新連載・地球一周船旅ストーリー〈海に抱かれて みんなラヴ〉8月3日

 昨夜遅く、出航曲Freedomの曲とともになつかしのエンセナーダを出港したオーシャン・ドリーム号は一路、横浜に向かい太平洋横断を始めた。寒流を航行しているせいか、ここ数日は大変寒い。かといって、帰り支度の手始めとして大きい旅行バッグの奥に早々としまい込んでしまった冬物をいまさら出す気にもなれない。【写真は最後の寄港地となったメキシコ・エンセナーダでの楽しい交流風景と私たちを出迎えてくれた海鳥、いずれも2日写す】
 船内の方はエンセナーダから乗船した福島FТVオーケストラの高校生8人とベネズエラ青少年オーケストラ8人の紹介に続き〈~音楽は国境を越え~〉をスローガンとした「ベネズエラ」の共演会、引き続いて交流の集いがあった。また「こんばんはサルバドール~懐かしの映画音楽の夜~」もあったりで相変わらず充実ぶりが目立つ。
 こうしたなか私は連日、新生「熱砂」への本欄・地球一周船旅ストーリー〈海に抱かれて みんなラヴ〉のアップを続けている。76回というピースボートの歴史の中でも乗客自らによる連日の作品アップは、おそらく珍しいだろう。それだけに、これはこれで1つの記録文学として良い作品になれば、と思っている。

平成二十四年八月二日
 オーシャンドリーム号がけさ、最後の寄港地であるメキシコのエンセナーダに入港したとき、何よりうれしかったのは何羽もの、いや数え知れないほどの海鳥たちがデッキすれすれに飛行しボクたちを歓迎してくれたことだ。私たちが船上にいても、海鳥たちはデッキの端に止まって怖がるどころか、親しげに近づき覗きこむようなしぐさでチッチッと鳴いたり、羽を広げたり、ヨチヨチ歩きをしていた。

 鳥の1羽1羽。その嘴(くちばし)の一つひとつと、まなざしに「何か」温かな神秘性を感じ見つめていると、白い波と鳥たち、そして空までが、まるで海の詩(うた)をそれぞれに奏でている。そんな気がしてきた。そういえば、港の岸壁一角では何匹ものアシカ君たちも巨体を空に向かってくねらせ、歓迎してくれた。

 この日、寄港地最後のエンセナーダで私が参加したオプショナルツアーは、港からバスで15分前後の海に面した草原と隣の砂丘で行われた「メキシコの子どもたちとボランティア体験!」というものだった。私は例の〝サッちゃん〟と共に、ガールスカウトの中学1年生イワナとクラウディアの計四人でゴミ拾い奉仕を体験。クラウディアから40歳だ、と言われ大発奮した〝サッちゃん〟の大健闘もあり、ゴミ袋はみるみる一杯になっていった。途中、イワナの目にゴミが入り〝お姉さん〟から目薬をさしてもらうハプニングまであったがたいしたことはなく清掃活動は延々と続いた。
 私は、ゴミ拾いをしながら「こんなことをするのは久しぶり。七尾の三尺玉花火のあとの会場一帯の清掃奉仕いらいだ。この姿を美雪が見たら、きっと驚くに違いない」と思い黙々と励んだ。活動のあとはメキシコ料理をみんなで囲み、今度はけん玉や手品、あやとりをしたあと、原野の一角で輪になってメキシコの楽しい遊びや日本のじゃんけん列車、通りゃんせ遊びなどを楽しみ、最後はいつもの「幸せなら手をたたこう」をみんなで歌い、交流を終えた。帰りには一緒に清掃活動奉仕をしてくれた約30人の子どもたち全員がバスの横に整列し見送ってくれた。

 いったん船内に戻ったあとはシャトルバスでエンセナーダの市内まで出て笛を探したり、麦わらのメキシカンハットを探して歩いたが途中、ドルが無くなってしまったため通りすがりの日本人女性客に1時お金を借りるなど、相変わらずドタバタ劇の1日となった。
 この日私にとって最大の不幸は、例によって愛用の眼鏡を取ったりかけたりしているうちに、どこかに紛失してしまったことだ(私は最後の旅先に残した眼鏡をこの先、これまで私を守ってくれたお礼としてエンセナーダの地に残しプレゼントした、と思うことにした。これからは天使の贈り物として、眼鏡の記憶はいつまでも忘れないでいよう)。

 夜。エンセナーダで乗船するベネズエラ青少年オーケストラのメンバー8人の港への到着が遅れたこともあり、当初午後6時40分に予定された最後の出港式が午後10時10分からにずれ込んで行われた(帰船リミットも6時から10時に延ばされた)。
 ピースボートのクルーズディレクター・井上直さんの元気いっぱいの掛け声とともに、これまでの全寄港地がデッキに集まった全員で一つずつカウントダウンされ、最後に美しかった、この町〈エンセナーダ〉の名前をみんなで2度、3度…と叫び終わると、出航曲Freedom(フリーダム)のメロデーが、エンセナーダの町全体のネオンに照らし出された夜の海に深く、広く、流れ始めた。私はこの場面をいつまでも忘れないだろう。

平成二十四年八月一日
 オーシャン・ドリーム号は、あすの朝には最後の寄港地であるメキシコのエンセナーダに入港する。日本との時差はこれまでで一番長い16時間。今こちらは午後8時過ぎ、日本なら8月2日の正午を過ぎたところだ。寒流の影響がもろに出て、けさはぐんと冷え込み寒いくらいなので愛用の黒のカーディガンを再びひっかけ船室内でこうして書いている。
          ×          ×
 「7月31日 夕食ご一緒して下さいますように(4F PH5・30に)私の誕生日です。よろしく 5006室 阿部祥子」
 先日、私の船室ポストに入っていたサッちゃん=東京都豊島区、阿部祥子さん=からの1枚の紙切れ招待状。その日(昨日)が訪れ、私は5時25分過ぎ4階レストランに出向いた。そしたら、76回クルーズの乗客最高齢の秋本君枝さん=92歳、山口県小野田市、ことし9月8日には満93歳=はじめ、ヤエちゃん(小泉八重子さん、横浜市神奈川区)、ムラジさん(村田俊一さん、東京都新宿区)、鎌田広将さん(東京都世田谷区)、二宮清志さん夫妻(広島県廿日市市)がテーブルを囲んでおいでになった。
 ヤエちゃんはマリリンモンローの口を考案されるなど発想豊かな折り紙の達人。ほかに手品、南京玉すだれ、ドジョウすくい…となんでもござれ、の売れっこさんでこの日の主人公とは〝サッちゃんとヤエちゃん〟の仲。ムラジさんは言わずと知れたピースボート乗船8回目、おまけに船内の歌舞伎座・南京玉すだれの座長兼呼びかけ人で、かつ、お師匠さんで知られる(ほかに朝のラジオ体操の仕掛け人でも)。
 また鎌田さんは控えめながらもサッちゃんとは東京でGET(ピースボート英会話塾)仲間の1人でいつも努力を絶やさないお手本的存在、そして二宮さんは交通事故で一時は意識不明になったものの奇跡的に回復した奥さんを車椅子に乗せての船旅を実現させ聞くも涙、語るも涙の船旅行で皆さん、船内乗客を代表する有名人ばかりだ。

 誕生会は、これまで年齢不詳だったサッちゃんが「あたしねえ、すごく幸せ。やっぱり、こうしてお祝いをして頂くと嬉しい。人生はきょうで7回り目に入りました。よって72歳で~す」と衝撃の告白をしたあと、カチューシャの白い帽子をかぶってケーキのローソクの灯を消し(これが可愛い過ぎてか、なかなか消えなかった)、最長老秋本さんがワインで「おめでとう。ハッピバースデイツーユー」の音頭をとって始まった。
 あとは、楽しい会食となったがサッちゃんは、相変わらず自分の過去や現在については何ひとつ触れない謎の女性(某大学で教鞭に立っている、とだけはお聞きしたことがある。大学の客員教授らしい)で返って、そこが神秘的でもある。
 彼女は、勝手に「アタシはね、ゴンタさんのお姉さんなのだから。あなたは弟なのよ」と決めつけてくるが、やはり姉上のこうした晴れ姿を見ると弟呼ばわりも、まんざらでもない気がする。なんだか不思議な女(ひと)だ。

 誕生会は、これに留まらない。引き続き、場所を9階の居酒屋「波へい」に替えて有志によるサッちゃんを祝う会があったが、さすがは人気者。CC(Conversation Cordinater)のジョナサンはじめ、純平、純平の友だちでもある九州は博多からきたカメラ館の上原シホさん、ピースボートの腕利きツアリーダーの中山友里さん、さらには福島原発事故の被災地から訪れた早川さん……とそれこそ、みんなサッちゃんを囲んでワイワイガヤガヤ、楽しいひとときがアッと言う間に通り過ぎていった。
 なかでも20歳の大学生純平と早川さんとの出会いが嬉しかった。純平は父の仕事の関係で4歳の時からずっとアメリカ暮らし。もちろん、英語はペラペラだがアメリカの大学を卒業したら南米のどこかで働きたいので「これを機会にスペイン語をマスターしたい」と夢を語ってくれた。そして「祖父は亡くなり、神戸で大好きな祖母が1人で住んでおり、今はお母さんもアメリカを離れてしばらく神戸にいます。早くおばあちゃんに会いたいです」とも。
 また早川さんは日本舞踊をたしなんでおられ、数年前に夫に先立たれたが東日本大震災発生に伴う原発事故の悲惨さを被災者の1人として訴えようーと福島の仲間と一緒に計4人で乗船したという。話が尽きないなか、ムラジさんたちがお祝いとして南京玉すだれを披露。私もサッちゃんの大好きな曲〈ふるさと〉をハーモニカでふいて演奏し、みんなで合唱した。

 ハーモニカといえば、私は祝う会がひと段落したところで先月30日に33歳の誕生日を迎えた居酒屋「波へい」のアリのところに行き、私が紙切れに書いた「Happy Birthday to You」とのお祝いをペンライトで照らしてお祝いし、ニカラグアのコリントで購入しておいたペンなどをプレゼント、ハーモニカで日本の曲をふいて祝福。さらに持参の横笛で久しぶりに〈さくらさくら〉をふいて前途を祝したが、アリは感激した様子だった。
 アリはインドネシア人だが両親とは早くから死別。どうしたわけか私を大好きなようで、いつも「イガミサン、イガミサン」とあれこれ気を遣ってくれる好青年だ。

 たまたま通りすがりに私の横笛を見た年配の中島清明さん(茨城県つくば市)。彼は何を思ってか「うちの女房は声楽家。歌わせたら天下一品じゃから、笛をふいてほしい。これから彼女を呼ぶから」とおっしゃるので待つこと約10分。現れた彼女を横に海に向かってとうとう〈さくらさくら〉と〈越後獅子〉をふかされる破目に。このところ、ふいていなかったので良い音は出なかったが、それでも中島さん曰く「いやあ、ワシは笛を大好きになった。なんといっても情緒がある」とほめてくださった。

 一夜明けてきょう。朝のダンス教室を終えたところで「伊神さん」と例のダンス仲間で私の先生の1人でもある大先輩で旅の文化カレッジ専属ディレクターの津江慎弥さんから呼び止められた。ステップがなってない、いつになったら覚えられるのか、と叱られるかと思い一瞬ドキリとしたが、そうではなく横笛を手に「伊神さん。これグアテマラのプエルトケツァルで買ったから。使ってください」と優しいお言葉。穴は日本の横笛より1つ多く8つだったが、なんともデザインがステキで凝った重厚で私は「ほんとに、いいですか」と耳を疑った。でも、きのうのご褒美として素直にもらっておこう。大切にしたい。

 社交ダンス教室のレッスンのあとは船室にこもって、ピースボートドリームチャンネル(ピースボートドリームチャンネル)第6回放送「ベネズエラからニカラグアまで」を、船内テレビの2チャンネルに合わせ、繰り返し見た。さすが、映像チームの高木應(あたる)さんたちならでは、の出来栄えでなんだか嬉しくなってきた。これまでの映像チームスタッフの積極姿勢と熱心な打ち合わせ、行動力のたまもので前回同様、記録的にも価値ある内容となっていた。
 特にギャレーにまで飛び込んでの「レストランの裏側」は、乗客が毎日口にする食事がどのようにして作られていくか、がそこで働く料理長らへの密着インタビューも交えて分かりやすく紹介されており、なかなかよかった。今ではすっかり船内の人気者となった田中詩乃さんのどこにだって行ってしまう、手作り〝おしゃんていさん〟による手話教室や子どもの家ファミリー紹介も企画そのものに彼女ならでは、のホットな人間愛が感じられた。
 そして何といっても、今回も注目したのが各国や船内での歓迎会や各種イベント紹介はむろんのこと、應さんによる選りすぐられた寄港地の映像の美しさと響き、洗練さである。今回はパナマ運河通航の模様が何よりも迫力があった。まさに山あり、川あり…。一見、硬派になりがちな映像がやわらかくまとめられ、見る者にドキドキ感さえ与える、そんな内容だった。
 水門が開かれるたびに両側の平衡感覚を機関車に守られ運河をひとつひとつ乗り越えてゆく大西洋から太平洋への命がけの通りぬけ。パナマ運河開削に当たった日本人土木技術者、青山士の生涯を描いた小説「熱い河」の作者・三宅雅子さんが見たら、感激するに違いない。その妙が、アタルならでは、の天賦の才と冷静な目で丁寧、かつしっかりと押さえられていた。これだけの映像となると、おそらくあまりないに違いない。ここでお疲れさま、と心からその労をねぎらいたい。
          ×          ×
 社交ダンスの方は午後もレッスン後に、ダンス仲間の服部夫妻(川崎市在住)に教えて頂くなど特訓に次ぐ特訓が続いている。寝不足な私はきょうの明け方、疲れもあってか寝ぼけてベッドから下に転げ落ちた。両ひざをしこたま強く打ち折れたか、と思ったが幸いなんともなかった。いろいろ起きるが、運がよいのか大丈夫だ。
 船内では、ここ2、3日、九州北部豪雨の報告会やら義援金集め、エンセナーダから福島の子どもたちと一緒に乗船する、ベネズエラオーケストラメンバーの音楽教育システム「エルシステマ」のドキュメンタリー映画上映会、さらには講演会〈ベトナム戦争~人々の力が戦争を止める~〉などが開かれている。
 1日1日、日本が近づいてきている。

平成二十四年七月三十一日
 7月もきょうで終わる。
 日本との時差は15時間の太平洋上で船はカリフォルニア半島を北上している。
 洋上のインターネットは本当に気まぐれだ。昨夜も衛星回線の調子がよくなく、深夜から未明にかけアクセスカードを使ってインターネットを何度も開くが、やっと開けたと思ったら今度は時間切れでログアウトになり、またやり返す(着信メールも内容を読もうにも検索時間が長くて、ことごとくログアウトになってしまい、どうしようもない。やはりファックスが1番手堅いことを痛切に思う)といった繰り返しが続いた。

 このままではラチがあかない。デ、頭を冷やしていったん撤退することとし船室へ。2時間ほど寝て今度はパソコンを反対側の右舷側に備え、窓辺に映る真っ暗な海を前に再びチャレンジ。意外やインターネットも簡単に開け、新生「熱砂」への移行の関係でこのところ休載していた本欄・新連載地球一周船旅ストーリー〈海に抱かれて みんなラヴ〉原稿の洋上でのアップになんとか漕ぎつけた(残念ながら画像アップの方はまだである)。

 というわけで、相も変わらず日々、バタバタしている。でも、このところは企画や講義の方は出来るだけ絞り込んで聴くようにしている。きょうは、パブロ・ロモさんによる「(メキシコの)市民が作り出す未来」の聴講だけに留めた。でないと私本来の執筆(構想含む)の時間が無くなってしまうからだ。

 ただ社交ダンスだけは違う。それこそ執念で人並みに出来るように、と毎日練習に励んでいる。ジルバ、チャチャチャ、ルンバは下手なりになんとか踊れるようにはなったが、ワルツとタンゴがこれほどまでに奥の深いダンスだったとは。あらためてスゴイ芸術だと思う。きょうも、なぜか天才的な才能の持ち主であるダンス仲間の高井さんはじめ、津江さんらに教室のあとも特訓を受けた。みな親切に教えてくださるので、なんとか最後まで続けられそうだ。それにしても、基本はステップと分かりながら、だ。俺はナントのみこみが悪いのだ。あぁ~、泣けてくる。

12年8月1日

ウェブ作品集

伊神 権太

実録随想「残り花」

 昨夜遅く、出航曲Freedomの曲とともになつかしのエンセナーダを出港したオーシャン・ドリーム号は一路、横浜に向かい太平洋横断を始めた。寒流を航行しているせいか、ここ数日は大変寒い。かといって、帰り支度の手始めとして大きい旅行バッグの奥に早々としまい込んでしまった冬物をいまさら出す気にもなれない。【写真は最後の寄港地となったメキシコ・エンセナーダでの楽しい交流風景と私たちを出迎えてくれた海鳥、いずれも2日写す】
 船内の方はエンセナーダから乗船した福島FТVオーケストラの高校生8人とベネズエラ青少年オーケストラ8人の紹介に続き〈~音楽は国境を越え~〉をスローガンとした「ベネズエラ」の共演会、引き続いて交流の集いがあった。また「こんばんはサルバドール~懐かしの映画音楽の夜~」もあったりで相変わらず充実ぶりが目立つ。
 こうしたなか私は連日、新生「熱砂」への本欄・地球一周船旅ストーリー〈海に抱かれて みんなラヴ〉のアップを続けている。76回というピースボートの歴史の中でも乗客自らによる連日の作品アップは、おそらく珍しいだろう。それだけに、これはこれで1つの記録文学として良い作品になれば、と思っている。

平成二十四年八月二日
 オーシャンドリーム号がけさ、最後の寄港地であるメキシコのエンセナーダに入港したとき、何よりうれしかったのは何羽もの、いや数え知れないほどの海鳥たちがデッキすれすれに飛行しボクたちを歓迎してくれたことだ。私たちが船上にいても、海鳥たちはデッキの端に止まって怖がるどころか、親しげに近づき覗きこむようなしぐさでチッチッと鳴いたり、羽を広げたり、ヨチヨチ歩きをしていた。

 鳥の1羽1羽。その嘴(くちばし)の一つひとつと、まなざしに「何か」温かな神秘性を感じ見つめていると、白い波と鳥たち、そして空までが、まるで海の詩(うた)をそれぞれに奏でている。そんな気がしてきた。そういえば、港の岸壁一角では何匹ものアシカ君たちも巨体を空に向かってくねらせ、歓迎してくれた。

 この日、寄港地最後のエンセナーダで私が参加したオプショナルツアーは、港からバスで15分前後の海に面した草原と隣の砂丘で行われた「メキシコの子どもたちとボランティア体験!」というものだった。私は例の〝サッちゃん〟と共に、ガールスカウトの中学1年生イワナとクラウディアの計四人でゴミ拾い奉仕を体験。クラウディアから40歳だ、と言われ大発奮した〝サッちゃん〟の大健闘もあり、ゴミ袋はみるみる一杯になっていった。途中、イワナの目にゴミが入り〝お姉さん〟から目薬をさしてもらうハプニングまであったがたいしたことはなく清掃活動は延々と続いた。
 私は、ゴミ拾いをしながら「こんなことをするのは久しぶり。七尾の三尺玉花火のあとの会場一帯の清掃奉仕いらいだ。この姿を美雪が見たら、きっと驚くに違いない」と思い黙々と励んだ。活動のあとはメキシコ料理をみんなで囲み、今度はけん玉や手品、あやとりをしたあと、原野の一角で輪になってメキシコの楽しい遊びや日本のじゃんけん列車、通りゃんせ遊びなどを楽しみ、最後はいつもの「幸せなら手をたたこう」をみんなで歌い、交流を終えた。帰りには一緒に清掃活動奉仕をしてくれた約30人の子どもたち全員がバスの横に整列し見送ってくれた。

 いったん船内に戻ったあとはシャトルバスでエンセナーダの市内まで出て笛を探したり、麦わらのメキシカンハットを探して歩いたが途中、ドルが無くなってしまったため通りすがりの日本人女性客に1時お金を借りるなど、相変わらずドタバタ劇の1日となった。
 この日私にとって最大の不幸は、例によって愛用の眼鏡を取ったりかけたりしているうちに、どこかに紛失してしまったことだ(私は最後の旅先に残した眼鏡をこの先、これまで私を守ってくれたお礼としてエンセナーダの地に残しプレゼントした、と思うことにした。これからは天使の贈り物として、眼鏡の記憶はいつまでも忘れないでいよう)。

 夜。エンセナーダで乗船するベネズエラ青少年オーケストラのメンバー8人の港への到着が遅れたこともあり、当初午後6時40分に予定された最後の出港式が午後10時10分からにずれ込んで行われた(帰船リミットも6時から10時に延ばされた)。
 ピースボートのクルーズディレクター・井上直さんの元気いっぱいの掛け声とともに、これまでの全寄港地がデッキに集まった全員で一つずつカウントダウンされ、最後に美しかった、この町〈エンセナーダ〉の名前をみんなで2度、3度…と叫び終わると、出航曲Freedom(フリーダム)のメロデーが、エンセナーダの町全体のネオンに照らし出された夜の海に深く、広く、流れ始めた。私はこの場面をいつまでも忘れないだろう。

平成二十四年八月一日
 オーシャン・ドリーム号は、あすの朝には最後の寄港地であるメキシコのエンセナーダに入港する。日本との時差はこれまでで一番長い16時間。今こちらは午後8時過ぎ、日本なら8月2日の正午を過ぎたところだ。寒流の影響がもろに出て、けさはぐんと冷え込み寒いくらいなので愛用の黒のカーディガンを再びひっかけ船室内でこうして書いている。
          ×          ×
 「7月31日 夕食ご一緒して下さいますように(4F PH5・30に)私の誕生日です。よろしく 5006室 阿部祥子」
 先日、私の船室ポストに入っていたサッちゃん=東京都豊島区、阿部祥子さん=からの1枚の紙切れ招待状。その日(昨日)が訪れ、私は5時25分過ぎ4階レストランに出向いた。そしたら、76回クルーズの乗客最高齢の秋本君枝さん=92歳、山口県小野田市、ことし9月8日には満93歳=はじめ、ヤエちゃん(小泉八重子さん、横浜市神奈川区)、ムラジさん(村田俊一さん、東京都新宿区)、鎌田広将さん(東京都世田谷区)、二宮清志さん夫妻(広島県廿日市市)がテーブルを囲んでおいでになった。
 ヤエちゃんはマリリンモンローの口を考案されるなど発想豊かな折り紙の達人。ほかに手品、南京玉すだれ、ドジョウすくい…となんでもござれ、の売れっこさんでこの日の主人公とは〝サッちゃんとヤエちゃん〟の仲。ムラジさんは言わずと知れたピースボート乗船8回目、おまけに船内の歌舞伎座・南京玉すだれの座長兼呼びかけ人で、かつ、お師匠さんで知られる(ほかに朝のラジオ体操の仕掛け人でも)。
 また鎌田さんは控えめながらもサッちゃんとは東京でGET(ピースボート英会話塾)仲間の1人でいつも努力を絶やさないお手本的存在、そして二宮さんは交通事故で一時は意識不明になったものの奇跡的に回復した奥さんを車椅子に乗せての船旅を実現させ聞くも涙、語るも涙の船旅行で皆さん、船内乗客を代表する有名人ばかりだ。

 誕生会は、これまで年齢不詳だったサッちゃんが「あたしねえ、すごく幸せ。やっぱり、こうしてお祝いをして頂くと嬉しい。人生はきょうで7回り目に入りました。よって72歳で~す」と衝撃の告白をしたあと、カチューシャの白い帽子をかぶってケーキのローソクの灯を消し(これが可愛い過ぎてか、なかなか消えなかった)、最長老秋本さんがワインで「おめでとう。ハッピバースデイツーユー」の音頭をとって始まった。
 あとは、楽しい会食となったがサッちゃんは、相変わらず自分の過去や現在については何ひとつ触れない謎の女性(某大学で教鞭に立っている、とだけはお聞きしたことがある。大学の客員教授らしい)で返って、そこが神秘的でもある。
 彼女は、勝手に「アタシはね、ゴンタさんのお姉さんなのだから。あなたは弟なのよ」と決めつけてくるが、やはり姉上のこうした晴れ姿を見ると弟呼ばわりも、まんざらでもない気がする。なんだか不思議な女(ひと)だ。

 誕生会は、これに留まらない。引き続き、場所を9階の居酒屋「波へい」に替えて有志によるサッちゃんを祝う会があったが、さすがは人気者。CC(Conversation Cordinater)のジョナサンはじめ、純平、純平の友だちでもある九州は博多からきたカメラ館の上原シホさん、ピースボートの腕利きツアリーダーの中山友里さん、さらには福島原発事故の被災地から訪れた早川さん……とそれこそ、みんなサッちゃんを囲んでワイワイガヤガヤ、楽しいひとときがアッと言う間に通り過ぎていった。
 なかでも20歳の大学生純平と早川さんとの出会いが嬉しかった。純平は父の仕事の関係で4歳の時からずっとアメリカ暮らし。もちろん、英語はペラペラだがアメリカの大学を卒業したら南米のどこかで働きたいので「これを機会にスペイン語をマスターしたい」と夢を語ってくれた。そして「祖父は亡くなり、神戸で大好きな祖母が1人で住んでおり、今はお母さんもアメリカを離れてしばらく神戸にいます。早くおばあちゃんに会いたいです」とも。
 また早川さんは日本舞踊をたしなんでおられ、数年前に夫に先立たれたが東日本大震災発生に伴う原発事故の悲惨さを被災者の1人として訴えようーと福島の仲間と一緒に計4人で乗船したという。話が尽きないなか、ムラジさんたちがお祝いとして南京玉すだれを披露。私もサッちゃんの大好きな曲〈ふるさと〉をハーモニカでふいて演奏し、みんなで合唱した。

 ハーモニカといえば、私は祝う会がひと段落したところで先月30日に33歳の誕生日を迎えた居酒屋「波へい」のアリのところに行き、私が紙切れに書いた「Happy Birthday to You」とのお祝いをペンライトで照らしてお祝いし、ニカラグアのコリントで購入しておいたペンなどをプレゼント、ハーモニカで日本の曲をふいて祝福。さらに持参の横笛で久しぶりに〈さくらさくら〉をふいて前途を祝したが、アリは感激した様子だった。
 アリはインドネシア人だが両親とは早くから死別。どうしたわけか私を大好きなようで、いつも「イガミサン、イガミサン」とあれこれ気を遣ってくれる好青年だ。

 たまたま通りすがりに私の横笛を見た年配の中島清明さん(茨城県つくば市)。彼は何を思ってか「うちの女房は声楽家。歌わせたら天下一品じゃから、笛をふいてほしい。これから彼女を呼ぶから」とおっしゃるので待つこと約10分。現れた彼女を横に海に向かってとうとう〈さくらさくら〉と〈越後獅子〉をふかされる破目に。このところ、ふいていなかったので良い音は出なかったが、それでも中島さん曰く「いやあ、ワシは笛を大好きになった。なんといっても情緒がある」とほめてくださった。

 一夜明けてきょう。朝のダンス教室を終えたところで「伊神さん」と例のダンス仲間で私の先生の1人でもある大先輩で旅の文化カレッジ専属ディレクターの津江慎弥さんから呼び止められた。ステップがなってない、いつになったら覚えられるのか、と叱られるかと思い一瞬ドキリとしたが、そうではなく横笛を手に「伊神さん。これグアテマラのプエルトケツァルで買ったから。使ってください」と優しいお言葉。穴は日本の横笛より1つ多く8つだったが、なんともデザインがステキで凝った重厚で私は「ほんとに、いいですか」と耳を疑った。でも、きのうのご褒美として素直にもらっておこう。大切にしたい。

 社交ダンス教室のレッスンのあとは船室にこもって、ピースボートドリームチャンネル(ピースボートドリームチャンネル)第6回放送「ベネズエラからニカラグアまで」を、船内テレビの2チャンネルに合わせ、繰り返し見た。さすが、映像チームの高木應(あたる)さんたちならでは、の出来栄えでなんだか嬉しくなってきた。これまでの映像チームスタッフの積極姿勢と熱心な打ち合わせ、行動力のたまもので前回同様、記録的にも価値ある内容となっていた。
 特にギャレーにまで飛び込んでの「レストランの裏側」は、乗客が毎日口にする食事がどのようにして作られていくか、がそこで働く料理長らへの密着インタビューも交えて分かりやすく紹介されており、なかなかよかった。今ではすっかり船内の人気者となった田中詩乃さんのどこにだって行ってしまう、手作り〝おしゃんていさん〟による手話教室や子どもの家ファミリー紹介も企画そのものに彼女ならでは、のホットな人間愛が感じられた。
 そして何といっても、今回も注目したのが各国や船内での歓迎会や各種イベント紹介はむろんのこと、應さんによる選りすぐられた寄港地の映像の美しさと響き、洗練さである。今回はパナマ運河通航の模様が何よりも迫力があった。まさに山あり、川あり…。一見、硬派になりがちな映像がやわらかくまとめられ、見る者にドキドキ感さえ与える、そんな内容だった。
 水門が開かれるたびに両側の平衡感覚を機関車に守られ運河をひとつひとつ乗り越えてゆく大西洋から太平洋への命がけの通りぬけ。パナマ運河開削に当たった日本人土木技術者、青山士の生涯を描いた小説「熱い河」の作者・三宅雅子さんが見たら、感激するに違いない。その妙が、アタルならでは、の天賦の才と冷静な目で丁寧、かつしっかりと押さえられていた。これだけの映像となると、おそらくあまりないに違いない。ここでお疲れさま、と心からその労をねぎらいたい。
          ×          ×
 社交ダンスの方は午後もレッスン後に、ダンス仲間の服部夫妻(川崎市在住)に教えて頂くなど特訓に次ぐ特訓が続いている。寝不足な私はきょうの明け方、疲れもあってか寝ぼけてベッドから下に転げ落ちた。両ひざをしこたま強く打ち折れたか、と思ったが幸いなんともなかった。いろいろ起きるが、運がよいのか大丈夫だ。
 船内では、ここ2、3日、九州北部豪雨の報告会やら義援金集め、エンセナーダから福島の子どもたちと一緒に乗船する、ベネズエラオーケストラメンバーの音楽教育システム「エルシステマ」のドキュメンタリー映画上映会、さらには講演会〈ベトナム戦争~人々の力が戦争を止める~〉などが開かれている。
 1日1日、日本が近づいてきている。

平成二十四年七月三十一日
 7月もきょうで終わる。
 日本との時差は15時間の太平洋上で船はカリフォルニア半島を北上している。
 洋上のインターネットは本当に気まぐれだ。昨夜も衛星回線の調子がよくなく、深夜から未明にかけアクセスカードを使ってインターネットを何度も開くが、やっと開けたと思ったら今度は時間切れでログアウトになり、またやり返す(着信メールも内容を読もうにも検索時間が長くて、ことごとくログアウトになってしまい、どうしようもない。やはりファックスが1番手堅いことを痛切に思う)といった繰り返しが続いた。

 このままではラチがあかない。デ、頭を冷やしていったん撤退することとし船室へ。2時間ほど寝て今度はパソコンを反対側の右舷側に備え、窓辺に映る真っ暗な海を前に再びチャレンジ。意外やインターネットも簡単に開け、新生「熱砂」への移行の関係でこのところ休載していた本欄・新連載地球一周船旅ストーリー〈海に抱かれて みんなラヴ〉原稿の洋上でのアップになんとか漕ぎつけた(残念ながら画像アップの方はまだである)。

 というわけで、相も変わらず日々、バタバタしている。でも、このところは企画や講義の方は出来るだけ絞り込んで聴くようにしている。きょうは、パブロ・ロモさんによる「(メキシコの)市民が作り出す未来」の聴講だけに留めた。でないと私本来の執筆(構想含む)の時間が無くなってしまうからだ。

 ただ社交ダンスだけは違う。それこそ執念で人並みに出来るように、と毎日練習に励んでいる。ジルバ、チャチャチャ、ルンバは下手なりになんとか踊れるようにはなったが、ワルツとタンゴがこれほどまでに奥の深いダンスだったとは。あらためてスゴイ芸術だと思う。きょうも、なぜか天才的な才能の持ち主であるダンス仲間の高井さんはじめ、津江さんらに教室のあとも特訓を受けた。みな親切に教えてくださるので、なんとか最後まで続けられそうだ。それにしても、基本はステップと分かりながら、だ。俺はナントのみこみが悪いのだ。あぁ~、泣けてくる。

08/4/26