この町で〉のユーチューブへのアップに再チャレンジ。四度目にしてやっとたどりついた。
 これも、何よりも編集に携わっていろいろ教えてくださっているピースボートスタッフで映像班キャップの高木應さん(アタルクン)はじめ、ボランティア映像班の田中詩乃さん、コンちゃん、そしてパソコンを前に悪戦苦闘している私を前にたびたび助言してくださったアダムや名も知らない善意の若者たちのおかげだ。
 まずは厦門(アモイ)編の始まりで、これからシンガポール・プーケット編、コロンボ編…へと世界を相手にしたユーチューブが続いていく。

【出会い】ロクマニヨ大僧正にヘレン校長、そして少女たちに出会え、とてもうれしかった。同じオプションに参加した鹿児島から来たという女性栄養士・中尾さんは「これまで病院で患者さんの食事を作ってきましたが医師と患者さんの要求に挟まれ調理に苦心することがしばしば。ここらでひと区切りし、また新たな職場で一歩を踏み出したい」。
 それから、きょうは、あのシンガポールのチャンギビーチで出会った猫ちゃんいらい久しぶりに一匹の猫に出会った。黄とシロ、黒のみつぶちで、少しだけやせていた彼女は、ずっと交流会場で私たちに寄り添うようにし、時にはのそのそと歩いたり寝そべったふりをして私たちの様子を見守るようにしていた。

突然現れ出たスリランカの猫ちゃん

 アジア各国を回るうち、犬はやたら多いのに猫ちゃんたちは、これまでほとんどと言ってよいほど見かけなかっただけに、なんだかホッとする一方、ついわが家の2人を思い出してしまい、ホロリとした。(いまは現地時間の24日午前5時40分)

平成二十四年五月二十二日
 物言わぬ海、ベンガル湾。21、22の両日、海上にはモンスーンが吹き荒れた
 

 どこまでも透き通った海と空(アンダマン海で、20日)

 昨夜は疲れが出たせいか。夕食後、きょう開局したばかりである~Peace boat dream channel(ピースボートドリームチャンネル)~を船室内でチェック。この後シャワーを浴びて居酒屋「波へい」に行くまで小説の構想でも考えよう、と横たわったはずが気がついたらベッドで死んだように熟睡しており目覚めて時計を見ると、午前2時30分(日本時間は6時)を過ぎていた。
 でも、ここで寝たら男がすたると判断。そのままユーチューブにアップする〈権太が行く 平和へのメッセージ「シンガポール・プーケット」編〉のナレーションの英文づくりに辞書を片手に延々と挑み、早朝には書き終える。書き終えたのちはパソコンでインターネットを使い、つい最近ウエブ文学同人誌「熱砂」での連載を始めたばかりの〈地球一周「海に抱かれて みんなラヴ」〉の再チェックと同時に縦写真を横写真に差し替えるなどしたあと、つい最近になり日本ペンクラブ電子文藝館にアップされた私(伊神権太)の小説「再生」をあらためて読み返すなどしてみた。

 こうして書いている間にもしばしば船の底から突き上げるような音がドンドン、ドン…として、そのつどオーシャンドリーム号(35265トン、全長205メートル)の巨体がまるでダンスを踊るように右に左に、上に下に、斜めに、と揺れている。このまま引っくり返っても不思議でないほど揺れに揺れる。私に限ればかつて船酔いには遭ったことがないだけに、その分スリルを味わっている気分でいる。

 ベンガル湾の波はどこまでも高く、荒らい。こうしている間にも海の息は容赦がない。風たちまでが波たちに合わせる如く船体に突進するように吹きつけている。

 船酔い患者は増えそうで、昨夜など私の目の前の席の女性がとうとう最後まで橋一本つけなかったので心配になり「どうなさったのですか」と聞くと、「船酔いに遭っちゃったの」とのことだった。本日付船内新聞によれば、どうやら犯人はモンスーンらしい。
記事には【この辺りで起きる海流の乱れは、夏と冬で風向きの変わる季節風「モンスーン」の影響を色濃く受け、(中略)5月中旬にアフリカ東海岸で発生したモンスーンはインド洋を経て東アジアまでの約1万キロメートルにわたり、高温多湿な空気の流れを形成します】とある。あすのスリランカ訪問のあとは、いよいよソマリアなどで海賊が多発するアラビア海に向かって船舵が取られる。ソマリアに近づくとオーシャンドリーム号にも当然ながら各国の護衛艦が寄り添って航行することになるというが、しばらくは緊張が続くことになりそうだ。

 船は1日中揺れに揺れ、社交ダンスの練習中も時折、下から突き上げてくるような揺れになんども見舞われ、そのつどよろけて倒れそうになった。ラテン系はルンバからサルサに、スタンダードもブルースからワルツ、二拍子のブルースへと変わってきている。私は、そのつど誰かさんを驚かせてやろう、とステップを踏み続ける。できたら、全身 を心身ともにダンスの曲に染めあげてしまいたい。きょうは1、2、3.2、2、3.1、2、3.2、2、3…とステップを踏むうち、なぜか中原中也の詩の1節♪ゆあ~ん ゆよ~ん ゆあ、ゆよ~ん…が不思議なリズムとなって私に迫ってきた。

 6月1日で満92歳になる私の母と、大好きだった故三鬼陽之助さんの妻で7月4日に満101歳になられる“たかさん”に自分で撮った写真をつけ、船内から郵便を出す。無事届いてほしい。ついでに家族にも数通初めてのメールを出す。

【出会い】きのうの午後。プロムナードデッキで作品アップを終え、ホッとしたところに、あのサッちゃんが通りかかった。「あなたたちのウエブ文学同人誌『熱砂』を読んでくれたら、アタシの船上生活のあらかたが分かるから読むように、と大勢の友だちに言っておいたわ。ただスウェーデンの友人がなかなか開けない、と残念そうだった」と話したあと「ところでゴンタさん、〈おばあちゃんたちの原宿〉って、言葉知ってますか」ときた。
 「アノネ、おばあちゃん同士がそこで互いに話し合って“心のトゲ”を抜きあうのだってよ。ストレートにではなく、やわらか~くよ。『ウチの嫁は本当によく出来てる』と言う人に限って、嫁から相手にされないので原宿へ来るんだって。互いに、あれやこれや、と美化して話し合う。心のトゲも強く抜くのでなく、やわらかく抜かなければ…」とサッちゃんは続けました。さすがは、センセイでした。
  青森の八戸から妻(看護師)の退職祝いを兼ねて夫妻で訪れました、と話すのは7、8年前にも一人でピースボートに乗ったことがある石ちゃん。夕食の席でお会いした石ちゃんは、先日の紅白のど自慢のオーディションで「山」を歌って見事予選を突破、これからリハーサルに行かなければーと大張り切りでした。それにしても、石ちゃん。素朴過ぎて美人の奥さんとは不釣り合いな風貌だ。でもね、そんな石ちゃんに奥さまはほれちゃったみたい。
 
平成二十四年五月二十一日 
 赤い陽に染まる21日早朝のベンガル湾

 早朝。ベンガル湾に昇る赤い陽。日の出の向こうから美雪がほほ笑みかけてくるーそんな錯覚にとらわれた。日本との時差はどんどん開き、今現在で日本の方が三時間先を刻んでいる。
 それにしても朝からよく揺れる。地震でも起きたのでは、と思わせる大きな揺れが上に、下に、右に、左に、と再三船体を揺らす。このオーシャンドリーム号とて大海原では木の葉の如し、に違いない。こうして執筆中も、船体は突然激しく揺れることがしばしばだ。レセプションからは「ただ今、船が大変揺れてます。危険です。オープンデッキに出られる際には手すりにつかまるなど、ご注意ください」とアナウンスが流れる。

 揺れながら思う。みんなどうしているのだろう。愛猫こすも・ここと、シロちゃんは元気でいるのか。星空が大好きな美雪。彼女はけさ金環日食を見ることが出来ただろうか。ボクがいま目の前にする太陽が日本では新月に隠され金色のダイヤモンドリングとなって現れる、だなんて。見たら永遠に忘れないだろう。
 きのうの天文教室では2009年7月22日、中国の武漢や日本の奄美大島、小笠原諸島などで確認された皆既日食を映像で見たが、それはすばらしかった(この時は小笠原海域でのパシフィックヴィーナス号船上からの観戦クルーズが大成功に終わり、話題をさらった)。なんでも今年は天文現象の当たり年らしい。次に皆既日食が見られるのは2035年というだけに、厚い雲や風雨に邪魔されていなければよいが……。

 明後日は、いよいよタミル族の暴動をきっかけに3年前まで26年に及んだ民族間対立による内戦で多くの人々が犠牲になったスリランカ(昔はセイロンと言った)のコロンボに上陸する。スリランカについては、きのうから「遠いようで近い国」「若者が平和な未来をつくる」「対立と融和の民族間関係」「平和への道」といったタイトルで専門家らによる船内教室が再三行われ、私も部分的に参加、現状を学ばせていただいた。
 そういえば本日(20日)付船内新聞に先日、厦門の家庭訪問でご一緒しプーケットで下船されたタイの人権活動家・ポイさんからのメッセージが紹介されていた。内容は「ピースボートに乗っているみなさんはすばらしい人ばかりです! 最高の船旅に参加させていただき、ありがとうございました。みなさんにはきっとできる、世界を『平和』に! POI」というものでした。つい先日ご一緒しただけに、なんだか懐かしい。
 ポイさん【後列右端】と一緒に=厦門(アモイ)で
 

 きょうも朝のダンス教室に始まり、スリランカ出港を前にしての全員参加の航路説明会、コロンボで参加する「『光り輝く島』の子どもたち」コースの事前ガイダンス、本欄アップとめまぐるしい一日がアッと言う間に過ぎ去っていった。

【出会い】浜松からおいでの山内さんたち女性連れに事前ガイダンス会場でお会いした。孫がいるのですよ、とおっしゃる彼女はあさってボクが参加するコースと同じ孤児院へ。僕はいよいよ「海」をハーモニカ伴奏することになった。ついでに横笛で〈さくらさくら〉でもふこうかな、と思う。

平成二十四年五月二十日
この海の悲劇を忘れるわけにはいかない=プーケットのプロムチープ岬で、19日写す
 

 悲しみを忘れ笑顔で語りかけるプーケットの女性=プーケット市内で、19日写す
 

 日本がどんどん、かなたに遠くなってゆく。
 オーシャンドリーム(OCEAN DREAM)はプーケットから次の寄港地、スリランカのコロンボに向かっている。現在はアンダマン海からベンガル湾に差しかかろう、という海域。スマトラ島とニコバル諸島間を赤い煙突から煙を吐きだしながらヒタスラに進んでいる。
 天気は朝から晴れ。船内情報によれば、気温は31度、水温も30度。あすの日の出は、けさと同じ午前6時45分、日の入りも同じで午後7時12分となっている。天気さえよければ、この船上では無理だが、新月でもある日本ではあすの朝、金環日食がみられるはずだ(きょう学んだ「天文ナビ金環、皆既日食ほか」の講師の話)。

 昨夜はプーケット観光から帰船後、遅くまで原稿執筆やら撮影動画と写真のパソコンへの取り込み、インターネットを使っての作品アップと画像張り付けにただ一人、アクセススペース片隅に座り深夜未明の海を前に、何度も何度も、繰り返し繰り返し、黙々と務めインターネットアクセス用の3枚目のカード(100分、1枚3500円)が切れる寸前になり作品への写真張り付けがようやく出来た時には、ただ一人残ったフロアで思わず、バンザイと黒い海に向かって叫んでいた。

 旅に出て、つくづく思う。
 今の私は名もなき貧しき作家とはいえ、書けば書くほど、努力して苦労すればするほど、お金が湯水の如くに出ていく。でも、カード代をけちっていたのでは何も始まらない。スケール大きくいかなければ。
 ここは自分自身への投資の旅だ、と割り切るほかない。おまけに頼みのスマートフォンもシンガポールを出て以降は音声通話、海外パケ・ホーダイともに「利用不可能」の状態が続き船室からの日本への電話も回線が悪く通じないままだ。デ、いざという時はファックスにたよるほかない。

 昨晩は、シャワーはおろか、寝ることもせで、執筆と作品アップに振り回されていたので全身が眠くて仕方ない。それでも社交ダンスだけは、と早朝の教室に出てツー・スリー・フォア・ワン、ツー・スリー・フォア・ワン、ワン・ツー・スリー・フォア、ワン・ツー・スリー・フォア……とステップを踏んでみた。なんとも涙ぐましいではないか。

 ダンスのあとはシンガポールからコロンボまで乗船の水先案内人渋谷利雄さんによる「遠いようで近い国 スリランカ」を聴き、部屋に舞い戻って再びこうしてペンを進めている。本音を言えば、11時半からの2回目ダンスにも出たかったが、これに出ていたのでは本来の執筆活動が出来ない。

 それにしても船内は日々、船がまるごと洋上カルチュア教室と化し、活気に満ちあふれている。本日付の船内新聞によれば、ダンス以外にも「朝だ 元気にラジオ体操」やヨガ、「礼装用着方、二重太鼓、名古屋帯」、オカリナサロンやウクレレ教室、ダイエット部、太鼓塾、南京玉すだれ、囲碁・将棋・卓球同好会、さらにはフルーツパーティー、「南十字星を見よう」星空教室、バイオリンなどの楽器練習、専属バンドの生演奏、洋上カラオケ、各語学講座…と、それこそ目移りがしてしまう。
 だから船上の人々は休む間もなく何やかやと参加。結構忙しい。ほかに船室内でも見たければ、洋画シネマだって見られる。船内は、モノみなすべてが動いており、規模こそ小さいが名古屋の中日栄文化センターがそのまま洋上に移し替えられたような、そんな錯覚すら覚える。

 午後は執筆と聴講の合間に天文教室へ。過去の皆既日食と、あす朝、日本で観察されるはずの金環日食などについて学んだ。太陽が海に沈むそのとき、グリーンからブルーの点になる“グリーンフラッシュ”を見た人は幸せになる、の言葉が心に残った。というのは、1昨日、この船上で夕日が沈む間、ずっと海を見つめていたが、真っ赤に染まった海に沈みゆくその瞬間、確かに丸いちいさな球体と化したその姿を私は確かにみたのである。
 夜も10階スポーツデッキでの「南十字星を見よう」に参加。夜風にふかれ、南十字星や北斗七星、火星を確認し星空の世界に浸った。

【出会い】名古屋から来た、とおっしゃる和田さん。実は三重県熊野出身だが、ここ2年間はビデオの魔性に取りつかれてます、とのこと。和田さんも2日前にグリーンフラッシュを目撃、ビデオにしっかり押さえたという。私はあの時、ビデオを手にしていなかったので辛うじて手持ちのスマートフォンで沈む瞬間を押さえた。
 夕食時に話が弾み「自分でお撮りになった写真をアップし郵便に張って、ご自宅に送られたらいい」と親切な方で、さっそく方法を教えていただいた。
 そして、もう一人、きのう本欄に記すことを忘れていた、ピースボートの事務局スタッフ、フランク・冬馬さん。シアトル出身で冬生まれたので「冬馬」と言うのだという。長身かつ独特の雰囲気を持つ彼はどこか、今は亡きウサマ・ビンラディンに似た風貌である。“ビン”の悪い部分を全部抜き取れば、こんな素敵な男になったかも知れない。

平成二十四年五月十九日
 シンガポールからプーケットに向け平和の使者たちを乗せ航行するピースボート〈オーシャンドリーム号船上にて。18日写す〉 

日本との時差は2時間。ピースボート(OCEAN DREAM)は現地時間の午前8時前(日本時間は10時前)、ピースボートとしては初の寄港地となるタイのリゾート・プーケットに静かに入港した。
 波はとても穏やかだ。いくつもの島がいつもと変わらない表情で私たちを出迎えてくれ、2004年12月26日に起きたマグニチュード9・0のインド洋スマトラ島沖地震発生に伴う大津波に襲われた(当時、全域で22万人が死亡、7万7千人が行方不明)だなんて、とても信じられない。

 海は何も言わない。沈黙している。黙ったままの海。この海を見たら、人々はどう表現するのか。私は今、この町で。船内一室でプーケットの海を前にペンを走らせている。
 手元には若い日に能登半島の仲間たちと〈海を感じる心を〉国内外に発信しよう、と海の詩(うた)を公募した際の作品が収録された小冊子(七尾青年会議所発行)がある。
 漁船なのだろうか。緑の島をバックに船が通り過ぎてゆく…。

 その穏やかな海にも、それぞれの人なりの喜びや悲しみ、怒り、そして慈愛に満ちたそれがあるに違いない。私は思わずプーケットの海を目の前に第1回海の詩大賞に輝いた当時、中学生だった本藤理恵さんの〈海はなぜ広いの〉を口ずさんでいた。
♪うみはなぜひろいの/それはすべてのいのちのはじまりだから/うみはなぜあおいの/ それはちきゅうをかこむカーテンだから/うみはなぜすきとおっているの/それはこころだから/うみからいのちははじまった/みんなのうみ ひろいうみ/そんなうみがボクらに よびかけている/ずっとー こころのなかで

 きのうは左手につけていた母からもらった時計のバンドが切れてしまった(私は、この時計をはめたままダンス教室に出るなどしていた。大変便利で手離せなくなっていただけに残念。母が「バンドだけは替えていかなければ」と忠告してくれたが、その通りだった)ばかりか、財布を船内に落としたまま知らないでいたり(善意の誰かがカウンターに届けてくれていた)、やっと始まったインターネットを使っての画像張り付けに夜遅くまで手間取ったりしている間に、時が矢のように過ぎていった。それでも、息子がセットしてくれていたマニュアルに忠実に船内でパソコンからのメールを初めて送信してみて無事、送信できた時には思わず、バンザイと叫びたくなった。

 そして嬉しい話が三つ。
 第一は、美雪からのファックスで彼女が俳句で第1席になったのだってサ。ただ、肝心のどこのどんな俳句大会(俳壇)か、が書いてない。また初めてメールを開いたら、中国で日本語教師として活躍する大学時代の親友川口(氏)からのメールが届いていたこと(さっそく返信したが時間とカードが切れる寸前だったため、あらためて送信することに)である。
 三つ目は日本ペンクラブ事務局の井出さんから私の小説「再会」=記者短編小説集「懺悔の滴」に所蔵。「再会」は、9・11ニューヨーク同時多発テロの主犯とされるアルカイダのウサマ・ビンラディンの苦悩の人生を、半分フィクションをまじえて展開、大きな社会的反響を呼んだ=が日本ペンクラブの電子文藝館で公開された、との送信メールがあったことだ。皆私にとっては、ささやかながら嬉しい話である。みんな、アリガトウ!

 午前中は、海を前にやっと落ち着いてパソコンの前に座って書き続けた。昼からはプーケットのショート観光に加わる。バスで港を出て島の南端のプロムテープ岬からワット・チャロン寺院、さらにはタイ・ビレッジで民族舞踊を鑑賞したあと土産物店に寄るというコースだった。

 岬では偶然にも、海をバックに新郎新婦の写真撮影が行われており、新郎のの母親に「コングラテュレーション、テイクピクチュア、プーケット、ツナミ、セイフ」と単語だけを並べて話しかけると、彼女は突然、目に涙をため「サンキュー」「バット、ファーザー、デス」とだけ答えてくださり、ナンダカ私までが泣けてきた。母の涙は、父親が津波で亡くなり、生きていたらどんなにか、喜んだことでしょうーというものだった。
 また、近くで家族連れで、くつろいでいたある女性は、わざわざ私のノートに「この辺りは高台で少しは助かりました。でも五千人ほどが亡くなった」と記し「いろいろありましたが、いまはこうして家族で過ごすことが出来、うれしい」と続けた。プーケットではたった一人の女性ガイドであるレクさんの言葉がまた示唆に富むものだった。
「あたしは38歳のアラフォーガイドです。幸せになるかどうか、は自分の心次第です。みんな生まれてから死んでしまうのに、なぜ戦争なんかをしなければならないのか。そこが分かりません」

 そういえば、きょうの民族舞踊の中の幸せ表現は、花が咲いて開く時のように手のしぐさを円形に開いていくことだ、という。

【出会い】船内乗組員のアダムくん。年は二十代か、インドネシアのジャカルタ近くの出身。スマトラ大津波は少し距離が離れていたので「ダイジョウブデシタ」とのことだった。まじめな青年で、インターネットでもたついていた時に最初にアドバイスをしてくれた恩人でもある。ちなみにプーケットからジャカルタまでは飛行機で6時間とのことでした。
 関東から訪れたというサッちゃん(阿部祥子さん)。サッちゃんは互いに肩書なしで、自由に話し合える船内の雰囲気がとても、気に入ったみたい。サッちゃんはネ。ゴンタにこう言いました。「皆さん、それぞれが一大決意をして乗船されているだけに、ステキなお方ばかり。伊勢神宮のヤノケンイチさんにも出会いましたよ」と。
 そして。「みんなからは、いつのまにかセンセイ、センセイと呼ばれてしまい。やっぱり私はセンセイ(実は大学教授)なのかしら」と恥ずかしそうでした。
 ほかにショート観光の土産物店でタイシルクを買うに当たって、いろいろ教えてくださった三重県伊賀上野から、という一見して国語教師のような女性(この女性は、ある作家の若かりし頃に、そっくりだった)、札幌から人生の節目に、ある決断をして訪れ横浜港で乗船する時にボクの荷物を持ってくださった、結城さんとも食事の席で偶然にもお会いした。テーブルは若い女性ばかり7人の中に男がボクだけ、ぽつりと一人。少し怖い気がしたのも事実だ。

12年5月20日

ウェブ作品集

伊神 権太

実録随想「残り花」

平成二十四年五月二十五日
 アラブの海はどこまでも透きとおり笑っている
 

 たった今、私は社交ダンスでからだを開くステップ(“ニューヨーク”という)を学んだあと、9階デッキの椅子にひとり座って海と空を見ている。この辺り、特にソマリア海域に近づくとしばしば海賊が出没するというのだが、海はどこまでも静かで満足そうな、平穏な波音である。考えてみれば、賊が出ようが出まいが彼女にとってはどうでもいいことだ。そのこと自体、ちっぽけな人間社会の成せることで関係ない。

 きのう美雪からいきなり「ピースボートは海にふさわしい船になりそうですか」のファックスが届いた。こうして海を見ていると、波の方からも、私の方からも互いの心が引き寄せられるようで、これも船旅だからこそ。この質問には「なれそうです」と答えておこう。美雪がいつもの調子で海のかなたから、たった一言フワリと投げてくる直球にボクは一瞬たじろぎながらも「なれそう」と繰り返した。

 あさ、太陽に向かひて顔を洗ふ/波の音 かぜの声 空とぶトビウオたち/波は消えることなく生まれくる/かぜの声も、そして私の胸音も、絶えることがない/海かぜにさらわれる私に 君が近づく/私は もいちど陽に向かひて 目を閉じる/眠る、ボクはひとり 君もひとり/そんなボクと君に 海は笑いかけてくれる/何も心配ないから、とー    2012年5月25日=〈海を超え〉、アラビア海にて・伊神権太

 デッキで私なりの、つたない海の詩(うた)をつくったあと、講演「アラブの春」(高橋和夫講師)を7階ブロードウェイで聞き、このあと8階バイーアで少女たちが牢屋に入れられゴミのように捨てられているタイの児童買春の醜い実態を描いた映画上映会に参加した。ほかに、ハーモニカ同好会やら「男性、ゆかたの着方教えます」「サリーを着よう」など出たい教室がいっぱいあったが、時間が重なるのでみなパスし、合間に執筆を続けた。

 船内を行き来していて8階プロムナードの壁に張られた〈「金色の輪」見えた 金環日食、列島各地で歓声(21日)〉の日本ニュースが目に留まった。それよると、「東京、大阪、名古屋など日本の主要都市の多くで幸運に恵まれたという。関東地方の大部分では1839年9月8日以来、実に173年ぶり、とあった。なんだか、うらやましい気がした。

【出会い】昨夜、居酒屋「波へい」で飲んでいたら、名古屋からおいでの「四男美(SHIOMI)」という名の不思議な男性にお会いした。出身は九州。集団就職で四十数年前、尾張名古屋へ。その世界に身を投じて三年前に退職。いまは名古屋びとそのものである。飛騨から金沢まで走るネイチャーランを十年近くも走り続けた、というこの男性。何やら謎めいたところがいい。

平成二十四年五月二十四日
 アラビア海で周囲を護衛艦に守られ航行するオーシャンドリーム号

 
木曜日。きょうは横浜を出港後初のリフレッシュデーということで船内新聞は休刊日扱い。社交ダンスもなく、何だか久しぶりに心身ともにホッとした感じだ。それもこれも昨夜、ユーチューブに「伊神権太が行く世界紀行 平和へのメッセージ/私はいまこの町で〈厦門(アモイ)編〉」をアップすることが出来たからこそ、でもある。アップに手間取っていたら今頃一睡もしないで次から次へとカードを切らしながらも挑んでいたに違いない。

 それにしても、このところの本欄連載ストーリー〈海に抱かれて みんなラヴ〉の執筆と連日の作品アップ(写真含む)、そして一番に手間取ったユーチューブへのアップ作業のおかげで本当に眠い。全身が眠っている。
 いつもなら、めまぐるしく船内各所で開かれている各種カルチャー教室も閉鎖されている。だから本当ならデッキに最近設けられた楽器練習広場でハーモニカと横笛でも、ゆったりした気持ちでふきたいところだ。でも、スマートフォンの音声、パケット通信ともに「利用不可能」が続き、船内からの電話も回線の関係で不可能とあっては通信手段は息子が設定しておいてくれた洋上からのメールしかない。まさに、それだけが命綱だ。

 というわけで、私を心配してくれている方々のたとえ一部でもメールだけは、と半日をかけ打ち続けたのである。シンガポールで束の間電話が通じた時にショートメールや電話、ファックスで最初に連絡した人は省くことにした。そうでないと、いくら私が金持ちだったとしてもカード代などバカにならないからだ。スケール大きく使うべき時は使いながらも無駄遣いは控えようーとの意識は、やはり“尾張びと”の成せる業か。

 ここ2、3日の間に船内で急激に様子が替わってきたのがデッキ部分の多くが船員により段ボール紙や黒いカーテンなどで次々と閉鎖されてきたことだ。オーシャンドリーム号はきょう午前中にはインド最南端のコモリン岬沖を通り越し、アラビア海をただヒタスラにスエズ運河に向け航行中である。
 船体右舷沖には明らかにそれ、とみられる護衛艦が並走して波を蹴立てている。きょうは、この先29日ごろまではソマリアを含む海賊警戒海域を航行するというわけで海賊対策避難訓練もあった。
 各船室には「安全のため、夜間(日没~日の出)はオープンデッキスペースへは立ち入らないよう願います」「夜間にオープンデッキのライトが消され、屋外に面した公共スペースの窓なども、光が漏れないようカーテンなどで覆われます。窓付きキャビンの方はカーテンを閉めていただくようにお願いします。」などといった〈海賊対策のお知らせ〉までが投かんされ、すこしばかり緊張感が伝わってくる。
 海賊出没に警戒を強める船員たち

 また日本や世界の動きは時折、8階プロムナードに張り出される壁新聞以外には何も分からない。美雪がファックスで送ってきた通り、まさに私たち乗客は今、ビデオとかカメラは別にして船内というアナログの世界で生きている。

【出会い】本日午後、ビアガーデンがオープンした9階中央プールエリアで撮影スポットを探して歩いていたら、横浜からお出でのキリンおじさん(いつもキリンのTシャツ姿だから。本名は津江慎弥さん)に「あのぉ~、ぜひ書いてやって」と声をかけられた。「ここのところ(居酒屋「波へい」で)お見かけしませんが。あなたの作品を読んで横浜のみんなが元気でやっててくれる、と安心してくれてます」とのこと。

 デ、何かよいニュースでもあるのですか、と聞くと「そうなんですよ。あんたさまには、ぜひ船内でのドジョウすくい踊りのことを書いてほしい。なんとも所作が面白くて」ときた。「ええ、私の作品〈海に抱かれて みんなラヴ〉でもよろしければ。いいですよ」と言うと、男性は「ちょいと連れてきますから」と姿を消し、しばらくするとドジョウすくい踊りの名手なる美貌の女性を僕の目の前に連れてきた。
 神戸から来た竹村雪路さん、74歳で「この方の踊るドジョウすくいが今船内で、とても評判なんです。ぜひ、ゴンタさんの連載でも取り上げてほしい」とキリンおじさん。雪路さんが言うには、かつて第70回のピースボートに乗ったがお年寄り用の教室がなかったので〈じいさん、バアサンの芸達者集まれぇ~〉と自主計画で呼びかけたところ、阿波踊りに始まって来るわ来るわ。あのときドジョウすくいをやったのが始まりでして…。今回は既に3回講座を開き全員がほぼ免許皆伝です、との弁。

 「ドジョウを入れるザルは段ボールを切り取ったり、ティッシュの箱を半分切って紐をつけたら、それでいい。あとは手ぬぐいに草履をはいて。みんな、ただや。からだ一本で出来るんやから。前半の三回で大半が免許皆伝なので次の教室までは、しばらく待ってほしい」。というわけで、どこまでも陽気で魅力的なドジョウすくい踊りの名手とキリンおじさんでした。

平成二十四年五月二十三日
 オーシャンドリーム号は早朝、スリランカのコロンボに着いた。
 船内新聞によれば、ピースボートが初めてスリランカを訪れたのは1991年1月。初の地球一周となった第10回クルーズの時からだ。以降、現地との交流を重ねる中で民族間対立から起きた内戦の戦災復興や、2004年の津波被害後の仮設住宅建設に携わったり、支援物質を届ける活動を行ってきた。一方で昨年の3・11東日本大震災発生時には今度はスリランカから宮城県石巻市に15人が駆け付け、三週間にわたって被災地支援活動に従事してくれたという。まさに、この国は日本にとって「遠くて近い国」なのである。

 この日、私は津波や内戦などで親を失った少女20人が逆境のなか、たくましく生きるヤソーダラ孤児院を訪ねる「『光り輝く島』の子どもたち」オプションツアーに参加。スリランカ政府観光局の政府認定ガイド・ダハナアヤカさんによれば、「スリランカは昔から本当に光り輝く島」と言われていたということだったが、私には子どもたち一人ひとりの目が輝いて見えた。なぜか。
 それは孤児院のロクマニヨ院長(大僧正)はじめリハーカ・ヘレン校長ら全職員、そして近所の家の誰もが温かい目で少女たちを見守り、そればかりか、彼女たちが晴れて結婚するまで責任をもって育てている。だから、なのだ。そして。少女たちは、私たちのために練習してきた歌や踊りを精いっぱいに見せてくれ、歌のなかには、ポンポコリンといったニッポンの唄まであった。

 私たちも、みんな私のハーモニカの伴奏で♪うみはあおいな おおきいな……と日本の唄を歌ってみせ交流会では、いつの間にか何組もの輪ができた。簡単な言語や日本の習字、お絵かき、折り紙、おはじきを教えたり教えられたり。なかには、珍しそうに関心を示すこどもたちに自分のカメラで撮影の伝授をしたり、外でシャボン玉の飛ばしあいっこをする、など楽しいひとときを過ごした。私は♪シャボン玉とんだ 屋根までとんだ…をハーモニカでふいたあと、日本の〈さくらさくら〉を横笛で演奏してみせもした。

 交流でひとときを過ごすコロンボの女の子たち

 続いて食べた昼食は、きのう近所の人々が総出で準備してくれただけあって、スパイスの効いたスリランカカレーなど、それはおいしかった。ほかに一個を四分の一に切って食べたマンゴーやリンゴ、パイナップル、ブドウの味も忘れられない。苦手なヨーグルトもなぜかノドにしみいった。

 最後にピースボート側から学用品の支援物資がロクマニヨ院長と園生らに直接手渡され、ピースボート女性ガイドの青木友里さんから突然大役を仰せつかった私が日本からの一行を代表して「きょうは本当に楽しかった。みなさん! ありがとう。私たちは、きょうのこの日を決して忘れることはないでしょう。きょうから、ヤソーダラ孤児院が世界平和への灯(ともしび)の発信点になることを互いに誓おうではありませんか」とあいさつしたのである。
 支援物質に対するお礼を述べるロクマニヨ院長

 帰船後は、きのう深夜未明まで二度にわたって挑戦しながら不安定な回線とカードの時間切れの影響で失敗に終わった〈権太が行く世界紀行 平和へのメッセージ 私はいま/この町で〉のユーチューブへのアップに再チャレンジ。四度目にしてやっとたどりついた。
 これも、何よりも編集に携わっていろいろ教えてくださっているピースボートスタッフで映像班キャップの高木應さん(アタルクン)はじめ、ボランティア映像班の田中詩乃さん、コンちゃん、そしてパソコンを前に悪戦苦闘している私を前にたびたび助言してくださったアダムや名も知らない善意の若者たちのおかげだ。
 まずは厦門(アモイ)編の始まりで、これからシンガポール・プーケット編、コロンボ編…へと世界を相手にしたユーチューブが続いていく。

【出会い】ロクマニヨ大僧正にヘレン校長、そして少女たちに出会え、とてもうれしかった。同じオプションに参加した鹿児島から来たという女性栄養士・中尾さんは「これまで病院で患者さんの食事を作ってきましたが医師と患者さんの要求に挟まれ調理に苦心することがしばしば。ここらでひと区切りし、また新たな職場で一歩を踏み出したい」。
 それから、きょうは、あのシンガポールのチャンギビーチで出会った猫ちゃんいらい久しぶりに一匹の猫に出会った。黄とシロ、黒のみつぶちで、少しだけやせていた彼女は、ずっと交流会場で私たちに寄り添うようにし、時にはのそのそと歩いたり寝そべったふりをして私たちの様子を見守るようにしていた。

突然現れ出たスリランカの猫ちゃん

 アジア各国を回るうち、犬はやたら多いのに猫ちゃんたちは、これまでほとんどと言ってよいほど見かけなかっただけに、なんだかホッとする一方、ついわが家の2人を思い出してしまい、ホロリとした。(いまは現地時間の24日午前5時40分)

平成二十四年五月二十二日
 物言わぬ海、ベンガル湾。21、22の両日、海上にはモンスーンが吹き荒れた
 

 どこまでも透き通った海と空(アンダマン海で、20日)

 昨夜は疲れが出たせいか。夕食後、きょう開局したばかりである~Peace boat dream channel(ピースボートドリームチャンネル)~を船室内でチェック。この後シャワーを浴びて居酒屋「波へい」に行くまで小説の構想でも考えよう、と横たわったはずが気がついたらベッドで死んだように熟睡しており目覚めて時計を見ると、午前2時30分(日本時間は6時)を過ぎていた。
 でも、ここで寝たら男がすたると判断。そのままユーチューブにアップする〈権太が行く 平和へのメッセージ「シンガポール・プーケット」編〉のナレーションの英文づくりに辞書を片手に延々と挑み、早朝には書き終える。書き終えたのちはパソコンでインターネットを使い、つい最近ウエブ文学同人誌「熱砂」での連載を始めたばかりの〈地球一周「海に抱かれて みんなラヴ」〉の再チェックと同時に縦写真を横写真に差し替えるなどしたあと、つい最近になり日本ペンクラブ電子文藝館にアップされた私(伊神権太)の小説「再生」をあらためて読み返すなどしてみた。

 こうして書いている間にもしばしば船の底から突き上げるような音がドンドン、ドン…として、そのつどオーシャンドリーム号(35265トン、全長205メートル)の巨体がまるでダンスを踊るように右に左に、上に下に、斜めに、と揺れている。このまま引っくり返っても不思議でないほど揺れに揺れる。私に限ればかつて船酔いには遭ったことがないだけに、その分スリルを味わっている気分でいる。

 ベンガル湾の波はどこまでも高く、荒らい。こうしている間にも海の息は容赦がない。風たちまでが波たちに合わせる如く船体に突進するように吹きつけている。

 船酔い患者は増えそうで、昨夜など私の目の前の席の女性がとうとう最後まで橋一本つけなかったので心配になり「どうなさったのですか」と聞くと、「船酔いに遭っちゃったの」とのことだった。本日付船内新聞によれば、どうやら犯人はモンスーンらしい。
記事には【この辺りで起きる海流の乱れは、夏と冬で風向きの変わる季節風「モンスーン」の影響を色濃く受け、(中略)5月中旬にアフリカ東海岸で発生したモンスーンはインド洋を経て東アジアまでの約1万キロメートルにわたり、高温多湿な空気の流れを形成します】とある。あすのスリランカ訪問のあとは、いよいよソマリアなどで海賊が多発するアラビア海に向かって船舵が取られる。ソマリアに近づくとオーシャンドリーム号にも当然ながら各国の護衛艦が寄り添って航行することになるというが、しばらくは緊張が続くことになりそうだ。

 船は1日中揺れに揺れ、社交ダンスの練習中も時折、下から突き上げてくるような揺れになんども見舞われ、そのつどよろけて倒れそうになった。ラテン系はルンバからサルサに、スタンダードもブルースからワルツ、二拍子のブルースへと変わってきている。私は、そのつど誰かさんを驚かせてやろう、とステップを踏み続ける。できたら、全身 を心身ともにダンスの曲に染めあげてしまいたい。きょうは1、2、3.2、2、3.1、2、3.2、2、3…とステップを踏むうち、なぜか中原中也の詩の1節♪ゆあ~ん ゆよ~ん ゆあ、ゆよ~ん…が不思議なリズムとなって私に迫ってきた。

 6月1日で満92歳になる私の母と、大好きだった故三鬼陽之助さんの妻で7月4日に満101歳になられる“たかさん”に自分で撮った写真をつけ、船内から郵便を出す。無事届いてほしい。ついでに家族にも数通初めてのメールを出す。

【出会い】きのうの午後。プロムナードデッキで作品アップを終え、ホッとしたところに、あのサッちゃんが通りかかった。「あなたたちのウエブ文学同人誌『熱砂』を読んでくれたら、アタシの船上生活のあらかたが分かるから読むように、と大勢の友だちに言っておいたわ。ただスウェーデンの友人がなかなか開けない、と残念そうだった」と話したあと「ところでゴンタさん、〈おばあちゃんたちの原宿〉って、言葉知ってますか」ときた。
 「アノネ、おばあちゃん同士がそこで互いに話し合って“心のトゲ”を抜きあうのだってよ。ストレートにではなく、やわらか~くよ。『ウチの嫁は本当によく出来てる』と言う人に限って、嫁から相手にされないので原宿へ来るんだって。互いに、あれやこれや、と美化して話し合う。心のトゲも強く抜くのでなく、やわらかく抜かなければ…」とサッちゃんは続けました。さすがは、センセイでした。
  青森の八戸から妻(看護師)の退職祝いを兼ねて夫妻で訪れました、と話すのは7、8年前にも一人でピースボートに乗ったことがある石ちゃん。夕食の席でお会いした石ちゃんは、先日の紅白のど自慢のオーディションで「山」を歌って見事予選を突破、これからリハーサルに行かなければーと大張り切りでした。それにしても、石ちゃん。素朴過ぎて美人の奥さんとは不釣り合いな風貌だ。でもね、そんな石ちゃんに奥さまはほれちゃったみたい。
 
平成二十四年五月二十一日 
 赤い陽に染まる21日早朝のベンガル湾

 早朝。ベンガル湾に昇る赤い陽。日の出の向こうから美雪がほほ笑みかけてくるーそんな錯覚にとらわれた。日本との時差はどんどん開き、今現在で日本の方が三時間先を刻んでいる。
 それにしても朝からよく揺れる。地震でも起きたのでは、と思わせる大きな揺れが上に、下に、右に、左に、と再三船体を揺らす。このオーシャンドリーム号とて大海原では木の葉の如し、に違いない。こうして執筆中も、船体は突然激しく揺れることがしばしばだ。レセプションからは「ただ今、船が大変揺れてます。危険です。オープンデッキに出られる際には手すりにつかまるなど、ご注意ください」とアナウンスが流れる。

 揺れながら思う。みんなどうしているのだろう。愛猫こすも・ここと、シロちゃんは元気でいるのか。星空が大好きな美雪。彼女はけさ金環日食を見ることが出来ただろうか。ボクがいま目の前にする太陽が日本では新月に隠され金色のダイヤモンドリングとなって現れる、だなんて。見たら永遠に忘れないだろう。
 きのうの天文教室では2009年7月22日、中国の武漢や日本の奄美大島、小笠原諸島などで確認された皆既日食を映像で見たが、それはすばらしかった(この時は小笠原海域でのパシフィックヴィーナス号船上からの観戦クルーズが大成功に終わり、話題をさらった)。なんでも今年は天文現象の当たり年らしい。次に皆既日食が見られるのは2035年というだけに、厚い雲や風雨に邪魔されていなければよいが……。

 明後日は、いよいよタミル族の暴動をきっかけに3年前まで26年に及んだ民族間対立による内戦で多くの人々が犠牲になったスリランカ(昔はセイロンと言った)のコロンボに上陸する。スリランカについては、きのうから「遠いようで近い国」「若者が平和な未来をつくる」「対立と融和の民族間関係」「平和への道」といったタイトルで専門家らによる船内教室が再三行われ、私も部分的に参加、現状を学ばせていただいた。
 そういえば本日(20日)付船内新聞に先日、厦門の家庭訪問でご一緒しプーケットで下船されたタイの人権活動家・ポイさんからのメッセージが紹介されていた。内容は「ピースボートに乗っているみなさんはすばらしい人ばかりです! 最高の船旅に参加させていただき、ありがとうございました。みなさんにはきっとできる、世界を『平和』に! POI」というものでした。つい先日ご一緒しただけに、なんだか懐かしい。
 ポイさん【後列右端】と一緒に=厦門(アモイ)で
 

 きょうも朝のダンス教室に始まり、スリランカ出港を前にしての全員参加の航路説明会、コロンボで参加する「『光り輝く島』の子どもたち」コースの事前ガイダンス、本欄アップとめまぐるしい一日がアッと言う間に過ぎ去っていった。

【出会い】浜松からおいでの山内さんたち女性連れに事前ガイダンス会場でお会いした。孫がいるのですよ、とおっしゃる彼女はあさってボクが参加するコースと同じ孤児院へ。僕はいよいよ「海」をハーモニカ伴奏することになった。ついでに横笛で〈さくらさくら〉でもふこうかな、と思う。

平成二十四年五月二十日
この海の悲劇を忘れるわけにはいかない=プーケットのプロムチープ岬で、19日写す
 

 悲しみを忘れ笑顔で語りかけるプーケットの女性=プーケット市内で、19日写す
 

 日本がどんどん、かなたに遠くなってゆく。
 オーシャンドリーム(OCEAN DREAM)はプーケットから次の寄港地、スリランカのコロンボに向かっている。現在はアンダマン海からベンガル湾に差しかかろう、という海域。スマトラ島とニコバル諸島間を赤い煙突から煙を吐きだしながらヒタスラに進んでいる。
 天気は朝から晴れ。船内情報によれば、気温は31度、水温も30度。あすの日の出は、けさと同じ午前6時45分、日の入りも同じで午後7時12分となっている。天気さえよければ、この船上では無理だが、新月でもある日本ではあすの朝、金環日食がみられるはずだ(きょう学んだ「天文ナビ金環、皆既日食ほか」の講師の話)。

 昨夜はプーケット観光から帰船後、遅くまで原稿執筆やら撮影動画と写真のパソコンへの取り込み、インターネットを使っての作品アップと画像張り付けにただ一人、アクセススペース片隅に座り深夜未明の海を前に、何度も何度も、繰り返し繰り返し、黙々と務めインターネットアクセス用の3枚目のカード(100分、1枚3500円)が切れる寸前になり作品への写真張り付けがようやく出来た時には、ただ一人残ったフロアで思わず、バンザイと黒い海に向かって叫んでいた。

 旅に出て、つくづく思う。
 今の私は名もなき貧しき作家とはいえ、書けば書くほど、努力して苦労すればするほど、お金が湯水の如くに出ていく。でも、カード代をけちっていたのでは何も始まらない。スケール大きくいかなければ。
 ここは自分自身への投資の旅だ、と割り切るほかない。おまけに頼みのスマートフォンもシンガポールを出て以降は音声通話、海外パケ・ホーダイともに「利用不可能」の状態が続き船室からの日本への電話も回線が悪く通じないままだ。デ、いざという時はファックスにたよるほかない。

 昨晩は、シャワーはおろか、寝ることもせで、執筆と作品アップに振り回されていたので全身が眠くて仕方ない。それでも社交ダンスだけは、と早朝の教室に出てツー・スリー・フォア・ワン、ツー・スリー・フォア・ワン、ワン・ツー・スリー・フォア、ワン・ツー・スリー・フォア……とステップを踏んでみた。なんとも涙ぐましいではないか。

 ダンスのあとはシンガポールからコロンボまで乗船の水先案内人渋谷利雄さんによる「遠いようで近い国 スリランカ」を聴き、部屋に舞い戻って再びこうしてペンを進めている。本音を言えば、11時半からの2回目ダンスにも出たかったが、これに出ていたのでは本来の執筆活動が出来ない。

 それにしても船内は日々、船がまるごと洋上カルチュア教室と化し、活気に満ちあふれている。本日付の船内新聞によれば、ダンス以外にも「朝だ 元気にラジオ体操」やヨガ、「礼装用着方、二重太鼓、名古屋帯」、オカリナサロンやウクレレ教室、ダイエット部、太鼓塾、南京玉すだれ、囲碁・将棋・卓球同好会、さらにはフルーツパーティー、「南十字星を見よう」星空教室、バイオリンなどの楽器練習、専属バンドの生演奏、洋上カラオケ、各語学講座…と、それこそ目移りがしてしまう。
 だから船上の人々は休む間もなく何やかやと参加。結構忙しい。ほかに船室内でも見たければ、洋画シネマだって見られる。船内は、モノみなすべてが動いており、規模こそ小さいが名古屋の中日栄文化センターがそのまま洋上に移し替えられたような、そんな錯覚すら覚える。

 午後は執筆と聴講の合間に天文教室へ。過去の皆既日食と、あす朝、日本で観察されるはずの金環日食などについて学んだ。太陽が海に沈むそのとき、グリーンからブルーの点になる“グリーンフラッシュ”を見た人は幸せになる、の言葉が心に残った。というのは、1昨日、この船上で夕日が沈む間、ずっと海を見つめていたが、真っ赤に染まった海に沈みゆくその瞬間、確かに丸いちいさな球体と化したその姿を私は確かにみたのである。
 夜も10階スポーツデッキでの「南十字星を見よう」に参加。夜風にふかれ、南十字星や北斗七星、火星を確認し星空の世界に浸った。

【出会い】名古屋から来た、とおっしゃる和田さん。実は三重県熊野出身だが、ここ2年間はビデオの魔性に取りつかれてます、とのこと。和田さんも2日前にグリーンフラッシュを目撃、ビデオにしっかり押さえたという。私はあの時、ビデオを手にしていなかったので辛うじて手持ちのスマートフォンで沈む瞬間を押さえた。
 夕食時に話が弾み「自分でお撮りになった写真をアップし郵便に張って、ご自宅に送られたらいい」と親切な方で、さっそく方法を教えていただいた。
 そして、もう一人、きのう本欄に記すことを忘れていた、ピースボートの事務局スタッフ、フランク・冬馬さん。シアトル出身で冬生まれたので「冬馬」と言うのだという。長身かつ独特の雰囲気を持つ彼はどこか、今は亡きウサマ・ビンラディンに似た風貌である。“ビン”の悪い部分を全部抜き取れば、こんな素敵な男になったかも知れない。

平成二十四年五月十九日
 シンガポールからプーケットに向け平和の使者たちを乗せ航行するピースボート〈オーシャンドリーム号船上にて。18日写す〉 

日本との時差は2時間。ピースボート(OCEAN DREAM)は現地時間の午前8時前(日本時間は10時前)、ピースボートとしては初の寄港地となるタイのリゾート・プーケットに静かに入港した。
 波はとても穏やかだ。いくつもの島がいつもと変わらない表情で私たちを出迎えてくれ、2004年12月26日に起きたマグニチュード9・0のインド洋スマトラ島沖地震発生に伴う大津波に襲われた(当時、全域で22万人が死亡、7万7千人が行方不明)だなんて、とても信じられない。

 海は何も言わない。沈黙している。黙ったままの海。この海を見たら、人々はどう表現するのか。私は今、この町で。船内一室でプーケットの海を前にペンを走らせている。
 手元には若い日に能登半島の仲間たちと〈海を感じる心を〉国内外に発信しよう、と海の詩(うた)を公募した際の作品が収録された小冊子(七尾青年会議所発行)がある。
 漁船なのだろうか。緑の島をバックに船が通り過ぎてゆく…。

 その穏やかな海にも、それぞれの人なりの喜びや悲しみ、怒り、そして慈愛に満ちたそれがあるに違いない。私は思わずプーケットの海を目の前に第1回海の詩大賞に輝いた当時、中学生だった本藤理恵さんの〈海はなぜ広いの〉を口ずさんでいた。
♪うみはなぜひろいの/それはすべてのいのちのはじまりだから/うみはなぜあおいの/ それはちきゅうをかこむカーテンだから/うみはなぜすきとおっているの/それはこころだから/うみからいのちははじまった/みんなのうみ ひろいうみ/そんなうみがボクらに よびかけている/ずっとー こころのなかで

 きのうは左手につけていた母からもらった時計のバンドが切れてしまった(私は、この時計をはめたままダンス教室に出るなどしていた。大変便利で手離せなくなっていただけに残念。母が「バンドだけは替えていかなければ」と忠告してくれたが、その通りだった)ばかりか、財布を船内に落としたまま知らないでいたり(善意の誰かがカウンターに届けてくれていた)、やっと始まったインターネットを使っての画像張り付けに夜遅くまで手間取ったりしている間に、時が矢のように過ぎていった。それでも、息子がセットしてくれていたマニュアルに忠実に船内でパソコンからのメールを初めて送信してみて無事、送信できた時には思わず、バンザイと叫びたくなった。

 そして嬉しい話が三つ。
 第一は、美雪からのファックスで彼女が俳句で第1席になったのだってサ。ただ、肝心のどこのどんな俳句大会(俳壇)か、が書いてない。また初めてメールを開いたら、中国で日本語教師として活躍する大学時代の親友川口(氏)からのメールが届いていたこと(さっそく返信したが時間とカードが切れる寸前だったため、あらためて送信することに)である。
 三つ目は日本ペンクラブ事務局の井出さんから私の小説「再会」=記者短編小説集「懺悔の滴」に所蔵。「再会」は、9・11ニューヨーク同時多発テロの主犯とされるアルカイダのウサマ・ビンラディンの苦悩の人生を、半分フィクションをまじえて展開、大きな社会的反響を呼んだ=が日本ペンクラブの電子文藝館で公開された、との送信メールがあったことだ。皆私にとっては、ささやかながら嬉しい話である。みんな、アリガトウ!

 午前中は、海を前にやっと落ち着いてパソコンの前に座って書き続けた。昼からはプーケットのショート観光に加わる。バスで港を出て島の南端のプロムテープ岬からワット・チャロン寺院、さらにはタイ・ビレッジで民族舞踊を鑑賞したあと土産物店に寄るというコースだった。

 岬では偶然にも、海をバックに新郎新婦の写真撮影が行われており、新郎のの母親に「コングラテュレーション、テイクピクチュア、プーケット、ツナミ、セイフ」と単語だけを並べて話しかけると、彼女は突然、目に涙をため「サンキュー」「バット、ファーザー、デス」とだけ答えてくださり、ナンダカ私までが泣けてきた。母の涙は、父親が津波で亡くなり、生きていたらどんなにか、喜んだことでしょうーというものだった。
 また、近くで家族連れで、くつろいでいたある女性は、わざわざ私のノートに「この辺りは高台で少しは助かりました。でも五千人ほどが亡くなった」と記し「いろいろありましたが、いまはこうして家族で過ごすことが出来、うれしい」と続けた。プーケットではたった一人の女性ガイドであるレクさんの言葉がまた示唆に富むものだった。
「あたしは38歳のアラフォーガイドです。幸せになるかどうか、は自分の心次第です。みんな生まれてから死んでしまうのに、なぜ戦争なんかをしなければならないのか。そこが分かりません」

 そういえば、きょうの民族舞踊の中の幸せ表現は、花が咲いて開く時のように手のしぐさを円形に開いていくことだ、という。

【出会い】船内乗組員のアダムくん。年は二十代か、インドネシアのジャカルタ近くの出身。スマトラ大津波は少し距離が離れていたので「ダイジョウブデシタ」とのことだった。まじめな青年で、インターネットでもたついていた時に最初にアドバイスをしてくれた恩人でもある。ちなみにプーケットからジャカルタまでは飛行機で6時間とのことでした。
 関東から訪れたというサッちゃん(阿部祥子さん)。サッちゃんは互いに肩書なしで、自由に話し合える船内の雰囲気がとても、気に入ったみたい。サッちゃんはネ。ゴンタにこう言いました。「皆さん、それぞれが一大決意をして乗船されているだけに、ステキなお方ばかり。伊勢神宮のヤノケンイチさんにも出会いましたよ」と。
 そして。「みんなからは、いつのまにかセンセイ、センセイと呼ばれてしまい。やっぱり私はセンセイ(実は大学教授)なのかしら」と恥ずかしそうでした。
 ほかにショート観光の土産物店でタイシルクを買うに当たって、いろいろ教えてくださった三重県伊賀上野から、という一見して国語教師のような女性(この女性は、ある作家の若かりし頃に、そっくりだった)、札幌から人生の節目に、ある決断をして訪れ横浜港で乗船する時にボクの荷物を持ってくださった、結城さんとも食事の席で偶然にもお会いした。テーブルは若い女性ばかり7人の中に男がボクだけ、ぽつりと一人。少し怖い気がしたのも事実だ。

08/4/26