「走る」 牧 すすむ

 「カンパーイ!」 広いホールに明るく力強い声が響き渡った。次の瞬間、一斉に沸き起こる拍手の嵐─。
 十一月のある日曜日、名古屋駅近くのホテルで私のための祝賀会が開かれた。正面の舞台上に高く吊るされた看板には黒く太い文字で、「倉知弦洲 上席大師範昇格記念祝賀会」と書かれている。
 大正琴講師を職業としている私が所属するのは「琴伝流」という流派。そして倉知弦洲は雅号である。
 その琴伝流宗家から此の度、流派の最高位である「上席大師範」を授与された。然も第一位認定という大きなおまけ付きであった。会員数三十万とも言われる流派の頂点に立ったわけで、大変な名誉であると共にその重責がズシリと両肩にのし掛かって来る。
 それはともかくとして、今日はめでたい祝賀会だ。二百名もの出席者で埋まった会場は時間と共に堅い空気も解れ、銘々のテーブルに運ばれて来る料理や飲み物に舌鼓を打ちながら、互いの会話を楽しんでいた。
 きれいな着物姿が目立つこともあり、場内はより華やかな雰囲気に包まれて、いやが上にも気分は高揚した。
 それにしても、普段教室で見慣れている彼女たちが今日はまるで別人のように美しく、そして淑やかに見えるのが摩訶不思議であった。(失礼。因みに私も着物でした)
 予想を超す出席者の数もさることながら、私を大いに感激させてくれたのは多忙の中駆けつけてくれた二人の友人と息子達だった。
 友人は共に中日新聞記者で、私の地元である小牧の通信局に在籍中は大変お世話になった。特に今日のカンパイの音頭を取ってくれた彼とは三十年来の親友で、私の音楽人生を力強く支え続けてくれている大の恩人でもある。
 そしてもうひとつのサプライズは、次男夫婦のこと─。海外勤務の最中(さなか)、昨年南米のチリで結婚し、最近又中米のコロンビアに転勤が決まった。準備のための一時帰国で十日間ほど東京の本社に戻って来ていた。
 そんな偶然が重なり、一日だけ休みを取って夫婦で顔を出してくれたのだ。
 大正琴という父親の仕事を余り知ることもなく育った彼に、この祝賀会を見せられたのは幸せであったし、それにも増して我が家のことをまだ何も知らない嫁に、倉知家を知ってもらう絶好の場になったことも嬉しい限りだった。
 ただ、イギリスに嫁いでいる娘はこの春に二人目を出産したばかりとあって今回の来日を断念、参加できなかったことをとても悔しがっていた。その彼女から会場へメッセージ付きの盛花が届いていて、思わず胸が熱くなってしまった。
 宴も最高潮に達し、あちらこちらでカメラのフラッシュが光り始めている。メインテーブルにいる私の所へも大勢の生徒達が代わる代わるカメラを持って訪れ、瞬く間に大撮影会となった。
 数え切れない程のフラッシュを浴びながら私は様々のことを想い返していた。この仕事に飛び込んだあの頃、大正琴を職業とすることの不安に押し潰されそうになりながら、走り回った日々。教室という社会の中で毎日多くの人達と向き合い、若さゆえの失敗は数知れず─。それでも気が付けば何時も誰かが支えてくれていた。感謝ばかりの人生である。  
 「どんな事もひとりで出来たと思うな」。子供の頃から折々に母が言っていた言葉だ。その母にももうすぐ九十六回目の誕生日がやってくる。
 伯父の弾く大正琴を真似て遊んだ昔─。その大正琴を生業(なりわい)として生きることになった私の人生。そして今は長男が後を継いでくれている。最近は舞台で二人弾きをすることも多くなり、世に言う「親子の断絶」は我が家には無い。
 毎日百キロ二百キロとハンドルを握っての教室巡り。無我夢中で走り続けて来た三十年の大正琴人生。もし許されるなら、もう少しこの道を走り続けさせてほしいとそう心から願っている私である。

11年12月8日

「走る」 平子 純

 「カンパーイ!」 広いホールに明るく力強い声が響き渡った。次の瞬間、一斉に沸き起こる拍手の嵐─。
 十一月のある日曜日、名古屋駅近くのホテルで私のための祝賀会が開かれた。正面の舞台上に高く吊るされた看板には黒く太い文字で、「倉知弦洲 上席大師範昇格記念祝賀会」と書かれている。
 大正琴講師を職業としている私が所属するのは「琴伝流」という流派。そして倉知弦洲は雅号である。
 その琴伝流宗家から此の度、流派の最高位である「上席大師範」を授与された。然も第一位認定という大きなおまけ付きであった。会員数三十万とも言われる流派の頂点に立ったわけで、大変な名誉であると共にその重責がズシリと両肩にのし掛かって来る。
 それはともかくとして、今日はめでたい祝賀会だ。二百名もの出席者で埋まった会場は時間と共に堅い空気も解れ、銘々のテーブルに運ばれて来る料理や飲み物に舌鼓を打ちながら、互いの会話を楽しんでいた。
 きれいな着物姿が目立つこともあり、場内はより華やかな雰囲気に包まれて、いやが上にも気分は高揚した。
 それにしても、普段教室で見慣れている彼女たちが今日はまるで別人のように美しく、そして淑やかに見えるのが摩訶不思議であった。(失礼。因みに私も着物でした)
 予想を超す出席者の数もさることながら、私を大いに感激させてくれたのは多忙の中駆けつけてくれた二人の友人と息子達だった。
 友人は共に中日新聞記者で、私の地元である小牧の通信局に在籍中は大変お世話になった。特に今日のカンパイの音頭を取ってくれた彼とは三十年来の親友で、私の音楽人生を力強く支え続けてくれている大の恩人でもある。
 そしてもうひとつのサプライズは、次男夫婦のこと─。海外勤務の最中(さなか)、昨年南米のチリで結婚し、最近又中米のコロンビアに転勤が決まった。準備のための一時帰国で十日間ほど東京の本社に戻って来ていた。
 そんな偶然が重なり、一日だけ休みを取って夫婦で顔を出してくれたのだ。
 大正琴という父親の仕事を余り知ることもなく育った彼に、この祝賀会を見せられたのは幸せであったし、それにも増して我が家のことをまだ何も知らない嫁に、倉知家を知ってもらう絶好の場になったことも嬉しい限りだった。
 ただ、イギリスに嫁いでいる娘はこの春に二人目を出産したばかりとあって今回の来日を断念、参加できなかったことをとても悔しがっていた。その彼女から会場へメッセージ付きの盛花が届いていて、思わず胸が熱くなってしまった。
 宴も最高潮に達し、あちらこちらでカメラのフラッシュが光り始めている。メインテーブルにいる私の所へも大勢の生徒達が代わる代わるカメラを持って訪れ、瞬く間に大撮影会となった。
 数え切れない程のフラッシュを浴びながら私は様々のことを想い返していた。この仕事に飛び込んだあの頃、大正琴を職業とすることの不安に押し潰されそうになりながら、走り回った日々。教室という社会の中で毎日多くの人達と向き合い、若さゆえの失敗は数知れず─。それでも気が付けば何時も誰かが支えてくれていた。感謝ばかりの人生である。  
 「どんな事もひとりで出来たと思うな」。子供の頃から折々に母が言っていた言葉だ。その母にももうすぐ九十六回目の誕生日がやってくる。
 伯父の弾く大正琴を真似て遊んだ昔─。その大正琴を生業(なりわい)として生きることになった私の人生。そして今は長男が後を継いでくれている。最近は舞台で二人弾きをすることも多くなり、世に言う「親子の断絶」は我が家には無い。
 毎日百キロ二百キロとハンドルを握っての教室巡り。無我夢中で走り続けて来た三十年の大正琴人生。もし許されるなら、もう少しこの道を走り続けさせてほしいとそう心から願っている私である。

11/12/8