短編小説「子連れ泥棒」

 見渡すかぎり一面に、きれいに収穫されたばかりの畑が広がっていた。風がそよぐ大空を、腹をすかせたカラスたちが不満げに大声で鳴きながら飛びかっている。
 そんなのんびりとした田舎のど真ん中に、平屋建ての民家があった。たぶん、だれかが気分よく演歌でも聴いているのだろう。テレビの音が縁側から、ながれてくる。
 かこった庭では、ひまをもてあました秋田犬が一匹、退屈そうにあくびを連発している。
「―――きょうはこの懐かしき田舎家でちょいと稼がしてもらおうか。このままじゃあ、晩の御まんまもおぼつかないしな」
 駐車したままのオンボロ車の運転席で、腹をすかせた男がぶつぶつ言いながら握り飯を一つたいらげた。
 そして最後に、ペットボトルに残ったウーロン茶を飲みほそうとした時、隣の助手席から急に泣き声が上がった。
「おー、よしよし、大丈夫だぞ、いま、ミルクをやるからな。――そんなに大声をあげて誰かに気づかれたら、父ちゃん、たいへんだからな」
 あわてて男はスーパーのポリブクロから、使いふるした哺乳瓶をとりだすと、ベビーシートにくるまれて泣きじゃくる赤ん坊を抱き上げてミルクを飲ませてやった。
 ふと腕時計をみると、午後の一時をまわっている。
「それではそろそろ、お仕事とまいりますか―――」
 気持よさそうに眠りだした赤ん坊を背負った男は、こわごわと腰に大きな包丁をさすと、やおら車をおりた――。
「ふうん、滝川さゆりの歌は、なんど聞いてもいいもんだねぇ………」
 居間のコタツでセンベイをかじりながら、オタカ婆さんはうっとりとして一人でつぶやいていた。
「それにしても、今日はなんだかうすら寒いねぇ」
 そとの庭から犬のリキが、いつになくけたたましく吠えている。
「これこれ、リキ、そううるさく鳴くもんじゃないよ。静かにおしっ」
 しかしリキの鳴き声はいっこうにおさまらず、吠え続けていた。居間のテレビの画面は、賑やかな歌謡番組から静かなニュースに切り替わって、真面目な顔つきのアナウンサーが冷静な口調でしゃべりだした。
 フンと鼻息を吹いて、オタカ婆さんはリモコンのスイッチを切ると、煙草を吸ってひと息ついた。そして何気なく、正面の仏壇に目をやると、ブツブツとその位牌に愚痴をこぼした。
「爺さんや、お前さんがあの世に逝ってから、もう二十年にもなったかい。―――一だけどな、年寄りの一人暮らしてのは、侘びしいもんじゃよ。泣きたくなることもね…そりゃあ、今でも一応は、息子夫婦があたしの様子を気にかけてはいるようだがね、でも何だかね。――あんたにはわかるだろ。――それにその息子夫婦がさ、先週から今年高校に入った孫を連れて家族旅行ときたもんだよ。いい気なものだね」
 その時、仏壇がすこし、ぐらりと動いたような気がした。
 びっくりしたオタカ婆さんは言葉を付け足した。
「ありゃまあ、爺さんや、そんなに怒らないでおくれよ。あたしも悪気はないんだから、勘弁しておくれよ。――あっ、そうそう、うっかり頂き物のおまんじゅうを供えるの忘れていたっけ」
 難儀そうに、婆さんがコタツから立ち上がりかけたとき、突然、縁側から大声がした。
「――おい、婆さん、そこを動くとためにならねえぞ。さっさと言い訳せずに金を出すんだ」
 振り向くと背中に赤ん坊を背負った泥棒が、開け放たれた縁側の前で、声を荒げて手にした包丁を振り回している。
 一瞬、驚いて、腰を落としたオタカ婆さんは、やがて疑わしげに目を細めると、ぽつりと言った。
「――ふーん、こんなボロ家に、コソ泥のまねかい。まあまあ、見当ちがいも、はなはだしいよ。よく、こんな田舎まで、やって来たものだ。呆れるねえ」
「うるせえ、俺は今、気が立っているんだぞ。腹の虫も鳴ってらあ。さっさと金目のものを、ありたけ、こっちによこせ。さもなきゃ、婆さん、綱でぐるぐる巻きにして好きにさせてもらうぜ」
「腹の虫ねえ………」
 泥棒と背中の赤ん坊を交互に眺めて、婆さんは少し考えてから言った。
「――お前さん、親子どんぶりはきらいかい?」
「お、親子どんぶり!?…婆さん、俺をからかう気か」
「お昼ご飯の残りがあるんだよ。よかったら、食べなよ」
「婆さん、何言ってんだ。俺、泥棒だぜ。別にここへ飯を食いに来たわけじゃねえ!…さっさと金を――」
 そんなことにお構いなく、さっさとコタツから腰を上げたオタカばあさんは嬉しそうに台所へ回った。
 しばらくして、湯気の上がったどんぶりとミルクの入った新品の哺乳瓶を盆にのせて、婆さんがもどって来た。
 拍子抜けした泥棒は両腕を組んだまま、にがい顔をしてあぐらをかいている。泥棒は赤ん坊をやさしく傍らの床に寝かせていた。
 オタカ婆さんはニッコリして言った。
「あたしが赤ちゃんにミルクを飲ませてあげるから、お前さんも、どんぶりが冷めないうちにさっさと食べておしまいよ」
「ふうむ………」
 合点がいかないが、やがて観念した泥棒はムシャムシャとどんぶりをかき込みだした。
 男は口の周りにいっぱい米粒つけたまま、我を忘れた様に無心になって食べていた。
 オタカ婆さんはミルクを飲ませながら不憫な赤子が哀れで親身になって、男にやさしく尋ねた。
「どうして、こんなことになったんだね」
 男は重い口を開いた。
「――妻の浮気が原因だな。そのことで夫婦喧嘩が絶えなかったな。――とうとう一年前に子供を残したまま妻はどこかへ逃げてしまったよ。俺が妻より十八歳も年上のせいもあっただろうが…今頃は浮気相手と気楽にやってんだろうよ」
 オタカ婆さんは、しみじみと天井を見上げながら言った。
「――そいつはご苦労な話だねえ。あたしも身につまされるよ。うちにも息子はいるけど、嫁をもらうと駄目だね。ろくに家にも寄り付かなくなって独りぼっちの様なものさ。―――連れ合いのない侘びしさはお前さんと同類だね」
 オタカ婆さんは、ふと泥棒の上着のポケットに眼をくれて、ふーとため息をもらすと小声で言った。
「………こんな、びんぼう所帯だからたいした額もないけど、よかったら少しでもお金、持っていきな。いくらかの足しにはなるだろうさ。でも、お前さん、きっと働いてまっとうに生きることだよ。この子のためにもさあ」
「そいつはありがてえ………」
 その時だった。突然、部屋が大きくグラリと揺れた後、ドドドド――と激しく振動し部屋の壁がメリメリと裂け始めた。
「ば、婆さん、じ、地震だあー!!」
 とっさの反応で、あっという間に泥棒は赤ん坊を背負い、婆さんを力強く抱き上げて、一目散に縁側から外へ駆け出した。
 家から砂利道まで避難した時、今まで居た家が、ガタガタと音を立てて跡形もなくペシャンコに崩れ去っていった。瓦礫となった傍らで、犬のリキが興奮して走り回りながら遠吠えしていた。
 道端の大きな岩の上に腰を下ろしたオタカ婆さんと泥棒は、そろって悲惨な顔つきで呆然としていた。
 オタカ婆さんの膝の上で赤ん坊が無邪気に微笑んでいる。
 泥棒は婆さんの心中を察しながら言った。
「あと少し遅れてたら、三人そろってあの世逝きだったぜ。
危機一髪、助かったな」
「――お前さん、ありがとうな。ほんとうに命の恩人だよ」
「礼には及ばないさ、――あっ、痛っててて」
 必死に逃げていた時にどこかで擦り剥いたのだろう。上着の袖口をまくり上げた男の腕に、タラリと血が流れている。その二の腕に大きな薄茶色のアザの跡がついている。
 それをみて、穏やかな口振りで男が言った。
「――俺が子供の頃だったな、家の庭で焚き火遊びをしていて、うっかり火傷をしたアザなんだ。あの時はこっぴどく、おふくろに叱られてさ、今でもよく憶えているんだ…」
 男が横を向くと、オタカ婆さんは眼を細めてこっちをジッと睨んでいる。そして婆さんはゆっくりと口を開いた。
「――お前、武志だねえ。――三十年前に、家出した息子の武志だろう」
「そうさ――えっ!!てえことはつまり、婆さんは………」
「――自分の親の家に泥棒に入るバカがどこにいるんだい――弟夫婦はまともに生きて親の面倒をみてるっていうのにさ、情けないよお前は」
「……何だかこの家が懐かしいと思ったはずだよなあ、この俺ときたらまた、しくじったか」
「この親不孝の大バカが、しっかりおしよ――ほらほら、あたしの孫が泣いてるじゃないか、さあさあ急いで町までミルクと食料の買い出しだよ」
 やがてオンボロ車は、息子と母親と孫を乗せて、ゆっくりとしたスピードで遠くの町へと向かって行った。
―――後部座席で窓から首を伸ばした犬のリキが嬉しげにワンワンと吠えていた―――。
          了

11年4月6日

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加藤 行

 

 見渡すかぎり一面に、きれいに収穫されたばかりの畑が広がっていた。風がそよぐ大空を、腹をすかせたカラスたちが不満げに大声で鳴きながら飛びかっている。
 そんなのんびりとした田舎のど真ん中に、平屋建ての民家があった。たぶん、だれかが気分よく演歌でも聴いているのだろう。テレビの音が縁側から、ながれてくる。
 かこった庭では、ひまをもてあました秋田犬が一匹、退屈そうにあくびを連発している。
「―――きょうはこの懐かしき田舎家でちょいと稼がしてもらおうか。このままじゃあ、晩の御まんまもおぼつかないしな」
 駐車したままのオンボロ車の運転席で、腹をすかせた男がぶつぶつ言いながら握り飯を一つたいらげた。
 そして最後に、ペットボトルに残ったウーロン茶を飲みほそうとした時、隣の助手席から急に泣き声が上がった。
「おー、よしよし、大丈夫だぞ、いま、ミルクをやるからな。――そんなに大声をあげて誰かに気づかれたら、父ちゃん、たいへんだからな」
 あわてて男はスーパーのポリブクロから、使いふるした哺乳瓶をとりだすと、ベビーシートにくるまれて泣きじゃくる赤ん坊を抱き上げてミルクを飲ませてやった。
 ふと腕時計をみると、午後の一時をまわっている。
「それではそろそろ、お仕事とまいりますか―――」
 気持よさそうに眠りだした赤ん坊を背負った男は、こわごわと腰に大きな包丁をさすと、やおら車をおりた――。
「ふうん、滝川さゆりの歌は、なんど聞いてもいいもんだねぇ………」
 居間のコタツでセンベイをかじりながら、オタカ婆さんはうっとりとして一人でつぶやいていた。
「それにしても、今日はなんだかうすら寒いねぇ」
 そとの庭から犬のリキが、いつになくけたたましく吠えている。
「これこれ、リキ、そううるさく鳴くもんじゃないよ。静かにおしっ」
 しかしリキの鳴き声はいっこうにおさまらず、吠え続けていた。居間のテレビの画面は、賑やかな歌謡番組から静かなニュースに切り替わって、真面目な顔つきのアナウンサーが冷静な口調でしゃべりだした。
 フンと鼻息を吹いて、オタカ婆さんはリモコンのスイッチを切ると、煙草を吸ってひと息ついた。そして何気なく、正面の仏壇に目をやると、ブツブツとその位牌に愚痴をこぼした。
「爺さんや、お前さんがあの世に逝ってから、もう二十年にもなったかい。―――一だけどな、年寄りの一人暮らしてのは、侘びしいもんじゃよ。泣きたくなることもね…そりゃあ、今でも一応は、息子夫婦があたしの様子を気にかけてはいるようだがね、でも何だかね。――あんたにはわかるだろ。――それにその息子夫婦がさ、先週から今年高校に入った孫を連れて家族旅行ときたもんだよ。いい気なものだね」
 その時、仏壇がすこし、ぐらりと動いたような気がした。
 びっくりしたオタカ婆さんは言葉を付け足した。
「ありゃまあ、爺さんや、そんなに怒らないでおくれよ。あたしも悪気はないんだから、勘弁しておくれよ。――あっ、そうそう、うっかり頂き物のおまんじゅうを供えるの忘れていたっけ」
 難儀そうに、婆さんがコタツから立ち上がりかけたとき、突然、縁側から大声がした。
「――おい、婆さん、そこを動くとためにならねえぞ。さっさと言い訳せずに金を出すんだ」
 振り向くと背中に赤ん坊を背負った泥棒が、開け放たれた縁側の前で、声を荒げて手にした包丁を振り回している。
 一瞬、驚いて、腰を落としたオタカ婆さんは、やがて疑わしげに目を細めると、ぽつりと言った。
「――ふーん、こんなボロ家に、コソ泥のまねかい。まあまあ、見当ちがいも、はなはだしいよ。よく、こんな田舎まで、やって来たものだ。呆れるねえ」
「うるせえ、俺は今、気が立っているんだぞ。腹の虫も鳴ってらあ。さっさと金目のものを、ありたけ、こっちによこせ。さもなきゃ、婆さん、綱でぐるぐる巻きにして好きにさせてもらうぜ」
「腹の虫ねえ………」
 泥棒と背中の赤ん坊を交互に眺めて、婆さんは少し考えてから言った。
「――お前さん、親子どんぶりはきらいかい?」
「お、親子どんぶり!?…婆さん、俺をからかう気か」
「お昼ご飯の残りがあるんだよ。よかったら、食べなよ」
「婆さん、何言ってんだ。俺、泥棒だぜ。別にここへ飯を食いに来たわけじゃねえ!…さっさと金を――」
 そんなことにお構いなく、さっさとコタツから腰を上げたオタカばあさんは嬉しそうに台所へ回った。
 しばらくして、湯気の上がったどんぶりとミルクの入った新品の哺乳瓶を盆にのせて、婆さんがもどって来た。
 拍子抜けした泥棒は両腕を組んだまま、にがい顔をしてあぐらをかいている。泥棒は赤ん坊をやさしく傍らの床に寝かせていた。
 オタカ婆さんはニッコリして言った。
「あたしが赤ちゃんにミルクを飲ませてあげるから、お前さんも、どんぶりが冷めないうちにさっさと食べておしまいよ」
「ふうむ………」
 合点がいかないが、やがて観念した泥棒はムシャムシャとどんぶりをかき込みだした。
 男は口の周りにいっぱい米粒つけたまま、我を忘れた様に無心になって食べていた。
 オタカ婆さんはミルクを飲ませながら不憫な赤子が哀れで親身になって、男にやさしく尋ねた。
「どうして、こんなことになったんだね」
 男は重い口を開いた。
「――妻の浮気が原因だな。そのことで夫婦喧嘩が絶えなかったな。――とうとう一年前に子供を残したまま妻はどこかへ逃げてしまったよ。俺が妻より十八歳も年上のせいもあっただろうが…今頃は浮気相手と気楽にやってんだろうよ」
 オタカ婆さんは、しみじみと天井を見上げながら言った。
「――そいつはご苦労な話だねえ。あたしも身につまされるよ。うちにも息子はいるけど、嫁をもらうと駄目だね。ろくに家にも寄り付かなくなって独りぼっちの様なものさ。―――連れ合いのない侘びしさはお前さんと同類だね」
 オタカ婆さんは、ふと泥棒の上着のポケットに眼をくれて、ふーとため息をもらすと小声で言った。
「………こんな、びんぼう所帯だからたいした額もないけど、よかったら少しでもお金、持っていきな。いくらかの足しにはなるだろうさ。でも、お前さん、きっと働いてまっとうに生きることだよ。この子のためにもさあ」
「そいつはありがてえ………」
 その時だった。突然、部屋が大きくグラリと揺れた後、ドドドド――と激しく振動し部屋の壁がメリメリと裂け始めた。
「ば、婆さん、じ、地震だあー!!」
 とっさの反応で、あっという間に泥棒は赤ん坊を背負い、婆さんを力強く抱き上げて、一目散に縁側から外へ駆け出した。
 家から砂利道まで避難した時、今まで居た家が、ガタガタと音を立てて跡形もなくペシャンコに崩れ去っていった。瓦礫となった傍らで、犬のリキが興奮して走り回りながら遠吠えしていた。
 道端の大きな岩の上に腰を下ろしたオタカ婆さんと泥棒は、そろって悲惨な顔つきで呆然としていた。
 オタカ婆さんの膝の上で赤ん坊が無邪気に微笑んでいる。
 泥棒は婆さんの心中を察しながら言った。
「あと少し遅れてたら、三人そろってあの世逝きだったぜ。
危機一髪、助かったな」
「――お前さん、ありがとうな。ほんとうに命の恩人だよ」
「礼には及ばないさ、――あっ、痛っててて」
 必死に逃げていた時にどこかで擦り剥いたのだろう。上着の袖口をまくり上げた男の腕に、タラリと血が流れている。その二の腕に大きな薄茶色のアザの跡がついている。
 それをみて、穏やかな口振りで男が言った。
「――俺が子供の頃だったな、家の庭で焚き火遊びをしていて、うっかり火傷をしたアザなんだ。あの時はこっぴどく、おふくろに叱られてさ、今でもよく憶えているんだ…」
 男が横を向くと、オタカ婆さんは眼を細めてこっちをジッと睨んでいる。そして婆さんはゆっくりと口を開いた。
「――お前、武志だねえ。――三十年前に、家出した息子の武志だろう」
「そうさ――えっ!!てえことはつまり、婆さんは………」
「――自分の親の家に泥棒に入るバカがどこにいるんだい――弟夫婦はまともに生きて親の面倒をみてるっていうのにさ、情けないよお前は」
「……何だかこの家が懐かしいと思ったはずだよなあ、この俺ときたらまた、しくじったか」
「この親不孝の大バカが、しっかりおしよ――ほらほら、あたしの孫が泣いてるじゃないか、さあさあ急いで町までミルクと食料の買い出しだよ」
 やがてオンボロ車は、息子と母親と孫を乗せて、ゆっくりとしたスピードで遠くの町へと向かって行った。
―――後部座席で窓から首を伸ばした犬のリキが嬉しげにワンワンと吠えていた―――。
          了

09/12/13